哲学
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概要 編集
現代では以下のように、文脈によって様々な意味をもつ多義語である[要出典]。 (一)︵近代以前の用法[注4]︶知的探究活動全般・学問全般を指す。したがって、学問に従事する人物全般・賢者全般が哲学者と呼ばれた[要出典][注5]。 (二)︵中世ヨーロッパの大学制度︶カリキュラムの自由七科を指す[6][7]。 (三)︵近現代の大学制度︶人文科学の一分野︵哲学科︶を指す[注6]。問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、概念的思考を通じて多様な主題について検討する研究分野である、などと説明される。この分野に従事する人物は哲学者または哲学研究者と呼ばれる[要出典]。 (四)﹁ニーチェの哲学﹂などのように、個々の哲学者による哲学探求の成果︵思想︶も哲学と呼ばれる[要出典]。 (五)﹁数学の哲学﹂﹁法哲学﹂などのように、各科学分野の﹁基礎論﹂、または実践に対する﹁理論﹂を指す[要出典]。 (六)宗教や神学と部分的に重複する[要出典]。定義 編集
辞書による定義 編集
哲学者による哲学の定義 編集
近現代哲学において代表的な哲学者の言説を以下に記述する。 啓蒙思想時代の哲学者であり、またドイツ観念論哲学の祖でもあり、そして近現代哲学に大きな影響力を持ち続けている哲学者、イマヌエル・カントは、哲学について次のように説明している。 古代ギリシャの哲学は、三通りの学に分かれていた。すなわち――物理学、倫理学および論理学である。この区分は、哲学というものの本性にかんがみてしごく適切であり、これに区分の原理を付け加えさえすれば、格別訂正すべき点はないと言ってよい。 — イマヌエル・カント、﹃道徳形而上学原論﹄、篠田英雄訳、岩波文庫、1976年、5頁、﹁序言﹂より 現代思想において、特に分析哲学に多大な影響を及ぼした哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、哲学について次のように説明している。 哲学の目的は思考の論理的明晰化である。 哲学は学説ではなく、活動である。 哲学の仕事の本質は解明することにある。 哲学の成果は﹁哲学的命題﹂ではない。諸命題の明確化である。 思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。 — ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、﹃論理哲学論考﹄、野矢茂樹訳、岩波文庫、2003年、51頁より 現代思想において、特に大陸哲学に多大な影響を及ぼした哲学者、マルティン・ハイデッガーは、哲学について次のように説明している。 古代以来、哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することを目指している。その存在理解のカテゴリー的解釈は、普遍的存在論としての学的哲学の理念を実現するものにほかならない。 — マルティン・ハイデッガー、﹃存在と時間﹄上、細谷貞雄訳、ちくま学芸文庫、1994年、19頁、﹁序に代えて﹂より語源とその意味 編集
古典ギリシア語の﹁フィロソフィア﹂︵古希: φιλοσοφία、philosophia、ピロソピアー、フィロソフィア︶という語は、﹁愛﹂を意味する名詞﹁フィロス﹂︵φίλος︶の動詞形﹁フィレイン﹂︵φιλεῖν︶と、﹁知﹂を意味する﹁ソフィア﹂︵σοφία︶が結び合わさったものであり、その合成語である﹁フィロソフィア﹂は﹁知を愛する﹂﹁智を愛する﹂という意味が込められている[8][9]。この語はヘラクレイトスやヘロドトスによって形容詞や動詞の形でいくらか使われていたが[16]、名称として確立したのはソクラテスまたはその弟子プラトンが、自らを同時代のソフィストと区別するために用いてからとされている。 古典ギリシア語の﹁フィロソフィア﹂は、古代ローマのラテン語にも受け継がれ、中世以降のヨーロッパにも伝わった。20世紀の神学者ジャン・ルクレール︵en:Jean Leclercq︶によれば、古代ギリシアのフィロソフィアは理論や方法ではなくむしろ知恵・理性に従う生き方を指して使われ、中世ヨーロッパの修道院でもこの用法が存続したとされる[17]。一方、中世初期のセビリャのイシドールスはその百科事典的な著作﹃語源誌﹄(羅: Etymologiae)において、哲学とは﹁よく生きようとする努力と結合した人間的、神的事柄に関する認識である﹂と述べている[18]。翻訳語 編集
﹁理学﹂ 編集
﹁哲学﹂という訳語が採用される以前、日本や中国では様々な訳案が出されてきた[22]。とりわけ、儒学用語の﹁理﹂あるいは﹁格物窮理﹂にちなんで、﹁理学﹂と訳されることが多かった。 17世紀・明末の中国に訪れたイエズス会士ジュリオ・アレーニ︵艾儒略︶は、西洋の諸学を中国語で紹介する書物﹃西学凡﹄を著した。同書のなかでフィロソフィアは、﹁理学﹂または﹁理科﹂と訳されている[22][30]。 日本の場合、幕末から明治初期にかけて、洋学︵西洋流の学問一般︶とりわけ物理学︵自然哲学︶が、﹁窮理学﹂と呼称されていた[19]。例えば福沢諭吉の﹃窮理図解﹄は物理学的内容である。一方、中江兆民はフィロソフィアを﹁理学﹂と訳した[19][30]。具体的には、兆民の訳書﹃理学沿革史﹄︵フイエ Histoire de la Philosophie の訳︶や、著書の﹃理学鉤玄﹄︵哲学概論︶をはじめとして、主著の﹃三酔人経綸問答﹄でも﹁理学﹂が用いられている。ただし、いずれも文部省が﹁哲学﹂を採用した後のことだった[19]。なお、兆民は晩年の著書﹃一年有半﹄で﹁わが日本古より今に至るまで哲学なし﹂と述べたことでも知られる[31]。 上記の中国清末民初の知識人の間でも、﹁哲学﹂ではなく﹁理学﹂と訳したほうが適切ではないか、という見解が出されることもあった[32][33]。 ﹁理学﹂が最終的に採用されず、﹁哲学﹂に敗れてしまった理由については諸説ある。上述のように﹁理﹂は既に物理学に使われていたため、あるいは﹁理学﹂という言葉が儒学の一派︵朱子学・宋明理学︶の同義語でもあり混同されるため、あるいはフィロソフィアは儒学のような東洋思想とは別物だとも考えられたため、などとされる[19][33]。上記の西周や桑木厳翼も、本来は﹁理学﹂と訳すべきだが、そのような混同を避けるために﹁哲学﹂を用いる、という立場をとっていた[34][23]。 明治哲学界の中心人物の一人・三宅雪嶺は、晩年に回顧して曰く﹁もしも旧幕時代に明清の学問︵宋明理学と考証学︶がもっと入り込んでいたならば、哲学ではなく理学と訳すことになっていただろう﹂﹁中国哲学・インド哲学という分野を作るくらいなら理学で良かった﹂﹁理学ではなく哲学を採用したのは日本の漢学者の未熟さに由来する︵漢学は盛んだったがそれでもまだ力不足だった︶﹂という旨を述べている[19][22]。哲学の対象・主題 編集
哲学の対象・主題 編集
紀元前の古代ギリシアから現代に至るまでの西洋の哲学を眺めてみるだけでも、そこには一定の対象というものは存在しない[35]︵他の地域・時代の哲学まで眺めるとなおさらである︶。西洋の哲学を眺めるだけでも、それぞれの時代の哲学は、それぞれ異なった対象を選択し、研究していた[35]。 ソクラテス以前の初期ギリシア哲学では、対象は︵現在の意味とは異なっている自然ではあるが︶﹁自然﹂であった。紀元前5世紀頃のソクラテスは < 不知の知 > の自覚を強調した[36]。その弟子のプラトンや孫弟子のアリストテレスになると、人間的な事象と自然を対象とし、壮大な体系を樹立した。ヘレニズム・ローマ時代の哲学では、ストア派やエピクロス学派など、﹁自己の安心立命を求める方法﹂という身近で実践的な問題が中心となった[35](ヘレニズム哲学は哲学の範囲を倫理学に限定しようとしたとしばしば誤解されるが、ストア派やエピクロス派でも自然学や論理学、認識論といった様々な分野が研究された[37]。平俗な言葉で倫理的主題を扱った印象の強い後期ストア派でも、セネカが﹃自然研究﹄を著している)。 ヨーロッパ中世では、哲学の対象は自然でも人間でもなく﹁神﹂であったと謂われることが多い[35]。しかし、カッシオドルスのように専ら医学・自然学を哲学とみなした例もある[38] し、ヒッポのアウグスティヌスからオッカムのウィリアムに至る中世哲学者の多くは言語を対象とした哲学的考察に熱心に取り組んだ[39]。また、中世の中頃以降は大学のカリキュラムとの関係で﹁哲学﹂が自由七科を指す言葉となり、神学はこの意味での﹁哲学﹂を基盤として学ばれるものであった[6]。 さらに時代が下り近代になると、人間が中心的になり、自己に自信を持った時代であったので、﹁人間による認識﹂︵人間は何をどの範囲において認識できるのか︶ということの探求が最重要視された[35]。﹁人間は理性的認識により真理を把握しうる﹂とする合理論者と、﹁人間は経験を超えた事柄については認識できない﹂とする経験論者が対立した[35]。カントはこれら合理論と経験論を総合統一しようとした[35]。 19世紀、20世紀ごろのニーチェ、ベルクソン、ディルタイらは、いわゆる﹁生の哲学﹂を探求し、﹁非合理な生﹂を哲学の対象とした[35]。キルケゴール、ヤスパース、ハイデッガー、サルトルらの実存主義[注12]は、﹁人間がいかに自らの自由により自らの生き方を決断してゆくか﹂ということを中心的課題に据えた[35]。 このように哲学には決して一定の対象というものは存在しなく、対象によって規定できる学問ではなく、冒頭で述べたように、ただ﹁philosophy﹂﹁愛知の学﹂とでも呼ぶしかない[35] とされている。 学問としての哲学で扱われる主題には、真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、行為、経験、世界、空間、時間、歴史、現象、人間一般、理性、存在、自由、因果性、世界の起源のような根源的な原因、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、神、霊魂、色彩などがある。一般に、哲学の主題は抽象度が高い概念であることが多い。 これらの主題について論じられる事柄としては、定義[注13]、性質[注14]、複数の立場・見解の間の整理[注15]などがある。 これをひとくくりに﹁存在論﹂とよぶことがある。地球や人間、物質などが﹁ある﹂ということについて考える分野である。 また、﹁高貴な生き方とは存在するのか、また、あるとしたらそれはどのようなものなのか﹂﹁善とは永遠と関連があるものなのか﹂といった問いの答えを模索する営みとして、旧来の神学や科学的な知識・実験では論理的な解答を得られない問題を扱うものであるとも言える[注16]。またこのようなテーマは法哲学の現場に即しておらず、真偽が検証不可能であり、実証主義の観点からナンセンスな問いであると考える立場もある︵例えば論理実証主義︶。 こちらは、ひとくくりに﹁価値論﹂とよぶことがある。﹁よい﹂ということはどういうことなのか、何がよりよいのかを考える分野である。過去の哲学を扱うものとしての哲学 編集
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哲学の分類 編集
学派や立場 編集
哲学ではしばしば多くの﹁学派﹂が語られる。これは、通常、特定の哲学者の集団︵師弟関係であったり、交流があったりする場合も少なくない︶に特徴的な哲学上の立場である。 古代ギリシア哲学、自然哲学、形而上学、実念論、唯名論、大陸合理主義、イギリス経験論、ドイツ観念論、超越論的哲学、思弁哲学、生の哲学、現象学、実存主義、解釈学、新カント派、論理実証主義、構造主義、プラグマティズム、大陸哲学 特定の学者や学者群に限定されない﹁立場﹂についても、多くの概念が存在している。言及される主要なものに、存在論、実在論、観念論、決定論、宿命論、機械論、相対主義、二元論、一元論、独我論、懐疑主義などがある。地域と分野 編集
哲学は様々な形で細分化される。以下に挙げるのはそのなかでも特に広く用いられている分類、専門分野の名称である。 地域による区分 ●アメリカ哲学、インド哲学、日本哲学など ●西洋哲学と東洋哲学 主題による区分︵分野︶ ●科学哲学 - 科学について検討するもの。 ●物理学の哲学 - 空間、時間、物質など物理学で用いる基本概念など、物理学について検討するもの。 ●数学の哲学 - 数学について検討するもの。 ●論理学の哲学 - 論理学について検討するもの。 ●言語哲学 - 言語とは何か、言語の意味や形式や言語と真理の関係、などを検討するもの。 ●分析哲学 - 論理的言語分析の方法に基づいて、哲学の諸問題を検討するもの 。 ●倫理学 - 倫理・道徳について検討するもの。 ●生命倫理学 - 医療行為、環境破壊、死刑など生命にまつわる物事について、その善悪をめぐる判断やその根拠について検討するもの。 ●美学 - 美、芸術、趣味について検討するもの。 ●心の哲学 - 人間の意識や心と身体の関係、自由意志の有無などについて検討するもの。 ●法哲学 - 法について哲学的に検討するもの。 ●政治哲学 - 政治、様々な統治の様態にはじまり、政治的正義、政治的自由、自然法一般などについて検討するもの。 ●戦争哲学 - 戦争について考察するもの。 ●歴史哲学 - 歴史の定義、客観性についての考察、記述方法などを行う。 ●宗教哲学 - 神の存在等、宗教的概念について検討するもの。 ●教育哲学 - 教育の目的、教育や学習の方法について検討するもの。 ●環境哲学 - ●哲学史 - 哲学の歴史的な変遷を研究するもの。 ●それぞれの哲学をまたいで存立するような分野として、方法論、認識論・知識論、意味論、経験論、行為論などがある。他の分類法 編集
貫成人が次の三つの種類に哲学を分類している。即ち、﹁絶対的存在の想定﹂型、﹁主観と客観の対峙﹂型、﹁全体的なシステムの想定﹂型の三つである[40]。第一のタイプは自然、イデア、神といったすべての存在を説明する絶対的原理の存在を前提するものであり、古代や中世の哲学が含まれる[40]。第二のタイプは認識の主体に焦点を当てて主観と客観の対立図式に関する考察を行うもので、近世や近代の哲学は主にこのタイプとされる[40]。第三のタイプは人間を含む全ての存在を生成するシステムをについて考えるもので、クロード・レヴィ=ストロースの構造やルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言語ゲームがこれに該当する[40]。第一のタイプの絶対的存在が自身は常に同一にとどまりつつ他の物体に影響を与えるのに対し、第三のタイプの全体的なシステムは可変的であるという[40]。歴史 編集
西洋哲学 編集
イスラーム哲学 編集
ヨーロッパ哲学 編集
ヨーロッパ哲学の大きな特徴として、「ロゴス(言葉,理性)の運動を極限まで押し進めるという徹底性」[41] があり、古代、近代、現代といった節目を設けて根底的な相違を見出すようなことが比較的容易であると言える。古代、近代、現代といった枠組みの中でも大きく研究姿勢が異なる学者、学派が存在する場合も珍しくない。
東洋哲学 編集
東洋に哲学は有ったか 編集
インド哲学 編集
哲学の中でもインドを中心に発達した哲学で、特に古代インドを起源にするものをいう。インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある。インドの宗教にも哲学的でない範囲も広くあるので、インドの宗教が全てインド哲学であるわけではない。
中国哲学 編集
日本哲学 編集
特徴 編集
哲学と宗教 編集
哲学と思想 編集
[57]﹁哲学﹂と﹁思想﹂を峻別するという哲学上の立場がある。永井均は、哲学は学問として﹁よい思考﹂をもたらす方法を考えるのに対し、思想はさまざまな物事が﹁かくあれかし﹂とする主張である、とする[58]。ソクラテス以来の西欧哲学の流れによれば、知を愛するという議論は、知を構築する方法を論じるという契機を含んでおり、思考をより望ましいものにするための方法の追及こそが哲学である、という主張である。ところが実際には﹁よい思考の方法﹂を見出したとしても、現実に適用するにあたっては﹁それを用いるべき﹂と主張の形で表出することになるため、哲学は思想としてしか表現されないことになる。このために思想と哲学の混用は避けられない。 哲学と思想を区分することのメリットは具体的な使用事例で発見することができ、たとえば思想史と哲学史は明らかに異なる。通常は思想家とされない人物でも、その行動や事業を通して社会に影響を与えた場合には思想史の対象となる。これに対して哲学史の対象は哲学者の範囲にとどまり、哲学を最大限に解釈したとしても、政治家や経営者が哲学史で論じられることはない。しかし思想史においては、実務を担当し世界の構造を変えようとした人々は思想史の対象として研究対象になる、とする。 一方で小坂修平は別の立場をとり、﹁哲学と思想の間に明確な区別はない。思想は、一般にある程度まとまった世界なり人間の生についての考え方を指すのにたいし、哲学はそのなかでも共通の伝統や術語をもったより厳密な思考といった程度の違い﹂[59] であるとする。小阪はこの区別に基づき、19世紀後半から20世紀前半にかけて生まれてきた思想は分析哲学や現象学を除けば哲学の枠組みには収まらず、現代思想になるとする。人文科学との関係 編集
一部の哲学は、理知的な学問以外の領域とも深く関わっている点に特徴がある。古代ギリシア哲学が詩と分かちがたく結びついていたこと、スコラ哲学や仏教哲学のように、信仰・世界観・生活の具体的な指針と結びついて離れない例があることなどが指摘できる。理性によって物事を問いながらも、言葉を用いつつ、人々の心に響く考えやアイディアを探すという点では文学などの言語芸術や一部の宗教と通じる部分が多い。
哲学者の名言が多いのはそのためでもある。例えば日本では大学の主に文学部の中の「哲学科」で哲学を学ぶが欧米には「哲学部」という学部が存在する。
八木雄二は、前節で述べたように哲学を理性的な吟味を行うことと定義した上で、人文科学は「哲学によってその事実内容が真であるかどうかの批判的吟味を受けることによって学問性を明らかにする[60]」と述べている。自然科学は数学的方法を適用することで、数学的方法を適用できない人文科学は哲学によって、それらが理性的であるかが確認でき、そういった数学的方法や哲学的吟味を受容してこそそれらは学問として認められるのだと彼は主張している(生物学のようにどちらの側面も持っていて、数学的方法に還元できない部分では哲学的吟味を受けるような学問もあるという)。
学問分野としての哲学の特徴 編集
哲学を学ぶということについて、イマヌエル・カントは「人はあらゆる理性学(ア・プリオリな)の内で、ただ数学をのみまなぶことができるが、しかし哲学(Philosophie)をば(それが歴史記述的でない限り)決して学ぶことはできない」「理性に関しては、せいぜいただ哲学すること(Philosophieren)を学ぶことができるだけである」[61] という。その上でカントは「理性の学的な理論的使用は哲学か、もしくは数学のどちらかに属する」と主張している。
三森定史は、科学と哲学は区別されるべきであり、科学が外観学(意識外で観察されるものを収集することで法則を立てる学問)であるのに対して哲学は内観学(意識内での観照から一般法則を導き出す学問)であるとする。また三森は大学でおこなわれているいわゆる「哲学」(哲学・学)への批判を込めて「大学での哲学研究は外観学に含まれる」[62] としている。
論理学と哲学 編集
広義の哲学の特徴 編集
広義の哲学は思索を経て何かの意見や理解に辿り着く営みであり、そのような営みの結果形成されたり選ばれたりした思想、立場、信条を指すこともある。例えば、﹁子育ての哲学﹂﹁会社経営の哲学﹂などと言う場合、このような意味での哲学を指していることが多い。 また、哲学は個々人が意識的な思索の果てに形成、獲得するものに限定されず、生活習慣、伝統、信仰、神話、伝統芸能や慣用表現、その他の文化的諸要素などと結びついて存在している感受性、価値観、世界観などを指す場合もある。つまり、物事の認識・把握の仕方、概念、あるいは発想の仕方のことである︵こうしたものは思想と呼ばれることも多い︶。 このような感受性や世界観は必ずしも理論体系として言語によって表現されているわけではないが、体系性を備え、ひとつの立場になっていると考えられることがしばしばある。 貫成人は﹁モノづくりの哲学﹂や﹁料理の哲学﹂などといった俗な用例に着目し、哲学とはすべての物事を説明する普遍的原理を追求するものであるが、それにもかかわらずそういった哲学に違いが生まれるのは、時代・場所が異なり、哲学する人がどこまでを﹁すべて﹂に含めるかが異なることによるためだとする[63]。哲学への批判 編集
現代理工医学からの批判 編集
脳神経科学・コンピュータ科学・AI研究からの批判 編集
﹁心﹂や﹁意識﹂という問題を解明してきた脳科学・計算機科学︵コンピュータサイエンス︶・人工知能研究開発等に関連して、神経科学者・分子生物学者のフランシス・クリックは 哲学者たちは2000年という長い間、ほとんど何も成果を残してこなかった。 と批判している[64]。こうした観点において、哲学は﹁二流どころか三流﹂の学問・科学に過ぎない、と評価されている[64]。脳科学者の澤口俊之はクリックに賛同し、次のように述べている[64]。 これは私のため息まじりの愚痴になるが、哲学者や思想家というのはつくづく﹁暇﹂だと思う。[64] 実際、哲学は暇︵スコレー︶から始まったとアリストテレスが伝えており、上記のような否定的発言も的外れではないと、科学哲学者の野家啓一は言う[64]。数学・論理学・数理論理学からの批判 編集
数学者・論理学者である田中一之[65]は 一般の哲学者は、論理の専門家ではない。 と述べている[66]。計算機科学者︵コンピュータ科学者︶・論理学者・電子工学者・哲学博士︵Ph.D. in Philosophy︶であるトルケル・フランセーン[65]は、哲学者たちによる数学的な言及の多くが ひどい誤解や自由連想に基づいている と批判している[67][注24]。田中によると、ゲーデルの不完全性定理について哲学者が書いた本が、フランセーンの本と同じ頃に書店販売されていたが、哲学者の本は専門誌によって酷評された[66]。その本は全体として読みやすく一般読者からの評判は高かったが、ゲーデルの証明の核︵不動点定理︶について、根本的な勘違いをしたまま説明していた[66]。同様の間違いは他の入門書などにも見られる[66]。 フランセーンによれば、不完全性定理のインパクトと重要性について、しばしば大げさな主張が繰り返されてきた[69]。たとえば ﹁数学の思考に変革をもたらした﹂﹁数学ばかりでなく、科学全体も一新した﹂ ﹁数学だけではなく、哲学、言語学、計算機科学と宇宙論にまで革命を起こした﹂ という言があるが、これらは乱暴な誇張とされる[69]。不完全性定理が一番大きな衝撃を与えたと思われる数学においてさえ、﹁革命﹂らしきものは何も起きていない[69]。1931年にゲーデルが示した﹁不完全性定理﹂とは、﹁特定の形式体系Pにおいて決定不能な命題の存在﹂であり、一般的な意味での﹁不完全性﹂についての定理ではない[70]。不完全性定理以降の時代にも、数学上の意味で﹁完全﹂な理論は存在し続けているが[70]、“不完全性定理は数学や理論の﹁不完全性﹂を証明した”というような誤解が一般社会・哲学・宗教・神学等によって広まり、誤用されている[71]。量子論・量子力学・理論物理学からの批判 編集
生物学・進化生物学・進化生態学からの批判 編集
﹃利己的な遺伝子﹄の序文で、進化生物学者リチャード・ドーキンスは 多くの批判者、とりわけ哲学を専門とする声高な批判者たちは、タイトルだけで本を読みたがる と述べている[81]。前掲書の第一章ではこう述べる[82]。 生命には意味があるのか? 私たちは何のためにいるのか? 人間とは何か? といった深遠な問題に出くわしても、もう迷信に頼る必要はない。著名な動物学者G・G・シンプソンはこの最後の疑問を提起したあとで、こう述べている。 ﹁私が強調したいのは、一八五九年﹇﹃種の起源﹄﹈以前には、この疑問に答えようとする試みはすべて無価値だったことと、回答せずに黙っているほうがましだったということである﹂。[83] 哲学と、﹁人文学﹂と称する分野では、今なお、ダーウィンなど存在したことがないかのような教育がなされている。こうしたことがいずれ変わるであろうことは疑いない。 … この本の主張するところは、私たち、およびその他のあらゆる動物は、遺伝子によって創り出された機械にほかならないというものだ。 … 私がこれから述べるのは、成功した遺伝子に期待される特質のうちで最も重要なのは非情な利己主義である、ということだ。 … 遺伝子が個体レベルにおけるある限られた形の利他主義を助長することによって、自分自身の利己的な目標を最も達成できるような特別な状況も存在する。この文の﹁限られた︵limited︶﹂と﹁特別な︵special︶﹂という語は重要な言葉だ。 そうでないと信じたいのはやまやまだが、普遍的な愛とか種全体の繁栄などというものは、進化的には意味をなさない概念にすぎない。[84] また進化生物学者・社会生物学者のロバート・L・トリヴァースは、前掲書へ以下の序文を寄稿した[85]。 チンパンジーと人間とはその進化の歴史のほぼ九九・五%を共有している。にもかかわらず、大多数の人間の思想家たちは、チンパンジーをでき損ないで見当違いの化けものと見なし、一方自分たち人間は全能への踏み台だと思っている。 進化論者から見れば、そのようなことはありえない。一つの種を他の種より上に見る客観的根拠などは存在しないのだ。[85] 同時にトリヴァースは﹁定量的データ﹂による実証を強調しており[86]、﹃利己的な遺伝子﹄を邦訳した一員、動物行動学者の日髙敏隆は﹁この本に書かれた内容を完全に理解するためには、数学の言葉が必要である﹂としている[87]。 哲学や人文学からの批判は、生物学へ、そして生物学について解説したドーキンスへ向かった[88]。その批判は例えば、遺伝子の理論を極端に単純化して捉えつつ、遺伝子との関連が薄い事物を同列に置いていた︵﹁遺伝子は利己的でも非利己的でもありえない。原子がやきもち焼きだったり、ゾウが抽象的だったり、ビスケットが目的論的だったりすることがありえない以上に﹂等︶[88]。批判に対しドーキンスは、前掲書の中で﹁利己的﹂等の生物学用語を挙げつつ﹁このような言い回しは、それを理解する十分な資格を備えていない︵あるいはそれを誤解する十分な資格を備えたというべきか?︶人間の手にたまたま落ちるということさえなければ、無害な簡便語法である﹂と反論した[88]。彼は次のようにも記している[89]。 哲学という道具を教育によって過剰に賦与された一部の人々は、それが役に立たない場合にもその学問的装置でつつき回す誘惑に抵抗できないように思われる。 私は、﹁しばしば高度な文学的・学問的趣味を持ち、しかし分析的思考を実行する能力をはるかに超えた教育を受けてきた膨大な数の人々﹂に対する﹁哲学的絵空事︵フィクション︶﹂の魅力についてのP・B・メダワーの意見を思い起こす。(ドーキンス 2018, p. 477) また前掲書中でドーキンスは、文化的自己複製子﹁ミーム﹂の理論に関して 哲学的だろうが、そうでなかろうが、私の主張に欠陥があるとは誰も指摘できていないのが事実である。 と述べている[90]。物理学・宇宙物理学からの批判 編集
﹃科学を語るとはどういうことか﹄の中で宇宙物理学者の須藤靖は、科学についての哲学的考察︵科学哲学︶が、実際には科学と関係が無いことを指摘している[91]。 ﹁科学哲学と科学の断絶﹂ 私は科学哲学が物理学者に対して何らかの助言をしたなどということは聞いたことがないし、おそらく科学哲学と一般の科学者はほとんど没交渉であると言って差し支えない状況なのであろう。 … 科学哲学者と科学者の価値観の溝が深いことは確実だ。 二〇世紀が生んだ最も偉大な物理学者の一人であるリチャード・ファインマンが述べたとされる有名な言葉に﹁科学哲学は鳥類学者が鳥の役に立つ程度にしか科学者の役に立たない﹂がある。 … かつて私がこの言葉を引用した講演をした際に、﹁鳥類学は鳥のためにやっているわけでないし、科学哲学もまた科学のために存在するのではない﹂という反論をもらったことがある。確かに、科学哲学が科学のためのものである必要は無い。[91] 科学哲学が、この方法論が果たして正しいのであろうかと立ち止まって悩んでいる間に、科学は常に前に踏み出しています。それでいいではないですか。 科学哲学者が横からいろいろ言うけれども、科学者からは﹁耳を傾けるべき重要な指摘だろうか﹂と首を傾げることばかり︵たぶん、科学哲学者の皆さんから袋叩きに遭うでしょうが︶というのが、正直な印象です。(﹃科学を語るとはどういうことか﹄, p. 260) 須藤は、哲学的に論じられている﹁原因﹂という言葉を取り上げて、﹁原因という言葉を具体的に定義しない限りそれ以上の議論は不可能です﹂[92]と述べており、﹁哲学者が興味を持っている因果の定義が物理学者とは違うことは確かでしょう﹂としている[93]。科学哲学者・倫理学者の伊勢田哲治は、﹁思った以上に物理学者と哲学者のものの見え方の違いというのは大きいのかもしれません﹂と述べている[94]。 須藤によると、学問の扱う問題が整理され分化したことで、科学と哲学もそれぞれ異なる問題を研究するようになった[95]。これは﹁研究分野の細分化そのもの﹂であり、﹁立派な進歩﹂だと須藤は言う[95]。一方で伊勢田は、様々な要素を含んだ﹁大きな﹂問題を哲学的・統一的に扱う、かつての天文学について言及した[95]。﹁その後の天文学ではその︹哲学的︺問題を扱わなくなりましたし、今の物理学でもそういう問題を扱わない﹂と述べた伊勢田に対し、須藤は﹁その通りですが、それ自体に何か問題があるのでしょうか﹂と返した[95]。 対談で須藤は﹁これまでけっこう長時間議論を行ってきました。おかげで、意見の違いは明らかになったとは思いますが、果たして何か決着がつくのでしょうか?﹂と発言し、伊勢田は﹁決着はつかないでしょうね﹂と答えている[96]。ソーカル事件 編集
現代哲学からの批判 編集
権威性への批判 編集
哲学的暴力・哲人総統への批判 編集
社会哲学者イヴォンヌ・シェラットの学術書『ヒトラーの哲学者たち Hitler's Philosophers』によると[注 26]、第三帝国ナチス・ドイツは様々な形で哲学者たちと相互協力しており[98]、アドルフ・ヒトラー自身も「哲人総統」[99]、「哲人指導者」を自認して活動していた[100]。
哲学上では、物質的な世界を第一帝国、精神的な世界を第二帝国、両者を統合した理想の世界を第三帝国と称するが、﹁第三帝国﹂とは要するに理想的な人間社会をさすことばである。このためドイツ保守派の政治家や学者はナチス国家をドイツ民族の優れた性格が十分に発揮され、その世界的使命が達成される帝国と考えた。[102] シェラットによれば、﹁ナチ哲学者﹂の多くは刑罰から逃れて学界に残った[103]。例えばマルティン・ハイデガーは21世紀でも、哲学における﹁スター﹂のような学者として見なされ続けている[104][注27]。かつて1933年にナチ党員となったハイデガーは、学術機関の﹁新総統﹂と公称し[105]、また他者から﹁大学総統﹂とも呼称されるようになった[106]。ハイデガーが﹁新総統﹂を宣言したのはナチ党員になって三週間後の1933年5月27日、彼がフライブルク大学新総長としてハーケンクロイツを掲げる就任演説を行った時だった[105]。ハイデガーは聴衆のナチ党員たちと同種の隊服を着ており、ナチ式敬礼をして壇上に登ると、ナチズムを﹁精神的指導﹂[105]、﹁ドイツ民族の運命に特色ある歴史を刻み込んだあの厳粛な精神的負託﹂と呼び、ナチズムによって﹁初めて、ドイツの大学の本質は明晰さと偉大さと力をもつに至るのである﹂と述べた[106]。 ハイデガーはナチス内での出世を目指したが、彼は当世風な社会進化論者というよりロマンチックで文化的なナショナリストであると見なされ、出世は頭打ちになった[107]。それでもハイデガーは哲学者かつ﹁大学総統﹂として、人種的排外主義においても行動していた[107]。彼は 国民社会主義︹ナチズム︺の内的真理と偉大さ を論じたり、地方の文部大臣に﹁人種学および遺伝学﹂のポスト新設を要請して 国家の健康を保全するために … 安楽死問題が真剣に熟慮されるべきである と主張したりした[108]。 1935年にはハイデガーが﹁形而上学入門﹂という題の講義を始めており、再び この運動︹ナチズム︺の内的真理と偉大さ を論じた[109]。かつての同僚かつ友人だった哲学者カール・レーヴィットと対面した時も、ハイデガーはヒトラー賛美を変えなかった[110]。レーヴィットの論考によれば、ハイデガーのナチズムは︽ハイデガーの哲学の本質に基づくもの︾であり、深い忠誠から由来している[110]。そしてハイデガーの﹁存在﹂や﹁在る﹂という概念は、︽形而上学的なナチズム︾であるとレーヴィットは述べた[110]。またハイデガーは自著﹃存在と時間﹄で、かつての恩師かつ友人だったユダヤ人フッサールへの献辞を載せていたが、その献辞を削除することを出版社に快諾した[110]。 ハイデガーは﹁国民社会主義大学教官同盟フライブルク科学協会﹂から、 国民社会主義︹ナチズム︺の先駆者たる党同志 とも呼ばれるようになった[111]。彼は﹁ナチ哲学者﹂たち──アルフレート・ローゼンベルク、カール・シュミット、エーリヒ・ロータッカー、ハンス・ハイゼ、アルフレート・ボイムラー、エルンスト・クリークなど──とおおよそ友好的付き合いを続けると同時に、ナチズム教育を学生全般へ実行していった[111]。そこでハイデガーは︽人権・道徳・憐憫は時代遅れの概念であり、ドイツの弱体化を防ぐため哲学から追放されるべきだ︾などと論じていた[111]。1942年の講義︵ヘルダーリンの詩歌﹃イースター﹄についての講義︶でも彼は、ナチズムと﹁その歴史的独自性﹂を一貫して高評価していた[111]。 かつてハイデガーの親友だった哲学者カール・ヤスパースは、ハイデガー、シュミット、ボイムラーという三人の哲学者は 精神面でナチ的な運動の頂点に立とうと試みた と結論している[112]。 ハイデガーの愛人だったユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントは、﹁ハイデガーを潜在的な殺人者だとみなさざるをえないのです﹂と公刊著作で批判した頃もあった[113]。しかしハイデガーと再会後のアーレントは、彼の本を世界中で出版させるためにユダヤ系出版の人脈を使って努力した[114]。シェラットいわく﹁ハンナは、現代哲学の様相を一変させる計画に手をつける﹂ことになった[114]。ナチスの戦争捕虜だった著名なフランス人哲学者ジャン=ポール・サルトルさえも、ハイデガー哲学を自分の思想に取り入れて彼を支援した[115]。 アーレントは、ナチズムと哲学との繋がりを切り離そうとするようになった[116]。例えば彼女は、アドルフ・アイヒマンを中心に﹁悪の陳腐さ﹂やナチスの﹁凡庸さ﹂、知性の無さを論じる政治哲学書を複数執筆していった[117]。しかし、これはホロコースト生存者からの反発をも生むことになった[118]。その原因は例えば、 ●アイヒマンが裁判を受けている最中に︽自分はカントの道徳哲学と定言命法に従っただけだ︾などと、ヒトラー同様に哲学を引用して自分の知的根拠としていたこと ●アーレントはこの裁判を傍聴していたにも関わらず、ナチスの哲学性を軽視・無視して論じたこと などだった[119]。 ﹃ヒトラーの哲学者たち﹄を2014年に翻訳した、三ツ木道夫︵比較社会文化学博士︶と大久保友博︵人間環境学博士︶は ヒトラーをして<哲人総統>と自称せしめた一九三〇年代ドイツの精神的雰囲気は、まさしくドイツ哲学の淵源から来るものである。 と述べている[120]。訳者らによると、人文学者がナチスという暴力を擁護したことは、ある種の﹁人文学の敗北﹂、﹁教養主義の挫折﹂である[121]。何故なら、人間は教養を身に付けたり本や音楽に感動したりすることで素晴らしい存在になるはずだったにも関わらず、そのような人文学的人間が不条理な暴力を認め加担しているからだという[122]。批評家ジョージ・スタイナーも次のように批判している[121]。 人間というものは、夕べにゲーテやリルケを読み、バッハやシューベルトを演奏しながら、朝︵あした︶にはアウシュヴィッツで一日の業務につくことができるものであることを、<あとに>きたわれわれは知ってしまった。
そんなことができる人間は、ゲーテ読みのゲーテ知らずだとか、そんな人間の耳は節穴も同然だとか、逃げ口上をいうのは偽善である。こういう事実を知ってしまったということ──このことは、いったい文学や社会とどういうかかわりをもつのか。
プラトンの時代、マシュー・アーノルドの時代このかた、ほとんど公理になっているあの希望──︽教養は人間を人間らしくする力である︾、︽精神のエネルギーは高位のエネルギーに転ずることができる︾という希望は、<あとに>きたために知ってしまったこの事実と、いったいどういうかかわりをもつのか。[121] 三ツ木と大久保は﹁訳者あとがき﹂で 日本でもここ数年、科学者のあり方がさまざまに問題となっているが、本訳書が人文学をめぐる社会的倫理の議論の一助になれば幸いである。 と締めくくっている[123]。 社会看護学者ダンカン・C・ランドールと健康科学者アンドリュー・リチャードソンの論文によれば、ハイデガー思想などのナチ哲学へ向けられる擁護には、︽哲学とは文化的に中立で政治から切り離されているもの︾だという考え方が含まれている[124]。しかしそもそもこの考え方自体が、哲学における特定の政治的・文化的な立場を有利にしようとしている[124]。ここでは、哲学は政治的であり文化的に非中立なものだとする考え方が拒絶されている、と同論文は述べる[124]。 同論文によれば、哲学的テクストの文化的中立性や非政治性をいくら主張したところで、哲学的テクストが文化や政治に巻き起こした﹁行動﹂︵action︶も﹁行動しないこと﹂︵inaction︶も、消え失せるわけではない[124]。何故なら、いかなる哲学も行動も﹁文化的かつ政治的﹂︵cultural and political︶であり、また、何らかの哲学や行動を選ばないこと自体も一種の文化的・政治的行動であるからだと言う[124]。 必要とされているのは﹁政治的・文化的な側面を我々に見えなくさせるハイデガーの解釈主義を拒絶すること﹂である[125][注28]。︽哲学者︵ハイデガー︶たち自身についてはともかく、哲学的著作物については批判すべきでない︾というような考え方は、︵政治的・文化的な文脈からの︶批判的研究を無視している[125]。それは検証を無視したり、過ちを繰り返したりすることに繋がると同論文は結論している[125]。
その他 編集
近代理性主義への批判 編集
過去︵古代・宗教︶からの批判 編集
古代ギリシア 編集
古代ギリシャの時代の時代から、フィロソフィアが役に立たないと思う人がいた。アリストテレスはその著﹃政治学﹄において[127] 次のような逸話を提示することで、そうではないと示した。[128] 彼︵タレス︶は貧乏であった。貧乏であることは哲学が役に立たないことを示すと考えられたので、彼はそのことで非難を受けた。話によれば、彼は星に関する自分の巧妙な知識によって、次にくる年にオリーヴの豊作がある、ということを冬の間に知ることができた。そこで彼は、少しは金をもっていたので、キオスとミレトスにあるすべてのオリーヴ圧搾機を使用するための、保証金を支払っておいた。競りあう人が全然いなかったために、彼はわずかの金でそれらの器械を借りたわけだ。収穫時が来て急に多くの圧搾器がそろって必要となると、彼は思いのままの高値でそれを貸し出し、多額の金をつくった。このようにして彼は、哲学者は望みとあらば容易に金持ちとなることができるが、哲学者の野心はそれ以外にある、ということを世間に示した[注29]聖書中 編集
コロサイの信徒への手紙の中でパウロは以下のように哲学を﹁むなしいだましごと﹂と称している箇所がある。 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。 — コロサイ人への手紙2章8節︵口語訳︶脚注 編集
注釈 編集
- ^ 希: Φιλοσοφία(フィロソフィア)、羅: philosophia、仏: philosophie、独: Philosophie
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哲学は形而上学のほかに自然学 (→自然哲学 ) を含んでいたが,19世紀からの自然科学の急速な発展によって後者は哲学から独立し,哲学をおもに認識論,倫理学,美学の三者で構成する立場が生れた。現代では厳密さを求めて哲学自体を科学化しようとする傾向さえ一部にある。かつて非神学的を意味した哲学的という形容詞は現代ではしばしば非自然科学的,思弁的の意味で用いられている。
― 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』[4]・^ 希: φιλόσοφος︵フィロソフォス︶ ・^ 紀元前の古代ギリシア哲学から19世紀前半頃にかけて[要出典] ・^ アイザック・ニュートンのようにかつて哲学者と呼ばれていたが、現代では哲学者とは看做されない人物がいる一方で、ゴットフリート・ライプニッツのように依然として哲学者と看做される人物もいる[要出典]。 ・^ 19世紀以降、特に19世紀後半あたりから大学制度内で知識の位置づけの再編が行われるようになり、ドイツなどでは文化科学・自然科学などの分類が採用され、それまで学問の総称であった哲学は文化科学のひとつと、かなり限定的であると同時に具体的な位置づけになった[要出典]。 ・^ 哲学に関する学問は人文科学に含まれる。出典は広辞苑。 ・^ 哲学は﹁自然および社会,人間の思考,その知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学﹂である。出典は、青木書店﹃哲学事典﹄。 ・^ ﹃百一新論﹄ - 国立国会図書館 ・^ 西周による津田真道﹃性理論﹄跋文︵1861年︶では﹁希哲学﹂を用いている[23]。 ・^ 西周は主觀・客觀・概念・觀念・歸納・演繹・命題・肯定・否定・理性・悟性・現象・藝術︵リベラルアーツの訳語︶・技術など、西欧語のそれぞれの単語に対応する日本語を創生した。 ・^ 実存哲学とも呼ばれる。 ・^ 例えば、﹁神とは何か﹂ ・^ 例えば、﹁理性は人間にとって生与のものか﹂ ・^ 例えば、﹁諸存在の本質はひとつであるとする立場と、諸存在の本質は多様であるとする立場の主な争点は何か﹂ ・^ 主題の追求の方法として、﹁頭の中で、言葉なくして思考し、言葉を表出させる﹂、つまり現代で言えば言葉による象徴化の作用を伴う明晰化や、ソクラテス的な問答法、対話、弁証法、観想等がある。 ・^ 今日では神の存在の合理的な説明の試みも迷信的に映るのが大部分であるが、数学理論や観測技術の発展など時代の制約を考慮する必要がある。また、根源的・本質的な部分においてこの問いは解明されたとすることはできないだろう。 ・^ そもそも教義を持たない宗教[要出典]もあるので、全ての宗教がドグマを絶対視するわけではない。 ・^ 仏教ではその成立期においては︵原始仏教︶、外の超越者を持たなかったため﹁神﹂へのタブーそのものが無く、内観など別の形で哲学的思考が発達したとされる。一方、仏陀は神々なる存在を徐々に観念に置き換えようとする試みをしていた、という心理学者の意見[要出典]もある。また日本の仏教では、例えば親鸞が、理屈抜きに阿弥陀如来の救いを信じるよう説いていた。 ・^ もっとも、哲学にも師の考え・言葉をそのまま数百年間継承した歴史もあることや、神学の中で様々な論争があったり、新たな宗派・教派が生まれ続けていたりすることもあり、単純化して比較することは困難である。 ・^ 不思議なことに、脳の特定の箇所を刺激すると、﹁白い光に包まれたような感じがした﹂、﹁キリストの姿を見た﹂等と被験者が告げる現象が、脳科学者[誰?]から多数報告されている。たいていそれらは、いわゆる宗教的な高揚感を伴っていた。脳科学者の中には必ずしも﹁神﹂を否定しない人、肯定する人もおり、彼らは宗教者むけに﹁神が己の恩寵を感知する器官を人に授けた﹂のかもしれない、といった解釈を伝える。 ・^ ただし近年では数学基礎論やコンピュータサイエンスとの学際化が進展しており、哲学の一分野とは言いにくい状態になりつつある。 ・^ アリストテレスは論理学において長い間至高の地位を占め続けた。彼のもっとも重要な業績は三段論法の説である。古代ギリシャ人は演繹を重要視する半面、帰納を軽視した。帰納法の発展は近代においても真に遅々たるものであった。 ・^ フランセーンはストックホルム大学で哲学を専攻し、1987年に﹁Ph.D.︵哲学︶﹂を取得(フランセーン 2011, p. 奥付け)。ルレオ工科大学でのフランセーンのページによると、﹁︵哲学における︶自分の博士論文 “my PhD thesis (in philosophy)”﹂は世界各国の大学図書館で閲覧できる[68]。 ・^ 原文は"Es gibt allerdings Unaussprechliches. Dies zeigt sich, es ist das Mystische"[79]. ・^ 邦訳題は﹃ヒトラーと哲学者‥哲学はナチズムとどう関わったか﹄。 ・^ ﹁ハイデッガー﹂とも。 ・^ "rejecting Heidegger's interpretivism which blinds us to the political and cultural aspects"[125]. ・^ 哲学者タレスが貧乏であったために、フィロソフィアと貧困を勝手に結び付け、哲学は役に立たないとの印象を誤って持つ者が現れた。だからタレスは自分の知識を応用してたくさんお金を儲けて見せることで、フィロソフィアは全てに関するものを︵実用的な知識まで含めて︶含んでいて、哲学者はそれを活かすことができるのであって、自分の利便や金儲けなどが一番重要だと感じている、その感情、考え方が実はおかしいことを哲学者は知っており、その重要なこと、別の意味で本当に役に立つこと、を探求しなければならないから探求しているのだ、ということを示したのである。それは、例えば、古代ギリシャにおいては倫理的な探求だったのだ。
出典 編集
参考文献 編集
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