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「関門海峡」の版間の差分

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{{Location map|Japan Mapplot|caption=日本における関門海峡の位置|relief=1|width=240|float=right}}

[[File:Kanmon Straits Aerial photograph.2009.jpg|thumb|260px|関門海峡周辺の空中写真。<br/>2009年4月29日撮影の240枚を合成作成。<br/>{{国土航空写真}}]]

[[File:Kanmon Straits Aerial photograph.2009.jpg|thumb|260px|関門海峡周辺の空中写真。<br/>2009年4月29日撮影の240枚を合成作成。<br/>{{国土航空写真}}]]


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[[File:KanmonStraits west 20130815 103803.jpg|thumb|手前は[[下関港]]本港地区、その奥に[[三菱重工業下関造船所]]、造船所左は船島([[巌流島]])([[山口県国際総合センター|海峡ゆめタワー]]から撮影)]]

[[File:KanmonStraits west 20130815 103803.jpg|thumb|手前は[[下関港]]本港地区、その奥に[[三菱重工業下関造船所]]、造船所左は船島([[巌流島]])([[山口県国際総合センター|海峡ゆめタワー]]から撮影)]]

[[File:Shimonoseki 15AUG2013 Yamaguchi Japan.jpg|thumb|手前の水路は本州と[[彦島]]を隔てる小瀬戸、左奥に関門海峡を挟んで北九州市が見える(海峡ゆめタワーから撮影)]]

[[File:Shimonoseki 15AUG2013 Yamaguchi Japan.jpg|thumb|手前の水路は本州と[[彦島]]を隔てる小瀬戸、左奥に関門海峡を挟んで北九州市が見える(海峡ゆめタワーから撮影)]]

'''関門海峡'''(かんもんかいきょう)は、[[日本]]の[[本州]]([[山口県]][[下関市]])と[[九州]]([[福岡県]][[北九州市]])を隔てる[[海峡]]。名称は両岸の地名である、馬関(現在の下関市)の「関」と、門司(現在の北九州市[[門司区]])の「門」を取ったものである。'''穴戸海峡'''(あなとかいきょう)、'''馬関海峡'''(ばかんかいきょう)、'''下関海峡'''(しものせきかいきょう)とも称された<ref>『山口県の地名』[[平凡社]]、1980年、p.433</ref>。最深部は水深47[[メートル|m]]。[[潮流]]は[[潮汐|大潮]]で最大10[[ノット]]を超えることもある

'''関門海峡'''(かんもんかいきょう)は、[[日本]]の[[本州]]([[山口県]][[下関市]])と[[九州]]([[福岡県]][[北九州市]])を隔てる[[海峡]]。名称は両岸の地名である、馬関(現在の下関市)の「関」と、門司(現在の北九州市[[門司区]])の「門」を取ったものである。'''穴戸海峡'''(あなとかいきょう)、'''馬関海峡'''(ばかんかいきょう)、'''下関海峡'''(しものせきかいきょう)とも称された<ref>『山口県の地名』[[平凡社]]、1980年、p.433</ref>。



[[2017年]]、山口県下関市と福岡県北九州市にまたがる42件が「『[[関門“ノスタルジック”海峡]]』〜時の停車場、近代化の記憶〜」として[[日本遺産]]に認定された。

通過時には4ノット以上の速力を維持することが義務付けられている。本州と九州を隔てる水路を'''大瀬戸'''(おおせと)といい、[[彦島]]と本州を隔てる水路を'''小瀬戸'''(こせと)または'''小門海峡'''(おどかいきょう)という。大瀬戸の幅が約600mまで狭まる[[壇ノ浦]]と[[和布刈]]の間は'''早鞆の瀬戸'''(はやとものせと)という。



== 地理 ==

一般には大瀬戸の下関と北九州市門司区の間を関門海峡と呼ぶ。なお、[[海運]]業界では下関市彦島の周囲を迂回する形で門司区 - [[小倉北区]] - [[戸畑区]] - [[若松区]]に抜けるルートが[[関門航路]]=関門海峡との認識である。


71<ref name="kmnh">[https://www.kmnh.jp/geo/21.html ] 2021827</ref><ref name="kmnh" />


最深部は水深47[[メートル|m]]。[[潮流]]は[[潮汐|大潮]]で最大10[[ノット]]を超えることがある。

[[2017年]]、山口県下関市と福岡県北九州市にまたがる42件が「『[[関門“ノスタルジック”海峡]]』〜時の停車場、近代化の記憶〜」として[[日本遺産]]に認定された。


本州と九州を隔てる水路を'''大瀬戸'''(おおせと)といい、[[彦島]]と本州を隔てる水路を'''小瀬戸'''(こせと)または'''小門海峡'''(おどかいきょう)という。大瀬戸の幅が約600mまで狭まる[[壇ノ浦]]と[[和布刈]]の間は'''早鞆の瀬戸'''(はやとものせと)という。


一般には大瀬戸の下関と北九州市門司区の間を関門海峡と呼ぶ。なお、[[海運]]業界では下関市彦島の周囲を迂回する形で門司区 - [[小倉北区]] - [[戸畑区]] - [[若松区]]に抜けるルートが[[関門航路]]=関門海峡との認識である。



== 歴史 ==

== 歴史 ==

約6000年前に本州と九州が分断され、関門海峡が形成されたといわれる。

関門海峡は諸外国との関係では交流交易や防衛の拠点、国内交通では本州と九州の結節点、さらに日本海と瀬戸内海をつなぐ海上交通の要衝であり、しばしば歴史の舞台となってきた<ref>[https://www.kanmon-keikan.com/uploads/2016/06/kihonkousou1.pdf 関門景観基本構想(p.6)] 下関市・北九州市、2021年8月27日閲覧。</ref>。


=== 記紀 ===

仲哀天皇元年 - [[仲哀天皇]]が妻の[[神功皇后]]と九州の[[熊襲]](くまそ)の平定のために関門海峡へ進軍。翌年、穴戸の国(長門国)に[[豊浦宮]](御所)を置いた(今の[[忌宮神社]]の場所)。


仲哀天皇8年9月 - 仲哀天皇は神功皇后とともに熊襲征伐のため博多の[[香椎宮]]を訪れる。そこで、神懸かりした神功皇后から「[[新羅]]を攻めよと[[天照大神]]と[[住吉三神]]のお告げ(ご信託/託宣)を受けたものの、仲哀天皇は託宣を聞かずに熊襲征伐を行う。しかし、ご信託の通り天皇軍は敗北し撤退。さらに翌、仲哀天皇9年2月、仲哀天皇自身が[[筑紫]]で熊襲の矢に打たれ崩じた。遺体は[[武内宿禰]]により海路穴門(※当時は関門海峡の一部は繋がっており、そこに巨大な穴が空いていて潮が行き来していたという説がある)を通って豊浦宮で殯された。


=== 下関と関門海峡 ===


18635<ref name="swar">[https://www.pa.qsr.mlit.go.jp/kanmon/100nen/Shimonoseki_war.html  4.] 2021827</ref><ref name="swar" />18648<ref name="swar" />

{{See|下関戦争}}


===第二次世界大戦と関門海峡===

関門海峡周辺は1895年より下関要塞司令部が設置され[[下関要塞]]として関門海峡を、第二次世界大戦中には[[壱岐要塞]]、[[対馬要塞]]とともに[[朝鮮海峡]]全体を防衛していた。


[[|]]19401942<ref name="沿">{{Cite web||url=https://www.mod.go.jp/msdf/shimoki/3-1_history.html|title=_沿  |accessdate=2023-08-07}}</ref>

太平洋戦争の末期にはアメリカ軍による[[飢餓作戦]]の一環として、[[B-29 (航空機)|B29]]による[[機雷戦|機雷敷設]]が行われた。日本近海に投下された機雷は推定1万1,000個とされ、そのうち半数近い約4,990個が関門海峡に集中的に投下されている。効果は抜群で、1945年3月には1日7万トンの船が通過していた海峡の通航量は、同年6月には1/40に減少した<ref>「戦争後遺症さまざま 関門海峡機雷爆発」『朝日新聞』昭和47年(1972年)7月17日夕刊、3版、9面</ref>。それでも[[日本の降伏|終戦]]までに113隻が触雷している。


海軍は終戦後も下関防備隊を下関掃海部として掃海隊を所属させ、航路啓開に努め、1945年11月に海軍が解隊した以後も復員省に属して存続し、作業は継続された。1948年1月に全国各地の掃海部が解隊した後も、下関掃海部だけは作業終了の見通しは立たなかったため存続させられた。


米軍は「機雷の電池寿命は1948年頃尽きると推定、以後その効力を失う」と日本政府に通告していたが、現実にはそれ以後も触雷事故が絶えず、米軍はその都度機雷の寿命見積を延長したため下関掃海部は解散することが出来ず、海上保安庁、海上自衛隊と所属は変わったが、[[海上自衛隊]][[下関基地隊]]を基地として関門の掃海は継続された<ref name="下関基地隊の沿革" />。



[[]]19602010[[]]<ref name="20191130">[https://www.asahi.com/articles/DA3S14274358.html  2 11 ][[be ()|be]]201911306-7202011</ref>1700<ref>{{Cite web||url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141127-00000042-mai-soci|deadlinkdate=2018-06-15|accessdate=2014-11-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141206042652/https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141127-00000042-mai-soci|archivedate=2014-12-06|date=2014-11-27|title= 1700 |publisher=[[]]}}</ref>

戦前・戦中の関門海峡については「[[下関要塞]]」も参照。


=== 年表 ===

* 約6000年前 - 本州と九州が分断され、海峡が形成される。

* 約6000年前 - 本州と九州が分断され、海峡が形成される。

* [[1185年]]([[元暦]]2年/[[寿永]]4年)[[3月25日]] - [[壇ノ浦の戦い]]で[[安徳天皇]]が入水、[[平氏|平家一門]]が滅亡([[治承・寿永の乱]])。

* [[1185年]]([[元暦]]2年/[[寿永]]4年)[[3月25日]] - [[壇ノ浦の戦い]]で[[安徳天皇]]が入水、[[平氏|平家一門]]が滅亡([[治承・寿永の乱]])。

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* [[1974年]](昭和49年)7月 - [[関門航路]]が[[港湾法]]による[[開発保全航路]]に指定される。

* [[1974年]](昭和49年)7月 - [[関門航路]]が[[港湾法]]による[[開発保全航路]]に指定される。

* [[1975年]](昭和50年)[[3月10日]] - [[山陽新幹線]]の[[新関門トンネル]]が供用を開始する。

* [[1975年]](昭和50年)[[3月10日]] - [[山陽新幹線]]の[[新関門トンネル]]が供用を開始する。

* [[2017年]]([[平成]]29年)山口県下関市と福岡県北九州市にまたがる42件が「関門“ノスタルジック”海峡<ref>{{Cite web|url=https://www.japanheritage-kannmon.jp/|title=日本遺産 関門ノスタルジック海峡|accessdate=2018-05-21|website=www.japanheritage-kannmon.jp|language=ja}}</ref>」〜時の停車場、近代化の記憶〜として[[日本遺産]]に認定される。

* [[2017年]]([[平成]]29年)山口県下関市と福岡県北九州市にまたがる42件が「関門“ノスタルジック”海峡<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japanheritage-kannmon.jp/|title=日本遺産 関門ノスタルジック海峡|accessdate=2018-05-21|website=www.japanheritage-kannmon.jp|language=ja}}</ref>」〜時の停車場、近代化の記憶〜として[[日本遺産]]に認定される。


===第二次世界大戦と関門海峡===


[[]][[B-29 ()|B29]][[|]]11,0004,990194531761/40<ref> 47197271739</ref>[[|]]113[[]]19602010[[]][[]][[]]<ref name="20191130">[https://www.asahi.com/articles/DA3S14274358.html  2 11 ][[be ()|be]]201911306-7202011</ref>1700<ref>{{Cite web|url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141127-00000042-mai-soci|deadlinkdate=2018-06-15|accessdate=2014-11-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141206042652/https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141127-00000042-mai-soci|archivedate=2014-12-06|date=2014-11-27|title= 1700 |publisher=[[]]}}</ref>

戦前・戦中の関門海峡については「[[下関要塞]]」も参照。



== 交通 ==

== 交通 ==

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[[:KANMON Kisen that sails between vessels Yamaguchi,JAPAN.jpg|thumb|right|]]

[[:KANMON Kisen that sails between vessels Yamaguchi,JAPAN.jpg|thumb|right|]]

[[ファイル:Kanmonkyo Bridge 01.JPG|thumb|right|陸上交通の一端を担う[[関門橋]]]]

[[ファイル:Kanmonkyo Bridge 01.JPG|thumb|right|陸上交通の一端を担う[[関門橋]]]]

{{maplink2|frame=yes|frame-align=right|frame-width=200|frame-height=300|zoom=11|frame-lat=33.936|frame-long=130.922|text=関門海峡を横断する橋とトンネル 赤:鉄道、青:道路

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=== 海上交通 ===

=== 海上交通 ===

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海峡の狭さ、潮流の速さ・向き(潮の[[干満]]により1日4回[[潮流]]の向きが変わる)、船舶通航量の多さ、航路の複雑さ(関門航路は筆記体の「[[V]]」の字)から、日本国内に7箇所設置されている[[海上交通センター]]「関門マーチス」が置かれている。なお、海峡を通過する船舶は[[水先人|水先案内人]](パイロット)の同乗が義務づけられている。さらに、[[潮流放送]](ひのやました)、[[潮流信号所]](部埼、火ノ山下、台場鼻)、[[自動船舶識別装置]](AIS)が設置されており、潮流による事故を防止するための情報提供がされている。

海峡の狭さ、潮流の速さ・向き(潮の[[干満]]により1日4回[[潮流]]の向きが変わる)、船舶通航量の多さ、航路の複雑さ(関門航路は筆記体の「[[V]]」の字)から、日本国内に7箇所設置されている[[海上交通センター]]「関門マーチス」が置かれている。なお、海峡を通過する船舶は[[水先人|水先案内人]](パイロット)の同乗が義務づけられている。さらに、[[潮流放送]](ひのやました)、[[潮流信号所]](部埼、火ノ山下、台場鼻)、[[自動船舶識別装置]](AIS)が設置されており、潮流による事故を防止するための情報提供がされている。



関門海峡を含む全長約50kmの区間が、全国に15箇所ある開発保全航路の一つ「関門航路」に指定されており、国土交通省九州地方整備局が整備を行なっている。2016年時点の航路の水深は12mで、船舶の大型化に対応するため2034年完了予定で水深14m化事業が行われている<ref>[http://www.qsr.mlit.go.jp/s_top/jigyo-hyoka/160921/shiryou5_kanmonkouro.pdf 関門航路 開発保全航路整備事業(平成28年度 第3回 九州地方整備局 事業評価監視委員会)]</ref>。浚渫(航行に支障になる堆積物の除去)と(事故等による)油回収に機動的に対応するために、専用の船舶である「[[海翔丸]]」が九州地方整備局関門航路事務所に配備されている。

関門海峡を含む全長約50kmの区間が、全国に15箇所ある開発保全航路の一つ「関門航路」に指定されており、国土交通省九州地方整備局が整備を行なっている。2016年時点の航路の水深は12mで、船舶の大型化に対応するため2034年完了予定で水深14m化事業が行われている<ref>[https://www.qsr.mlit.go.jp/s_top/jigyo-hyoka/160921/shiryou5_kanmonkouro.pdf 関門航路 開発保全航路整備事業(平成28年度 第3回 九州地方整備局 事業評価監視委員会)]</ref>。浚渫(航行に支障になる堆積物の除去)と(事故等による)油回収に機動的に対応するために、専用の船舶である「[[海翔丸]]」が九州地方整備局関門航路事務所に配備されている。



海峡を横断する航路は、本州と九州を結ぶ陸上交通(トンネルおよび橋)が無い頃は主要な交通機関であったが、それらが供用されたのちは両岸を結ぶ限定的な交通として機能している。また、遊覧目的の観光利用も見られる。

海峡を横断する航路は、本州と九州を結ぶ陸上交通(トンネルおよび橋)が無い頃は主要な交通機関であったが、それらが供用されたのちは両岸を結ぶ限定的な交通として機能している。また、遊覧目的の観光利用も見られる。

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海峡の狭さが故に、比較的早い段階から[[海底トンネル]]や[[橋]]が整備され、現在、海底トンネル3本、橋1本の合わせて4本のトンネルと橋梁が本州と九州をつないでいる。そのはしりと言える1942年の鉄道トンネル開通、1958年の[[国道2号]]のトンネル開通に伴って、[[鉄道]]や[[自動車]]により頻繁に往来が行われるようになった。以降、海峡両岸は強力に結びつけられ、下関市と北九州市ならびに両市の周辺地域は、海峡を跨いだ「[[関門都市圏]]」と呼ばれる一つの[[都市圏]]を形成している。

海峡の狭さが故に、比較的早い段階から[[海底トンネル]]や[[橋]]が整備され、現在、海底トンネル3本、橋1本の合わせて4本のトンネルと橋梁が本州と九州をつないでいる。そのはしりと言える1942年の鉄道トンネル開通、1958年の[[国道2号]]のトンネル開通に伴って、[[鉄道]]や[[自動車]]により頻繁に往来が行われるようになった。以降、海峡両岸は強力に結びつけられ、下関市と北九州市ならびに両市の周辺地域は、海峡を跨いだ「[[関門都市圏]]」と呼ばれる一つの[[都市圏]]を形成している。




[[]]使<ref>[[]][[]]-</ref>

[[]]使{{efn|[[]][[]]-}}[[]]

* 関門トンネル

* 関門トンネル

** [[関門トンネル (国道2号)|関門国道トンネル]] - [[一般国道]]([[国道2号]]、歩行者用トンネルも設置)

** [[関門トンネル (国道2号)|関門国道トンネル]] - [[一般国道]]([[国道2号]]、歩行者用トンネルも設置)

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=== 注釈 ===

=== 注釈 ===

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=== 出典 ===

=== 出典 ===

{{Reflist|2}}

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* [[関門海峡花火大会]]

* [[関門海峡花火大会]]

* [[関門海峡ロープウェイ]]

* [[関門海峡ロープウェイ]]

* [[関門連系線]] - 関門海峡をまたぐ送電線。

* [[関門海峡メガジップライン]]



== 外部リンク ==

== 外部リンク ==

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* [http://www6.kaiho.mlit.go.jp/kanmon/ 第七管区海上保安本部 関門海峡海上交通センター](関門マーチス)

* [http://www6.kaiho.mlit.go.jp/kanmon/ 第七管区海上保安本部 関門海峡海上交通センター](関門マーチス)

** [http://www6.kaiho.mlit.go.jp/moji/rink_htm/anzen.htm 関門海峡航行参考図]

** [http://www6.kaiho.mlit.go.jp/moji/rink_htm/anzen.htm 関門海峡航行参考図]

* {{Kotobank}}



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[[Category:関門海峡|*]]

[[Category:日本の海峡]]

[[Category:日本の海峡]]

[[Category:瀬戸内海]]

[[Category:瀬戸内海]]

118行目: 156行目:

[[Category:日本の音風景100選]]

[[Category:日本の音風景100選]]

[[Category:日本遺産]]

[[Category:日本遺産]]

[[Category:県境]]


2023年12月4日 (月) 07:39時点における最新版

関門海峡の位置(日本内)
関門海峡
日本における関門海峡の位置

2009429240
  

[1]

201742

[]


71[2][2]

47m10

600m

 -  -  - =

[]


6000 [3]

[]


 - 

89 - 退92宿

[]


18635[4][4]18648[4]

第二次世界大戦と関門海峡[編集]


1895 19401942[5]

B2911,0004,990194531761/40[6]113

19451119481

寿1948寿[5]

19602010[7]1700[8]


[]


6000 - 

11852/寿4325 - 寿

1592 - 

161217513 - 

18633716 - 5

189528417 - 調

191043 - 1

1942171115 - 

194520327711 - 

19583339 - 

1973481114 - 

1974497 - 

197550310 - 

20172942[9]

[]

地図
関門海峡を横断する橋とトンネル 赤:鉄道、青:道路

海上交通[編集]


使500S[7]沿11133600[7]

14V7AIS

50km15201612m203414m[10]


[]


314194219582

使[ 1]


 - 2

 - 

 - 

 - 

[]




2""



1953628 - 28西21

2005320 - 西544204

200617 - 鹿219

20091027 - 

[]


190033226305
  • 26.少しくあとに立ちかえり 徳山港を船出して 二十里ゆけば豊前なる 門司の港につきにけり
  • 27.向(むかい)の岸は馬関にて 海上わずか二十町 瀬戸内海(うちうみ)の咽首を しめてあつむる船の数
  • 28.朝(あした)の帆影夕烟 西北さしてゆく船は 鳥も飛ばぬと音にきく 玄海洋(なだ)やわたるらん
  • 29.満ち引く汐も早鞆の 瀬戸と呼ばるる此(この)海は 源平両氏の古戦場 壇の浦とはこれぞかし
  • 30.世界にその名いと高き 馬関条約結びたる 春帆楼の跡といて 昔しのぶもおもしろや

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 陸上交通の迂回路となりうる豊予海峡四国-九州間)に橋梁またはトンネルを建設する構想があるが、実現していない。

出典[編集]



(一)^ 1980p.433

(二)^ ab 2021827

(三)^ p.6 2021827

(四)^ abc 4. 2021827

(五)^ ab_沿  . 202387

(六)^  47197271739

(七)^ abc 2 11 be201911306-7202011

(八)^  1700.   (20141127). 201412620141127

(九)^  . www.japanheritage-kannmon.jp. 2018521

(十)^  28 3  

関連項目[編集]


 - 









 ()











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[]


 

 


 - 

: 335649 1305648 / 33.94694 130.94667 / 33.94694; 130.94667