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飯田エリ子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オウム真理教徒
飯田 エリ子
誕生 (1961-01-18) 1961年1月18日(63歳)[1]
神奈川県
ホーリーネーム サクラー
ステージ 正悟師
教団での役職 東信徒庁長官、宗教法人の責任役員
判決 懲役6年6ヶ月(控訴棄却)
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  1961118 - O[2]


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38[3]1984退00033[1]

[1]19903911

12No.1[1]

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1990[4]

1995529[1]

[5]1996102671998910662002825[6]20023[7][8]

人物評[編集]

  • 「ふだんはすごく優しいし、困ったことがあると親身になって相談に乗ってくれました」-元女性信者[9]
  • 「飯田さんとはよく話をしましたよ。とにかく女性幹部のなかではいちばん俗っぽいというか、人間くさい人でした。庶民派というのかな。石井さんみたいに天才肌じゃないところが親しみやすくて、男性信者の人気者でした」-元信者の男性[9]
  • 「一般信者からの信望が厚い」「教義をただ振り回すだけでなく、人間味あふれる人柄で信者の心を掴んでもいた」[10]
  • 「とてもいい感じ」「印象がよく、話も納得がいくもの」「信用できる」-元信者[11]
  • 「なんともいえず魅力的な感じのいい女性で、こんな人がオウムならオウムも悪くないと思うほど」-元信者の母親[11]

関連事件[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 佐木隆三『大義なきテロリスト』 p.290-293
  2. ^ 1989年8月29日、東京都に提出された宗教法人規則認証申請書より
  3. ^ オウム出版『マハームドラー』 p.15
  4. ^ 平成7合(わ)141 殺人等 平成16年2月27日 東京地方裁判所 A16=飯田
  5. ^ 佐木隆三『大義なきテロリスト』 p.302
  6. ^ 「オウム飯田元幹部が満期出所=仮谷さん拉致事件などで服役」 時事通信 2002年8月25日
  7. ^ 青沼陽一郎 『「復活オウム」の陰に消えた「二人の美人幹部」衝撃の消息情報』 週刊新潮 2003年1月16日号
  8. ^ 江川紹子『魂の虜囚』 p.415
  9. ^ a b 有田芳生と女性自身「シリーズ人間」取材班『あの子がオウムに!』p.205
  10. ^ 有田芳生と女性自身「シリーズ人間」取材班『あの子がオウムに!』p.205-206
  11. ^ a b 青木由美子(編)『オウムを生きて』