コンテンツにスキップ

ティベリウス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ティベリウス
Tiberius
ローマ皇帝

在位 紀元14年9月18日 - 紀元37年3月16日

全名 ティベリウス・ユリウス・カエサル
出生 紀元前42年11月16日
死去 (37-03-16) 37年3月16日(78歳没)
継承者 カリグラ
配偶者 ウィプサニア
  ユリア
子女 小ドルスス
ゲルマニクス(養子)
王朝 ユリウス=クラウディウス朝
父親 ティベリウス・クラウディウス・ネロ
母親 リウィア・ドルシッラ
テンプレートを表示

Tiberius Julius Caesar421116 - 37316[1]2()14 - 37

 22:17-2112:14-17 20:22-25() [2]

生涯

[編集]

アウグストゥスの継子時代

[編集]

42



298調

2712

ロドス島隠遁

[編集]

6[]





22

10

後継者へ

[編集]

242

148

元首時代

[編集]



1700

統治初期

[編集]

[]

退



28


セイヤヌス派の権勢と粛清

[編集]

23



238

26殿

2930殿

315

559

10171018殿



3777[3][ 1]

家族

[編集]



1

14? - 23 - 

1
  • ティベリウス・ユリウス・カエサル(前10年 - 前10年) - 夭折。この男子の死後、ティベリウスと大ユリアの関係は冷却化し、最終的に離婚に至る。

子孫

[編集]

2


5 - 43- 

19 - 37/38 - 

19 - 23 - 


33 - 62 - 

3338 - ? - 

[4]1



年表

[編集]

業績

[編集]





2768367

316363

評価

[編集]

[5]調[6][7][8][9]

逸話

[編集]
  • ワインを水割りで飲むのが普通だったローマ人としては珍しく、ストレートで大量に飲んでいた(トラヤヌスもまたストレートで飲むことを好んだ)。ただしこれには、当時のワインがブドウ果汁が濃縮され、かつ糖分の多くがアルコールに転化されておらず、大変甘い飲み物であった事を考慮する必要がある。つまり過剰な甘さを抑えるための水割りであった。現代のワインの製法が確立するのはローマ時代であり、つまり甘い飲み物からアルコール度数が高い飲み物へと変化する過渡期だったのである。
  • ウリ科の植物の実[注 2]が好物で、毎日これが食べられるように個人用の温室で栽培をしていたとされる[10]

新約聖書

[編集]

新約聖書ルカによる福音書の記述によるとティベリウスの治世15年に、バプテスマのヨハネが現われ、ついでイエス・キリスト公生涯が始まったとされる。

聖書に登場するガリラヤ湖畔の町テベリヤは皇帝ティベリウスに因んでいる。

参考文献

[編集]

  ︿19861986

  ︿19811981

 10 2021ISBN 978-4-7917-7389-3 

2021ISBN 978-4-06-518344-1 

脚注

[編集]

注釈

[編集]


(一)^ 18230-232

(二)^ cucumiscucumerscucurbitapepomelopepon使cucumis
   2017ISBN 978-4-562-05406-0p.12-1645-56

出典

[編集]


(一)^ Tiberius Roman emperor Encyclopædia Britannica

(二)^ 22201755ISBN 978-4-334-04303-2 

(三)^ 18225-227

(四)^ 

(五)^ 6.51 

(六)^ 75

(七)^ 使6.33

(八)^ , p. 123-124.

(九)^ , p. 129-130.

(十)^    2017ISBN 978-4-562-05406-0p.55-56