横川重次
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横川重次 よこかわ じゅうじ | |
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生年月日 | 1894年11月9日 |
出生地 | 日本 埼玉県比企郡大河村 |
没年月日 | 1964年9月11日(69歳没) |
出身校 | 早稲田大学大学部文学科哲学科卒業 |
前職 | 農業 |
所属政党 |
(無所属→) (立憲政友会→) (翼賛政治会→) (日本進歩党→) (自由党→) 自由民主党 |
配偶者 | 横川マスエ |
親族 | 義兄・遠藤柳作(参議院議員) |
選挙区 |
(埼玉3区→) (埼玉2区→) 旧埼玉2区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 |
1927年 - 1928年1月21日 1930年2月20日 - 1945年12月18日 1952年10月1日 - 1953年3月14日 1955年2月27日 - 1958年4月25日 |
横川 重次[1][2]︵よこかわ じゅうじ、1894年︵明治27年︶11月9日[3] - 1964年︵昭和39年︶9月11日︶は、日本の実業家、政治家。衆議院議員︵8期︶。埼玉県多額納税者[4][5]。武蔵野銀行相談役[3]。
襲撃後、自宅療養中の横川
経歴[編集]
埼玉県比企郡大河村腰越︵現・小川町︶出身[1][2]。横川宗作の長男[2][4][6]。旧制早稲田中学を経て[要出典]1917年、早稲田大学大学部文学科哲学科卒業[4][5]。ドイツに留学し[1]、ベルリン大学で社会学を専攻した[6]。1924年、家督を相続した[4]。 農業[4]、製材業[6]を営み埼玉県多額納税者となった[4]。大河村信用組合長[1]、小川無尽[7]、横川製材各社長[8]、武州本場絹織物工業、比企繭販売利用各組合長[6]などをつとめた。 1927年3月28日、第15回衆議院議員総選挙の埼玉県第3区補欠選挙で衆議院議員に当選[9]。立憲政友会に所属した[4]。1931年、犬養内閣が成立すると、商工大臣秘書官に任じ、従五位に叙せられる[2]。1939年、阿部内閣商工政務次官に就任した。 1945年に日本林業会長となる[3]。戦後、公職追放となり[10]、1951年に追放解除された[11]。追放解除後は1952年の第25回衆議院議員総選挙と1955年の第27回衆議院議員総選挙で2回当選した。1952年8月7日、日本共産党の人物に襲撃され、重傷を負った︵横川元代議士襲撃事件︶。1952年に武蔵野銀行取締役となり、1957年に相談役となる[3]。人物[編集]
横川には﹁会って話してこんな気持ちのいい人はない﹂という定評があった[12]。清浄で、うそがいえない性格であった[12]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[13]。 宗教は浄土宗[3]。趣味は囲碁[3]。住所は埼玉県比企郡大河村腰越[3]︵現・小川町︶、東京市豊島区池袋[6]。家族・親族[編集]
横川家 横川家は埼玉県比企郡腰越村︵現・小川町︶の旧家、名望家である[14]。
●祖父・利家 - 戸長、連合戸長をつとめた[14]。
●父・宗作︵1864年 - 1924年、素封家[2]、篤農家[15]、農林業、埼玉県会副議長[14]︶
●母・ハナ︵群馬、澁澤六三の二女︶[4]
●姉
●いつ︵東京、吉田丹次兵衛の妻︶[4]
●タネ︵埼玉、遠藤柳作の妻︶[4]
●弟・直︵埼玉、岩澤よしの養子︶[4]
●妻・マスエ︵1898年 - ?、埼玉、下田純一郎の六女︶[4]
●長男[3]
●二男[3]
●三男[3]
●四男[3]
●五男[3]
●六男[3]
●長女[3]
親戚
●遠藤柳作︵官僚、政治家︶ - 姉の夫。
●根岸武香 (貴族院議員)
脚注[編集]
(一)^ abcd﹃御大典栄誉記念写真帖 昭和三年十一月﹄︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年1月28日閲覧。
(二)^ abcde﹃大東京の現勢﹄人物編16頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年1月28日閲覧。
(三)^ abcdefghijklmn﹃大衆人事録 第20版 東京篇﹄よ1034頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年1月28日閲覧。
(四)^ abcdefghijkl﹃人事興信録 第9版﹄ヨ7頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年2月4日閲覧。
(五)^ ab﹃早稲田大学紳士録 昭和15年版﹄903頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2017年11月24日閲覧。
(六)^ abcde﹃人事興信録 第13版 下﹄ヨ7頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年2月4日閲覧。
(七)^ ﹃日本紳士録 第36版﹄埼玉ヤ、ユ、ヨ、ラ、リ、ル、レ、ロ、ワ之部18頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2017年6月19日閲覧。
(八)^ ﹃第三回普選総選挙大観﹄112頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2017年11月23日閲覧。
(九)^ ﹃総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回﹄261頁。﹃議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑﹄700頁。
(十)^ ﹃朝日新聞﹄1946年2月10日一面。
(11)^ ﹃朝日新聞﹄1951年8月7日朝刊二面。
(12)^ ab﹃埼玉人物評論﹄374-375頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年2月4日閲覧。
(13)^ ﹃貴族院多額納税者名鑑﹄139頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2017年6月19日閲覧。
(14)^ abc﹃埼玉県議会史6巻﹄附録その1埼玉県議会歴代議員録109頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年1月28日閲覧。
(15)^ ﹃大日本篤農家名鑑﹄291頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年2月4日閲覧。
参考文献[編集]
●大日本篤農家名鑑編纂所編﹃大日本篤農家名鑑﹄大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。 ●織田正誠編﹃貴族院多額納税者名鑑﹄太洋堂出版部、1926年。 ●﹃御大典栄誉記念写真帖 昭和三年十一月﹄埼玉正論社、1929年。 ●人事興信所編﹃人事興信録 第9版﹄人事興信所、1931年。 ●東京毎夕新聞社編﹃大東京の現勢﹄東京毎夕新聞社、1932年。 ●﹃第三回普選総選挙大観﹄朝日新聞社、1932年。 ●交詢社編﹃日本紳士録 第36版﹄交詢社、1932年。 ●埼玉人物評論社編﹃埼玉人物評論﹄埼玉評論社総務部、1936年。 ●衆議院事務局編﹃総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回﹄衆議院事務局、1936年。 ●早稲田大学紳士録刊行会編﹃早稲田大学紳士録 昭和15年版﹄早稲田大学紳士録刊行会、1939年。 ●人事興信所編﹃人事興信録 第13版 下﹄人事興信所、1941年。 ●帝国秘密探偵社編﹃大衆人事録 第20版 東京篇﹄帝国秘密探偵社、1958年。 ●埼玉県議会史編さん委員会編﹃埼玉県議会史6巻﹄埼玉県議会、1966年。 ●衆議院・参議院﹃議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑﹄大蔵省印刷局、1990年。関連項目[編集]
●最年少帝国・国会議員外部リンク[編集]
●﹃横川 重次﹄ - コトバンク名誉職 | ||
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先代 佐々木長治 |
最年少衆議院議員 1927年 - 1928年 |
次代 水谷長三郎 |