高松榮子
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たかまつ えいこ 高松 榮子 | |
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『有りがたうさん』(1936年) | |
本名 | 須田 シヅ (すだ しづ) |
生年月日 | 1893年7月2日 |
没年月日 | 1957年10月4日(64歳没) |
出生地 | 日本 東京府東京市(現在の東京都) |
職業 | 女優 |
ジャンル | 新派、劇映画(時代劇・現代劇、サイレント映画・トーキー) |
活動期間 | 1924年 - 1956年 |
主な作品 | |
『愛の乱舞』 『東海道膝栗毛』 『道呂久博士』 『煙突男』 |
高松 榮子︵たかまつ えいこ、1893年7月2日 - 1957年10月4日[1]︶は、日本の女優である[2][3][4][5][6][7][8][9]。新字体表記高松 栄子、本名は須田 シヅ︵すだ しづ︶[2][3][7]。サイレント映画の時代は﹃愛の乱舞﹄で新井淳、﹃東海道膝栗毛﹄で粂譲を相手に主演し、戦後も﹃カルメン故郷に帰る﹄等多くの話題作に出演した、戦前戦後を通じての松竹のバイプレイヤーである[3]。
﹃雪之丞変化 第一篇﹄︵1935年︶のポスター。
●﹃花婿の寝言﹄ : 監督五所平之助、1935年1月13日公開 - 花嫁の母お里、73分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃東京の英雄﹄ : 監督清水宏、1935年3月7日公開 - 婆や、64分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃彼と彼女と少年達﹄ : 監督清水宏、1935年5月30日公開 - 床チビの母
●﹃春琴抄 お琴と佐助﹄ : 監督島津保次郎、トーキー、1935年6月15日公開 - 役名不明、100分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃雪之丞変化 第一篇﹄ : 監督衣笠貞之助、製作松竹京都撮影所、1935年6月27日公開 - 浪路の乳母
●﹃雪之丞変化 第二篇﹄ : 監督衣笠貞之助、製作松竹京都撮影所、1935年10月1日公開 - 浪路の乳母
●﹃弥次喜多行進曲﹄ : 監督斎藤寅次郎、1935年10月24日公開
●﹃雪之丞変化 解決篇﹄ : 監督衣笠貞之助、製作松竹京都撮影所、1936年1月15日公開 - 浪路の乳母
﹃ひばりのサーカス 悲しき小鳩﹄︵1952年︶のポスター。
●﹃女の流行﹄ : 監督瑞穂春海、1950年1月15日公開 - アパートの小母さん
●﹃カルメン故郷に帰る﹄ : 監督木下恵介、1951年3月21日公開 - 役名不明、86分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃婚約指環﹄ : 監督木下恵介、製作松竹大船撮影所・田中絹代プロダクション、1950年7月1日公開 - おかみさん、96分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃てんやわんや﹄ : 監督渋谷実、1950年7月23日公開 - 妻、96分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃長崎の鐘﹄ : 監督大庭秀雄、1950年9月22日公開 - 役名不明、94分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃少年期﹄ : 監督木下恵介、1951年5月12日公開 - 煙草屋のお婆さん、110分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃東京のお嬢さん﹄ : 監督瑞穂春海、1951年7月6日公開 - 婆やお春
●﹃母待草﹄ : 監督佐々木啓祐、1951年8月17日公開 - その妻、65分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃母化粧﹄ : 監督佐々木啓祐、1951年12月14日公開 - 婆や
●﹃その夜の妻﹄ : 監督池田浩郎、1952年4月18日公開 - その妻
●﹃ひばりのサーカス 悲しき小鳩﹄ : 監督瑞穂春海、1952年7月15日公開 - 吉岡みさを
●﹃湯の町しぐれ﹄ : 監督長島豊次郎、1952年8月14日公開 - 母雪江
●﹃現代人﹄ : 監督渋谷実、1952年9月3日公開 - 荻野家の婆や
●﹃未完成結婚曲﹄ : 監督穂積利昌、1952年10月23日公開 - 附添の婦人
●﹃カルメン純情す﹄ : 監督木下恵介、1952年11月13日公開 - ラッキーの親爺の女房
●﹃娘の晴着﹄ : 監督萩原徳三、1952年11月27日公開 - 延鶴壽
●﹃わが母に罪ありや﹄ : 監督佐々木啓祐、1952年12月27日公開 - 登世の姑︵二十年前︶
●﹃若奥様一番勝負﹄ : 監督瑞穂春海、1952年12月27日公開 - 母あき
●﹃まごころ﹄ : 監督小林正樹、1953年1月29日公開 - 下宿の小母さん、95分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃夢みる人々﹄ : 監督中村登 、1953年2月18日公開
●﹃おもかげの歌﹄ : 監督穂積利昌、1953年3月12日公開 - 直子の祖母
●﹃嫁の立場﹄ : 監督西河克己、1953年4月15日公開 - おりき
●﹃愛慾の裁き﹄ : 監督大庭秀雄、1953年5月6日公開 - 役名不明、99分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃めぐり逢い﹄ : 監督池田浩郎、1953年6月3日公開 - 藤本家の婆や
●﹃旅路﹄ : 監督中村登、1953年7月29日公開 - おきよ
●﹃別離﹄ : 監督岩間鶴夫、1954年3月10日公開 - 婆さん︵横山の家︶
●﹃伊豆の踊子﹄ : 監督野村芳太郎、1954年3月31日公開 - 役名不明、98分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃亡命記﹄ : 監督野村芳太郎、1955年5月3日公開 - 老姆、135分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃柔道開眼﹄ : 監督岩間鶴夫、1955年9月28日公開 - 婆やふじ
●﹃夕やけ雲﹄ : 監督木下恵介、1956年4月17日公開 - 役名不明、78分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶
●﹃ホガラカさん 前篇﹄ : 監督萩山輝男、1956年5月3日公開 - 井上のアパートの婆さん
●﹃ホガラカさん 後篇﹄ : 監督萩山輝男、1956年5月11日公開 - 井上のアパートの婆さん
●﹃人妻椿 前篇誘惑の巻 後篇抱擁の巻﹄ : 監督原研吉、1956年5月25日公開 - 老婆
人物・来歴[編集]
1893年︵明治26年︶7月2日、東京府東京市︵現在の東京都︶に生まれる[1][3][7]。本名については、﹃日本映画俳優名鑑 昭和九年版﹄︵映画世界社︶や﹃芸能人物事典 明治大正昭和﹄︵日外アソシエーツ︶、あるいは﹃日本映画俳優全集・女優編﹄︵キネマ旬報社︶には﹁須田 シヅ﹂とあるが[2][3][7]、﹃著作権台帳 昭和26年度版﹄︵日本著作権協議会︶および﹃婦人年鑑12﹄︵学風書院︶には﹁加藤 しづ﹂あるいは﹁加藤 シヅ﹂︵かとう しづ︶と記されている[10][11]。﹃著作権台帳﹄では出生地も神奈川県とされている[10]。 横浜市立尋常高等横浜小学校︵のちの横浜小学校、1946年廃校︶を卒業し[2]、当時横浜の元町にあった横浜高等女学校︵のちに磯子に移転、現在の横浜学園高等学校︶を二年修業して中途退学した[1][2][3][11]。 その後、関東大震災後の1924年︵大正13年︶、浅草公園六区の常盤座で、根岸興行部の新派劇に参加し、女優となる[3]。同年、松竹蒲田撮影所に入社し、同年6月21日に公開された梅村蓉子の主演作﹃妹﹄︵監督大久保忠素︶に出演、満31歳を目前にした年齢で映画界にデビューした[3]。1927年︵昭和2年︶、準幹部に昇格したときにはすでに満34歳になっていた[3]。1936年︵昭和11年︶1月15日、同撮影所の機能が神奈川県鎌倉郡大船町︵現在の同県鎌倉市大船︶の松竹大船撮影所︵現存せず︶に移転するにともない、高松も異動になる[3][4]。その後、第二次世界大戦の間も、終戦後も、変わらず同撮影所に勤めつづけた[3][4]。 満63歳を目前にした1956年︵昭和31年︶に松竹を退社、東京映画が製作した瑞穂春海監督の映画﹃森繁よ何処へ行く﹄に出演、同作は東宝が配給して同年6月14日に公開された[3]。﹃芸能人物事典 明治大正昭和﹄によれば、同作をもって引退したとしている[3]。同年10月31日に公開された出演作﹃壁あつき部屋﹄︵監督小林正樹︶は、松竹在籍中の1953年︵昭和28年︶10月にすでに製作されていた作品である[4]。以後の消息は不明とされていた[3][7]が、﹃文化人名録 昭和33年版﹄︵日本著作権協議会︶において、1957年︵昭和32年︶10月4日に死去したという旨が記されている[1]。満64歳没。フィルモグラフィ[編集]
すべてクレジットは﹁出演﹂である[4][5]。公開日の右側には役名[4][5]、および東京国立近代美術館フィルムセンター︵NFC︶、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[9][12]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。松竹蒲田撮影所[編集]
特筆以外すべて製作は﹁松竹蒲田撮影所﹂、すべて配給は﹁松竹キネマ﹂、特筆以外すべてサイレント映画である[4][5]。 ●﹃妹﹄ : 監督大久保忠素、1924年6月21日公開 ●﹃関の五本松﹄ : 監督牛原虚彦、1924年10月17日公開 ●﹃城ケ崎の雨﹄ : 監督島津保次郎、1924年11月21日公開 ●﹃愛の乱舞﹄ : 監督吉野二郎、1925年6月20日公開 ●﹃二人巡礼﹄ : 監督重宗務、1925年8月21日公開 ●﹃屋上の恋人﹄ : 監督吉野二郎、1925年11月13日公開 ●﹃東海道膝栗毛 第一篇﹄ : 監督吉野二郎、1926年1月30日公開 - 女あんまお米 ●﹃お坊ちゃん﹄ : 監督島津保次郎、応援監督蔦見丈夫・五所平之助、1926年5月1日公開 - 羽田家女中 ●﹃娘﹄ : 監督五所平之助、1926年7月1日公開 ●﹃清水次郎長全伝 安政殺人剣の巻﹄ : 監督吉野二郎、1926年10月15日公開 ●﹃幻の義賊﹄ : 監督吉野二郎、1926年12月1日公開 ●﹃お照とお雪﹄ : 監督清水宏、1927年1月22日公開 - その妻 ●﹃九官鳥﹄ : 監督野村芳亭、1927年1月28日公開 - 女房女車掌照子 ●﹃艶魔﹄ : 監督重宗務、1927年3月11日公開 - 女房お豊 ●﹃白虎隊﹄ : 監督野村芳亭、1927年6月26日公開 - 母お道 ●﹃秋草燈籠 お露の巻﹄ : 監督野村芳亭、1927年8月5日公開 - 侍女楓 ●﹃秋草燈籠 小萩の巻﹄ : 監督野村芳亭、1927年8月5日公開 - 侍女楓 ●﹃仇討違い﹄ : 監督斎藤寅次郎、1927年8月19日公開 ●﹃親爺教育﹄ : 監督蔦見丈夫、1927年9月24日公開 ●﹃義剣侠刃﹄︵﹃義劔狂刃﹄[5]︶ : 監督吉野二郎、1927年10月7日公開 ●﹃村の花嫁﹄ : 監督五所平之助、1928年1月27日公開 - その母お芳 ●﹃道呂久博士﹄ : 監督野村芳亭、1928年2月18日公開 - 看護婦松枝富子 ●﹃若人の夢﹄ : 監督小津安二郎、1928年4月29日公開 - 下宿のおかみさん ●﹃妻君廃業﹄ : 監督大久保忠素、1928年8月24日公開 ●﹃彼と田園﹄ : 監督牛原虚彦、1928年8月24日公開 ●﹃拾った花嫁﹄ : 監督清水宏、1928年9月14日公開 - 甚作の母 ●﹃舞台姿﹄ : 監督野村芳亭、1928年10月27日公開 - 阪東団子 ●﹃陸の王者﹄ : 監督牛原虚彦、1928年11月10日公開 - 女房おかつ ●﹃森の鍛冶屋﹄ : 監督清水宏、1929年1月5日公開 - お種 ●﹃円タク坊ちゃん﹄ : 監督大久保忠素、1929年3月2日公開 ●﹃あひる女﹄ : 監督清水宏、1929年3月9日公開 - その女房・お高 ●﹃学生ロマンス 若き日﹄ : 監督小津安二郎、1929年4月13日公開 - 下宿の内儀、103分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃浮草娘旅風俗﹄ : 監督清水宏、1929年5月31日公開 - 喜六の女房 ●﹃岡辰押切帳﹄ : 監督斎藤寅次郎、1929年6月28日公開 ●﹃和製喧嘩友達﹄ : 監督小津安二郎、1929年7月5日公開 - おげん ●﹃親﹄ : 監督清水宏・大久保忠素、1929年8月1日公開 - 妻・お吉 ●﹃たゝかれ亭主﹄ : 監督斎藤寅次郎、1930年1月27日公開 ●﹃現代奥様気質﹄ : 監督重宗務、1930年2月1日公開 ●﹃純情﹄ : 監督成瀬巳喜男、1930年2月14日公開 - おつたの母 ●﹃生きる力﹄ : 監督西尾佳雄、1930年2月 - 妻とき ●﹃おごって頂戴よ﹄ : 監督西尾佳雄、1930年8月15日公開 ●﹃愛は力だ﹄ : 監督成瀬巳喜男、1930年8月29日公開 - 剛三の妻・おたみ ●﹃霧の中の曙﹄︵﹃霧の中の顔﹄[5]︶ : 監督清水宏、1930年11月1日公開 ●﹃若者よなぜ泣くか﹄ : 監督牛原虚彦、1930年11月15日公開 - 淑女、193分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃煙突男﹄ : 監督斎藤寅次郎、1930年12月5日公開 ●﹃モダン籠の鳥﹄ : 監督斎藤寅次郎、1931年1月10日公開 ●﹃公認駆落商売﹄ : 監督佐々木恒次郎、1931年2月25日公開 ●﹃男女押し比べ﹄ : 監督佐々木康、1931年6月12日公開 ●﹃落第未遂﹄ : 監督松井稔、1931年7月23日公開 ●﹃何が彼女を裸にしたか﹄ : 監督斎藤寅次郎、1931年8月15日公開 ●﹃娘の意気高し﹄ : 監督斎藤寅次郎、1931年8月15日公開 ●﹃浮気は汽車に乗って﹄ : 監督成瀬巳喜男、1931年8月15日公開 - 母 ●﹃彼女の興奮﹄ : 監督斎藤寅次郎、1931年10月31日公開 ●﹃七つの海 前篇 処女篇﹄ : 監督清水宏、1931年12月23日公開 - 妻・お悦 ●﹃金色夜叉﹄ : 監督野村芳亭、1932年1月14日公開 - その妻、81分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃三太郎満州出征﹄ : 監督斎藤寅次郎、1932年2月4日公開 ●﹃七つの海 後篇 貞操篇﹄ : 監督清水宏、1932年2月11日公開 - 妻お悦、81分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃恋の花咲く 伊豆の踊子﹄ : 監督五所平之助、1933年2月2日公開 - 母おたつ、124分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃島の娘﹄ : 監督野村芳亭、サウンド版、1933年3月15日公開 - 寺川屋女中お杉、62分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃東京音頭﹄ : 監督野村芳亭、サウンド版、1933年9月28日公開 - ばあや、78分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃愛撫﹄︵ラムール︶ : 監督五所平之助、1933年11月9日公開 - その母、113分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃沈丁花﹄ : 監督野村芳亭、1933年11月16日公開 - 待合の女中 ●﹃惚れた強味﹄ : 監督宗本英男、1934年8月30日公開 ●﹃殴られた河内山﹄ : 監督衣笠貞之助、製作松竹下加茂撮影所、1934年12月1日公開 - お槙松竹大船撮影所[編集]
特筆以外すべて製作は﹁松竹大船撮影所﹂、特筆以外すべて配給は﹁松竹キネマ﹂あるいは﹁松竹﹂、特筆以外すべてトーキーである[4][5][7]。 ●﹃有りがたうさん﹄ : 監督清水宏、1936年2月27日公開 - 茶店の婆さん、75分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃家族会議﹄ : 監督島津保次郎、1936年4月3日公開 - 女客、71分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃僕の春﹄ : 監督深田修造、1936年4月8日公開 ●﹃男性対女性﹄ : 監督島津保次郎、1936年8月29日公開 - 役名不明、132分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃一人息子﹄ : 監督小津安二郎、1936年9月15日公開 - 女工、82分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃人妻椿 後篇﹄ : 監督野村浩将、1936年10月29日公開 - 下宿のおばさん、62分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃少年航空兵﹄ : 監督佐々木康、1936年9月18日公開 - お秀の母、100分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃螢の光﹄ : 監督佐々木康、1938年4月14日公開 - 宿のおばさん、75分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃半処女﹄ : 監督佐々木啓祐、1938年4月28日公開 - 下女お霜、73分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃愛より愛へ﹄ : 監督島津保次郎、1938年6月9日公開 - 役名不明、57分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃母と子﹄ : 監督渋谷実、1938年7月1日公開 - 下宿のおばさん、88分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃愛染かつら 後篇﹄ : 監督野村浩将、1938年9月15日公開 - 婆や ●﹃家庭日記﹄ : 監督清水宏、1938年9月29日公開 - 松や ●﹃南風﹄ : 監督渋谷実、1939年2月15日公開 - 産婆、72分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃春雷 前篇 愛路篇﹄ : 監督佐々木啓祐、1939年4月13日公開 - 下宿の小母さん、73分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃春雷 後篇 審判篇﹄ : 監督佐々木啓祐、1939年4月13日公開 - 下宿の小母さん、同上[9] ●﹃花のある雑草﹄ : 監督清水宏、1939年6月15日公開 - 河田先生 ●﹃母を讃へる歌﹄ : 監督原研吉、1939年7月6日公開 - 役名不明、53分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃五人の兄妹﹄ : 監督吉村公三郎、1939年7月20日公開 - 髪結ひ、93分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃日本の妻 前篇 流転篇 後篇 苦闘篇﹄ : 監督佐々木啓祐、1939年8月5日公開 ●﹃桑の実は紅い﹄ : 監督清水宏、1939年9月14日公開 - 女中・お松 ●﹃狐﹄ : 監督渋谷実、1939年10月24日公開 - 母、27分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃私には夫がある﹄ : 監督清水宏、1940年2月1日公開 - ミシン女史 ●﹃涙の責任 前篇﹄ : 監督蛭川伊勢夫、1940年2月15日公開 - 管理人、101分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃涙の責任 後篇﹄ : 監督蛭川伊勢夫、1940年2月15日公開 - 管理人、同上[9] ●﹃信子﹄ : 監督清水宏、1940年4月9日公開 - 吉岡先生、50分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃美しき隣人﹄ : 監督大庭秀雄、1940年5月23日公開 - 隣のおばさん ●﹃女人転心﹄ : 監督清水宏、1940年9月5日公開 - 寺の婆さん ●﹃冬木博士の家族﹄ : 監督大庭秀雄、1940年10月31日公開 - お常、70分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃みかへりの塔﹄ : 監督清水宏、1941年1月30日公開 - 津村保母、111分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃十日間の人生﹄ : 監督渋谷実、1941年4月1日公開 - 雑炊婦、66分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃桜の国﹄ : 監督清水宏、製作松竹大船撮影所・華北電影、1941年11月1日公開 - 阿媽 ●﹃女医の記録﹄ : 監督渋谷実、1941年11月23日公開 - 母、95分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃兄妹会議﹄ : 監督渋谷実、配給映画配給社、1942年7月16日公開 - おかめ床おかみさん ●﹃すみだ川﹄ : 監督井上金太郎、配給映画配給社、1942年9月3日公開 - 駒形のおばさん、94分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃或る女﹄ : 監督渋谷実、配給映画配給社、1942年10月29日公開 - おとし ●﹃敵機空襲﹄ : 監督野村浩将・吉村公三郎・渋谷実、配給映画配給社、1943年4月1日公開 - おばさん、88分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃愛機南へ飛ぶ﹄ : 監督佐々木康、配給映画配給社、1943年9月10日公開 - 寮母 ●﹃勝鬨音頭﹄ : 監督大庭秀雄、配給映画配給社、1944年1月8日公開 - その女房、88分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃喜劇は終りぬ﹄ : 監督大庭秀雄、1946年1月10日公開 - 女房しげ ●﹃彼女の発言﹄ : 監督野村浩将、1946年2月7日公開 - 三浦家女中おわか ●﹃大曾根家の朝﹄ : 監督木下恵介、1946年2月21日公開 - 婆や、81分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃女生徒と教師﹄ : 監督佐々木啓祐、1946年3月7日公開 - 里見の母 ●﹃象を喰つた連中﹄︵﹃象を喰った連中 科学と生命に関する一考察﹄[9]︶ : 監督吉村公三郎、1947年2月11日公開 - おかね︵象を喰はない連中 おかね[9]︶、84分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃長屋紳士録﹄ : 監督小津安二郎、1947年5月20日公開 - とめ、71分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃二連銃の鬼﹄ : 監督佐々木啓祐、1947年7月8日公開 - 女将 ●﹃安城家の舞踏会﹄ : 監督吉村公三郎、1947年9月27日公開 - 老女松、89分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃不死鳥﹄ : 監督木下惠介、1947年12月11日公開 - 婆や、82分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃懐しのブルース﹄ : 監督佐々木康、1948年1月4日公開 - 乳母やす ●﹃旅裝﹄ : 監督中村登、1948年2月1日公開 - しげ子の母 ●﹃誘惑﹄ : 監督吉村公三郎、1948年2月25日公開 - 婆やセツ、85分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃火の薔薇﹄ : 監督中村登、1948年9月11日公開 - 管理婦 ●﹃風の中の牝鶏﹄ : 監督小津安二郎、1948年9月17日公開 - つね ●﹃お嬢さん乾杯﹄ : 監督木下恵介、1949年3月9日公開 - アパートの主婦、89分尺で現存︵NFC所蔵[9]︶ ●﹃愁海棠﹄ : 監督中村登、1949年8月2日公開 - 母きぬ ●﹃花も嵐も﹄ : 監督佐々木康、1949年9月29日公開 - 婆やお粂フリーランス[編集]
下記の通りである[4][5][7][8]。- 『森繁よ何処へ行く』 : 監督瑞穂春海、製作東京映画、配給東宝、1956年6月14日公開 - さか
- 『壁あつき部屋』 : 監督小林正樹、製作新鋭プロダクション、配給松竹、1953年10月製作・1956年10月31日公開 - 老婆、110分尺で現存(NFC所蔵[9])
脚注[編集]
(一)^ abcd文化人[1958], p.1558.
(二)^ abcde映画世界社[1934], p.73.
(三)^ abcdefghijklmn高松栄子、jlogos.com, エア、2013年2月8日閲覧。
(四)^ abcdefghi高松栄子、日本映画データベース、2013年2月8日閲覧。
(五)^ abcdefgh高松栄子、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月8日閲覧。
(六)^ 高松栄子、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年2月8日閲覧。
(七)^ abcdefg高松栄子、KINENOTE, 2013年2月8日閲覧。
(八)^ ab高松栄子、映画データベース、東宝、2013年2月8日閲覧。
(九)^ abcdefghijklmnopqrstuvwxyzaaabacadaeafagahaiajakalamanaoapaqarasatauavawaxayazbabbbcbdbebfbgbh高松榮子、高松栄子、髙松榮子、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月8日閲覧。
(十)^ ab著作権[1951], p.293.
(11)^ ab坂戸・紅露[1961], p.143.
(12)^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年2月4日閲覧。
参考文献[編集]
- 『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』、映画世界社、1934年
- 『著作権台帳 昭和26年度版』、日本著作権協議会、1951年
- 『文化人名録 昭和33年版』、日本著作権協議会、1958年
- 『婦人年鑑 12』、坂戸公顕・紅露みつ、学風書院、1961年
- 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年10月23日
- 『日本映画俳優全集・女優編』、キネマ旬報社、1980年12月31日
- 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月 ISBN 4816915133