谷関
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谷関 | |
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谷關 | |
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座標:北緯24度12分10秒 東経121度00分14秒 / 北緯24.20278度 東経121.00389度 | |
国 |
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直轄市 | 台中市 |
区 | 和平区 |
村里 | 博愛里 |
標高 | 約740[1][2]−800[3] m |
等時帯 | UTC+8 (台湾時間〈TST〉) |
谷関︵こくかん、繁: 谷關、英: Kukuan, Guguan︿クークアン[4]、グーグアン﹀︶は、台湾の台中市和平区にある観光地であり、中部横貫公路︵省道台8線︶の東勢区の起点より約35キロメートル (22 mi) (33.8km[5]) の距離に位置する[6]。﹁谷関﹂の地名は、山に囲まれた関所のような地形から名付けられた[7]。大甲渓の温泉の湧出により開発され、さらに中部横貫公路の開通により観光事業が急速に発展した[8]。しかし、921大地震や台風7号︵ミンドゥル︶の災害︵72水災︶により大甲渓一帯は大きく変貌した。温泉観光産業は多大な損害を受け[9]、湧泉量も減少し[10]、中部横貫公路も崩落によって上谷関より先が寸断されたが、その後、回復が図られている[11]。
歴史
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谷関は、もともとタイヤル族︵繁: 泰雅族︶の居住地であり[12]、日本統治時代︵1895-1945年︶の1907年︵明治40年︶[13]、地元の原住民によって温泉が発見され、谷関温泉は日本人により明治温泉と呼ばれた[14]。しかし当初、路線の建設が進められていたが、あまりに不便なことから開発されなかった。1917年︵大正6年︶ごろに初めて警備隊とその家族のための浴場が整備された後[15]、1927年︵昭和2年︶に公衆浴場が建設され[16]、1928年︵昭和3年︶に明治温泉公共浴場︵温泉場に設置された普通旅館[17]︶が落成した[15]。谷関は、温泉の呼称から﹁明治﹂と名付けられ、標高により上明治︵上谷関︶、下明治︵下谷関︶に分けられた。
1937年︵昭和12年︶には、日本人の山田金治により、谷関で先史時代の石器が発見された。その後、1955年︵民国44年︶より調査研究が進められ、1995年︵民国84年︶には、上谷関からも谷関類型の石器が発見された[18]。研究により大甲渓流域の営埔文化類型の1つとして谷関文化が認められ、初期のPinijan類型と後期の谷関類型に分類されている[19][20]。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/48/Hot_Springs_Cultural_Center%2C_Tri-Mountain_National_Scenic_Area_20160705.jpg/220px-Hot_Springs_Cultural_Center%2C_Tri-Mountain_National_Scenic_Area_20160705.jpg)
谷関温泉文化館︵谷関ビジターセンター[21]︶2005年開設[2 2]
戦後、国民政府になると、1952年︵民国41年︶[23]、大甲渓の上谷関に[13]天輪ダムが完成した。そして1956年︵民国45年︶には、台湾の東と西を結ぶ中部横貫公路の建設が開始され、同年7月7日、起工式が谷関と太魯閣双方でともに行われ[24]、退役軍人らの尽力により台湾初の横貫公路は、1960年5月9日に竣工した[25]。谷関郵局は1958年︵民国47年︶のうちに設置された[26]。開通後、谷関に多くの観光客が訪れて観光産業が発展し[27]、1981年︵民国70年︶[28]12月には、台中県政府︵現・台中市政府︶より[29]、谷関は観光地的機能を兼ね備える風景特定区に指定された[16]。一方、1986年︵民国75年︶10月、谷関観光バス転落事故が大型トラックとの衝突により発生し、42人が死亡する台湾バス事故最大の惨事となった[30][31]。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/48/Hot_Springs_Cultural_Center%2C_Tri-Mountain_National_Scenic_Area_20160705.jpg/220px-Hot_Springs_Cultural_Center%2C_Tri-Mountain_National_Scenic_Area_20160705.jpg)
災害・復旧
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c5/The_entry_control_point_at_Shanguguan.jpg/220px-The_entry_control_point_at_Shanguguan.jpg)
1999年︵民国88年︶9月21日、921大地震の発生により、省道台8線沿線は多くが破壊され[16]、死者・負傷者のほか、谷関には観光客1万人余りが孤立し、救助作業が進められた[32]。その後、2000年︵民国89年︶1月18日に一時復旧したが、交通部公路総局の谷関工務課︵繁: 谷關工務段︶の管轄する起点から 112キロメートル (70 mi) の区間のうち、地質的に脆弱な上谷関35キロメートル (22 mi) の地点より徳基62キロメートル (39 mi) までを閉鎖して修復された。しかし、2004年︵民国93年︶7月15日の開通を前に[6]、同年7月2日、台風7号︵繁: 蒲公英、ミンドゥル︶により再び崩壊し[33]、この水害︵72水災︶により、谷関の観光産業はさらに打撃を受けた[9][34]。大甲渓の土砂の堆積により[35]、同年8月には台風17号︵繁: 艾利、アイレー︶の影響に伴う退避を余儀なくされ[36][37]、その後も2005年︵民国94年︶7月には、台風5号︵繁: 海棠、ハイタン︶の豪雨により谷関の交通が遮断され[38]、2008年︵民国97年︶9月にも台風13号︵繁: 辛樂克、シンラコウ︶によって幹線道路に架かる篤銘橋が破壊された[39]。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6c/20130825%E7%AF%A4%E9%8A%98%E6%A9%8B%E8%A5%BF%E7%AB%AF.JPG/220px-20130825%E7%AF%A4%E9%8A%98%E6%A9%8B%E8%A5%BF%E7%AB%AF.JPG)
2010年に移設された篤銘橋
2009年︵民国98年︶1月より損壊した篤銘橋の移設工事が開始され、翌2010年︵民国99年︶7月、約 150メートル (490 ft) 上流に新たな篤銘橋が開通した[40]。また、2011年︵民国100年︶には、梨山への往来を求める住民の嘆願により、規制のなか閉鎖区間の交通が認められるようになった[41]。一般通行は禁止であるものの、2018年︵民国107年︶11月には、迂回路︵台8臨37線︶による正規バスの運行が開始された[42]。翌2019年︵民国108年︶には、日本の星野リゾートが谷関温泉に進出した。
地理
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谷関は、台中市和平区博愛里に位置し、台中の東約60キロメートル (37 mi) (60.1km[43])、梨山の西約50キロメートル (31 mi) (47.7km[44]) の中部横貫公路︵省道台8線︶沿線にあり、台中市の観光の要地として谷関風景特定区に指定され、地震や水災による被害を受けながらも発展している[45]。
谷関の標高は、およそ 740メートル (2,430 ft)[1]から[2]800メートル (2,600 ft) で[3]、谷関大橋の水位は 702.4メートル (2,304 ft)[46]、上谷関の標高は 1,000メートル (3,300 ft) におよぶ[47]。谷関の名産の1つに標高 800メートル (2,600 ft) 以上に生長する柿︵甘柿︶が知られる[48]。
谷関の年平均気温は摂氏18.5度と穏やかで涼しく、年間降水量は谷関の西側がおよそ 2,000ミリメートル (79 in) から2,500ミリメートル (98 in)、東側が 2,500ミリメートル (98 in) から 3,000ミリメートル (120 in) とされ、年間降水日数は約100日で、降雨は2-8月にかけて多く、とりわけ3-6月が多くなる[49]。
谷関は雪山山脈に位置し、周囲は八仙山︵標高2366m︶を筆頭に谷関七雄[13][50]あるいは八雄ともされる台湾の中級山[51]に囲まれるとともに[52]、鞍馬山︵Anma Shan[53]︿アンマーサン[54]﹀、標高2666m︶南部を源流とする鞍馬渓が、天輪ダム上流に流入し、船形山︵船型山、標高2274m︶および稍来山︵標高2307m︶東南部からの稍来渓が、同じく大甲渓の谷関の水域に流れ込む[49]。また、八仙山域からの佳保渓が、十文渓とともに谷関に注いでいる[55]。
谷関の周辺には、古第三紀始新世から漸新世にあたる白冷層・佳陽層・達見砂岩層が分布する。白冷層は厚い石英砂岩︵正珪岩︶と頁岩の互層で、佳陽層は厚い粘板岩と少量の細粒砂岩・シルト岩︵泥岩︶からなり、達見砂岩層は厚い石英砂岩・粘板岩・頁岩の互層により構成される[56]。谷関温泉には、谷関断層が北東 - 南西方向に走り、主に断層の西側は漸新世の眉渓砂岩︵白冷層[57]︶で、東側は中新世の廬山層[58]︵変成泥岩︿半粘板岩﹀︶となり、温泉は主に断層破砕帯および砂岩・粘板岩層より湧出する[59]。
脚注
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(一)^ ab劉 (2008), pp. 20 47
(二)^ ab“谷關TT”. Strava. 2023年8月19日閲覧。
(三)^ ab“谷関風景特区”. Taiwan. 交通部観光局 (2019年). 2023年8月19日閲覧。
(四)^ 日本交通公社 (1989)、261・408頁
(五)^ ab“省道公路里程表: 省道台8線 東勢 - 新城 里程表”. 交通部公路總局全球資訊網. 公路資訊. 交通部公路總局. 2011年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月19日閲覧。
(六)^ ab吳琍君 (2019年9月20日). “︻裂變・重生・九二一︼再見中橫 密碼2025”. 民傳媒. 中央廣播電台 2023年8月19日閲覧。
(七)^ “臺中市和平區博愛里谷關社區”. 全民防汛資訊網. 經濟部水利署 (2021年6月16日). 2023年8月19日閲覧。
(八)^ 莊 (2011), p. 68
(九)^ ab“水患重創谷關 旅遊業者評估災情慘重”. TVBS新聞網 (TVBS). (2004年7月10日) 2023年8月19日閲覧。
(十)^ 莊 (2011), p. 70
(11)^ 張明慧 (2010年2月7日). “上谷關德基段 梨山人可通行”. 聯合新聞網 地方新聞. オリジナルの2010年2月11日時点におけるアーカイブ。 2023年8月19日閲覧。
(12)^ “泰雅族: 哈崙台部落︻Hrung︼”. 臺灣原住民族資訊資源網. 原住民族委員會 (2015年). 2023年8月19日閲覧。
(13)^ abc臺中市大谷關產業促進會 (2015年). “社造點補助計畫及成果”. 臺中市社區營造推動網. 臺中市政府文化局. 2023年8月19日閲覧。
(14)^ “谷関温泉”. Taiwan. 交通部観光局 (2019年). 2023年8月19日閲覧。
(15)^ ab“谷關明治溫泉”. 國家文化記憶庫. 找素材. 文化部. 2023年8月19日閲覧。
(16)^ abc莊 (2011), p. 52
(17)^ 呉 (2015)、30頁
(18)^ 雪霸國家公園管理處 (1997), pp. 32-33
(19)^ 溫; et al. (2013), pp. 29-32
(20)^ “營埔文化 - 類型: 營埔文化類型”. 台灣史前文化. 國立自然科學博物館. 2023年8月19日閲覧。
(21)^ “参山国家風景区 - 谷関ビジターセンター兼入関博物館”. Taiwan. 中華民國交通部觀光局 (2019年). 2023年8月19日閲覧。
(22)^ “︻台中︼溫泉文學與藝術|谷關溫泉文化館”. FUN中台灣. 1111人力銀行 (2019年). 2023年8月19日閲覧。
(23)^ 張炎銘 (2014年11月28日). “9月5日 - 天輪電廠正式發電與天輪壩”. 水利署電子報. 近期電子報. 經濟部水利署. 2023年8月19日閲覧。
(24)^ 鄭超文 (2023年7月7日). “照片看歷史/1956年台灣第一條東西橫貫公路開工”. 聯合報 2023年8月19日閲覧。
(25)^ “1960年5月9日中橫通車!台灣首條東西部公路系統就此貫通!”. 中央廣播電臺. 民報. (2019年5月9日) 2023年8月19日閲覧。
(26)^ “和平谷關郵局”. 中華郵政全球資訊網. 中華郵政. 2023年8月19日閲覧。
(27)^ 莊 (2011), p. 50
(28)^ (PDF) 變更谷關風景特定區計畫︵第四次通盤檢討︶案︻座談會資料︼, 臺中市政府, (2019-03-07), p. 1 2023年8月19日閲覧。
(29)^ 台中縣政府 (1989), pp. 1-2
(30)^ “︻國五翻車33死︼30年前遊覽車在谷關墜河42死、3傷 台灣最嚴重公路事故”. 上報. (2017年2月14日) 2023年8月19日閲覧。
(31)^ “蘇花公路遊覽車撞山壁重大事故 勾起多件傷心往事”. 今日新聞. 中央社. (2021年3月17日) 2023年8月19日閲覧。
(32)^ 陳進發; 錢伯冠; 黃金臣; 吳瑞龍. 921集集大地震 - 中橫公路谷關 - 德基段 搶修及復建規畫專題報告 (Report). 交通部公路局. 2014年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月19日閲覧。
(33)^ 黃如萍 (2013年8月25日). “小檔案 - 921後花20億搶修 通車前2周又坍了”. 中時新聞網 2023年8月19日閲覧。
(34)^ 陳; 謝; 彭 (2008), p. 330
(35)^ 陳; 謝; 彭 (2008), p. 331
(36)^ 莊 (2011), p. 53
(37)^ 廖文漢 (2004年8月24日). “七夕才熱鬧慶祝 谷關溫泉又遇颱”. TVBS新聞網 (TVBS) 2023年8月19日閲覧。
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(39)^ “辛樂克颱 / 路基沖毀 谷關篤銘橋斷出入受阻”. TVBS新聞網 (TVBS). (2008年9月14日) 2023年8月19日閲覧。
(40)^ 黃玿琮 (2010年7月5日). “中縣/中橫公路篤銘橋遷建通車 谷關新地標”. NOWnews今日新聞 (中華電視股份有限公司). オリジナルの2016年3月9日時点におけるアーカイブ。 2023年8月19日閲覧。
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(43)^ 日本交通公社 (1989)、262頁
(44)^ 日本交通公社 (1989)、262-263頁
(45)^ 臺中市政府 (2013), p. 1–1
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(56)^ 白石、筒井、中川、江崎 (2008)、25頁
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(59)^ 劉 (2008), p. 47
参考文献
[編集]
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関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- “谷関風景区”, 大玩台中 (台中市政府観光旅遊局), (2021-08-13)
- “谷関: 観光スポット”, Taiwan (交通部観光局)