御名御璽
御名御璽︵ぎょめいぎょじ︶とは、天皇の名前および御璽のこと。詔書や法令について、原本においては親署および御璽の押印があることを指すために用いる用語。天皇を諱︵実名︶をもって呼称することは伝統的に不敬とされるため、このように表記される。なお、歴史的には満洲国皇帝についても同様に用いられた。
御 名 御 璽 明治二十二年二月十一日 ︵以下略︶ — 大日本帝國憲法
近現代日本での運用[編集]
明治政府では当初、重要な法令を太政大臣名で公布していたが、1885年︵明治18年︶12月の内閣制度が導入されて以降、憲法・詔書・法律・条約・勅令などは上諭︵日本国憲法下においては公布文の形に改められる︶によって公布が行なわれる体制に改められていき、各原本には御名御璽が付されることとなった[1]。 現在も公的に用いられており、官報や法令集などに掲載される際、原本においては親署および御璽の押印がなされるところは﹁御名 御璽﹂と表記される。その際、﹁御名 御璽﹂は当該文書の題名から一段下げた高さに置かれる。天皇に代わって摂政が署名する際には、摂政は、天皇の名とともにその左脇に一段下げて摂政の名を記すことから、官報や法令集などにおいては﹁御名 御璽﹂と記載した次に﹁摂政名﹂と記載され、摂政についても実名は回避される。また、その後につづく首相と閣僚の副署は通常のように各行の最下部に署名どおりの実名︵氏名︶をもって表記される。﹁御名 御璽﹂と表記されている例[編集]
朕チ󠄁ン祖ソソ宗ウノ遺イ󠄁レ烈ツヲ承ウケ萬バン世セイ一イッ系ケイノ帝テ󠄁イ位イヲ踐フミ朕チ󠄁ンカ親シン愛アイスル所トコ󠄁ロノ臣シン民ミンハ卽スナワチ朕チ󠄁ンカ祖ソソ宗ウノ惠ケイ撫ブ慈ジ󠄁ヨ養ウ󠄁シタマヒシ所トコ󠄁ロノ臣シン民ミンナルヲ念オモヒ其ソノ康コウ福フクヲ增ゾウ進シ󠄁ンシ其ソノ懿イト德ク良リョ能ウノウヲ發ハッ達タ󠄁ツセシメムコトヲ願ネガヒ又マタ其ソノ翼ヨク󠄂サ贊ンニ依ヨリ與トモニ俱トモニ國コッ家カノ進シ󠄁ン運ウ󠄁ンヲ扶フ持ジセムコトヲ望ノ󠄁ゾミ乃スナワチ明メイ治ジ十ジュ四ウヨ年ネン十ジュ月ウガツ十ジュ二ウニ日ニチノ詔ショ命ウメイヲ履リセ踐ンシ玆ココニ大タイ憲ケンヲ制セイ定テイシ朕チ󠄁ンカ率ソツ󠄁ユ由ウスル所トコ󠄁ロヲ示シメシ朕チ󠄁ンカ後コウ嗣シ及オヨビ臣シン民ミン及オヨビ臣シン民ミンノ子シソ孫ンタル者モノヲシテ永エイ遠エ󠄁ンニ循ジュ行ンコウスル所トコ󠄁ロヲ知シラシム 國コッ家カ統トウ治チノ大タイ權ケンハ朕チ󠄁ンカ之コレヲ祖ソソ宗ウニ承ウケテ之コレヲ子シソ孫ンニ傳ツタフル所トコ󠄁ロナリ朕チ󠄁ン及オヨビ朕チ󠄁ンカ子シソ孫ンハ將ショ來ウライ此コノ憲ケン法ポウノ條ジョ章ウショウニ循シタガヒ之コレヲ行オコナフコトヲ愆アヤマラサルヘシ 朕チ󠄁ンハ我ワカ臣シン民ミンノ權ケン利リ及オヨビ財ザイ產サンノ安アン全ゼンヲ貴キチ重ョウシ及オヨビ之コレヲ保ホ護ゴシ此コノ憲ケン法ポウ及オヨビ法ホウ律リツノ範ハン圍イナ內イニ於オ󠄁イテ其ソノ享キョ有ウユウヲ完カン全ゼ󠄁ンナラシムヘキコトヲ宣セン言ゲンス 帝テイ󠄁コ國ク議ギカ會イハ明メイ治ジ二ニジ十ュウ三サン年ネンヲ以モッテ之コレヲ召ショ集ウシュウシ議ギカ會イ開カイ會カイノ時トキヲ以モッテ此コノノ憲ケン法ポウヲシテ有ユウ效コウナラシムルノ期キトスヘシ 將ショ來ウライ若モシ此コノ憲ケン法ポウノ或アル條ジョ章ウショウヲ改カイ定テイスルノ必ヒツ要ヨウナル時ジ宜ギヲ見ミルニ至イタラハ朕チ󠄁ン及オヨビ朕チ󠄁ンカ繼ケイ統トウノ子シソ孫ンハ發ハツ議ギノ權ケンヲ執トリ之コレヲ議ギカ會イニ付フシ議ギカ會イハ此コノ憲ケン法ポウニ定サダメメタル要ヨウ件ケンニ依ヨリ之コレヲ議ギケ決ツスルノ外ホカ朕チ󠄁ンカ子シソ孫ン及オヨビ臣シン民ミンハ敢アエテ之コレカ紛フン更コ󠄁ウヲ試ココロミルコトヲ得ウサルヘシ 朕チ󠄁ンカ在ザイ廷テイノ大ダイ臣ジンハ朕チ󠄁ンカ爲タメニ此コノ憲ケン法ポウヲ施セコ行ウスルノ責セメニ任ニンスヘク朕チ󠄁ンカ現ゲン在ザイ及オヨビ將ショ來ウライノ臣シン民ミンハ此コノ憲ケン法ポウニ對タイシ永エイ遠エ󠄁ンニ從ジュ順ウジュンノ義ギ務ムヲ負オフヘシ御 名 御 璽 明治二十二年二月十一日 ︵以下略︶ — 大日本帝國憲法
御署名原本[編集]
御名御璽が付された原本自体のことは、﹁御署名原本﹂と呼ばれる[1]。御署名原本は国立公文書館が取り扱う史料の中でも特に重要であるため、貴重書庫に厳重に保管している[2]。-
沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律の御署名原本(国立公文書館所蔵)
満洲国での運用[編集]
満洲国では1932年(大同元年)3月1日から1934年(大同3年)3月1日までは満洲国執政を元首とする共和制を採用していたため、教書・執政令(法律・教令・軍令・国際条約・予算及び予算外国庫負担となるべき契約)については執政である溥儀の名で公布されていた。そのため、満洲国の機関紙である『満洲国政府公報』に掲載される際、原本においては署名および押印がなされるところは「執政 溥儀印」と表記されていた。
1934年(康徳元年)3月1日の帝政移行に伴い、詔書・帝室令(日本の皇室令に相当)・法律・勅令・軍令・国際条約・予算及び予算外国庫負担となるべき契約は、大日本帝国と同様に上諭を附して公布が行なわれる体制に改められた。そのため、『政府公報』(『満洲国政府公報』から改題)に掲載される際、原本においては親署および御璽の押印がなされるところは「御名御璽」と表記された。その際、「御名御璽」は当該文書の題名から一段下げて置かれた。なお、日本の官報での表記と異なり、「御名御璽」の文字間隔は完全に均等である。
「御名御璽」と表記されている例[編集]
朕󠄁皇天ノ眷命ヲ承ケ帝󠄁位ニ卽キ茲ニ組織法ヲ制定シ統治組織ノ根本ヲ示ス朕󠄁ハ統治ノ權ヲ行フニ當リ此ノ條章ニ循ヒテ愆ラサルヘシ
御 名 御 璽
康德元年三月一日(以下略) — 組織法
出典[編集]
- ^ a b “御署名原本について”. アジア歴史資料センター. 2019年3月3日閲覧。
- ^ “主な公文書:国立公文書館”. www.archives.go.jp. 2019年3月3日閲覧。