長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校
表示
(長野県諏訪清陵高等学校から転送)
長野県諏訪清陵高等学校 長野県諏訪清陵高等学校附属中学校 | |
---|---|
諏訪清陵高等学校 | |
北緯36度2分19.1秒 東経138度7分31.9秒 / 北緯36.038639度 東経138.125528度座標: 北緯36度2分19.1秒 東経138度7分31.9秒 / 北緯36.038639度 東経138.125528度 | |
過去の名称 |
上諏訪英語会(前身) 諏訪郡育英会(前身) 諏訪郡立実科中学校 諏訪郡立諏訪中学校 長野県立諏訪中学校 長野県諏訪中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長野県 |
理念 |
自治 質実剛健 勤勉努力 自反而縮雖千萬人吾往矣 |
設立年月日 |
1887年10月 (上諏訪英語会) 1895年4月25日 (諏訪郡立実科中学校) |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学校コード |
C120220600052 中学校) D120220600014 (高等学校) | (
高校コード | 20146E |
所在地 | 〒392-8548 |
長野県諏訪市清水一丁目10番1号 | |
外部リンク |
長野県諏訪清陵高等学校公式サイト 長野県諏訪清陵高等学校附属中学校公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校︵ながのけん すわせいりょうこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう︶は、長野県諏訪市清水一丁目にある県立高等学校・中学校。
概要[編集]
1895年︵明治28年︶に創立された諏訪郡立実科中学校︵旧制︶を前身とする[1]。校名の﹁清陵﹂は、地名である﹁清水が丘﹂に由来する[1]。清陵賛歌にも﹃清水が丘﹄というフレーズが入っている[2]。 大正デモクラシーの時期に、学友会︵一般で言う生徒会︶が幟に記した孟子﹁公孫丑﹂の言葉﹁自反而縮雖千萬人吾往矣﹂︵みづからかへりみてなをくんば せんまんにんといへどもわれゆかむ‥自分の行いを振り返ってみてそれが正しい事ならば、たとえ敵が一千万人いようとも私は自分の道を進んで行こう、という意味︶が校是となっている[3]。その他に、﹁自治﹂﹁質実剛健﹂﹁勤勉努力﹂を校風の基調とし[3]、﹁四大精神﹂と称している。 制服や校則は存在せず︵中学校には存在する︶、生徒による自治を基本とする。清陵祭︵文化祭︶や行事、部活は学友会の元に運営される[4]。 かつては出身中学校ごとに﹁地方会﹂という組織をつくり、そのなかで校歌指導や新入生歓迎会などの行事が行われていたが、現状にそぐわないという意見が浮上、2013年3月をもって廃止された[5]。 2019年度に、附属中学校にChromebookが90台と各教室、特別教室へのWi-Fiが導入された[6]。 また、2020年度には追加で160台のChromebookが導入され[7]、全校生徒240人が一斉に利用できるようになった。そして、高等学校の全教室にもWi-Fi設備が導入された[8]。沿革[編集]
●1887年10月 - 前身母体である上諏訪英語会を創立。 ●1889年4月 - 諏訪郡育英会に改称。 ●1895年4月 - 諏訪郡立実科中学校として創立[1]。この年を創立年とする。 ●1901年4月 - 県立に移管され長野県立諏訪中学校となる[1]。 ●1920年4月 - 長野県令38号により、長野県諏訪中学校に改称[1]。 ●1948年4月 - 学制改革により、長野県諏訪清陵高等学校となる[1]。 ●2002年4月 - 文部科学省から﹁スーパーサイエンスハイスクール (SSH)﹂に指定される[1]。 ●2005年4月 - 文部科学省から新たにスーパーサイエンスハイスクール (SSH) の指定[1]︵5年間︶を受ける。 ●2010年10月7日 - 長野県教育委員会に、附属中学校の設置を要望する書類を提出。中南信地域における中高一貫校のモデル校を目指す。 ●2011年1月27日 - 県教育委員会、中高一貫校設置計画に諏訪清陵高校を選定する。 ●2014年4月 - 長野県諏訪清陵高等学校附属中学校を新しく併設し、併設型中高一貫教育を開始する[1]。中高一貫校化[編集]
長野県教育委員会は2009年6月に発表した﹁第1期長野県高等学校再編計画﹂の中で、東北信と中南信の2地域に1校ずつ併設型中高一貫校を設置することを盛り込んだが、諏訪清陵高校はこれを受けて同年9月に﹁中高一貫教育研究委員会﹂を設けて中高一貫教育についての研究を進め、2010年10月7日には県教育委員会に一貫教育導入計画を具申した。翌2011年1月27日の教育委員会定例会で、中南信における中高一貫校設置計画に諏訪清陵高校が選定され、県内では屋代高校・附属中学校に次ぐ2番目の公立中高一貫校となるに至った[9]。 併設されている中学校の名称は﹁長野県諏訪清陵高等学校附属中学校﹂で、1学年あたりの規模は2学級80人、︵附属中のみだと生徒総数は240人になる。︶自宅からの通学が原則で、県内全域から生徒を募集している。また、附属中学校卒業者は高校1年次より外部からの入学者と混合して学校生活を送る他、高校課程では習熟度に基づいてスタンダードコースとアドバンスドコースの2つの学習コースが設けられている[10]。校章[編集]
校章は諏訪大社の神紋に由来する﹁梶の葉﹂である。校章は多くの高等学校の校章に配される﹁高﹂の文字がデザインされておらず、梶の葉だけに留めている。これらは俗なる印象を避けたことと、旧制第一高等学校の校章を見本にしたからである[11]。 また、附属中学校の制服には、校章が刺繍されている。︵男女ともに冬服のみ︶[12]校歌[編集]
諏訪清陵高校の校歌は、8番からなる第一校歌︵作詞‥伊藤長七︶と10番からなる第二校歌︵作詞‥中島喜久平︶があり、併せて18番にもなるため、フルコーラスに10分以上も要する。また、校歌の曲には長い間正式な楽譜や伴奏がなく、斉唱の際は太鼓、手拍子、足踏みに合わせて歌われてきた[13][14][15]。附属中学校の校歌は高校と同じだが、行事の際に歌われる﹁清陵讃歌﹂︵作詞‥山岡羊村、作曲‥酒井利夫︶もある[16]。以前は第三校歌︵作詞‥茅野儀太郎︶もあったが、﹁清陵祭の歌﹂として戦後、甦っている[17]。特色[編集]
個人個人が日頃考えていることを大勢の前で壇上で自由に主張できる﹁談論会﹂というものが随時行われている。第一回﹁談論会﹂は1898年︵明治31年︶開催。また、生徒が文書を校舎に掲示することで自由に意見を発表することができ、これは﹁檄文﹂と呼ばれている。 ﹁端艇大会﹂と呼ばれる全国的にも珍しいボートのクラスマッチが諏訪湖で行われている。第一回﹁端艇大会﹂は1901年︵明治34年︶開催。 大学のように授業ごとに教室を移動する。連絡事項はそれぞれ生徒が掲示板を見て確認する。また、各教室には時計が設置されていなかったが、2014年開校の付属中学校の教室には時計が付けられた[18]。 スーパーサイエンスハイスクールに関連し著名な研究者や技術者を招いてサイエンスフォーラムを開催している[19]。 ﹃釣りバカ日誌﹄の登場人物が旧制諏訪中学出身という設定となった。NHK朝の連続テレビ小説﹃かりん﹄のモデルや、波多野勤子の往復書簡集﹃少年期﹄の舞台となった。映画﹃砕け散るところを見せてあげる﹄のロケ地となった。[20]交通アクセス[編集]
最寄り駅[編集]
著名な学校関係者[編集]
以下の学校関係者は五十音順に並ぶ。