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豊橋市の映画館

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
愛知県における豊橋市の位置


[]


宿18882118892219063962219251419316西
1931

1901341913-1915619401581945206719507

19603512[1]沿[1]宿1[1][1]

199911AMC18182000200113[1]

歴史[編集]

明治期[編集]

豊橋を代表する劇場の東雲座(左)、豊橋劇場(上)

西[1]西西[2]51834[2]51822[2]18736-18747[2]

190033[3]1,185[3]使[3][3]

19013410[4][5][6][5][6]

190740[7]191144寿[8]/[4]

大正期[編集]

豊橋初の常設映画館である豊明館
大正期に映画館に転換した帝国館

191241寿1[9][10][11][10][11]

[10][12][10][12]15-6[13]223023[13][13]

192110813[4]1,000100[4]5[9]192413寿[14][15]

[]


19305[15]19327西[16][17]

19338217[10][11][18][18]194015[10][12]8[19]

1945206192070%[20][21][22][23]寿/1945/[19]

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1958

194520[24] [25]194621[20][26]1947[27]194924[24]195025[24]19503[28]

1957101950[29]195934[30]2

1960351960196136[27][31]196439[20]196641[30]196843[32]197045[33]197348[25]

1970
198560[32]西619979西[32]1989[34]
豊橋の映画館一覧(1962年)
館名 内容 所在地
豊橋東宝映画劇場 東宝 広小路3
豊橋大劇場 洋画 松葉町
千歳劇場 邦画二番館 駅前大通1
松竹会館ビル 豊橋松竹 松竹 大橋通
豊橋名画座 洋画
豊橋第一東映劇場 東映 萱町
丸物会館 大映 豊橋丸物
豊橋日活劇場 日活 駅前大通1
豊橋銀座東映劇場 東映 神明町
南東映劇場 東映 南栄町
二川銀映劇場 松竹 大岩町
東海劇場 ストリップ 札木町
豊橋の映画館一覧(1975年)
館名 内容 所在地
豊橋東宝映画劇場 東宝 広小路3
豊橋第一東映劇場 東映 萱町
松竹会館ビル 豊橋松竹 松竹 大橋通
豊橋名画座 洋画
松竹ロキシー 洋画
松竹シネマ 成人映画
日活ビル スカラ座 洋画 広小路1
みゆき座 成人映画
豊橋銀座東映劇場 成人映画 神明町
日活小劇場 成人映画

[]

18

199911AMC18183,300AMC18200012123[26]200113123[35]AMC18退[36]

200214西20031522005172016PLAT201729

2005AMC1818[37]20142615IMAX[38]

豊橋の映画館一覧(1990年)
館名 内容 所在地
豊橋東宝映画劇場 広小路3
東映劇場ビル 東映シネマ1 萱町
東映シネマ2 萱町
松竹会館ビル 豊橋松竹 花田町
豊橋松竹ピカデリー1
豊橋松竹ピカデリー2
豊橋松竹ピカデリー3
日活ビル スカラ座 広小路1
スカラ座2
スカラ座3
豊橋銀座東映劇場 成人映画 神明町
ホリデイ・イン・シアター1 洋画 藤沢町
ホリデイ・イン・シアター2 洋画
豊橋の映画館一覧(2001年以後)
館名 所在地
ユナイテッド・シネマ豊橋18 1番スクリーン ホリデイ・スクエア
2番スクリーン
3番スクリーン
4番スクリーン
5番スクリーン
6番スクリーン
7番スクリーン
8番スクリーン
9番スクリーン
10番スクリーン
11番スクリーン
12番スクリーン
13番スクリーン
14番スクリーン
15番スクリーン
16番スクリーン
17番スクリーン
18番スクリーン

映画館一覧[編集]

戦前の演劇場・演芸場・映画館[編集]

戦前の演劇場・演芸場・映画館一覧
開館 閉館 画像 館名 所在地 備考
1900年 1940年 東雲座 呉服町[39] 現在の龍拈寺北側付近[40]。1900年12月に演芸場として開館[16]。株式組織だったが、1920年に山森三九郎の個人経営に移り[41]、1940年に映画館の豊橋東宝映画劇場に転換。
1899年以前 1905年頃 朝日座 上伝馬町 設立年・廃止年ともに不明[40]。上伝馬遊郭の中央に位置していた[5]。1899年11月には女義太夫の三福一座が公演[5]。1901年には豊橋で初めて活動写真の上映を成功させる。廃業後には建物が遊郭内に放置されていたとされるが、1912年には川合銃砲火薬店の手に渡って取り壊された[5]
1873年-翌年 1899年 朝倉座 手間町→西八町 演劇場。常芝居[42]。1873年から1874年頃に開館[2][42]。当初は手間町(現・大手町)、1881年6月に西八町に移転。1899年に閉館[43]
1881年 1883年 宝栄座 手間町 演劇場。常芝居。朝倉座が手間町から西八町に移転したことで、手間町の旧小屋を使用して宝栄座が開館[43]。1882年4月には朝倉座とともに華々しい合併興行が行われたが、その後興行が行われることはなく、1883年には取り壊されている[43]。1900年にはこの土地を三遠銀行が新築予定地として買収。1933年にはこの場所から三遠銀行が移転し、跡地には有楽館が建設された[43]
1893年 1921年 弥生座 上伝馬町 演劇場。1893年11月開館[44][42]。1921年に映画館に転換して帝国館に。
1899年 1945年 豊橋劇場 花田町字石塚 演劇場。1899年3月1日開館[40]。1936年に松竹系の映画館となった[17]。豊橋米穀取引所の隣にあった[17]。1945年6月の豊橋空襲で焼失した。
1901年 豊橋座 演劇場として1901年に開館[40]。名古屋市幅下の西栄座を購入して移築したとされる[40]。建坪260余坪[40]
1902年 1933年 河原座 萱町→上伝馬町 河原一郎が経営する演芸場として1902年8月に開館[45][42][40]。開館公演は初代三遊亭円遊であり、同日には奇術師が西洋手品を演じた[45]。1904年11月には落語の昔々亭桃太郎、浪花節の芳川虎丸が来館している[45]。万歳の鈴木源一郎一座、落語の音曲大一座も来館している。1917年に上伝馬町に移転[40]
1904年 1906年 東栄座 西新町 1904年に開館したが、1906年には業績不振で閉鎖された[46]。建物は2,000円で豊川の豊川座に売却された[46]
1911年 1945年 寿座 清水町 1911年10月17日、松山町の牧野米作によって演芸場として開館[47]。建坪は40坪、定員は582人[47]。外観はロマネスク建築風であり、新停車場通りの名物となった[47]。規模が小さかったため三流の芸能人が来館することが多く、客入りが芳しくなかった[47]。このため、1912年7月27日には突如として映画館に転換[47]。同年10月6日には寿館に改称した[48]。1924年には蝶春座に改称。隣接して豊橋丸物と村田屋旅館があった[13]。1945年に建物疎開の関係で廃業。
1912年 不明 豊明館 神明町 1912年6月に神明町に豊明館として開館[49]。豊橋最初の活動写真常設館である[42]。1929年に神明町内で移転し、松竹館に改称して松竹映画を上映[49]
1919年 不明 有楽館 札木町 1919年に有楽館として開館[49]。1924年に大盛館に改称してマキノプロ映画を上映[49]。1933年に館名を再び有楽館に戻す[49]。1939年-1940年頃に豊橋新興映画劇場に改称して新興キネマ映画を上映[49]。1927年竣工の中京相互銀行豊橋支店の裏手にあった[13]
1921年 1945年6月 錦正館 松葉町 1921年6月に錦正館として開館[8]。1926年に錦館(ニシキ館)に改称。1937年に大衆劇場に改称し[50]、洋画専門館として帝国キネマ映画を上映[49]。広小路通りの萱町電停そば[13][14]、後年のスカラ座近くにあった[17]。モダンな建物[15]。1945年6月の豊橋空襲で焼失[20]
1921年 1945年6月 帝国館 上伝馬町 前身は1893年に上伝馬町に設立された弥生座[4]。1921年に帝国館が開館[49]。1945年6月の豊橋空襲で焼失したが、同年10月末には焼け跡に第一映画劇場が開館している[21]
1921年 昭和初期 新盛館 西新町 1921年2月18日に[51]新盛館として開館[49]。開館式には愛知県庁職員、愛知県議会議員、豊橋市議会正副議長、学校長などが出席している[51]。後にオペラ館に改称[49]。昭和初期に閉館[49]
1930年 1945年6月 キネマパワー 松葉町 1929年12月31日[52](1930年とする場合も[16])に教育映画館として開館した[16]。豊橋6館目の映画館として大盛館の館主が設立[22]。開館公演はジョン・フォード監督の『四人の息子』全11巻[52]。ヨーロッパ映画を上映[49]。1945年6月の豊橋空襲で焼失[22]。現在の洋菓子店マッターホーン本店の場所[17]
1932年 1945年6月 花田館 花田町字稲葉 羽田八幡宮西側の一角(三井製糸場跡)に建設された[53]、西部唯一の映画館[49][16]。1932年12月22日に開館し、15時から16時の間には餅投げが行われた[53]。開館当日には大河内伝次郎主演の『旅姿上州訛』、片岡千恵蔵主演の『一心太助』、沢田清主演の『江戸美少年録』が上映されている[53]大都映画二番館であり、低価格でチャンバラ映画を専門に上映[23]。1938年には花田劇場に改称し、松竹東宝作品の二番館となった[54]。1945年6月の豊橋空襲で焼失[23]
昭和時代 不明 二川座

戦後の映画館[編集]

戦後の映画館一覧
開館 閉館 画像 館名 所在地 備考
1945年 1950年 第一映画劇場 上伝馬町 豊橋空襲で焼失した上伝馬町の帝国館の焼け跡に、1945年12月に合同映画社によって第一映画劇場が建設された[32][24]。1949年には東映封切館となって豊橋第一東映劇場に改称[24]。1950年には萱町に移転した[55]
1946年 1973年 豊橋東宝映画劇場 広小路3 1946年12月に合同映画社が広小路3丁目に開館[32][25][56]。木造平屋建[25]。1947年には東宝の封切館となって豊橋東宝映画劇場に改称[25]。1964年には丸物会館との入れ替わりで大映の封切館となって豊橋大映劇場に改称[56]。1969年から1970年にはダイニチ映配の作品も上映している[25]。大映の倒産にともなって、1971年には広小路劇場に改称して日活ロマンポルノを上映していたが、1972年9月に閉館した[56]。映画館時代の建物は取り壊され、跡地には豊橋第一生命ビルが建っている[56][57]北緯34度45分51.1秒 東経137度23分17.2秒 / 北緯34.764194度 東経137.388111度 / 34.764194; 137.388111
1946年 1961年 メトロ劇場 松葉3 1946年5月、松葉町3丁目に足木興行社が豊橋劇場として開館[32][58]。木造1階建、400人収容[27]。1948年にメトロ劇場に改称して洋画専門館となった。隣接する豊橋大劇場(大劇)ではアクション映画が多かったが、メトロ劇場は女性向け文芸物や超特作が多かった[58][32]。洋画専門館だったが、末期の1959年から1年あまりは松竹映画を上映[27]。1961年に閉館してパチンコ店となった[27][58]。現在は商工組合中央金庫豊橋支店となっている[58][32][57]北緯34度46分01.0秒 東経137度23分02.6秒 / 北緯34.766944度 東経137.384056度 / 34.766944; 137.384056
1946年 1961年 豊橋国際劇場 新本町 1946年4月、指笠町(新本町)に天野興行社が豊橋映画会館を開館[32]。やがてキャピトル劇場と改称し、1948年に豊橋国際劇場(550席)に改称[32]。洋画・大映新東宝日活作品を上映していたが、1953年に新東宝の専門館となった[32]。1960年からは東映と新東宝の3本立て上映を行っていたが、1961年に閉館[32]。現在の新本町ビルと中部電力新本町変電所の場所[32][57]北緯34度46分00.1秒 東経137度23分11.8秒 / 北緯34.766694度 東経137.386611度 / 34.766694; 137.386611
1946年 1970年 千歳劇場 駅前大通1 1946年10月、駅前大通1丁目(花田町稗田)にオリオン座として開館[59]。運営は千歳興行[32]。1948年に豊橋大映に改称されると、大映作品や洋画を上映した[32]。1952年には丸物会館が大映の封切館となったため、豊橋大映は8月に千歳劇場に改称し、松竹東宝・大映の邦画特選上映二番館となった[59]。480席[32]。1963年には千歳日活に改称して日活作品を上映[59]。1970年5月に閉館し、豊橋丸物の立体駐車場となった[32][59]。後に豊橋西武の立体駐車場となり、現在はココラフロントの立体駐車場として使用されている[32][59][57]北緯34度45分43.7秒 東経137度23分07.7秒 / 北緯34.762139度 東経137.385472度 / 34.762139; 137.385472
1947年 2000年 豊橋松竹映画劇場 大橋通2 1947年5月、豊橋劇場跡に豊橋松竹映画劇場として開館[32][26]。1960年には豊橋松竹会館ビルに建て替え、豊橋松竹豊橋名画座の2スクリーン体制となった[26]。1963年12月には同一ビル内に松竹ロキシー松竹シネマを開設[26]。1985年にはピカデリー1ピカデリー2ピカデリー3に改称し、豊橋松竹と合わせて4スクリーン体制となる[26]。2000年に4館とも閉館[26]北緯34度45分58.2秒 東経137度22分57.2秒 / 北緯34.766167度 東経137.382556度 / 34.766167; 137.382556
1947年 1964年 豊橋大劇場 松葉3 1947年8月、足木興行社によって開館[32]。木造2階建、800人収容[20]。初期には歌謡ショー・女剣劇・ヌードショーなどを行う実演大劇場だったが、1953年には洋画(アメリカ映画中心[49])専門の映画封切館となった[32]。2階にはアベックが座れるロマンスシートがあった[32]。同一運営元で同じく松葉3にあったメトロ劇場とともに豊橋の洋画上映を牽引したが、1964年に閉館した[32][20]。現在の岡崎信用金庫松葉支店[32][57]北緯34度46分00.9秒 東経137度23分01.4秒 / 北緯34.766917度 東経137.383722度 / 34.766917; 137.383722
1950年 2001年 豊橋東映劇場 萱町 前身は帝国館の流れをくむ第一映画劇場。1949年に東映封切館となって豊橋第一東映劇場に改称した[24]。1950年には萱町に移転[24]。1960年には建物を新築[35]。1963年に東映直営の豊橋東映劇場に改称[35]。1階は東映封切館の東映シネマ1、2階は東映による洋画の上映館東映シネマ2だった[35]。2001年に閉館[35]。現在は駐車場[32][57]北緯34度45分54.6秒 東経137度23分09.0秒 / 北緯34.765167度 東経137.385833度 / 34.765167; 137.385833
1950年 1997年 丸物会館 駅前大通1 1950年、百貨店の豊橋丸物内に大映上映館として丸物会館が開館[28]。1964年12月には同一ビル内で移転して丸物東宝に改称[56]。1969年には再度同一ビル内で移転し、1972年には豊橋東宝に改称[28]。1973年には豊橋西武東宝に改称[32]。豊橋西武東宝は1997年に閉館した[32]。豊橋西武の跡地にはココラフロントが建っている[32][57]北緯34度45分44.6秒 東経137度23分01.8秒 / 北緯34.762389度 東経137.383833度 / 34.762389; 137.383833
1955年 1963年 豊橋日活劇場 駅前大通1 1955年12月に中日興行が駅前大通りに開館[32]。500席[32]日活作品の封切館であり、当時としては珍しいスタジアム形式のホールを備えていた[32]。1962年には広小路に豊橋日活会館が開館したため、日活劇場は日活の二番館となり、しばしば洋画も上映した[32]。1963年に閉館[32]。現在の豊橋信用金庫駅前出張所の場所である[32][57]北緯34度45分49.1秒 東経137度23分03.0秒 / 北緯34.763639度 東経137.384167度 / 34.763639; 137.384167
1956年 2000年 豊橋銀座東映劇場 神明町 1956年10月、小寺秀和が神明町に開館[32]豊橋鉄道東田本線が北に向きを変える新川交差点の北東にあった。東映作品の二番館であり、1963年以降には洋画や大映作品も上映[32]。1965年から2000年までの約36年間は成人映画館として営業していた[32]。2000年閉館[32]北緯34度45分47.9秒 東経137度23分26.7秒 / 北緯34.763306度 東経137.390750度 / 34.763306; 137.390750
1959年 1966年 南東映劇場 南栄町 1959年12月に開館[30][32]東映映画の三番館[30]。1966年9月に閉館[30][32]。現在はブックオフ豊橋店駐車場[32][57]北緯34度44分04.2秒 東経137度23分03.7秒 / 北緯34.734500度 東経137.384361度 / 34.734500; 137.384361
1959年 1968年 二川銀映劇場 大岩町 1959年10月に植村光次郎によって開館[32]。邦画の三本立てを2-3日の高頻度で入れ替え、1か月に70本近くの作品を上映した[32]。1963年には建物の一部がパチンコ店となった[32]。1964年には映画館としての通年営業を止め、週末のみの上映となった[32]。常設映画館としては1968年閉館[32]。その後は移動映画館として活動し、株式会社東海映像となった[32]。現在は建物跡地が一般住宅となっている[32]北緯34度43分30.4秒 東経137度26分51.5秒 / 北緯34.725111度 東経137.447639度 / 34.725111; 137.447639
1962年 2001年 スカラ座 広小路1 1962年に広小路に豊橋日活会館として開館[60][61]。運営は中日興行[32]。1963年に洋画封切館のスカラ座に改称[61]。1966年には同一ビル内に広小路ロマンが開館[61]。1975年にはロマンがみゆき座に改称[61]。1984年にはスカラ座1スカラ座2スカラ座3となった[61]。2001年に閉館[61]北緯34度45分52.3秒 東経137度23分04.3秒 / 北緯34.764528度 東経137.384528度 / 34.764528; 137.384528
1973年 1992年 日活小劇場 花園町 1972年9月には日活ロマンポルノを上映していた広小路劇場が閉館[32]豊橋東映劇場の東隣にはヌード劇場や飲食店などが入る複合ビルがあったが、1973年1月には成人映画館として日活小劇場が開館した[32]。その後成人映画業界が衰退し、1992年に閉館となった[32]北緯34度45分54.5秒 東経137度23分10.0秒 / 北緯34.765139度 東経137.386111度 / 34.765139; 137.386111
1985年 1995年 ホリデイ・イン・シアター 藤沢町 1985年9月、研修施設兼用映画館としてホリデイ・スクエア内に開館[32]。運営はヘラルドグループである[32]。2スクリーンを有し、邦画・洋画、新作・旧作など、多様なラインナップで10年間営業した[32]。1995年頃からは研修施設として使用されることが多くなり、1999年に同一敷地内にAMGホリデイ・スクエア18が開館したことで完全に閉館した[32]。現在のロワジールホテル豊橋駐車場[32]北緯34度44分38.3秒 東経137度22分18.7秒 / 北緯34.743972度 東経137.371861度 / 34.743972; 137.371861
1999年 現存 ユナイテッド・シネマ豊橋18 藤沢町 1999年にホリデイ・スクエア内にAMCホリデイ・スクエア18が開館。18スクリーン・計3,300席を持ち、開館時からスクリーン数で日本最大のシネマコンプレックスである。2005年に運営者が変わってユナイテッド・シネマ豊橋18に改称。北緯34度44分38.3秒 東経137度22分18.7秒 / 北緯34.743972度 東経137.371861度 / 34.743972; 137.371861
戦後の映画館マップ

脚注[編集]



(一)^ abcde 200115 2012626

(二)^ abcdepp. 1-2

(三)^ abcdp. 229

(四)^ abcdep. 70

(五)^ abcdepp. 14-15

(六)^ abp. 69

(七)^ p. 230

(八)^ ab60p. 25

(九)^ ab 4p. 907

(十)^ abcdefp. 277

(11)^ abcp. 147

(12)^ abcp. 148

(13)^ abcdef22009419

(14)^ ab p. 53

(15)^ abc p. 56

(16)^ abcde70701976p. 20

(17)^ abcde32009420

(18)^ abp. 73

(19)^ ab 4p. 908

(20)^ abcdefp. 386

(21)^ abp. 442

(22)^ abcp. 175

(23)^ abcp. 584

(24)^ abcdefgp. 382

(25)^ abcdefp. 391

(26)^ abcdefgp. 309

(27)^ abcdep. 729

(28)^ abcp. 686

(29)^  ︿352006pp. 36-37

(30)^ abcdep. 708

(31)^ p.48

(32)^ abcdefghijklmnopqrstuvwxyzaaabacadaeafagahaiajakalamanaoapaqarasatauavawaxayazbabbbcbdbe 

(33)^ p.70

(34)^ 沿

(35)^ abcdep. 452

(36)^ ?2001124

(37)^ AMC18118] , 2005924

(38)^ IMAX(R)186/13 , 2014425

(39)^ 

(40)^ abcdefghp. 98

(41)^ p. 89

(42)^ abcde12009418

(43)^ abcdp. 3

(44)^ pp. 7-8

(45)^ abcpp. 13-14

(46)^ abp. 15

(47)^ abcdepp. 55-57

(48)^ pp. 91-92

(49)^ abcdefghijklmn 4p. 912

(50)^ p. 387

(51)^ abpp. 150-151

(52)^ abpp. 199-200

(53)^ abcp. 208

(54)^ p. 231

(55)^ , p. 134

(56)^ abcde, p. 132

(57)^ abcdefghip.38-39

(58)^ abcd, p. 133

(59)^ abcde, p. 136

(60)^ , p. 131

(61)^ abcdefp. 342

参考文献[編集]

  • 上伝馬町史編集委員会『上伝馬町誌』、2004年
  • 近藤正典『写真集 豊橋いまむかし』名古屋郷土出版社、1989年
  • 豊橋市『とよはしの歴史』豊橋市、1996年
  • 豊橋市史編集委員会『豊橋市史 第4巻』豊橋市史、1987年
  • 豊橋市総務部広報課『豊橋の60年』豊橋市、1966年
  • 豊橋市百年史編集委員会『豊橋市百年史』豊橋市、2008年
  • 豊橋市二川宿本陣資料館『絵葉書のなかの豊橋 思い出の風景を訪ねて』豊橋市二川宿本陣資料館、2006年
  • 豊橋百科事典編集委員会『豊橋百科事典』豊橋市、2006年
  • 豊橋市美術博物館『戦後映画の黄金期 豊橋の映画館』豊橋市美術博物館、2012年
  • 『とよはしまちなかスロータウン映画祭十周年記念誌』とよはしまちなかスロータウン映画祭実行委員会、2012年
  • 芳賀信男『新聞広告から見た豊橋近代芸能史』芳賀信男、2006年
  • 豊橋市図書館・大林卯一良『豊橋活動写真考古学考』豊橋市図書館、1999年
  • 柴田芳男『映画館ものがたり』映画界研究所、1959年