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雑炊橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宿

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1991年国道崩落事故[編集]

1991年10月18日朝、国道158号の「猿なぎ」と呼ばれる地点で、大規模な崩落があいついで起こり、国道は通行不能になった。崩落には予兆があったので、工事関係者が通行止めをしており、巻き込まれた車両はなかった。通行不能になった国道の代替道としては、まず、雑炊橋で右岸に出て林道を一方通行で経由し稲核に出る経路が使われた。しかし、この経路は本来なら5分ほどの所を最低でも40分以上かかり、しかも通行危険な個所があった。そこで、梓川の川床を仮道路にして不便をしのぐ。この期間には、迂回道路を通るために欠くことのできない橋として、雑炊橋が用いられた。その後は、崩落現場近くに仮の橋を架けて対応した。 崩落現場の岩盤は軟弱だったので、「三本松トンネル」が建設されることになる。三本松トンネルの工事開始は1992年、長さ370mのトンネルが完成したのは1994年2月24日であった[12]

周辺[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『乗鞍岳麓 湯の里白骨(白船)』11ページ
  2. ^ a b c 同橋の梓川左岸のたもとに立つ石碑による
  3. ^ 新淵橋左岸のたもとに設置された頌徳碑による
  4. ^ 『安曇村誌 第2巻 歴史上』531〜532ページ
  5. ^ a b 『乗鞍岳麓 湯の里白骨(白船)』10ページ
  6. ^ 『奈川村誌』歴史編、第8章297ページ
  7. ^ a b 『安曇村誌』第四巻248〜249ページ
  8. ^ 『奈川村誌』297〜298ページ
  9. ^ a b 『南安曇郡誌 第2巻下』389〜393ページ
  10. ^ あずさ書店編集部『幻の大寺院 若沢寺を読みとく』あずさ書店、2010年9月
  11. ^ 『松本まるごと博物館 ガイドブック』松本市立博物館、2008年3月
  12. ^ 大町安曇の昭和史』郷土出版社1999年、208〜209ページ

文献[編集]

  • 横山篤美『乗鞍岳麓 湯の里白骨(白船) - その自然と民俗』自費出版、1970年11月、全162ページ
  • 『安曇村誌』
  • 奈川村誌編纂委員会『奈川村誌』奈川村誌刊行委員会、2004年
  • 『南安曇郡誌』南安曇郡誌改訂編纂会、1962年12月

座標: 北緯36度10分50.2秒 東経137度47分3.8秒 / 北緯36.180611度 東経137.784389度 / 36.180611; 137.784389