富山城

富山県富山市にあった城

100No.16[1][2]
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富山城
富山県
富山市郷土博物館(模擬天守)
富山市郷土博物館(模擬天守)
別名 安住城、浮城
城郭構造 梯郭式平城
天守構造 不明
模擬天守/複合連結式望楼型3重4階(天守)2重2階(小天守)
(1954年 RC造
築城主 神保長職水越勝重?
築城年 1543年天文12年)
主な改修者 佐々成政前田利長前田利次
主な城主 神保氏、飯田氏・小島氏など(上杉氏)、佐々氏、津田氏、前田氏
廃城年 1871年明治4年)
遺構 石垣、堀
指定文化財 未指定
登録文化財 国の登録有形文化財
富山市郷土博物館
再建造物 模擬天守
位置 北緯36度41分35.83秒 東経137度12分39.18秒 / 北緯36.6932861度 東経137.2108833度 / 36.6932861; 137.2108833座標: 北緯36度41分35.83秒 東経137度12分39.18秒 / 北緯36.6932861度 東経137.2108833度 / 36.6932861; 137.2108833
地図
富山城の位置(富山県内)
富山城

富山城

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地図
赤.富山城、青.富山駅、黒線.富山軌道線
桜と富山市郷土博物館
千歳御門
櫓を模した建物の富山市佐藤記念美術館
富山城址公園と富山市郷土博物館
富山城の夜景
古絵図

概要

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西

歴史・沿革

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中世

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室町時代越中守護三管領畠山氏であったが越中には来任せず、東部を椎名氏、西部を神保氏守護代として治めさせていた。

戦国時代

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154312 [3]

調1[4]16[5][6]


永禄3年の上杉謙信の越中出兵

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神保長職永禄3年(1560年)、椎名氏を支援する上杉謙信の攻撃により富山城に火をかけ逃亡[7]。長職は増山城に逃れて抵抗したものの、1562年(永禄5年)上杉氏に降伏し、射水・婦負二郡の支配権は認められる(砺波郡は長職の増山城での在城が認められたが、城将として吉江宗信などが入る)。

永禄11年の上杉謙信の越中介入

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永禄11年(1568年)、神保長職の子の神保長住は親上杉氏の父から離反し、越中を追われる[8]

永禄12年の上杉謙信の越中出兵

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永禄12年(1569年)、椎名康胤越中一向一揆連合軍が上杉氏主力が撤退した後に富山城を奪う。

上杉謙信の死去と織田家の侵攻

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61578

佐々成政が越中を統一

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1582103[9] 

29[10][11][6]

桃山時代~富山城の破却と再建

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15851387815[12]

41595[13]

10[14]160914318[15]

江戸時代~富山藩の成立

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16391662010[15]164017

16592

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明治時代

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[22]

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大正時代

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1924年(大正13年)、富山市の都市計画施行都市への指定に伴い、大手通から城址を横断し富山駅まで直線で結ぶ道路を建設する計画が発表されたが、この案に対して、1926年(大正15年)に富山県史蹟名勝天然記念物調査会から「富山城址保存ニ関スル建議書」が提出されたことに伴い、中止となった[31]

昭和時代

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1954年(昭和29年)の『富山博記念写真帳』に収められている写真。原題は「富山城と観光バス」

193384[19]1939141127[32]19401019[19][33]

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平成時代

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令和時代

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2024年令和6年)1月1日に発生した能登半島地震の影響により、城址公園内の西堀に面する石垣の一部がずれたほか、西堀の護岸が崩れて近くのトイレが傾き、公園南側の堀に架かる土橋は舗装にずれが発生し通行止めとなった。また、園内各所で地割れや段差が多く発生し、石碑の倒壊も多数確認された。細かな被害は同年の夏前、護岸や園路などの被害は翌2025年(令和7年)3月までに復旧させる方針である一方、石垣については観察を続けるという[54]

構造

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210[55]

西3沿殿

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千歳御殿と千歳の庭園

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御涼所

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千歳御殿の中で最も特徴のある建物の1つで、北側の堀北側と神通川(現 松川)の間の小高い場所にあり、1階と2階を45度ずらして建てられていた。もともと平屋の神通川を眼下に臨む建物で、のちに縁側のある2階を増築したものと考えられており、縁側を立山連峰に正対し眺望できるように東南東側に向け増築されたといわれる、遊び心溢れる建物である[63]

富山城と「荒城の月」

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[64]



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富山城址公園の施設

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佐藤記念美術館の北側。外壁は北陸の城郭の特徴である海鼠壁風に仕上げてある。
 
静態保存されていた国鉄9600形蒸気機関車

遺構・復元建造物

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  • 千歳御門
    • 総欅造り。1849年(嘉永2年)、千歳御殿の正門として建てられた富山城唯一の現存建築遺構。創建当初のものではなく、1855年安政2年)の大火で焼失後の再築との説もある。門形式は三間薬医門(さんげんやくいもん)といわれる格式の高い城門建築で、桁行6m、梁間1.9m、屋根は切妻造りで赤瓦の本瓦葺である。明治の初めに門が解体された際、富山市米田の豪農に払下げられ移築されたが所有者が富山市に寄贈。2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけて現在の場所に移築された。2012年(平成24年)4月には常時開門を開始した。現存する同形式の門は東大赤門(旧 加賀屋敷御守殿門)だけとされ、2008年(平成20年)10月29日に富山市指定文化財に指定された。
  • 平成の石垣 
    • 千歳御門脇(南側)に2008年(平成20年)に完成した石垣。幅11メートル、高さ7メートル、奥行き12メートルで、富山城の石垣に使用された早月川の御影石を用いている。

関連・周辺施設

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その他

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(西)


290m西

イベント

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  • 富山城フェス - 「忍者合戦-SHINOBI-」と題し、前田家や上杉家・佐々家ほかの家紋の幟(緑忍軍(薬売り)[74] 、赤忍軍(軒猿)、黒忍軍(黒百合)といった具合に参加チームの色分けがある)がたち、忍者に扮したチームの対戦などが例年行われている。

アクセス

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富山地方鉄道富山軌道線(富山都心線)

富山地方鉄道バス

市内周遊ぐるっとBUS南回りルート(毎日6便) 城址公園バス亭下車 徒歩約2分

富山城址公園(富山市郷土博物館・佐藤記念美術館・松川べり彫刻公園)を含む、富山市市街地の美術館博物館・観光施設を巡る周遊バス。

富山空港より連絡バスで約20分(城址公園前下車)

バリアフリー装備ほか

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  • 車椅子用エレベーターやスローブなど
車椅子の貸出あり
  • 多目的御手洗い(個室)あり

脚注

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(一)^ HP

(二)^ HP

(三)^ 15603428

(四)^ 202141912111 

(五)^ 西 1995

(六)^ ab2591935   2023P87-113.

(七)^ 2003調2017 

(八)^ 

(九)^ 簿

(十)^  7 1988 302

(11)^ 198879

(12)^ (2010)

(13)^ 調

(14)^ 2014

(15)^ ab2002610530

(16)^   P.60-612007

(17)^ (1) 202317

(18)^ ab  2005113201035468

(19)^ abcdef  2005113201035469

(20)^ 殿202317

(21)^ (3) 202317

(22)^  202291219

(23)^  11960330984

(24)^  11960330984 - 985

(25)^  11960330988

(26)^ abcdef 199471638

(27)^  196041590

(28)^  19604p104

(29)^  1960415107

(30)^ 20 12000520188

(31)^ (2) 202317

(32)^  1960415893

(33)^  199471639

(34)^  p934

(35)^ ab p1018

(36)^  p1044

(37)^  p1055

(38)^ 5. 20148122017105

(39)^ 40 198312785

(40)^  1960415364

(41)^  1960415497

(42)^  <>19871101253

(43)^ 

(44)^  1960415582

(45)^ ab 20059115

(46)^  1980310269

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(49)^  <>2015320743

(50)^  <>2015320752

(51)^ 2023129

(52)^  ︿2015320751

(53)^ 100201746

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(55)^ 20097191"" 147   

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(68)^ 1989111

(69)^ 5

(70)^ 201622730  

(71)^ 201652134  

(72)^ SL2   2017121328

(73)^ 稿 962820211014

(74)^ 

参考文献

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  • 『越中460年を行く 富山城探訪』(北日本新聞社編集局)2010年(平成22年)7月5日発行
  • 『富山市の文化財 第1号』(富山市教育委員会 生涯学習課)2010年(平成22年)3月31日発行
  • 『富山城址の変遷 富山城と私たちが暮らす街〜どのような糸でつながっているのでしょうか〜』(富山市郷土博物館)2005年(平成17年)9月1日発行
  • 『130年ぶりに堂々の帰城! 千歳御門移築記念 特別展 再現 千歳御殿』(富山市郷土博物館)2007年(平成19年)10月27日発行

関連項目

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外部リンク

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