照子女王
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照子女王︵てるこじょおう、寛永2年︵1625年︶ - 宝永4年2月26日︵1707年3月29日︶[1]︶は、江戸時代前期から中期の女性。伏見宮貞清親王の王女で、紀州藩第2代藩主・徳川光貞の正室。幼称は安宮︵やすのみや︶。院号は天真院︵てんしんいん︶。妹に江戸幕府4代将軍・徳川家綱の正室である顕子女王、姪に8代将軍・徳川吉宗の正室である理子女王[2]がいる。
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