「仲野親王」の版間の差分
m編集の要約なし |
m編集の要約なし |
||
28行目: | 28行目: | ||
== 経歴 == |
== 経歴 == |
||
[[延暦]]24年︵[[805年]]︶8月[[安芸国]][[賀茂郡 (広島県)|賀茂郡]]地50町を、12月[[河内国]][[交野郡]]白田2町を賜る。[[弘仁]]5年︵[[814年]]︶正月、無品から四品に初叙。[[淳和天皇|淳和]]朝では[[天長]]3年︵[[826年]]︶9月[[上総国#国司|上総太守]]<ref>﹃[[帝王編年記]]﹄</ref>、同4年︵[[827年]]︶6月[[中務省|中務卿]]、同7年︵[[830年]]︶8月[[ |
[[延暦]]24年([[805年]])8月[[安芸国]][[賀茂郡 (広島県)|賀茂郡]]地50町を、12月[[河内国]][[交野郡]]白田2町を賜る。[[弘仁]]5年([[814年]])正月、無品から四品に初叙。[[淳和天皇|淳和]]朝では[[天長]]3年([[826年]])9月[[上総国#国司|上総太守]]<ref>『[[帝王編年記]]』</ref>、同4年([[827年]])6月[[中務省|中務卿]]、同7年([[830年]])8月[[大宰帥]]に任じられ、同10年([[833年]])正月三品に進む。[[仁明天皇|仁明]]朝に入ると、[[承和 (日本)|承和]]5年([[838年]])正月上総太守、同9年([[842年]])11月[[弾正尹]]、同13年([[846年]])正月[[上野国#国司|上野太守]]を歴任し、同14年([[847年]])正月[[二品]]に昇叙した。[[嘉祥]]3年([[850年]])5月[[式部卿]]に任じられ、[[仁寿]]3年([[853年]])[[常陸太守]]、[[貞観 (日本)|貞観]]3年([[861年]])正月上総太守、同5年([[863年]])2月大宰帥を兼任。晩年、[[輦車]]による宮中の出入りの他、禁野外での遊猟やそのための鷹と鶴の飼養が許された。貞観9年([[867年]])正月17日[[崩御#薨去|薨去]]、[[享年]]76。 |
||
[[Image:Tomb of Prince Nakano.jpg|260px|thumb|高畠墓([[京都市]][[右京区]])]] |
[[Image:Tomb of Prince Nakano.jpg|260px|thumb|高畠墓([[京都市]][[右京区]])]] |
||
34行目: | 34行目: | ||
== 人物 == |
== 人物 == |
||
幼い頃からわきまえがあって賢く、心が広くゆったりした性格であった<ref name="a">『日本三代実録』貞観9年正月17日条(薨伝)</ref>。 |
幼い頃からわきまえがあって賢く、心が広くゆったりした性格であった<ref name="a">『[[日本三代実録]]』貞観9年正月17日条(薨伝)</ref>。 |
||
[[寿詞]]と[[宣命]]を宣読することに優れ、その音儀詞語は模範とされたが、当時の[[皇族]]でその[[作法]]に通じていることは非常に珍しいことであった。これは[[左大臣]][[藤原緒嗣]]より伝えられたもので、のちに[[清和天皇]]の命により、当時[[参議]]であった[[藤原基経]]や[[大江音人]]らが仲野親王の住む六条第に赴いて、その音詞曲折を学んだという<ref name="a" />。
|
[[寿詞]]と[[宣命]]を宣読することに優れ、その音儀詞語は模範とされたが、当時の[[皇族]]でその[[作法]]に通じていることは非常に珍しいことであった。これは[[左大臣]][[藤原緒嗣]]より伝えられたもので、のちに[[清和天皇]]の命により、当時[[参議]]であった[[藤原基経]]や[[大江音人]]らが仲野親王の住む六条第に赴いて、その音詞曲折を学んだという<ref name="a" />。
|
||
69行目: | 69行目: | ||
== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
||
*[[森田悌]]『日本後紀』(上中下巻)[[講談社学術文庫]]、2006年 |
*[[森田悌]] 『日本後紀』(上中下巻)[[講談社学術文庫]]、2006年 |
||
*森田悌『続日本後紀』(上下巻)講談社学術文庫、2010年 |
*森田悌 『続日本後紀』(上下巻)講談社学術文庫、2010年 |
||
*『[[日本文徳天皇実録]]』 |
*『[[日本文徳天皇実録]]』 |
||
*[[武田祐吉]]、[[佐藤謙三]]訳『読み下し 日本三代実録 上巻』[[戎光祥出版]]、2009年 |
*[[武田祐吉]]、[[佐藤謙三]]訳 『読み下し 日本三代実録 上巻』[[戎光祥出版]]、2009年 |
||
{{DEFAULTSORT:なかのしんのう}} |
{{DEFAULTSORT:なかのしんのう}} |
2015年9月13日 (日) 11:47時点における版
仲野親王 (なかのしんのう) | |
---|---|
続柄 | 桓武天皇の第十二皇子 |
身位 | 二品親王、贈一品 |
出生 |
延暦11年(792年) |
死去 |
貞観9年正月17日(867年2月26日) |
埋葬 |
年月日不詳 山城国葛野郡高畠墓 |
配偶者 | 菅野氏 |
当宗氏 | |
子女 | 茂世王、輔世王、季世王、秀世王、平房世、当世王、基世王、潔世王、平実世、十世王、在世王、康世王、胤世王、平利世、平惟世、宜子女王、班子女王 |
父親 | 桓武天皇(第50代天皇) |
母親 | 藤原河子(藤原大継の娘) |
役職 | 中務卿、大宰帥、上総太守、弾正尹、上野太守、式部卿、常陸太守、贈太政大臣 |
経歴
人物
系譜
- 妻:不詳