牧田與一郎
牧田 與一郎 | |
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生誕 |
1903年1月15日 日本 |
死没 |
1971年2月7日(68歳没) 日本 |
国籍 | 日本 |
教育 | 東京帝国大学経済学部 |
業績 | |
勤務先 | 三菱重工業 |
牧田 與一郎︵まきた よいちろう、1903年︵明治36年︶1月15日 - 1971年︵昭和46年︶12月7日︶は日本の実業家。三菱重工業社長として三菱グループを指導し、三菱自動車工業を設立。﹁牧田天皇﹂[1]﹁横紙破り﹂[2]﹁赤鬼のオマキ﹂[2]と呼ばれた。
生涯[編集]
静岡県で代々続く材木商の家に生まれる。鷹狩で道に迷った徳川家康を駿府城下に導いた木こりの親方が、この功により大鋸町︵現・静岡市葵区大鋸町︶を賜り、そこに材木屋を開いたのが牧田家の祖先であるとの言い伝えがある[3]。 静岡市立東尋常小学校、旧制静岡中学校から四年修了で第四高等学校に進み、1925年、東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。同年、三菱商事に入社するも、反抗的な性格ゆえに上司と喧嘩を繰り返し、1935年以降、ドイツ・イギリス・フランス・イラン・イラクに左遷される。当時、海外支店から帰ってきた歓迎会の席上で人事部の幹事と口論になり、相手を二階の欄干から投げ落とすほどの暴れん坊ぶりだった[4]。機械部に在職中は猛烈に技術書を読み、後年、三菱日本重工業︵現・三菱重工業︶会長の桜井俊記をして﹁なまじっかなエンジニアよりも機械や技術体系に詳しい﹂と言わしめた[5]。 帰国後、荘清彦︵のち三菱商事社長。與一郎のテニスメートである岩崎彦弥太の学友︶の計らいで1938年に三菱重工業へ移り、岡野保次郎︵のち三菱重工社長︶の預かりの身分となってから頭角をあらわし、1945年、第十一製作所総務部長となる。名古屋機器製作所営業部長、同副所長を経て、1950年に機器部長。1953年、機械部長に就任。1956年、経済同友会幹事となる。1964年、三菱重工業専務。1965年、三菱重工業副社長。 1966年から1967年にかけて、四男・牧田吉明︵当時成蹊大学在学中︶が新左翼の過激派活動に関わったために教授会から呼び出しを受けたが、これに対して與一郎は﹁息子の喧嘩に親が出られるか!﹂と一切の介入を拒んだ。 1969年から三菱重工業社長。牧田を社長にすることを決定したのは、三菱グループの社長の集まり﹁金曜会﹂の世話人会の面々、すなわち藤井深造︵三菱重工業初代社長︶、田実渉︵三菱銀行頭取︶、河野文彦︵三菱重工業会長︶、藤野忠次郎︵三菱商事社長︶であった[6]。吉明が背叛社火薬暴発事件︵1968年10月6日︶に関わって逐電していた時期には、父親としての責任を取るために社長辞任を真剣に考えた。 1970年、米国クライスラー社との提携によって自動車部門を強化独立させ、三菱自動車工業を設立。 1971年、社長在任中に病死。親族[編集]
妻は岩崎小弥太の娘︵庶子︶で、箱根底倉温泉の老舗旅館﹁つたや﹂の経営者沢田鋓義の養女[7]。小弥太は自分の娘の一人を與一郎に娶らしめたとき﹁浮気をしてもよいという条件でオレの娘を妻にせんか﹂と言ったとされる[7]。妻の養母、すなわち沢田の妻は上総飯野藩第10代藩主・保科正益の三女[8]。従って三菱財閥の3代目総帥・岩崎久弥は與一郎の妻にとって実父の従兄かつ養母の義兄にあたり[注釈 1]、元三菱銀行頭取・田実渉とは妻が従姉妹同士という関係にあたる[注釈 2]。従って牧田家は三菱の創業者一族・岩崎家及び三菱と縁の深い田実家と姻戚関係で結ばれている。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ 草柳大蔵『実力者の条件』p.196(文藝春秋社、1970年)
- ^ a b 草柳大蔵『実力者の条件』p.192(文藝春秋社、1970年)
- ^ 草柳大蔵『実力者の条件』p.198(文藝春秋社、1970年)
- ^ 草柳大蔵『実力者の条件』p.189(文藝春秋社、1970年)
- ^ 草柳大蔵『実力者の条件』p.203(文藝春秋社、1970年)
- ^ 草柳大蔵『実力者の条件』p.194(文藝春秋社、1970年)
- ^ a b 草柳大蔵『実力者の条件』p.201(文藝春秋社、1970年)
- ^ a b c d 霞会館華族家系大成編輯委員会編纂『平成新修旧華族家系大成 下巻』p.473(霞会館、1996年)
- ^ 早川隆『日本の上流社会と閨閥』pp.56-57(角川書店、1983年)
- ^ 沢田美喜『新版 黒い肌と白い心』p.333(創樹社、1991年)
- ^ 佐藤朝泰『門閥』pp.262-263, 270(立風書房、1987年)
- ^ 神一行『閨閥』p.400(講談社文庫、1993年)
- ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会編纂『平成新修旧華族家系大成 上巻』p.541(霞会館、1996年)
参考文献・関連書籍[編集]
●草柳大蔵﹃実力者の条件﹄︵1970年、文藝春秋社︶ ●清水一行﹃燃え盡きる︿小説・牧田與一郎﹀﹄︵1972年、徳間書店。1995年、集英社文庫︶- 伝記小説 ●早川隆﹃日本の上流社会と閨閥﹄︵1983年、角川書店︶ ●佐藤朝泰﹃門閥 旧華族階層の復権﹄︵1987年、立風書房︶ISBN 4-651-70032-2 ●沢田美喜﹃新版 黒い肌と白い心 サンダース・ホームへの道﹄︵1991年、創樹社︶ ●神一行﹃閨閥 - 新特権階級の系譜﹄︵1993年、講談社︵講談社文庫︶︶ISBN 4-06-185562X ●霞会館華族家系大成編輯委員会編纂﹃平成新修旧華族家系大成 上巻﹄︵1996年、霞会館︶ISBN 4-642-03670-9 ●霞会館華族家系大成編輯委員会編纂﹃平成新修旧華族家系大成 下巻﹄︵1996年、霞会館︶ISBN 4-642-03671-7 ●岩崎峰子﹃祇園の課外授業﹄︵2004年、集英社︶pp.49-55 - 與一郎と親しかった元芸妓の回想録 ●別冊宝島﹃“天皇”と呼ばれた男たち﹄︵2009年、宝島社︶外部リンク[編集]
●座談会 終戦前後を回顧する ●白井秀雄﹁戦後名製発展への歩み﹂
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