- 校風
カクト︵各自図書館自習の略と言われている︶と称する、担当教員の出張などにより授業が休講となる場合に出される自習時間が設けられ、その利用方法は生徒各々の自主性に任されたり(現在では廃止)[1]、服装検査や頭髪検査、持ち物検査などの校規検査は一切行われない。また、愛校心が強く、生徒が自ら好んで肩を組み校歌を斉唱する習慣がみられる[2]。
通称
近年では一般に﹁くまたか﹂とされていることが多い。古くは﹁くまこう﹂と呼ばれていたが、熊谷工業高校に﹁熊工﹂︵くまこう︶の通称が用いられるようになったため、両校を明確に区別するために次第に変化していったものである。校歌の歌詞にある﹁熊高﹂はくまこうと読むとされるが、これは伝統的にそう読まれると言われているにすぎず、正式に校歌中の﹁熊高﹂の読み方を明記する根拠文献は存在しない。応援歌では﹁熊高﹂をくまこうと読み、在校生・卒業生はくまこうと呼んでいる。
部活動
硬式野球部は、1949年・1951年・1982年に夏の甲子園に出場しており、1951年の大会においては準優勝した[3]。このほか、剣道部、陸上部、軟式野球部、ラグビー部、水泳部、弓道部、ソフトテニス部、バレーボール部、山岳部、音楽部、サッカー部、将棋部などもインターハイや県大会に出場するなどの実績を残している。上級の大会に出場すると応援団による壮行会が開かれ、各クラスに手作りのビラが配られる。生徒は肩を組み、第二応援歌を歌って激励する。
授業
通常の文系・理系に加え、教科により少人数授業を実施している。また、土曜日の授業が隔週で行われており、夏季休業中には全50講座程度の補講があり生徒は自由に選択することができる。数学において大学の授業を先取り学習することが可能(但し、審査がある)。
設備
校舎は、各教室が集まるホームルーム棟︵4階建て︶、職員会議室などがある本館︵3階建て︶、そして各種理科室などがある理科棟︵3階建て︶の3つがある。このうち本館は1980年に竣工したものであるが、かつての本館︵木造2階建て︶は1978年3月18日に西半分を焼失した。なお、校歌に歌われている﹁赤甍﹂とは旧本館のそれを指し、現在の本館の赤甍風の屋根はそれの模倣であるが、部分的に旧本館の赤甍が使用されている。全館冷暖房完備。このほか、屋内型温水プール、記念館︵図書館︶、学生食堂、合宿棟などの設備があり。2009年8月には理科棟の床の張替が行われた。2016年からは埼玉県の新聞協会により無料で全国紙五紙が平日毎朝各クラスに配布されている[4]。
校歌
作詞‥石坂養平、作曲‥山田耕筰。当時音楽教員であった荒井敬正が山田耕筰との間に交流があったことから作曲されたという経緯がある[5]。
応援歌
六校応援団連盟による演技発表会﹁日輪の下に﹂や埼玉県立熊谷高等学校應援團演技発表会﹁勝利の伝統﹂があり、部活動応援で生かされる。一般の生徒がよく触れ、歌うのは応援歌は﹁第二﹂[6]一番である。
校外交流
埼玉県立浦和高校、川越高校、春日部高校との交流がある。音楽部は熊谷女子高校と毎年、合同定期演奏会を行っている。近年では熊谷市の姉妹都市として締結されたニュージーランド・インバーカーギル市に所在する Southland Boys' Highschool, 通称SBHS との交流がある[7]。埼玉医科大学と共同研究を行っている[8]。日本薬科大学と科学分野における連携協定を結んでいる[9]。
- その他
本校には夏目漱石の『坊つちやん』のモデルとなった教育者の弘中又一や作家の杉森久英が教員として在籍していた。また、田山花袋の『田舎教師』のモデルとなった郷土作家の小林秀三が生徒として在籍していた。[10][11]。漫画『くまがヤン』(ヤングキングコミックス)において本校が描かれている。LunakateのMVが本校で撮影される。このMVには女優・モデルの白本彩奈も出演している。
- アメリカ
- カナダ
- ブラジル
- イギリス
- オーストリア
- ドイツ
- ハンガリー
- 中国
- 韓国
- 旧外地
- 運動部
- 硬式野球
- 陸上競技
- ソフトテニス
- ラグビー
- サッカー
- 剣道
- 軟式野球
- 弓道
- 卓球
- 山岳
- バスケットボール
- バレーボール
- 柔道
- 水泳
- スキー
- 硬式テニス
- バドミントン
- ハンドボール
- 應援團
- 文化部
- 物理
- 化学
- 生物
- 地学
- 音楽
- 将棋
- 書道
- 吹奏楽
- 美術
- 文芸
- 新聞
- 社会科研究
- 愛好会
- フットサル
- ダンス
- 軽音楽
- 映画
- クイズ研究
- ファンタジー
- 鉄道
- 秩父支部劇
- 囲碁
- 茶道
- パソコン
- 未来創造
- 英語
- 特殊撮影
- 現代文化研究会
『最高戦歴』(判明分のみ)
- 世界大会出場
- 全国大会出場
- 囲碁(2014年)
- 硬式野球(全国2位、1951年)
- 将棋(団体全国ベスト8、全国新人大会3位)
- スキー(2019年)
- ソフトテニス(2023年)
- バレーボール(1973年)
- 陸上競技【ハンマー投げ】(全国11位、2022年)
- 陸上競技【110MH】(2017年)
- 関東大会出場
- 音楽(2015年)
- 弓道
- 剣道(2021年)
- サッカー
- 山岳(2020年)
- 柔道(2005年)
- 軟式野球(2020年)
- ラグビー
- 陸上競技【やり投げ】(2018年)
- 陸上競技【8種競技】(2017年)
- 陸上競技【4×400m】(2014年)
- 県大会出場
- 硬式テニス(2019年)
- 卓球(2021年)
- バドミントン【個人】(2019年)
- バドミントン【団体】(2019年)
- バスケットボール(2017年)
- ハンドボール
- 應援團について
2008年公開の映画『フレフレ少女』や2012年放送のドラマ『放課後はミステリーとともに』の応援指導を本校の應援團や應援團OBが行った。
定時制について
以前は熊谷中心校、寄居分校、妻沼分校、深谷分校、吉岡分校と5ヶ所に定時制は設置されていた。現在は熊谷中心校(定員40名)のみである。
定時制の教育
県立熊谷高校の定時制は、社会で「はたらく」生徒を育てる学校を目指している。
以下の4項目を重点目標に定めた。
・社会で生きる力を身に付ける指導の実践
・熊定愛を高める指導の実践
・保護者や関係機関と連携した教育活動の実践
・安心・安全な学校づくりの推進
定時制の日課表
熊谷高校定時制では、1時限は「17:25~18:10」、給食は「18:10~18:35」、2時限は「18:35~19:20」、3時限は「19:25~20:10」、4時限は「20:15~21:00」となっている。
40キロハイク
5月中・下旬ごろに行われる行事。戦前に熊谷から秩父の間で行われていた﹁剛健行軍﹂を再現したもので、1975年から実施されている[54]。熊谷の荒川河川敷から秩父線上長瀞駅までのおよそ40キロを完歩する[55]。
臨海学校
1年次の7月中旬に行われる行事。新潟県柏崎市の鯨波海岸で、主に遠泳が行われる。2007年度は臨海学校の前日に起こった新潟県中越沖地震の影響で、長い歴史において初めて中止となった[要出典]。2020年度も新型コロナウイルスパンデミックにより同じく中止となった。
熊高祭
毎年9月に行われる、文化祭と体育祭の総称。前者に関しては、仲の良い者同士や部活動単位で﹁サークル﹂を形成し、そのサークル単位で出し物を行う。また、應援團による﹁勝利の伝統﹂や、﹁秩父支部劇﹂、女装してパフォーマンスなどを行う﹁ミス熊高﹂などが行われる。体育祭に関しては、珍棒︵ちんぼう︶を用いる﹁珍百足﹂︵ちんむかで︶や、水泳やタイヤ引きなどを連続して行い体力と気力を試す個人競技﹁鉄の男﹂といった種目がみられる。
クロスカントリー大会
毎年11月頃に熊谷スポーツ文化公園で行われ、公園内10キロメートル走るという行事。体育の成績に算定される。通称﹁クロカン﹂。完走後に参加賞としてりんごが配られることが通例となっている。かつては荒川の堤防で行われていたが変更となった。体育の授業がクロカン前後に校内の特定のルート︵通称湯川ルート︶での数十分間走になり、基礎体力作りが行われる。
修学旅行
2年次の11月頃に行われる。大まかな行き先を学年で関西地方や九州地方、北海道などから選択する。また宿泊地をグループ毎に各自選択することができる。
例えば、行き先が関西地方の場合は、初日の広島が宿泊地として指定されているのみで、それ以降の宿泊地は岡山、神戸、高松、大阪などからグループごとに選択することができる。初日が広島、2日目が岡山、3日目が大阪、4日目が京都というグループがある一方、初日が広島、2日目が神戸、3日目が高松、4日目が京都、というグループがあるなど、自由に選択できる幅が広い。
このほかにも各種スポーツ大会︵1年次:バレーボール・ラグビー、2年次:柔道・バスケットボール、3年次:テニス卓球・サッカー︶や、百人一首大会︵1年次︶、水泳大会︵各学年別︶などがある。
生き生き仕事人
医師、弁護士、官僚、社長、研究者等社会で活躍されている本校の先輩方による講演会。
他にも東京大学、京都大学、東北大学、早稲田大学、慶應義塾大学、防衛大学校、医学部医学科等の教授や在校生による講演会も例年行われている。
●企業の社長等との面談も可能。
●令和3年、埼玉医科大学や京都大学の教授に指導いただいた在校生のプロジェクトの成果として作成した論文が﹃Current Psychology﹄誌に掲載された。
●1895年︵明治28年︶ - 埼玉縣第二尋常中學校︵旧制︶が設立される。
●1898年 (明治31年) - 雨天体操場新築落成する。
●1899年︵明治32年︶ - 埼玉県第二中学校と改称する。第一特別教室新築落成する。
●1901年︵明治34年︶ - 埼玉県立熊谷中学校と改称する。
●1907年 (明治40年) - 第二特別教室新築竣工する。
●1910年 (明治43年) - 渋沢栄一が講演会のため本校に訪れる。
●1911年 (明治44年) - 記念館竣工する。
●1918年 (大正7年) - 制服が変わる(国防色の上下となる)。物理化学実験室竣工。
●1937年 (昭和12年) - 本校舎及び付属小使室宿直室新築落成。
●1941年 (昭和16年) - 新教室新築竣工。
●1944年 (昭和19年) - 群馬県小泉町にある中島飛行機小泉製作所などで人材が必要になり勤労動員体制が強化されたことにより、熊谷中学校の生徒も動員された。
●1946年︵昭和21年︶ - 昭和天皇巡幸の途次に行幸︵昭和天皇の戦後巡幸の一環︶[56]。
●1948年︵昭和23年︶ - 埼玉県立熊谷高等学校︵新制︶と改称。通信教育部設置。定時制設置(熊谷中心校、寄居分校、妻沼分校、深谷分校)
●1949年︵昭和24年︶ - 第31回全国高等学校野球選手権大会に出場。定時制(吉岡分校)開校。
●1950年 (昭和25年) - プール竣工。定時制寄居分校に家庭科開設される。
●1951年︵昭和26年︶ - 第33回全国高等学校野球選手権大会に出場。準優勝する。
●1954年 (昭和29年) - 定時制寄居分校を別科と改称する。
●1955年 (昭和30年) - 体育館兼講堂竣工。
●1957年 (昭和32年) - 通信教育部、浦高に統合される。(現・大宮中央高等学校)定時制妻沼分校に別科を開設する。
●1958年 (昭和33年) - 元講堂を学校図書館に改造する。
●1959年 (昭和34年) - 寄居分校独立する。(現・寄居城北高等学校)
●1961年 (昭和36年) - 深谷分校廃校となる。
●1962年 (昭和37年) - 理科棟、音楽室竣工。
●1969年︵昭和44年︶ - 制服、制帽の規制を廃し、服装自由となる。
●1976年 (昭和51年) - 記念館竣工。
●1978年︵昭和53年︶ - 赤甍校舎が火災により焼失する。
●1981年 (昭和56年) - 妻沼分校廃校となる。体育館竣工。
●1982年︵昭和57年︶ - 第64回全国高等学校野球選手権大会に出場。吉岡分校廃校となる。
●1985年 (昭和60年) - 熊谷中学校校歌碑が建立。
●1994年 (平成6年) - SBHS(ニュージーランド)との交流開始。
●1995年︵平成7年︶ - 創立100周年記念式典挙行される。県下公立高校初の開閉式屋根をもつ屋内温水プール竣工。くぬぎ会館建設、熊谷高校校歌碑建立。
●1996年 (平成8年) - 埼玉県立浦和高校との百年対決を決行。
●2006年 (平成18年) - 医歯薬クラス設置
●2008年 (平成20年) - 紫雲塾講座実施。
●2010年 (平成22年) - 埼玉県より進学指導重点推進校に指定される。
●2011年 (平成23年) - 文部科学省より第1期スーパーサイエンスハイスクールに認定される。熊高の森に(関口照生・竹下景子)夫妻のメッセージ碑が設置される。
●2012年 (平成24年) - 紫雲塾講座終了。
●2014年 (平成26年) -﹃名門高校の校風と人脈﹄(週刊エコノミスト)において本校が紹介される。
●2015年 (平成27年) - 熊高森づくりの会による記念植樹。金子兜太氏句碑建立。
●2016年 (平成28年) - 第1年次生より単位制教育課程を導入。単位制の導入に伴い医歯薬クラス廃止
●2017年 (平成29年) - 文部科学省より第2期スーパーサイエンスハイスクールに認定される。
●2018年 (平成30年) -﹁坊ちゃん﹂、﹁田舎教師﹂記念碑建立。﹃母校をたずねる﹄(毎日新聞)において本校が紹介される。
●2019年 (令和元年) - 川端康成の書簡が寄贈される。
●2022年 (令和4年) - ペリー高校(アメリカ)との交流を開始。
●2023年 (令和5年) -﹃日本を動かす名門高校人脈﹄(ダイヤモンド・オンライン)において本校が紹介される。