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| 東京国際映画祭 = '''審査員特別賞'''<br/>[[第4回東京国際映画祭|1991年]]『[[牯嶺街少年殺人事件]]』<br/>'''国際映画批評家連盟賞'''<br/>1991年『牯嶺街少年殺人事件』 |
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[[1947年]]、[[上海市|上海]]に生まれ、2歳のときに家族で[[台北]]に移住した[[外省人]]。[[ロック (音楽)|ロック]]と[[手塚治虫]]に影響されて育った。台湾の[[国立交通大学]]で[[電気工学]]を学び、次いで[[フロリダ大学]]で[[計算機工学]]の修士号を所得したが、やがて映画製作に興味を持ち[[南カリフォルニア大学]]に入学。しかしすぐに中退し、しばらくアメリカで電気関係の仕事についていた。 |
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[[1981年]]に台湾に帰国後、日本を舞台とした[[余為政]]監督のデビュー作『一九〇五年的冬天』で脚本と製作助手を担当し、映画界入り。同年、[[シルビア・チャン]]が企画したテレビドラマ・シリーズ『十一個女人』の1話「浮萍」の監督に起用され、[[1982年]]に新人監督4人によるオムニバス映画『[[光陰的故事]]』の第2話「指望」で映画監督デビュー。 |
[[1981年]]に台湾に帰国後、日本を舞台とした[[余為政]]監督のデビュー作『一九〇五年的冬天』で脚本と製作助手を担当し、映画界入り。同年、[[シルビア・チャン]]が企画したテレビドラマ・シリーズ『十一個女人』の1話「浮萍」の監督に起用され、[[1982年]]に新人監督4人によるオムニバス映画『[[光陰的故事]]』の第2話「指望」で映画監督デビュー。 |
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[[1983年]]、初長編映画『[[海辺の一日]]』で[[ヒューストン映画祭]]グランプリを受賞。以後、[[1985年]]に『[[台北ストーリー]]』、[[1986年]]に『[[恐怖分子]]』、[[1991年]]に『[[ |
[[1983年]]、初長編映画『[[海辺の一日]]』で[[ヒューストン映画祭]]グランプリを受賞。以後、[[1985年]]に『[[台北ストーリー]]』、[[1986年]]に『[[恐怖分子]]』、[[1991年]]に『[[牯嶺街少年殺人事件]]』、[[1994年]]に『[[エドワード・ヤンの恋愛時代]]』、[[1996年]]に『[[カップルズ]]』を監督。[[侯孝賢]]とともに[[台湾ニューシネマ]]を代表する一人となった。 |
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[[2000年]]の『[[ヤンヤン 夏の想い出]]』で[[カンヌ国際映画祭]]監督賞を受賞した。同作完成のころから癌を患い、その後7年ほど闘病生活を続けていたが、[[2007年]][[6月29日]]、[[大腸癌|結腸癌]]による合併症のため[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カリフォルニア州]][[ビバリーヒルズ]]の自宅で死去。59歳だった。 |
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* [[エドワード・ヤンの恋愛時代]] ''《獨立時代》 A Confucian Confusion''(1994年) |
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* [[カップルズ]] ''《麻將》 Mahjong''(1996年) |
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* [[ヤンヤン 夏の想い出]] ''《一一》 Yi Yi''(2000年) |
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== 監督以外 == |
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* [[冬冬の夏休み]](1984年)出演・音楽 |
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== 関連 |
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* 楊徳昌電影読本(エドワード・ヤン フィルムブック)―映画のモダニティは、ついに「恋愛時代」に突入する!([[シネカノン]]、1995年、[[フィルムアート社]])ISBN 4845995468 |
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* [[瞿友寧]] - 『牯嶺街少年殺人事件』に参加した。 |
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* エドワード・ヤン(ジョン・アンダーソン著、2007年、[[青土社]])ISBN 4791763882 |
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* [[映画芸術]] 459号 エドワード・ヤンと『牯嶺街少年殺人事件』(2017年、編集プロダクション映芸) |
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* エドワード・ヤン 再考/再見(2017年、フィルムアート社)ISBN 4845995468 |
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== 脚注 == |
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2024年5月10日 (金) 05:42時点における最新版
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エドワード・ヤン Edward Yang | |||||||||||||||||||||||
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本名 | 楊徳昌 | ||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1947年11月6日 | ||||||||||||||||||||||
没年月日 | 2007年6月29日(59歳没) | ||||||||||||||||||||||
出生地 |
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死没地 |
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国籍 |
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職業 | 映画監督、脚本家 | ||||||||||||||||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||||||||||||||||
配偶者 |
蔡琴(1985年 - 1995年) 彭鎧立(1995年 - 2007年) | ||||||||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||||||||
『牯嶺街少年殺人事件』(1991年) 『エドワード・ヤンの恋愛時代』(1994年) 『ヤンヤン 夏の想い出』(2000年) | |||||||||||||||||||||||
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楊徳昌 | |
---|---|
プロフィール | |
出生: | 1947年11月6日 |
死去: | 2007年6月29日 |
出身地: |
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職業: | 映画監督 |
各種表記 | |
繁体字: | 楊德昌 |
簡体字: | 杨德昌 |
拼音: | Yáng Déchāng |
ラテン字: | Edward Yang |
和名表記: | よう とくしょう |
発音転記: | ヤン ドゥーチャン |
生涯[編集]
1947年、上海に生まれ、2歳のときに家族で台北に移住した外省人。ロックと手塚治虫に影響されて育った。台湾の国立交通大学で電気工学を学び、次いでフロリダ大学で計算機工学の修士号を所得したが、やがて映画製作に興味を持ち南カリフォルニア大学に入学。しかしすぐに中退し、しばらくアメリカで電気関係の仕事についていた。 1981年に台湾に帰国後、日本を舞台とした余為政監督のデビュー作﹃一九〇五年的冬天﹄で脚本と製作助手を担当し、映画界入り。同年、シルビア・チャンが企画したテレビドラマ・シリーズ﹃十一個女人﹄の1話﹁浮萍﹂の監督に起用され、1982年に新人監督4人によるオムニバス映画﹃光陰的故事﹄の第2話﹁指望﹂で映画監督デビュー。 1983年、初長編映画﹃海辺の一日﹄でヒューストン映画祭グランプリを受賞。以後、1985年に﹃台北ストーリー﹄、1986年に﹃恐怖分子﹄、1991年に﹃牯嶺街少年殺人事件﹄、1994年に﹃エドワード・ヤンの恋愛時代﹄、1996年に﹃カップルズ﹄を監督。侯孝賢とともに台湾ニューシネマを代表する一人となった。 2000年の﹃ヤンヤン 夏の想い出﹄でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞した。同作完成のころから癌を患い、その後7年ほど闘病生活を続けていたが、2007年6月29日、結腸癌による合併症のためアメリカ・カリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅で死去。59歳だった。 闘病中もジャッキー・チェン製作総指揮で初のアニメ映画﹃追風﹄に着手していたが、数分間の断片を残したのみに終わった。1990年代半ばには﹃如果﹄﹃成長季節﹄など舞台劇も演出した。主な監督作品[編集]
- 光陰的故事 《光陰的故事》In Our Time(1982年)109分 第2話「指望」(新人若手監督4人の演出による4話構成のオムニバス作品。監督:タオ・ドゥーツェン、エドワード・ヤン、クー・イーチェン、チャン・イー)
- 海辺の一日 《海灘的一天》That Day, on the Beach(1983年)167分
- 台北ストーリー 《青梅竹馬》 Taipei Story(1985年)110分
- 恐怖分子 《恐怖份子》 The Terrorizers(1986年)
- 牯嶺街少年殺人事件 《牯嶺街少年殺人事件》 A Brighter Summer Day(1991年)
- エドワード・ヤンの恋愛時代 《獨立時代》 A Confucian Confusion(1994年)
- カップルズ 《麻將》 Mahjong(1996年)
- ヤンヤン 夏の想い出 《一一》 Yi Yi(2000年)
監督以外の作品[編集]
- 冬冬の夏休み(1984年)出演・音楽
関連書籍[編集]
- 楊徳昌電影読本(エドワード・ヤン フィルムブック)―映画のモダニティは、ついに「恋愛時代」に突入する!(シネカノン、1995年、フィルムアート社)ISBN 4845995468
- エドワード・ヤン(ジョン・アンダーソン著、2007年、青土社)ISBN 4791763882
- 映画芸術 459号 エドワード・ヤンと『牯嶺街少年殺人事件』(2017年、編集プロダクション映芸)
- エドワード・ヤン 再考/再見(2017年、フィルムアート社)ISBN 4845995468