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微生物叢︵びせいぶつそう、英: microbiota︶とは、生態系における生きた微生物の集合のことであり、それらの遺伝情報を含意してマイクロバイオーム︵英: microbiome︶と呼ばれることもある。微生物叢は細菌をはじめとした多様な微生物によって構成されており、これら構成成分の組成構造は、微生物叢が定着する環境ごとに異なっている。微生物叢は動植物の体表面や体内に共生的に定着している他、土壌や海中から地下鉄の車内に至るまで、様々な環境に存在している。
ヒトの体にも微生物は定着しており、ヒトの微生物叢はヒトの健康状態と密接に関連している。そのため、特に腸内細菌は医学的な観点からも、古くから研究されてきた。地球上におけるバイオマスとして、細菌は植物に次ぐ重量を占めていると推定されており、環境中の微生物叢に関連した全世界規模の研究も実施されている。
古典的には分離培養に依存した研究が行われていたが、16S rRNA遺伝子の配列に基づく系統分類法が提唱されてからは、分離培養を伴わない方法により未培養の微生物を含めた解析が行われるようになった。近年のDNAシークエンス技術の発展に伴い、微生物叢の研究は急速に進展しており、様々な疾患との関連性が明らかにされている。
定義と語源[編集]
ミリメートル単位の原核生物から数十ナノメートル単位のウイルスまで、様々な微生物が微生物叢を構成する。
微生物叢は、生きた微生物集団の全体を指す用語であり、また微生物集団が有する遺伝情報の全体を指してマイクロバイオーム (microbiome) と呼ばれることもある[1]。また、マイクロバイオームは微生物叢の遺伝情報のみならず、その集団が置かれる環境の状態も含有する[2]。従来は微生物叢を意味する用語として、生態学において叢︵くさむら、多くのものが集まっている︶を意味する用語であるフローラ︵flora︶の語が用いられてきたが、マイクロバイオーム解析の興隆と共に微生物叢 (microbiota) が支配的に用いられるようになった[1][3]。歴史的な背景によってフローラの語は用いられてきたが、現代において学術的に微生物叢を表す単語としてフローラを用いるべきではないと言われている[2]。また、微生物叢研究はメタゲノム解析と呼ばれる解析技術によって発展してきた。メタゲノムとはギリシャ語で﹁高次﹂や﹁超越﹂を意味する﹁メタ﹂と、すべての遺伝子全体を意味する﹁ゲノム﹂を組み合わせた造語である。メタゲノム解析においては微生物群集の遺伝子全体を、DNAの混合物として培養を行わずに網羅的に解析する[4][5][6]。微生物が細菌、古細菌、真菌、蠕虫などの寄生虫、及びウイルスを内包するように、微生物叢もまた細菌をはじめとした様々な微生物によって構成される。一方で、微生物叢の研究の多くは腸内細菌をはじめとした細菌に焦点を当てており[6]、マイクロバイオームが常在細菌と同義的に用いられることもある[7]。ヒト微生物叢の遺伝情報はヒトそのものの遺伝情報よりも大規模であり、それ故に﹁第二のゲノム﹂と称されることもある[8][9]。
微生物叢の構成要素とその解析手法[編集]
細菌叢[編集]
細菌叢は微生物集団が有する遺伝情報の全体がマイクロバイオームと呼ばれるように、細菌︵バクテリア︶集団が有する遺伝情報の全体をバクテリオーム (bacteriome) と呼ぶ[注釈 1]。先述の通り、微生物叢を構成する要素の中でも、細菌の成分は特に重点を置かれて研究が進められてきた[6]。
シュードモナス属16S rRNAの超可変領域。細菌の16S rRNAには9か所の多様性の大きい部位が存在し、その領域を挟むようにプライマーを設計することで、菌種ごとに異なる配列をPCR法により増幅することができる。
細菌叢の組成を明らかにするためには、様々な生物で保存されており、適度に系統間では配列が異なる16S rRNA遺伝子のDNA配列をマーカー遺伝子として解析し、その存在比から細菌叢を構成する菌種の特定や組成を推定することが一般に行われる。また、その手法のことをメタ16S解析と呼ぶ[10]。この手法は比較的簡単、安価に行える、真正細菌だけでなく古細菌も同時に評価できるといった利点をもつ。ただし、ポリメラーゼ連鎖反応︵PCR︶によりDNA配列のコピー数を増幅する作業が必要であり、この過程で特定の分類群に対してその組成を過大/過少に評価してしまうようなバイアスが生じる[6]。また、古くから行われてきた手法であり、データベースに登録された既存データや解析ツールが充実している[11]。
一方で全メタゲノム解析は、試料に含まれる全てのDNA配列を解析する手法であり、微生物叢の遺伝情報を詳細に解析できる上、細菌のみならず真菌やDNAウイルスについても同時に評価できるという利点を持つ。しかしながら比較的高価で複雑な解析が必要であり、一般性は劣る[6][11]。
また、メタトランスクリプトーム解析は試料に含まれる全RNAを解析するもので、死んだ細菌内でも比較的安定した物質であるDNAを解析するメタ16S解析や全メタゲノム解析と異なり、原則的に生きている細菌の遺伝情報だけを解析できる。ただし、上記の手法に比べるとrRNAの除去が必要など、実験系が複雑であり、解析により多額の費用がかかる[11]。
真菌叢[編集]
カビや酵母といった真菌もまた微生物叢の構成要素として注目されている[6]。真菌の研究は19世紀から行われてきたが、環境中の真菌全体を捉える真菌叢の研究の歴史は浅く、mycobiologyとmicrobiomeを組み合わせた造語であるmycobiomeの語が提案されたのは2010年のことである[12]。また、真菌叢解析に関する報告は細菌叢解析に関するものに比べると格段に少ない。しかしながら、解析の手法に大きな差はない[10]。細菌叢の解析には16S rRNA遺伝子の配列がマーカーとして利用されるが、真菌叢の解析においてはリボソームRNA遺伝子を隔てる内部転写スペーサー (internal transcribed spacer, ITS) 領域や、細菌の16S rRNA遺伝子に相当する18S rRNA遺伝子がマーカー遺伝子として用いられる。ただし、真菌叢の解析はデータベースの不足から細菌叢の解析と比べ困難である。ヒトの身体の場合、粘膜においてはカンジダ属が優位だが、皮膚ではマラセチア属が優占する[6]。
ウイルス叢[編集]
大腸菌に吸着するバクテリオファージの透過型電子顕微鏡像。縮尺はおよそ200,000倍。
他の微生物と同様にウイルスもまた人体に普遍的に常在しており、DNAウイルスやRNAウイルスを含むすべてのウイルスの集合をウイローム︵ヴァイローム、virome︶と呼ぶ[13][14]。ウイルスは細菌や真菌と異なり、全てのウイルスで共通して存在するような保存配列を持たない。そのため、ウイルス叢の解析においてはしばしば試料に含まれる全ての遺伝情報を解析するメタゲノム解析が用いられる。また、人体に生息するDNAウイルスの多くは、常在細菌に感染しているバクテリオファージであり、ウイルス叢の研究は細菌叢との関連で扱われることが多い[6]。ただし、ウイルスのゲノムは一般に細菌や哺乳類のゲノムに比べ小さく、メタゲノム解析で得られるウイルスDNA配列はメタゲノム全体の小さな割合を占めるに過ぎない。また、ファージのDNA配列は溶原化と呼ばれる過程を経て、細菌のゲノムに取り込まれて存在していることがあり、配列情報だけではウイルス粒子として存在する配列と細菌ゲノムに取り込まれた配列とを区別できない。そのため、厳密にウイルス粒子として存在するウイルスの遺伝情報を定量的に評価するためには、事前に細菌の菌体より孔の目が細かい膜を用いたろ過、ウイルス粒子外のDNAを分解する酵素処理、遠心分離による分画などを行うことで、ウイルス粒子内のDNAを抽出する手法が採用されることがある[15][16]。ファージは宿主となる細菌を殺したり、新しい遺伝子を付与することで、細菌叢に影響を及ぼしていると考えられている[17]。環境中にもウイルスは存在しており、最初期のウイルス叢研究は海水中のウイルス叢を解析したものであった[18][19]。
宿主や環境と微生物叢[編集]
ヒトと微生物叢[編集]
腸内をはじめヒトの体には微生物が定着している。大腸には特に多数の細菌が生息しており、重量は体重70kgの成人男性で0.2kgに過ぎないが、細胞数では約40兆に及ぶと推定されている。この数は個人の全細胞の数を超える[21]。ヒトの微生物叢は特にヒトマイクロバイオームと呼ばれ、疾病等との関連性から重点的に研究が進められてきた。その中でも腸内細菌叢に関する研究が特に焦点を当てられてきており、腸管に沿って腸内細菌叢の構造が変化することや、様々な疾病との関連が明らかにされている。同様に、口腔、皮膚、膣などの微生物叢も疾患との関連などから研究されてきた[6]。また、ヒトの微生物叢の大規模な調査として、アメリカのHuman Microbiome ProjectやヨーロッパのMetaHITなどの国家規模のプロジェクトが実施されている[22][23]。
ヒトの微生物叢は腸管、口腔、皮膚、膣といった部位ごとに、構成する細菌種が異なり、例えば他者間のヒト腸管の微生物叢を比べた場合と、同一個人で腸管と口腔の微生物叢を比較した場合、前者の方が互いに類似性が高い[24][25]。
ヒト以外の動物と微生物叢[編集]
動物の腸管マイクロバイオーム多様性の主座標分析。腸管マイクロバイオームはその分類毎に異なる。コウモリは哺乳類でありながら他の哺乳類よりもむしろ鳥類と類似した腸管マイクロバイオームを持ち、バクテロイデーテスが少なく、プロテオバクテリアが多い[26]。
ヒトと同様に様々な動物が微生物と共生関係にあり、固有の微生物叢を持つ。微生物叢はそれを保持する動物の行動によって構成が変化し、また微生物叢が宿主となる動物の行動に影響を与えるとされる[27]。一方でアリなどの一部の動物は、病的な状態や一過性に微生物が寄生することを除くと、共生関係にある微生物叢が存在しない場合もあると指摘する研究もある[28]。
ペットとして、ヒトと生活空間を共にするイヌはそこで生活するヒトと同じ大腸菌を共有することがある[29]。また、イヌの皮膚の微生物叢は飼育するヒトの皮膚の微生物叢と類似し、ヒトの皮膚の微生物叢はイヌを飼育することで多様性を増す[30]。
一般に動物の腸内細菌叢は食性によって変わり、系統学的に近い種であっても食性が異なると腸内細菌叢の構造は異なったものとなる[31]。食性の違いによって生じる腸内細菌叢の差異は、腸内細菌叢の機能にも影響を及ぼすとさせる。2011年に公表された研究では、草食動物の糞便においてアミノ酸や糖の生合成に関わる酵素の遺伝子が増加していた一方、肉食動物ではアミノ酸や糖の分解に関わる酵素の遺伝子が増加していた[32]。レッサーパンダとジャイアントパンダは食性と腸内細菌叢の関連性における例外的存在であり、これらの動物は草食動物であるが、その腸内細菌叢はむしろ肉食動物のものである。これはパンダが最近になって食性を肉食から草食へと変化させたことを反映させているのかもしれない[33]。
ウシに代表される反芻動物は、胃が4つの部屋に分画されており、食道から直接つながる第一胃は食物の発酵槽として働く。草食動物であるウシは草本を栄養源として利用するが、一般に植物の葉は果実や動物の肉と比べて栄養の利用効率が低い。これは植物の葉がセルロースに代表される不溶性の多糖類から構成されるためであるが、反芻動物はこの不溶性の多糖類を第一胃の微生物による発酵で分解し、最終生産物として得られる酢酸、酪酸、プロピオン酸などの短鎖脂肪酸︵揮発性脂肪酸とも呼ばれる︶を吸収する。反芻動物はこの短鎖脂肪酸を材料に糖新生、脂肪新生という過程を経て糖や脂肪を合成している[33]。反芻動物の飼料利用効率は農業において重要であり、第一胃の微生物叢と飼料利用効率の相関が調査されている。それによると、ウシの飼料利用効率は第一胃にフィルミクテスが多い場合に高いとされている[34]。
細菌叢や特定の細菌が、それを保持する宿主に及ぼす生理作用を明らかにするために、ノトバイオート技術が用いられる。ヒトの細菌叢がヒトの健康に及ぼす影響を明らかにするためには、ヒトそのものを研究材料とすることがもっとも直接的な方法だが、遺伝的、環境的な背景を揃えた実験群を用意することは困難であり、また、健康を害するおそれのある処置を伴う実験は倫理的に行うことができない。そのため、ヒトの腸内細菌の研究であっても実験動物を用いた実験が必要となる。既知の細菌のみが腸内などに定着しているノトバイオート動物の作製においては、細菌の株やその混合物を何の微生物も定着していない無菌動物に接種する。さらに、細菌を移植されたノトバイオート動物の病態や健康状態の変化を観察することで、移植した細菌叢が宿主に与える生理作用を調べる。現在広く用いられる無菌動物はマウスとラットだが、無菌動物を用いた初期の研究ではモルモットが多く用いられた。他にもウサギ、ブタ、ヤギ、ヒツジ、ウシ、ウマ、イヌ、ニワトリなどの動物でも無菌化が行われている[10]。
植物と微生物叢[編集]