「ルネサンス美術」の版間の差分
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:[[エル・グレコ]](1541年-1614年)が知られる。クレタ島出身のギリシャ人でヴェネツィア・ローマを経てトレドに移り住む。[[マニエリスム]]の影響を受けながらも、独自の神秘的な画風を築いた。 |
:[[エル・グレコ]](1541年-1614年)が知られる。クレタ島出身のギリシャ人でヴェネツィア・ローマを経てトレドに移り住む。[[マニエリスム]]の影響を受けながらも、独自の神秘的な画風を築いた。 |
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Image:Van Eyck - Arnolfini Portrait.jpg|<small>『[[アルノルフィーニ夫妻像|アルノルフィーニ夫妻]]』<br>[[ヤン・ファン・エイク]]<br>1434<br>板、油彩<br>81.8 × 59.7 cm<br>[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ナショナル ギャラリー(ロンドン)]]</small> |
Image:Van Eyck - Arnolfini Portrait.jpg|<small>『[[アルノルフィーニ夫妻像|アルノルフィーニ夫妻]]』<br>[[ヤン・ファン・エイク]]<br>1434<br>板、油彩<br>81.8 × 59.7 cm<br>[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ナショナル ギャラリー(ロンドン)]]</small> |
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Image:Garden delights.jpg|<small>『[[快楽の園]]』<br>[[ヒエロニムス・ボス]]<br>1505 – 1510頃<br>板、油彩<br>両翼 : 220 × 97、中央 : 220 × 195 cm<br>[[プラド美術館]]</small> |
Image:Garden delights.jpg|<small>『[[快楽の園]]』<br>[[ヒエロニムス・ボス]]<br>1505 – 1510頃<br>板、油彩<br>両翼 : 220 × 97、中央 : 220 × 195 cm<br>[[プラド美術館]]</small> |
2012年12月23日 (日) 07:45時点における版
ルネサンス |
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テーマ別 |
建築 舞踊 文学 音楽 美術 哲学 科学 技術 戦争 |
国別 |
イングランド フランス ドイツ イタリア ネーデルラント 北欧 ポーランド スペイン |
カテゴリ |
イタリア・ルネサンス
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『サン・ピエトロのピエタ』
ミケランジェロ
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『ウルビーノのヴィーナス』
ティツィアーノ、1538年 -
北方ルネサンス
●ネーデルラント︵ベルギー・オランダ︶ 15世紀のフーベルト、ヤンのファン・エイク兄弟が油絵の技法を完成させており、このころのネーデルラント絵画はイタリア・ルネサンスと並び立つ水準にあり、むしろイタリア絵画に大きな影響を与えるほどであった。16世紀頃にはその立場は逆転し、イタリアを手本とするようになった。ブリューゲル︵1525年-1569年︶もイタリア旅行をしたのち、独自の農村風景画を描くようになった。怪奇な画風の作品を残したヒエロニムス・ボスも特異な位置を占めている。 ●フランス イタリアに進軍したフランソワ1世の時代︵イタリア戦争の項も参照︶にレオナルド・ダ・ヴィンチが宮廷に招かれ、イタリアのルネサンス美術が伝えられた。その後もロッソ・フィオレンティーノらがイタリアから宮廷に招かれ、マニエリスムの影響を受けたフォンテーヌブロー派が活躍する。 ●ドイツ デューラー︵1471年-1528年︶はイタリア旅行を経て、ルネサンス絵画に学び、思想的にも深みのある表現に達した。銅版画の﹁メランコリアI﹂や油彩の﹁四人の使徒﹂などの宗教画がよく知られている。グリューネワルト︵1475年頃―1528年︶も、﹃イーゼンハイム祭壇画﹄などで著名。 ●スペイン エル・グレコ︵1541年-1614年︶が知られる。クレタ島出身のギリシャ人でヴェネツィア・ローマを経てトレドに移り住む。マニエリスムの影響を受けながらも、独自の神秘的な画風を築いた。
関連文献
- 塚本博「イタリア・ルネサンスの扉を開く」角川学芸出版 2005年、入門書
- 森田義之、芸術新潮編集部「フィレンツェ・ルネサンス55の至宝」 とんぼの本・新潮社、2007年、入門書
- 石鍋真澄監修 「ルネサンス美術館」小学館、 2008年 大著の事典
- エリー・フォール、森田義之・小林もり子訳「美術史3 ルネサンス美術」国書刊行会、2004年、古典