黒田茂子
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黒田 茂子 (茂子女王) | |
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閑院宮家、黒田侯爵家 | |
大正時代撮影 | |
続柄 | 閑院宮載仁親王第2女子 |
全名 | 黒田 茂子(くろだ しげこ) |
身位 | 女王 →(皇籍離脱) |
敬称 | 殿下 →(皇籍離脱) |
出生 |
1897年5月29日 日本・東京府東京市 |
死去 |
1991年6月26日(94歳没) 日本・東京都港区 |
埋葬 | 青山霊園 |
配偶者 | 黒田長礼 |
子女 |
黒田長久 前田政子(前田利建夫人) 山内光子(山内豊秋夫人) 他。 |
父親 | 閑院宮載仁親王 |
母親 | 載仁親王妃智恵子 |
栄典 |
勲二等宝冠章 |
黒田 茂子︵くろだ しげこ、1897年︿明治30年﹀5月29日[1] - 1991年︿平成3年﹀6月26日[1]︶は、日本の元皇族。黒田長礼侯爵夫人。閑院宮載仁親王の第2女子。母は、三条実美公爵令嬢・智恵子。旧名は、茂子女王︵しげこじょおう︶。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。
人物[編集]
1897年︵明治30年︶5月29日、閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第2女子︵第3子︶として誕生。1914年︵大正3年︶1月21日、黒田長礼︵黑田長禮、黒田長成侯爵の嫡男︶に降嫁した[2]。1978年︵昭和53年︶4月16日に夫・長礼が没した後、茂子は﹁黒田家什宝は美術工芸品であっても、郷土福岡との関連において役立てるべき歴史的文化財である﹂ため、それらを故郷に帰すという亡夫の遺志を継ぎ、同年9月19日に国宝・漢委奴国王印をはじめ黒田家に伝来した文化財や歴史資料を﹃黒田資料﹄として一括して福岡市へ寄贈した[3]。﹃黒田資料﹄はその後、美術的価値の高いものが福岡市美術館に、歴史的価値の高いものが福岡市博物館に分けられて収蔵・展示されている[4]。1991年︵平成3年︶6月26日、東京都港区にて逝去。94歳没。親族[編集]
栄典[編集]
参考文献[編集]
- 福岡市博物館『福岡市博物館所蔵 黒田家の甲冑と刀剣(第二版)』福岡市博物館、2001年
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年