新井奥邃

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あらい おうすい


新井 奥邃

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生誕 1846年5月29日弘化3年5月5日
仙台
死没 (1922-06-16) 1922年6月16日(76歳没)
東京府巣鴨町東福寺
墓地 森巌寺(東京都世田谷区代沢)
国籍 日本の旗 日本
別名 常之進安静
職業 武士思想家著作家
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脚注[編集]

  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 56頁。
  2. ^ 林学斎侍講、万延元年遣米使節団随員、後に養賢堂の指南統取
  3. ^ 坂本龍馬の従兄、後に初の邦人ハリストス正教会司祭
  4. ^ 『日本正教伝道誌』巻之壹p.55, 57
  5. ^ 開拓使出張設置に伴った改名
  6. ^ 脱藩中は林幽潭、林幽邃の変名を使い、赦免されてから渡米後しばらくまでは新井邃道、新井邃(ふかし)と署名していた。新井常之進が「奥邃」と号するのはその後のことである
  7. ^ DISORDERLY DOCTRINES: RELIGION, RACE, AND THE FOUNTAINGROVE SEX SCANDAL OF 1891–1892Joshua Paddison、ケンブリッジ大学出版局、2015
  8. ^ 営利事業に傾いていった共同体のなかで、自覚的に「日陰者」を選択したとも考えられるが、既往の追懐を嫌った奥邃の在米中の動向については不明な点が多い。
  9. ^ 新井奥邃先生伝 (永島忠重, 1929)
  10. ^ その際、ニコライは奥邃を異端者と見なし、残念がっていたことがニコライの日記から窺える
  11. ^ 野草永島忠重(警醒社, 1924)

著書[編集]

  • 新井奥邃著作集編纂会『新井奥邃著作集』9巻+別巻(春風社、2000 - 2006年)
  • 永島忠重編『奥邃廣録』全5巻(警醒社奥邃廣録刊行会、1930 - 1931年 復刻版、大空社、1991年)
  • 工藤正三監修『奥邃先生資料集』全6巻(大空社、1993年)
  • 永島忠重『新井奥邃先生の面影と其の談話』(私家版、国際印刷社、1929年)
  • 永島忠重『奥邃先生の面影と談話及遺訓』(奥邃広録刊行会、1934年 復刻版『奥邃先生資料集』第4巻、大空社、1993年)
  • 永島忠重『奥邃先生講話集』(警醒社、1936年 復刻版『奥邃先生資料集』第5巻、大空社、1993年)

参考文献[編集]

  • 永島忠重『新井奥邃先生傳』(私家版、1929年)
  • 長野精一『怒濤と深淵 田中正造・新井奥邃頌』(法律文化社、1981年)
  • 宇津恭子「新井奥邃と女子教育」『人間学紀要』12、上智大学人間学会、1982年11月
  • 福田與編『奥邃先生の面影・内観祈祷録』(青山館、1984年)
  • 工藤直太郎『新井奥邃の思想』(青山館、1984年)
  • 藤一也『黎明期の仙台キリスト教 傍系者の系譜』(キリスト新聞者、1985年)
  • 永島忠重『新井奥邃先生』(警醒社内奥邃廣録刊行会、1933年 復刻版、大空社、1991年)
  • コール・ダニエル「新井奥邃の信仰 その特異なキリスト教思想をめぐって」『福岡女学院大学紀要』3、1993年2月
  • コール・ダニエル「「凡そ人の苦を知らざる者は自己の実状を知らざるなり」 新井奥邃の十字架の実践と非戦の思想」『福岡女学院大学紀要』5、1995年2月
  • 播本秀史『新井奥邃の人と思想 人間形成論』(大明堂、1996年)
  • コール・ダニエル「新井奥邃の聖書観を巡って」『キリスト教史学』50、1996年7月
  • コール・ダニエル「「靑年と共に靜に思ふ」 新井奥邃の帰国後初期の代表的な一文」『人文学研究 福岡女学院大学人文学研究所紀要』1、1998年3月
  • 新井奥邃先生記念会監修『知られざるいのちの思想家 新井奥邃を読みとく』(春風社、2000年)
  • 瀬上正仁『明治のスウェーデンボルグ 奥邃・有礼・正造をつなぐもの』(春風社、2001年)
  • 荒井献「新井奥邃の「父母(ちちはは)神(かみ)」とグノーシス派の「母父(ぼふ)」なる至高神」『新井奥邃著作集月報』3、2001年4月
  • コール・ダニエル「新井奥邃の父母神(チチハハカミ)思想とフェミニスト神学の視点」『新井奥邃著作集月報』7、2002年10月
  • コール・ダニエル「新井奥邃の宗教思想に見る公共性」稲垣久和・金泰昌編『公共哲学 第16巻 宗教から考える公共性』(東京大学出版会、2006年)
  • 阿部珠理「森有礼・新井奥邃のアメリカ体験と思想実践」荒このみ・生井秀考編著『シリーズ アメリカ研究の越境(6) 文化の受容と変貌』(ミネルヴァ書房、2007年)
  • 阿部仲麻呂「新井奥邃における『謙和』の理念および実践に関する一考察」『カトリック研究』76、上智大学神学会、2007年8月
  • 阿部仲麻呂「新井奥邃における「謙」の思想の現代的意義に関して」『清泉女子大学キリスト教文化研究所年報』17、2009年3月
  • 阿部仲麻呂「私塾の現代的可能性に関する一考察―新井奥邃の教育実践を手がかりとして」『思想史研究』10、日本思想史・思想論研究会、2009年9月
  • 花崎皋平『田中正造と民衆思想の継承』(七つ森書館、2010年)
  • コール・ダニエル「新井奥邃と田中正造 その交友と『謙』の思想」小松裕・金泰昌編『公共する人間 4 田中正造―生涯を公共に献げた行動する思想人』(東京大学出版会、2010年)
  • コール・ダニエル、金泰昌編『公共する人間 5 新井奥邃―公快共楽の栄郷を志向した越境者 』(東京大学出版会、2010年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]