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「エドワード・ヤン」の版間の差分

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| 配偶者 = [[:zh:蔡琴|蔡琴]](1985年 - 1995年)<br />彭鎧立(? - 2007年)

| 配偶者 = [[:zh:蔡琴|蔡琴]](1985年 - 1995年)<br />彭鎧立(1995年 - 2007年)

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| 公式サイト =

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| 主な作品 = 『[[クー嶺街少年殺人事件|牯嶺街少年殺人事件]]』<br />『[[エドワード・ヤンの恋愛時代]]』<br />『[[ヤンヤン 夏の想い出]]』

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| 東京国際映画祭 = '''審査員特別賞'''<br/>[[第4回東京国際映画祭|1991年]]『[[牯嶺街少年殺人事件]]』<br/>'''国際映画批評家連盟賞'''<br/>1991年『牯嶺街少年殺人事件』

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| ロサンゼルス映画批評家協会賞 = '''外国映画賞'''<br/>[[第26回ロサンゼルス映画批評家協会賞|2000年]] 『ヤンヤン 夏の想い出』

| ニューヨーク映画批評家協会賞 = '''[[ニューヨーク映画批評家協会賞 外国語映画賞|外国語映画賞]]'''<br />[[第66回ニューヨーク映画批評家協会賞|2000年]]『ヤンヤン 夏の想い出』

| その他の賞 = '''[[金馬奨]] 作品賞'''<br />1986年 『[[恐怖分子]]』<br />1991年 『牯嶺街少年殺人事件』<br />'''金馬奨 脚本賞'''<br />1994年 『エドワード・ヤンの恋愛時代』

| ロサンゼルス映画批評家協会賞 = '''[[ロサンゼルス映画批評家協会賞 外国映画賞|外国語映画賞]]'''<br/>[[第26回ロサンゼルス映画批評家協会賞|2000年]]『ヤンヤン 夏の想い出』

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== 生涯 ==

== 生涯 ==

[[1947年]]、[[上海市|上海]]に生まれ、2歳のときに家族で[[台北]]に移住した。[[ロック (音楽)|ロック]]と[[手塚治虫]]に影響されて育った。台湾の[[国立交通大学]]で[[電気工学]]を学び、次いで[[フロリダ大学]]で[[計算機工学]]の修士号を所得したが、やがて映画製作に興味を持ち[[南カリフォルニア大学]]に入学。しかしすぐに中退し、しばらくアメリカで電気関係の仕事についていた。

[[1947年]]、[[上海市|上海]]に生まれ、2歳のときに家族で[[台北]]に移住した[[外省人]]。[[ロック (音楽)|ロック]]と[[手塚治虫]]に影響されて育った。台湾の[[国立交通大学]]で[[電気工学]]を学び、次いで[[フロリダ大学]]で[[計算機工学]]の修士号を所得したが、やがて映画製作に興味を持ち[[南カリフォルニア大学]]に入学。しかしすぐに中退し、しばらくアメリカで電気関係の仕事についていた。



[[1981年]]に台湾に帰国後、日本を舞台とした[[余為政]]監督のデビュー作『一九〇五年的冬天』で脚本と製作助手を担当し、映画界入り。同年、[[シルビア・チャン]]が企画したテレビドラマ・シリーズ『十一個女人』の1話「浮萍」の監督に起用され、[[1982年]]に新人監督4人によるオムニバス映画『[[光陰的故事]]』の第2話「指望」で映画監督デビュー。

[[1981年]]に台湾に帰国後、日本を舞台とした[[余為政]]監督のデビュー作『一九〇五年的冬天』で脚本と製作助手を担当し、映画界入り。同年、[[シルビア・チャン]]が企画したテレビドラマ・シリーズ『十一個女人』の1話「浮萍」の監督に起用され、[[1982年]]に新人監督4人によるオムニバス映画『[[光陰的故事]]』の第2話「指望」で映画監督デビュー。



[[1983年]]、初長編映画『[[海辺の一日]]』で[[ヒューストン映画祭]]グランプリを受賞。以後、[[1985年]]に『[[台北ストーリー]]』、[[1986年]]に『[[恐怖分子]]』、[[1991年]]に『[[クー嶺街少年殺人事件|牯嶺街少年殺人事件]]』、[[1994年]]に『[[エドワード・ヤンの恋愛時代]]』、[[1996年]]に『[[カップルズ]]』を監督。[[侯孝賢]]とともに[[台湾ニューシネマ]]を代表する一人となった。

[[1983年]]、初長編映画『[[海辺の一日]]』で[[ヒューストン映画祭]]グランプリを受賞。以後、[[1985年]]に『[[台北ストーリー]]』、[[1986年]]に『[[恐怖分子]]』、[[1991年]]に『[[牯嶺街少年殺人事件]]』、[[1994年]]に『[[エドワード・ヤンの恋愛時代]]』、[[1996年]]に『[[カップルズ]]』を監督。[[侯孝賢]]とともに[[台湾ニューシネマ]]を代表する一人となった。



[[2000年]]の『[[ヤンヤン 夏の想い出]]』で[[カンヌ国際映画祭]]監督賞を受賞した。同作完成のころから癌を患い、その後7年ほど闘病生活を続けていたが、[[2007年]][[6月29日]]、[[大腸癌|結腸癌]]による合併症のため[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カリフォルニア州]][[ビバリーヒルズ]]の自宅で死去。59歳だった。

[[2000年]]の『[[ヤンヤン 夏の想い出]]』で[[カンヌ国際映画祭]]監督賞を受賞した。同作完成のころから癌を患い、その後7年ほど闘病生活を続けていたが、[[2007年]][[6月29日]]、[[大腸癌|結腸癌]]による合併症のため[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カリフォルニア州]][[ビバリーヒルズ]]の自宅で死去。59歳だった。

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* [[台北ストーリー]] ''《青梅竹馬》 Taipei Story''(1985年)110分

* [[台北ストーリー]] ''《青梅竹馬》 Taipei Story''(1985年)110分

* [[恐怖分子]] ''《恐怖份子》 The Terrorizers''(1986年)

* [[恐怖分子]] ''《恐怖份子》 The Terrorizers''(1986年)

* [[クー嶺街少年殺人事件|牯嶺街少年殺人事件]] ''《牯嶺街少年殺人事件》 A Brighter Summer Day''(1991年)

* [[牯嶺街少年殺人事件]] ''《牯嶺街少年殺人事件》 A Brighter Summer Day''(1991年)

* [[エドワード・ヤンの恋愛時代]] ''《獨立時代》 A Confucian Confusion''(1994年)

* [[エドワード・ヤンの恋愛時代]] ''《獨立時代》 A Confucian Confusion''(1994年)

* [[カップルズ]] ''《麻將》 Mahjong''(1996年)

* [[カップルズ]] ''《麻將》 Mahjong''(1996年)

* [[ヤンヤン 夏の想い出]] ''《一一》 Yi Yi''(2000年)

* [[ヤンヤン 夏の想い出]] ''《一一》 Yi Yi''(2000年)



== 監督以外 ==

== 監督以外の作品 ==

* [[冬冬の夏休み]](1984年)出演・音楽

* [[冬冬の夏休み]](1984年)出演・音楽



== 関連項目 ==

== 関連書籍 ==

* 楊徳昌電影読本(エドワード・ヤン フィルムブック)―映画のモダニティは、ついに「恋愛時代」に突入する!([[シネカノン]]、1995年、[[フィルムアート社]])ISBN 4845995468

* [[瞿友寧]] - 『牯嶺街少年殺人事件』に参加した。

* エドワード・ヤン(ジョン・アンダーソン著、2007年、[[青土社]])ISBN 4791763882

* [[映画芸術]] 459号 エドワード・ヤンと『牯嶺街少年殺人事件』(2017年、編集プロダクション映芸)

* エドワード・ヤン 再考/再見(2017年、フィルムアート社)ISBN 4845995468



== 脚注 ==

== 脚注 ==

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{{楊徳昌監督作品}}

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{{カンヌ国際映画祭監督賞 2000-2019}}

{{カンヌ国際映画祭監督賞 2000-2019}}


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[[Category:フロリダ大学出身の人物]]

[[Category:国立交通大学出身の人物]]


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エドワード・ヤン
Edward Yang
本名 楊徳昌
生年月日 (1947-11-06) 1947年11月6日
没年月日 (2007-06-29) 2007年6月29日(59歳没)
出生地 中華民国の旗 中華民国 上海市
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
国籍 中華民国の旗 中華民国
職業 映画監督、脚本家
ジャンル 映画
配偶者 蔡琴(1985年 - 1995年)
彭鎧立(1995年 - 2007年)
主な作品
牯嶺街少年殺人事件』(1991年)
エドワード・ヤンの恋愛時代』(1994年)
ヤンヤン 夏の想い出』(2000年)

 

受賞
カンヌ国際映画祭
監督賞
2000年ヤンヤン 夏の想い出
東京国際映画祭
審査員特別賞
1991年牯嶺街少年殺人事件
国際映画批評家連盟賞
1991年『牯嶺街少年殺人事件』
ニューヨーク映画批評家協会賞
外国語映画賞
2000年『ヤンヤン 夏の想い出』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
外国語映画賞
2000年『ヤンヤン 夏の想い出』
その他の賞
金馬奨
作品賞

1986年『恐怖分子
1991年『牯嶺街少年殺人事件』
脚本賞
1994年 『エドワード・ヤンの恋愛時代
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楊徳昌
プロフィール
出生: 1947年11月6日
死去: 2007年6月29日
出身地: 中華民国の旗 中華民国 上海市
職業: 映画監督
各種表記
繁体字 楊德昌
簡体字 杨德昌
拼音 Yáng Déchāng
ラテン字 Edward Yang
和名表記: よう とくしょう
発音転記: ヤン ドゥーチャン
テンプレートを表示

Edward Yang / 1947116 - 2007629

[]


19472退

19811198242

198319851986199119941996

2000 7200762959

1990

主な監督作品[編集]

監督以外の作品[編集]

関連書籍[編集]

  • 楊徳昌電影読本(エドワード・ヤン フィルムブック)―映画のモダニティは、ついに「恋愛時代」に突入する!(シネカノン、1995年、フィルムアート社ISBN 4845995468
  • エドワード・ヤン(ジョン・アンダーソン著、2007年、青土社ISBN 4791763882
  • 映画芸術 459号 エドワード・ヤンと『牯嶺街少年殺人事件』(2017年、編集プロダクション映芸)
  • エドワード・ヤン 再考/再見(2017年、フィルムアート社)ISBN 4845995468

脚注[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]