岩崎小弥太

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岩崎 小彌太
いわさき こやた
岩崎小弥太(1909年)

岩崎小彌太(1909年

第4代 三菱財閥総帥
任期
1916年大正5年) – 1945年昭和20年)
個人情報
生誕1879年8月3日
日本の旗 日本東京府
死没 (1945-12-02) 1945年12月2日(66歳没)
日本の旗 日本東京都本郷区東大病院
墓地世田谷区の岩崎家廟所
国籍日本の旗 日本
配偶者岩崎孝子
子供養女・淑子
婿養子・忠雄
岩崎弥之助(父)
岩崎早苗(母)
親族後藤正晴(曾祖父)
岩崎弥次郎(祖父)
岩崎美和(祖母)
後藤象二郎(祖父)
岩崎弥太郎(伯父)
島津珍彦(岳父)
岩崎俊弥(弟)
岩崎輝弥(弟)
岩崎英二郎(甥)
牧田吉明(孫)
出身校東京帝国大学法科大学(中退)
ケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジ[1]
職業実業家

  18791283 - 1945201224

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2

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191245

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[3]

1945208GHQ 12267[4]195530

鹿婿

[5][5]

 ()[6]

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[7]

[]


調19201934[8]DNA
三菱三綱領
1 所期奉公
(しょきほうこう)
「期するところは社会への貢献」
…事業を通じ、物心共に豊かな社会の実現に努力すると同時に、かけがえのない地球環境の維持にも貢献する。
2 処事光明
(しょじこうめい)
「フェアープレイに徹する」
…公明正大で品格のある行動を旨とし、活動の公開性、透明性を堅持する。
3 立業貿易
(りつぎょうぼうえき)
「グローバルな視野に立って」
…全世界的、宇宙的視野に立脚した事業展開を図る。

()19209()






調

栄典[編集]

脚注[編集]



(一)^ .    vol.03 . . https://www.mitsubishi.com/ja/profile/history/series/koyata/03/ 202277 

(二)^   p230

(三)^ p452016

(四)^ 201258 17/20p8  1994

(五)^ abp.2011970

(六)^ 

(七)^ 349

(八)^ (). (1986.11)

(九)^ 19151110

(十)^ 19281110

(11)^ 47071942916

伝記[編集]

  • 尚友倶楽部史料調査室・荒船俊太郎編『岩崎小彌太関係史料 書翰と追想』(尚友ブックレット:芙蓉書房出版、2020年)
  • 宮川隆泰 『岩崎小彌太 三菱を育てた経営理念』(中公新書、1996年)
  • 永野芳宣 『外圧に抗した男 岩崎小弥太の懺悔拒否』(角川書店、2001年)
  • 武田晴人 『岩崎小彌太 三菱のDNAを創り上げた四代目』(PHP新書、2020年)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

日本の爵位
先代
岩崎弥之助
男爵
岩崎(弥之助)家第2代
1908年 - 1945年
次代
華族制度廃止
ビジネス
先代
岩崎久弥
三菱合資社長→三菱社社長→三菱本社社長
1916年 - 1945年
次代
田中完三
先代
設立
三菱造船会長
1917年 - 1918年
次代
武田秀雄
先代
設立
三菱商事会長
1918年 - 1921年
次代
三宅川百太郎
先代
設立
三菱銀行会長
1919年 - 1921年
次代
串田万蔵
先代
設立
三菱海上火災保険会長
1919年 - 1921年
次代
串田万蔵
先代
木村久寿弥太
三菱鉱業会長
1920年 - 1924年
次代
三谷一二