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福岡縣護國神社︵ふくおかけんごこくじんじゃ︶は、福岡県福岡市中央区にある神社︵護国神社︶である。
明治維新から大東亜戦争/太平洋戦争までの国難に殉じた福岡県関係の戦没者約13万柱を祀る。祭神の柱数は護国神社では沖縄県護国神社に次いで2番目に多い。
明治元年︵1868年︶11月、福岡藩主・黒田長知が、戊辰戦争に殉じた藩士を祀るため那珂郡堅粕村︵妙見招魂社︶と馬出村︵馬出招魂社︶に招魂社を創建したのに始まる。明治39年︵1906年︶6月27日、馬出招魂社に妙見招魂社を合祀して妙見馬出招魂社とした。昭和13年︵1938年︶に福岡招魂社と改称し、昭和14年︵1939年︶、招魂社の制度改正により福岡護國神社に改称した。これとは別に、県内には他に4つの護国神社があった。
●山川護國神社︵三井郡山川村︵現・久留米市︶。明治元年、久留米藩知藩事有馬頼咸により創建︶
●柳河護國神社︵山門郡三橋村︵現・柳川市︶。明治元年、柳川藩主立花鑑寛により創建︶
●八景山護國神社︵京都郡祓郷村︵現・みやこ町︶八景山。明治元年、小倉藩主小笠原忠忱により創建︶
●田川護國神社︵田川郡伊田町︵現・田川市︶。明治2年、華族高千穂教育により創建︶
昭和18年︵1943年︶4月、現在地の福岡城址南側の練兵場跡に遷座し、上記の4つの護国神社を統合して﹁福岡縣護國神社﹂に改称、内務大臣指定護国神社となった。第二次世界大戦後は正中宮と称していた。日本の主権回復後の昭和32年︵1957年︶5月17日、元の福岡縣護國神社に復した。
平成23年12月には特攻勇士の像を建立した。
福岡市街地の中心に位置し、境内には隣接する大濠公園・舞鶴公園と共に、約46,000ヘクタールもの緑が残る都心の緑地となっている。しかし木が生い茂っていることからか、10年ほど前から野犬が住み着き、繁殖による子犬が確認された上、通行人に噛み付くなどの被害が出ており、餌付け禁止を呼びかけるなどの対策が試みられている[1]。
対策として、境内の廻りに鉄製の柵を設置したため、現在野犬はみられない。
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