こんにちは。初めまして。あのーお願いが1つあるのですが宜しいでしょうか?
編集をなさる際は﹁編集内容の要約欄﹂に その編集の理由・意図などを明記してして下さらないでしょうか?
理由・意図が記されてないと、貴殿の編集の意図が他の編集者に伝わらないと思いますので。
中黒を﹁の﹂へ、などの﹁実際に書き換えた事柄﹂は記述しても良いですが、記述しなくとも﹁差分﹂を拝見すれば理解できますので、特に記述の必要はないかと思われます。
私も人様に対して余り色々言える程ではないのですが、以上のようにお願いしたいのです。宜しいでしょうか?--きまま 2008年4月1日 (火) 22:56 (UTC)きまま[返信]
はじめまして、きままさん。おっしゃっているのはこのことだと思います。﹁江戸幕府︵徳川幕府︶・征夷大将軍の一覧﹂から﹁江戸幕府︵徳川幕府︶の征夷大将軍の一覧﹂。この変更理由は、発音したときに﹁の﹂をいう方が自然だと感じたからです。﹁えどばくふ、とくがわばくふ、せいいいたいしょうぐん﹂では助詞が足りないと感じたので、﹁の﹂を補いました。
差分を見ればわかることは書かなくてもよいとのご意見ですが、多くの人はいちいちクリックして差分を見るわけではありません。後で履歴を見たときに、この変更ではどんなことが行なわれたかの手掛りがあるだけでも便利です。とっても短い要約でもそれなりに有益と存じます。
しかしながら、要約欄に編集の理由・意図があるべしとのご意見はもっともと存じますので、今後、詳しく書くように心がけて参ります。ここは80文字程度しか書けませんので、たくさん書くときには﹁ノート参照﹂として、ノートに書くようにしております。今回の件はノートにも書きませんでした。おゆるしください。--ShikiH 2008年4月2日 (水) 00:11 (UTC)[返信]
お返事、有難うございます。申し忘れましたが、編集内容・要約欄に﹁理由・意図など﹂に加えて﹁出典など﹂も明示して下さると大変有り難いです。
誠にお手数ですがどうぞ宜しくお願い申し上げたいと存じます。今後共、どうぞ宜しくお願い申し上げます。--きまま 2008年4月3日 (木) 13:56 (UTC)きまま[返信]
そうですね。要約も、理由も、出典も全部書ければそれにこしたことはないでしょうが、ちょっと無理です。全部書けないとしたら一番に書くべきは要約です。理由や編集の意図はノートに、出典は本文中の脚注に書くのがいいと思います。
きままさんの上の発言で見えないところがあったので、冒頭のスペースをひとつ、削除しました。--ShikiH 2008年4月4日 (金) 10:26
お返事、有難うございます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。--きまま 2008年4月4日 (金) 16:34 (UTC)きまま[返信]
こんにちは。する﹁事﹂を する﹁こと﹂。する﹁為﹂をする﹁ため﹂など ﹁ひらがな表記﹂なさるのは何故でしょうか?
誠にお手数ですが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。--きまま 2008年5月7日 (水) 06:33 (UTC)きまま[返信]
お久しぶりです。こと、ため、は現代語の標準的表記では仮名書きです。先行する書籍の百科事典ではそのようになっていますし、大手新聞でも同様です。またこのウィキペディア日本語版でもウィキペディア表記ガイド仮名書きの項でそのように勧めています。出版物においても、共著となる場合は、出版社が仮名書きを指定します。ウィキペディアにおいても、仮名書きが優勢だろうと思います。私がよい記事だと思う例として、今、川端康成の記事を検索しました。数え間違いもあるとはおもいますが﹁ため﹂は5つ、﹁為﹂は0、﹁こと﹂は3つ、﹁事﹂は0でございます。私が修正したわけではありません。天武天皇では﹁ため﹂5つ、﹁為﹂0、﹁こと﹂6つ、﹁事﹂1つでございます。表記のこともさりながら、なるべく﹁ため﹂や﹁こと﹂を避けようとしているように見受けられます。以上、ご参考になれば幸いです。--ShikiH 2008年5月7日 (水) 10:38 (UTC)[返信]
お返事、有難うございます。少し考えさせて下さい。宜しくお願い申し上げます。--きまま 2008年5月9日 (金) 13:31 (UTC)きまま[返信]
こんにちは。きままです。
1.貴殿のコメント﹁箇条書きの前に説明を﹂は、一理あると思います。
んー、でも絶対こうしなければならないという訳はないと思うので、︵なるべく理解しやすい表現ということを念頭に︶その辺りは臨機応変で良いのではないでしょうか?
2.﹁箇条書きでも文末に句点を。﹂
︵箇条書きの文末に︶それぞれ句点を付けるのは、かなり大仰︵大袈裟︶ではないか、と私個人は思います。
3.﹁括弧は最小限に﹂というのも一理ありますが﹁何を基準に﹂︵括弧は最小限にするか︶という解釈問題もあります。
以上は、個々人の解釈によるので難しい面もあります。んー、難しいところです。--きまま 2008年7月27日 (日) 07:03 (UTC)きまま[返信]
ShikiHでございます。きままさん、おひさしぶりです。毎日暑いですが、お元気ですか? それではお答えいたします。
ウィキペディアは世界中のあらゆる人書くものだから、各人に書き方を自由に任せ、何の規制も必要ないのだという立場がありましょう。また逆にそれほど大勢の人が書くのであればなにかしらの指針がないと大混乱に陥ってしまうという立場もありましょう。ウィキペディアは後者の立場に立っております。ですから記事は﹁……とは……である﹂というふうに始めるように求められてれています。
箇条書きの文末に句点を打つかどうかは、おっしゃるとおり、世間一般ではどちらでも好きな方でいいと思います。しかしウィキペディアでは句点を打つことにしています。ウィキペディア表記ガイドのなかの
約物の使い方をご覧ください。きままさんがどうしても句点を打ちたくないのなら、まあかまわないと思いますが、誰かが直す可能性は小さくないと思います。また、この件は私ではなく表記ガイドのノートに書き込む方が効果的だと思います。
何の箇条書きなのかは先に述べるものです。もとのままだと﹁討伐を命ずる内容となっている。﹂の次に箇条書きがありますから、討伐の内容が箇条書きになっていると解してしまいます。ところが読んでみると偽勅である理由を箇条書きにしています。これはわかりにくい。式次第って書いてから箇条書きにするものであって、﹁ひとつ…、ひとつ…。これが式次第である。﹂なんて書くのは変です。
括弧は最小限には読みにくいし、曖昧だからでしょう。たとえば討幕の密勅のこの記事で言えば︵明治︶天皇と書くと、先生に直されるに決まってます。﹁おまえは明治天皇って書きたいのか、それとも天皇って書きたいのか。括弧をつければどちらとも取れるなんていうのは、論文じゃない!﹂ それにしてもきままさん。︵明治︶天皇のの、この括弧はどんな意味があるのでしょうか? わたしにはわからない。教えてください。そういえば、さっきの所にも書いてあります。括弧はなるべく使うなって。--ShikiH 2008年7月27日 (日) 10:37 (UTC)[返信]
お返事、有難うございます。
>何の箇条書きなのかは先に述べるものです。もとのままだと﹁討伐を命ずる内容となっている。﹂の次に箇条書きがありますから、討伐の内容が箇条書きになっていると解してしまいます。ところが読んでみると偽勅である理由を箇条書きにしています。これはわかりにくい。式次第って書いてから箇条書きにするものであって、﹁ひとつ…、ひとつ…。これが式次第である。﹂なんて書くのは変です。
んー 一般的にはそうかもしれませんが、この﹁討幕の密勅﹂項目に関しては﹁かくかくしかじかの理由で偽勅説が有力である﹂で良いのでは?と思います。
一般的な書き方にするなら文章全体の構成も考え、場合によっては構成も変更すべきかもしれません。
>括弧は最小限には読みにくいし、曖昧だからでしょう。たとえば討幕の密勅のこの記事で言えば︵明治︶天皇と書くと、先生に直されるに決まってます。﹁おまえは明治天皇って書きたいのか、それとも天皇って書きたいのか。括弧をつければどちらとも取れるなんていうのは、論文じゃない!﹂ それにしてもきままさん。︵明治︶天皇のの、この括弧はどんな意味があるのでしょうか? わたしにはわからない。教えてください。
ShikiHさんが言わんとする箇所の文章が記載されていないので、はっきりとは分かり兼ねますが、多分 あの文章かな?と思います。
︵一般的に言って︶﹁密勅には天皇の署名が必要である。その署名は、そのとき在位している天皇の署名である。﹂
討幕の密勅・発行時の天皇がタマタマ明治天皇だっただけで、︵例えば平安時代発行の密勅なら︶﹁明治天皇の署名がない=密勅無効﹂ではないからです。
つまり
討幕の密勅・偽勅説が有力な理由
天皇の署名がないから︵このとき在位している天皇は明治天皇︶→︵明治︶天皇の署名がないから と表記した次第です。
このような説明で宜しいでしょうか?--きまま 2008年7月29日 (火) 17:06 (UTC)きまま[返信]
ShikiHでございます。お返事ありがとうございます。箇条書きの件はそれでもよかろうと思います。﹁式次第﹂って絶対に先に述べなくてはならないということはなく、文章の流れを重視する方がよい場合もありましょう。
︵明治︶天皇の件には反対です。明治天皇と書くか、天皇と書くのがよろしいでしょう。括弧にきままさんのおっしゃるような複雑な意味を持たせてても、読む方には伝わりません。なんでここに括弧があるのだろうと疑問に思うばかり。きままさんが︵明治︶天皇と書くのが一番よいと思っても、それは心の中だけにして、実際には明治天皇か天皇のいずれかにしてください。--ShikiH 2008年7月29日 (火) 17:38 (UTC)[返信]
天皇の件は﹁︵明治︶天皇、この括弧はどんな意味があるのでしょうか? わたしにはわからない。教えてください。﹂と貴殿が仰ったから、それに御回答したまでです。どう記述すべきかを論じた訳ではありません。
くどいようですが上記の説明に書き加えますと
討幕の密勅・偽勅説が有力な理由
天皇の署名がないから︵このとき在位している天皇が誰かは、どうでも良いが参考の為に記述すると明治天皇である︶→﹁天皇︵明治天皇︶の署名がないから﹂とすると少々くどいので → ︵明治︶天皇の署名がないから
ということでございます。
>括弧にきままさんのおっしゃるような複雑な意味を持たせてても、読む方には伝わりません
﹁伝わらない﹂と断定はできないかもしれませんが﹁伝わりにくいかもしれません﹂。
﹁実際には明治天皇か天皇のいずれかにしてください。﹂ということであれば
﹁天皇︵明治天皇︶の署名がないから﹂ではどうですか? ﹁天皇︵明治天皇︶の署名がないから﹂ ではくどいと思ったから 私は ﹁︵明治︶天皇の署名がないから﹂ と書いたのですが。--きまま 2008年7月29日 (火) 19:59 (UTC)きまま[返信]
ShikiHでございます。わたしならこう書きます﹁一般に勅命には天皇が署名するものである。この勅命には当時在位している在位している明治天皇の署名がない。﹂--ShikiH 2008年7月30日 (水) 18:02 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。天皇︵明治天皇︶の署名がないから、は全くだめです。先生からなんと言われるか、お忘れですか? きままさんは、天皇か明治天皇に決めることができなかったので、︵明治︶天皇にしたのですね。いずれにせよ、2回も説明をしないとわからないような括弧を他の人に見せた場合、その人は理解できるであろうか? 否。立場が変わってあなたならわかるんですか?
ウィキペディアは一般の人が自分の興味のあることを、自由に書くところです。最初は書き方がわかりませんが、それでも書いていいのです。後で詳しい人が回ってきて、修正してくれますから。そのとき修正の方法を学んでください。ただし、この修正は変だとか、こんな修正は許さない、などとおっしゃらないように。--ShikiH 2008年7月30日 (水) 17:46 (UTC)[返信]
>きままさんは、天皇か明治天皇に決めることができなかったので、︵明治︶天皇にしたのですね?
﹁決める事ができなかったから﹂ではなく 天皇の署名がないから︵その天皇とは明治天皇である︶→ ︵明治︶天皇の署名がないから と表記した次第です。
>先生からなんと言われるか
んー、﹁先生﹂は関係ないと思うし、﹁先生からなんと言われるか﹂などではなく、なるべく﹁理論的に﹂論じて下されば、と思います。
んー 理想を言えば﹁︵明治︶天皇および摂政︵二条斉敬︶の署名がないから﹂とすべきかもしれませんが、括弧の意味を理解されない恐れがあるので
単純に﹁明治天皇および摂政・二条斉敬の署名がないから﹂で良いのではないか、と︵現時点では︶考えています。それでお願いできれば、と思います。
追申
ShikiHさん、語調が少し強過ぎるのでは?と思ってしまいました。
私も人様の事を言えるほどではないので、こう申しては何ですが︵主張すべき事は主張すべきですが︶お互いに気をつけていきましょう。
今後共、宜しくお願い申し上げたいと存じます。--きまま 2008年8月1日 (金) 16:30 (UTC)きまま[返信]
ShikiHでございます。きままさんのページに書いたように、討幕の密勅の記事に関する意見は、括弧の使い方の問題も含め、当該ページのノートにお願いいたします。この記事の合意形成をしてもらいたいというのが、ウィキペディアの管理人さんの決定ですが、このページだと他の人はここで議論してることがわかりませんから。上に書いてあることのうち必要なところは転記してください。--ShikiH 2008年8月1日 (金) 17:20 (UTC)[返信]
ShikiHさんはじめまして、こんにちは。カレーライスの編集ありがとうございます。ShikiHさんが編集された、カツカレーに付いてのコメントアウトは個人的意見をコメントアウトしています。これはコメントアウトの使用方法として正しくありません。コメントアウトは個人的な意見を隠して書く機能ではなく、編集によって一時的に削除されないまでも表示させない時などに有効な機能です。本文は関連した文章だけを載せる場です。ShikiHさんの質問や個人の意見、感想などは必要に応じてノートで発言するのが良いかと思います。
さてカツカレーに付いてですが、以前より本文には﹁カツを切って乗せるか切らないで乗せるか﹂の説明は一切明記していないようです。たしかにShikiHさんのご指摘のとうり、少なくても東京周辺では切って乗せるのが一般的ではあるようですが、それはShikiHさんが個人的に知りえる知識または主観であり、その事例を持って多い、少ないや何が一般的かを論じるのはWikipediaでは禁止されているPOVと呼ばれる行為です。もし﹁ShikiHさんがカツカレーには切ったカツを乗せるのが一般的である﹂と書けば必ず誰かからその根拠となる出典を示せと言われるわけです。その前の編集でShikiHさんが書いた﹁昔は水の入ったコップのなかにスプーンをつっこんで食卓に出す飲食店が多かった。﹂﹁たぶん関東弁では略さない方が多いと思います。﹂というのも同じくPOVになるわけです。--Takora D 2008年8月3日 (日) 16:14 (UTC)[返信]
ShikiHさんお久しぶりです。カレーライスの項目で問題となっていた、過去に書かれていた誤解を招く表現を修正いたしました。合わせてカツカレーの項目にも修正を加えました。さて以前に私のノートに﹁カレーライスをカレーと略すことが多い﹂という文章もPOVではないかとのご質問を頂きました。その意見に同意いたします。もしShikiHさんが気になるようであれば要出典のタグを付けてみてはいかがでしょうか。前回はWikipediaの基本方針を持ち出してご説明しましたが、私が案内するまでもなく既に熟読されているとの事で失礼いたしました。ShikiHさんのラーメンの項目などでの中立的な編集は拝見しており、尊敬しております。--Takora D 2008年8月18日 (月) 14:08 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。お久しぶりです。わざわざのご挨拶、痛み入ります。わたしはウィキペディアの基本方針を、半年くらい前に最初の編集をする前に1度読みましたが、今回再読いたしました。英語版は今回初めて読みました。いずれも熟読からはほど遠いのですが、勉強になりました。いろいろと反省をしているところです。これからもよろしくご指導ください。学兄のますますの活躍を期待しております。--ShikiH 2008年8月18日 (月) 19:44 (UTC)[返信]
カツカレーの項目での誤字を修正していただきありがとうございます。私の書いた文章の中身にも、どんどん加筆修正をかけていただいてかまいません。--Takora D 2008年8月21日 (木) 13:33 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。尊敬の助動詞について、近畿方言のノートページで議論してまいりました。私の説は関東弁では尊敬の助動詞を使わない者が多かろうというものでしたが、撤回いたします。すでに私は西村京太郎のなかで1回誤りを認めました。夏目漱石はちょっと現代と言うには古いと思いますが、それでも尊敬の助動詞の使用者であることは明らかです。
私は尊敬の助動詞を滅多に用いず、また、尊敬の助動詞を誤用と考える人も確かにおりますが、それらは個人的な言語運用の好みの域を出ず、どこかの方言としてまとめられるような事柄ではないと考えます。ただし、どのような人が尊敬の助動詞を好まないのかは興味がありますので、これからも考えていきたいと存じます。--ShikiH 2008年8月4日 (月) 12:58 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。Mononohazumiさんにお伝えしたいことがあります。もうこのページに気がつかないかもしれませんが、この件に関してはここでお伝えすると言ってあるのでここに書きます。
﹃日本語乱れ﹄の記事の中で﹁主任もゆかれるのですか?﹂は誤用で正しくは﹁主任もいらっしゃるのですか?﹂であるはまあいいと思います。しかし﹁先刻から偉い偉いということを速水君が言われましたが、貴方がたの方が遥かに大人しい、能く出来ていると思います。﹂をおっしゃいました﹂に変えるのは慎重にした方がいいと思います。なぜならば速水君が自分の友人で、主任ほど偉くないならば私は、﹁言いましたが﹂を勧めます。
この説は上で撤回してるとお思いかもしれませんが、そんなことはありません。わたしが撤回したのは﹁関東弁では尊敬の助動詞を使わない者が多かろう﹂であって、﹁尊敬の助動詞を用いない者がいる﹂は撤回してませんから。--ShikiH 2008年8月5日 (火) 18:01 (UTC)[返信]
こんにちは。私の編集の意図は、編集の要約にあるように﹁これが若者言葉だということ自体が誤りだと思いますが、いきなり削除するのも乱暴なのでとりあえず﹂ということです。つまり、自分としては﹁言われる﹂が日本語の乱れであるとする記述自体を削除したいところです。しかし、いきなり削除するのも乱暴なのであのような形に止めました。あのようにしておけば﹁言われる﹂が日本語の乱れであるとする記述をされた方が﹁乱れだとする考えこそ乱れていた﹂と思い直して自ら削除してくださるかもしれないという期待もあります。なお、﹁日本語の乱れ﹂は関東弁でなく共通語についての記事です。--モノノハズミ 2008年8月6日 (水) 22:03 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。Mononohazumiさんに引き続きここに注目していただいて、感謝いたします。さて、この記事の記述者を考慮に入れると、話はさらに複雑になります。﹁主任も行かれるのですか?﹂は誤りで、﹁主任もいらっしゃるのですかが﹂正しいと考えている人が、﹁速水君が言われましたが﹂は正しいと考える可能性はありませんか? つまり主任は社会的に上の位にある人だから尊敬の助動詞は不適当だが、速水君は友人だから尊敬の助動詞を使ってかまわないと考えているかもしれません。--ShikiH 2008年8月7日 (木) 07:58 (UTC)[返信]
最終的には当該の記述者に聞いてみなくては分からないことですが、社長や部長でなく、下から数えたほうが早い職級である主任を例に持って来ていること、そして﹁行かれる﹂を使っても構わない場合について何も記述がないことから見ると、誰が相手であるかに関係なく無条件に﹁行かれる﹂は誤りだと考えている可能性が高そうです。私が挙げた用例の二つが二つとも○○君に対する﹁れる﹂なのは意図したものではありません。誤解を招くと良くないので一つを﹁先生﹂に対するものに差し替えます。--モノノハズミ 2008年8月7日 (木) 09:49 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。次のように考えます。
﹁じゃ先生がそう変って行かれる 源因 がちゃんと 解 るべきはずですがね﹂ 正‥変ってお行きになる。 変っていらっしゃるだと﹁変っていく﹂でなく﹁変っている﹂に対する尊敬語になってしまいますよね。
﹁お行きになる﹂は私はもちろん言いませんが、標準語としても珍しい表現だと思います。私なら﹁先生がそのようにお変わりになる源因が﹂、あるいは﹁先生がそのように変っておしまいになる源因が﹂と言います。--ShikiH 2008年8月9日 (土) 19:51 (UTC)[返信]
私も﹁変ってお行きになる﹂とはちょっと不自然だと思います。しかし、私はそもそも﹁変って行かれる﹂で問題ないと考えているのです。日本語の乱れの旧版の編集者が﹁行かれる﹂は誤りだとおっしゃるので、苦肉の策であのようにしました。つまり、
あなたのおっしゃる尊敬の﹁行かれる﹂は誤りだという説によると、漱石の﹃こころ﹄も言い換えなくてはならないことになりますよ。しかし、﹁変っていらっしゃる﹂だと意味が変ってしまいますし、﹁変ってお行きになる﹂もなんだか不自然ですよね。そもそも﹁行かれる﹂が誤りだという考えこそが誤りなのではありませんか。
と言いたいのです。
﹁お変わりになる﹂や﹁変っておしまいになる﹂ならば﹁変ってお行きになる﹂より自然ですが、﹁行く﹂がどこにもなくなってしまいますよね。﹁行く﹂の尊敬語として何が正しいかを論じているのに﹁行く﹂に相当する語がなくなってしまっては問題ではないでしょうか。
この節︵尊敬の助動詞について︶の先頭を見ると、ShikiHさんも尊敬の﹁行かれる﹂を誤りだとは考えておられないようです。私もShikiHさんも﹁行かれる﹂を誤りだとは考えていないわけです。その二人で仮に﹁行かれる﹂が誤用だとしたらどう言い換えようかと頭を悩ましているというのも変な話です。それよりも日本語の乱れのノートで問題提起しましょうか。
モノノハズミ 2008年8月10日 (日) 00:07 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。早速のお返事、ありがとうございます。
尊敬の助動詞の問題とは別に、﹁行かれる﹂が嫌われる理由があります。漱石の遙か後の時代に﹁いかれた人﹂というような俗語ができ、多少常識外れな人を意味するようになったことがあげられます。だから﹁行かれる﹂は特に嫌われた可能性があります。ところで、この俗語と区別するために例文の発音は﹁カワッテユカレル﹂がよろしいでしょう。ただしこの言葉は死語となりつつあります。すると﹁行かれる﹂はまた、抵抗感のない言葉になるかもしれません。元々の記事を書いた人の年齢が気になります。
漱石はあの場合、﹁行く﹂を使わなければならないということはないので、全く別の表現をしてもよかった。この﹁行く﹂は補助動詞となっていて実際にいったりきたりではないので、私のように言い換えても差し支えないと考えます。しかしながらご指摘のとおり﹁行く﹂の文法を論じるときに、﹁行く﹂がなくなってしまうのは問題です。例文ごと取り替えられないでしょうか。
日本語の乱れの記事で扱う方がよいかどうかは、よくわかりません。貴兄におまかせいたします。--ShikiH 2008年8月10日 (日) 02:04 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。モノノハズミさんがまだこの欄をご覧になっているとは思えませんが、ご報告します。今週のラジオ深夜便のないとエッセイの放送での、岡野イネ子さんの語り口についてですが、尊敬の助動詞は1回も使いませんでした。彼女は俳人でエッセイスト。浅草生まれで、銀座で去年まで53年間酒場をやっていたそうです。明日以降も数回、続きが放送されます。タイトルは﹁思い出の銀座と猫と﹂。尊敬の助動詞を使わない人は結構いるのですが、モノノハズミさんが聞いてくださるかもしれない状況が見つかりましたので、お知らせいたしました。--ShikiH 2009年2月2日 (月) 15:21 (UTC)[返信]
お久しぶりです。一度でも発言したノートは自動的にウォッチリストに入りますので更新されれば簡単に分かりますよ。興味深いので聞いてみます。--モノノハズミ 2009年2月2日 (月) 21:58 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。ご注目、ありがとうございます。本日の放送では猫の話が中心でそもそもあまり尊敬の表現が無かったのですが、、尊敬の﹁れる、られる﹂は聞かれませんでした。昨日の話によると、戦後しばらくして銀座のチンチン電車に乗ったと言ってましたから、私よりはだいぶ年上の人ですので、真っ直ぐを﹁まっつぐ﹂なんて言ってました。--ShikiH 2009年2月3日 (火) 15:02 (UTC)︵追記︶さらに気がつくのは敬語が少ないことでしょうか。文章に書いたときに文末の句点の前あたりにしか、敬語がありません。読点を打つような所では特に敬意の表現はしないようですので、軽快に粋に聞こえました。--ShikiH 2009年2月3日 (火) 15:55 (UTC)[返信]
昨晩録音しておきまして、先ほど朝風呂を浴びながら聞いてみました。なるほど、いる→いらっしゃる、くれる→下さる式の語彙の置き換えによる尊敬表現は時々あっても、﹁れる、られる﹂は聞こえませんでしたね。一度か二度使っているのを聞き逃しているかもしれませんが、少なくともほとんど使っていないことは間違いありません。こういう人もいるのですね。
敬語表現は、ラジオ放送で多くの人に向かって話しているにしては少なめでしたね。年配の方なので敬語が少なくても軽快とか粋という風に好意的にとってもらえますが、これが若い人だったら、今の若い人は敬語が少なくてけしからんと批判されてしまうでしょうね。--モノノハズミ 2009年2月3日 (火) 22:11 (UTC) --︵整形︶モノノハズミ 2009年2月3日 (火) 22:13 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。文化審議会﹁敬語の指針︵答申︶﹂について p.51では
﹁平成9年1月に実施した文化庁の﹁国語に関する世論調査﹂によれば﹁あしたの会議で意見を言うか﹂という下線部分︵言うか︶を上位者に尋ねる場合,どのような敬語表現が最も多く使われているかは地域ブロックによってかなり異なることが分かっている。例えば,関東では﹁おっしゃいますか︵41.2 %︶/言われますか︵34.1 %︶﹂であるのに対して,近畿では﹁おっしゃいますか︵40.4 %︶/言われますか︵48.1 %︶﹂と逆の結果が出ている。なお,関東ブロックのうち東京都区部に限ってみると,﹁おっしゃいますか︵47.1 %︶/言われますか︵34.3 %︶﹂と﹁おっしゃいますか﹂を選択する割合は更に高い。また,﹁言われますか﹂については,近畿ブロックだけでなく,西日本全域で最も高く選択されていることも明らかになっている。﹂
と書かれています。東京都区部といわず、もっと限定して調べてもらいたかった。また、その人達に﹁言われますか﹂は正しいと思うかをきいてもらいたかった。尊敬の助動詞を使わない人たちがかなりいることがわかったかもしれないのに。--ShikiH 2010年2月12日 (金) 11:08 (UTC)[返信]
ノート:寿司で当方の発言を削除した件は、ブラウザの問題ではなく、ノートを項目毎ではなく丸ごと編集していたり、アップロード前に更新が掛かっていないかどうか確認していない所為では?--219.99.84.8 2008年8月26日 (火) 17:34 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。早速のお返事ありがとうございます。すみません。PCが苦手で、何をおっしゃってるのか、完全には理解できませんが、とにかく最善を尽くします。私が書き上げた後、面倒くさがらずに全文を確かめればよいことなんですよね。そして問題箇所があれば修正する。それで問題は起こらない。今回無精したために、ご迷惑をおかけしました。ご教授ありがとうございます。それから、opera は古いバージョンにはできないようなので、このままやります。--ShikiH 2008年8月26日 (火) 18:54 (UTC)[返信]
アップロードする前に、履歴をみて更新されているかどうか確認すれば済むのでは?--219.99.84.8 2008年8月27日 (水) 04:08 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。アップロードする前に、他の人が更新してないか確認すればいいってことですよね? pcがぼろい場合、なんかをダウンロードと、めちゃくちゃになってしまい、自分の記事がみつからなくなってしまうことがあるので、最新版をいったんダウンロードして確認することはしていません。また、確認しなくても編集が競合すると、﹁あなたの前に、誰かが更新しました﹂という警告が出ます。今回の場合それじゃなかったとおもうんです。また、私としてはあの削除された部分に手をつけたつもりが全くないのです。新しいpcを買わなくちゃいけないようです。ご忠告ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました。お金を貯めます。--ShikiH 2008年8月27日 (水) 04:48 (UTC)[返信]
本文中に分類として登場する﹁インスタントラーメン﹂を関連項目から削除するとは、相変わらず、記事を読まないで編集しているようですね。興味の無い項目なので、記事の方には書かないことにしましたが、早々に訂正するべきでしょう。
﹁寿司﹂の方も、回答が無いようなら、﹁蠅帳の中には、すでに鮨の具︵ぐ︶が調理されてあった。﹂あたりを削除しようと思います。--219.99.84.8 2008年9月2日 (火) 04:39 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。ラーメンは定義上、﹁ラーメンとは汁︵スープ︶に茹でた中華麺を入れた日本の料理。﹂でございますので、インスタントラーメンは関連項目と言い難いと判断します。インスタントラーメンは記事上に出て参りますが、﹁インスタントラーメン﹂との言葉が生まれて以降ラーメンという呼称が標準となったが、﹂と書いてあるだけで、呼称についてインスタントラーメンをのせているだけであって、料理としてのインスタントラーメンは載せておりません。このことからも関連項目に載せるのは、いかがなものかと思います。
﹁寿司﹂のほうは私が読んだように解釈されても仕方がないと思います。でも一抹の不安があったので、あなた自身に注から記事に出してもらうようにお願いしたのになさらなかった。私だけの責任とは思えません。
数え方の後半では1かんがひとつなのか、2つなのかについて、そこで段落を分けました。まあ、、分けなくても良いかとは思いますが、ふつうはあんな長い文章は1段落で書いてはいけないって教わらなかったでしょうか? あなたがよくご利用の百科辞典の一節の長さはあれよりはみじかいとおもいますが、さしつかえなければ署名をお知らせください。文体の検討をいたします。
今なら﹁すしのたねには、すでに仕事がしてあった。﹂と言うんじゃありませんか? この﹁しごと﹂も新しそうなので、昔の小説では使わないことを提示いたしました。
よく読まないで編集しているとちょっと困ります。よく読むと微妙に解らないところがあるので原著者に確認し、変更をお願いしているのです。自分で書き換えないで、私の編集のあとになってからよく読んでないと言われても途方に暮れます。あなたの方もこの記事で誤解をまねかないか、あと1回、読んでくださるようお願いいたします。--ShikiH 2008年9月2日 (火) 09:01 (UTC)[返信]
>料理としてのインスタントラーメンは載せておりません。
最初に指摘している通り、分類にインスタントラーメンは載っています。
>文体の検討をいたします。
文体の問題ではなく、後続の﹁かん﹂の語源説を考慮に入れずに段を変えているのがおかしいでしょう。
>今なら﹁すしのたねには、すでに仕事がしてあった。﹂と言うんじゃありませんか?
﹁小僧の神様﹂に﹁五つ六つ鮨の乗っている前下がりの厚い欅板﹂と書かれているのは、小説だからですよ。タネの下ごしらえを﹁シゴト﹂と呼ぶのはすし屋の符牒で、下ごしらえは今でも調理には違いありません。家庭で母親がする調理を﹁シゴト﹂と呼ぶかどうかは・・・。何れにせよ、他の﹁言葉遣い﹂も、違っていると思った理由は書き添えるべきでは?--219.99.84.8 2008年9月2日 (火) 10:54 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。﹁湯を注ぐ、もしくは湯で煮るだけで食べられるインスタント食品。﹂これのことですね。これはその他に載せてある物なので、記事全体でここをふくらませない方が良いのです。その他について詳しい記事って、変ですから。でも、載せたければわたしはもう削除はしません。他の方々の意見を待ちたいと思います。
段分けはどうしてもしなければならないとは思っていませんので、現在の版ではあなたの意向を尊重してつながってるようにしてます。
志賀直哉﹁小僧の神様﹂がいままででて来なかったのが不思議なくらいです。ところである言葉が普通に使われるかどうかの判定は専門家が書いたものより、小説の方が良いと思いますので、小僧の神様からも拾ってみたいと思います。めずらしい使い方の所は強調文字にします。--ShikiH 2008年9月2日 (火) 13:26 (UTC)[返信]
金田一秀穂は、著物﹃適当な日本語﹄に--以上の署名のないコメントは、ShikiH︵会話・投稿記録︶さんが 2008年9月2日 (火) 22:10 (UTC) に投稿したものです︵219.99.84.8による付記︶。****すいません。ここの編集に手違いをしてしまいました。とりあえずこの通りにしておきますが、必要があれば直してください。--ShikiH 2008年9月3日 (水) 09:23 (UTC)[返信]
一応、KYからの持込者として。 ﹁その位置にさえその発言が確認できない﹂とありますが。 ﹁マスコミにだけ流れて~﹂から始まる引用部の﹁若者言葉には~﹂からの部分において、﹁隠語的﹂と﹁使わなくなる﹂と言う記述があります(引用が正しければ著物にそうあるのでしょう)。
なお私がこの孫引き状態(引き(引用)ではありませんが、孫情報とでも言えばいいのでしょうか)で懸念しているのは﹁若者言葉﹂とされているのか﹁おおまか全体的に、そういう要素がある﹂のか﹁マスコミにだけに流れた言葉という一部に、そういう要素がある﹂なのかが危ないとは、感じています(私の方でも極力早く検証します)。 除去ではなくコメントアウトで対応された事について、御礼申し上げます。--秋月 智絵沙(Chiether) 2008年9月2日 (火) 20:16 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。お返事ありがとうございます。お願いがあります。どこどこから始まって、どこどこの部分においてなんて、urlも貼らずに人に探させないでくださいませんか。こういうときは、全体を書いてください。私が読むのはこのページだけなんですから。元を探し出すまでに何回くりっくさせるつもりか。しょうがないから私が全体を引きます。::
マスコミにだけ流れて、実際には誰も使わなかった言葉に、例えば﹁チョベリバ﹂︵超Very Badの略︶というのがあります。若者言葉には、ある種隠語的なことがあって、他の人にまで広く知られてしまうと、かえって使わなくなるという傾向があります。いずれにせよ、空気を読むというのは、日本文化の非常に中心的な伝統的態度であって、それは今の若者に始まったことではありません。しかし今の若者は、大変日本人的な日本人であるということなのだと思います。︵本文引用︶金田一秀穂︵著︶﹃適当な日本語﹄(2008年)アスキー・メディアワークス︵刊︶
この部分に確かにあなたの言っている趣旨のことはでてきます。しかし記事に書かれたのは﹁適当な日本語にて、若者言葉には、隠語的な要素が含まれていること。そのため広く周知されると使用が避けられる傾向にある。﹂しかしこれは引用とは呼ばないんです。こんなに表現を変えてしまうことは著作権法で禁止されてます。それに見た瞬間に金田一先生はこう書いてないことが解ります。なぜなら国語学者が広く周知されるなんていう言葉遣いをするわけがないからです。原文は﹁他の人にまで広く知られる﹂となってますね。やっぱり。よってこういうのは孫引きとは言いません。金田一先生の実際のお話はラジオで時々聞きますが、こういう言い間違いをしない方ですよ。
あなたの第2段落の文章ですが、わたしには理解できません。金田一先生の著書をお読みください。--ShikiH 2008年9月2日 (火) 22:10 (UTC)[返信]
ええ。﹁孫引き﹂という言葉を誤用した点については、既に述べているように認識しております(そして、それを指摘する手間をかけさせた点についてお詫びします)。 ただそもそも﹁引用範囲﹂が明確でない以上は、引用していませんし。該当著物については、引用するだけのライセンスリスクを犯すメリットがあるとも思えませんので、今後も引用形態を取るつもりもないことは、念頭にお願いします。
其の上で、引いた引かないの差は生じて、それについて私の言葉に不適当な言葉がありましたが﹁検証可能性として、原著物が入手できるのに確認しないのはマズい﹂と申しております。 その点においては、本来の孫引きと同じ問題を抱えている事になっていることは、上記返答から理解して頂けていることだと思われます。 幸いなことに、該当著物は私自身の興味を引くものだったので購入しましたので改めて投稿致します。 --秋月 智絵沙(Chiether) 2008年9月3日 (水) 14:29 (UTC)-(追伸)-ノート:KY#﹁適当な日本語﹂でのKYに対する記述についてで指摘したように、影響はKYの方でしたが現物を確認して正解でした。--秋月 智絵沙(Chiether) 2008年9月3日 (水) 14:51(UTC)[返信]
ShikiHでございます。内容のことについては、読んでいないので解りませんが、引用のことについてだけちょっとお話しします。ウィキペディアで引用をしてもよいかは今も議論されています。著作権のある物については本文では私も引用しません。他の人のアイデアを紹介するときも、注に出典を書くだけにしています。今回のようにノートで議論になったときは、まあしょうがないから引用します。あなたはノートでも引用しないという立場なようですが、それはそれで1つの見識だと思いますから、それでいいとおもいます。ただし、あんまり高齢の先生からはきっと返事が来ませんよ。せめてurlくらいはないと。
今回の件は何か複雑なようで、元々書いた人がいて、それをあなたが移動して、私がコメントアウトしたということなんでしょうか。なんか、もっと複雑なのかなのかも知れません。難しくて状況がつかめないので、私の言ってることがなんかとんちんかんな返事になっているようならおゆるしください。
原著が手にはいるなら、原著に当たるというのはとても大切なことなので、手に入れて読んだことは重要なことです。研究者はそうでなくてはなりません。学生も同様です。ウィキペディア﹁落語﹂の記事で長い間初出がまちがっていました。原著は東京大学霞亭文庫にあるのですが、それまで原典にあたるひとがいなかったんです。落語の記事の所に書いてあるので、興味があればご覧ください。こういうこともありますから、検証は常に面倒くさがらずにやらなくてはなりません。あなたが孫引きを信用せず、原著で確認してくださるとは、ウィキペディアン全体にとってありがたいことです。お読みになった上で、引用はしなくてkまわないので、全体の論旨を発表なさることを楽しみにしています。--ShikiH 2008年9月3日 (水) 21:07 (UTC)[返信]
整理いたしますと、先ずKYの方に、第三者が該当URLを元に投稿が行われました。 URLでの紹介では引用部からは﹁若者言葉﹂としての部分だけでしたので若者言葉に移しました(ここで、私の誤用等の不手際が生じました)。 若者言葉については、現状の(ref修正された版)若者言葉があるべき姿になっていると思います。 煩わせてしまいまして、申し訳ありませんでした。 これにて、こちらをcloseしたいと思います。--秋月 智絵沙(Chiether) 2008年9月3日 (水) 23:14 (UTC)[返信]
複雑な手続きなうえに、私まで誤解してしまったようで申し訳ありません。正しく成形し、皆さんに解るような記事になるとことを期待します。ウィキペディアの今後の発展のために、是非、あなたのお力をお貸ししください。ShikiH拝--ShikiH 2008年9月4日 (木) 10:08 (UTC)[返信]
ヨー!スシにつきましては、
寿司の歴史を塗り替えるような特別の企業であると考えます。その理由は、
(一)まずこれが寿司と言う日本料理を対象としながら、外国のベンチャー企業であること。
(二)世界的規模でチェーン店を現に展開しつつあること。
(三)今まで寿司に関しては未開拓であったロシアや中近東にさえ開店していること。
(四)寿司ネタに関しては、既存の概念を全く変えるメニューを揃えていること。
(五)水産資源の囲い込みを戦略的に行っている企業であること。
(六)我が国の寿司チェーン店と海外で競い合い,覇権を握りつつあること。
(七)日本への参入を模索していること。
これらと考慮すると、特記事項として記述は必要と思いますがいかがでしょうか。--ピノキオ 2009年1月17日 (土) 08:26 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。そのようなことがすべて実現した暁には、寿司の歴史をかざった企業として記録することを検討しても良いと思います。いまはまだ、その時期ではないと考えます。--ShikiH 2009年1月17日 (土) 10:09 (UTC)[返信]
(1)から(5)までは、一応、現時点で実現している事実です。(6)(7)については将来的な課題かもしれません。ピノキオ 2009年1月17日 (土) 11:45 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。追記します。リンク先のページが完成してません。日本語として読むに耐えるようなページをまず作る必要があります。その後初めて、リンク先として適切かどうか判断することができます。--ShikiH 2009年1月17日 (土) 10:53 (UTC)[返信]
are prepared in a kitchen in plain view of customers の部分訳、了解いたしました。ただ客から見える厨房で料理を作り、それを客に見えるように回すと言うことですから、ShikiHさんの記述があながち間違っているわけではないと思いますよ。ヨー!スシのユニークさがもしご理解いただけれるならば、将来的に寿司のリンクにお加え下さい。--ピノキオ 2009年1月17日 (土) 11:32 (UTC)[返信]
コリオリの力における特異点のリンクは確かに、適切さを欠きますね。というのも日本語の特異点の項の説明が限定的過ぎると言うことがあります。外国版をリンクしておけば良かったのかもしれませんが、あまり外国語のリンクは奨励されていないようなので控えさせていただきました。特異点についてはトポロジーの入門書あたりでご確認されれば幸いです。--ピノキオ 2009年1月30日 (金) 01:28 (UTC)[返信]
誰かと思いましたならばまたShikiHさんでしたか、このノートを見て改めて気が付きました。中入りについては両方の記事にリンクを貼っておきましたのでご確認下さい。ピノキオ 2009年3月8日 (日) 07:40 (UTC)[返信]
中入について、ノート:中入 (相撲)に見解を書かせていただきました。尚、言いたい事がいろいろあるかと思いますが、くれぐれも冷静にお願いします。--Sakura minami 8080 2009年3月9日 (月) 19:44 (UTC)[返信]
はじめまして、いつもご活躍を拝見しております。
本日は、今年3月に記事ハモンドオルガンで行われた関連記事項目のコメントアウトについて物申しに参りました。
コメント欄によると(1)リンク先からオルガン奏者と確認できない(2)赤リンクを理由に削除されたようですが、実は英語版記事に明確な記載があったり(ジョーイ・デフランセスコ、ジョン・メデスキ)、何も知らない一般人でもよく知っている事実(古関裕而[3] )というのがあります。あなた様のご存知ない古関裕而氏は、作曲家として高名なだけでなく、NHKラジオ/テレビの音楽担当として40年間に渡り活動し、一般人にもとても知名度の高いハモンドオルガニストなのです。
赤リンクの記事も同様です。あなた様以外の人間にとっては、まだ書くべき記事が書かれていない/他で情報を確認する必要がある、という極めて重要な情報を提供しています。知らないから削除/判らなかったから削除という視野の狭い判断をされると、他の人が迷惑します。ご自身のご活動がウィキペディアや他の人に与える影響について、ご再考ください。--220.104.82.24 2009年6月20日 (土) 01:06 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。ご指摘ありがとうございます。著名なハモンドオルガン奏者のリンクはあって然るべきだと私も思います。ただし、﹁オルガンを先月はじめてばかりのうちのお兄ちゃん﹂をもし誰かが書いたとしたらどうしましょうか。
﹁うちのお兄ちゃん﹂は削除し、古関裕而を残すのに最も簡便な方法は青リンクを見ることです。古関裕而の記事にハモンドオルガン奏者である旨、書き加えておけばよいのですから。古関裕而と﹁うちのお兄ちゃん﹂をいっしょにしては古関裕而に大変申し訳ないのですが、いい加減な人を排除するためには同じ基準でないと都合が悪いのです。
﹁知らないから削除/判らなかったから削除という視野の狭い判断をされると、他の人が迷惑する﹂のはおっしゃるとおりです。しかし、わたしは自分が知ってるかどうかを基準にしたわけではないので、なにとぞご理解ください。貴兄が著名なオルガン奏者の記事を書き加えてくださることと、期待します。--ShikiH 2009年6月20日 (土) 02:24 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。220.104.82.24さんにお伝えします。森繁久彌氏の追悼番組としてNHKで日曜名作座の再放送が行われました。昭和32年、昭和56年の再放送を聞きましたが、多分、古関裕而の作曲・演奏と思われるオルガンのBGMがありました。あまり厚くない音で、必要以上に主張のあるメロディーを避け、視聴者の気にならないように雰囲気を盛り上げる素敵な演奏でした。220さんご指摘の[4]に日曜名作座について言及されているので、機会を待っていたのですが、今回聞くことができました。お礼を申し上げます。--ShikiH 2009年11月17日 (火) 15:26 (UTC)[返信]
出典元ですが、語源由来辞典はルックバイスという会社が運営しています。
http://lookvise.com/
個人運営ではないので、信憑性は高いでしょう。--araremasu 2009年11月22日 (日) 11:51 (UTC)[返信]
ご指摘をいただいておりました本件につきまして、ご返答がおくれて申し訳ありません。修正に関しては当方のミスです。それと、地域のスポーツ施設の記述に関して2名の方より記事に則さないのではないかとのご指摘もあり手をつけておりませんでした。ご迷惑をおかけしました。--Osamiw 2009年11月28日 (土) 11:51 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。ご指摘ありがとうございます。なるほど、私の誤解かも知れません。スタジオ以外の場所をすべてロケーションというのかも知れません。ただしロケ地という語ですが、locationがロケ地にあたる英語だと思うので、ロケ地という言葉には違和感を覚えます。もちろんロケ地が、日本語独自の語義を持つのは当然とは思います。ところでご指摘はありませんが、パラレルワールドも最近は、四畳半神話大系 のような状況を指すことを察知しています。しかしこちらも同意できません。さりながら、元に戻したければそうなさってください。私は再修正はしません。今後とも、よろしくお願いします。--ShikiH 2010年7月3日 (土) 06:09 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。アニメでロケ地と言ってかまわないならば、映画でほとんど現地とそっくりにスタジオにセットを組んでもロケ地と言ってもいいのか? ロケ地京都といいながら、キャストはずっとスタジオなんてインチキだと考えます。アニメでも実写でない限りどんなに精密に再現してもロケ地とは言わない方がいいと思います。私はKyowwさんとはちがって、日本語には規範的な立場ですから。
パラレルワールドは、単にオムニバスに過ぎないものをそのように表現しているのを見つけました。こちらも誤用と考えます。--ShikiH 2010年7月25日 (日) 01:45 (UTC)[返信]
その後、﹃四畳半神話大系﹄の記事の中に﹁アニメでは、各話ごとにその﹁可能性﹂を描いており、アニメ版の紹介文では、原作小説の紹介文と違い﹁4つの平行世界﹂とは記されていない﹂と書かれました。平行世界と言ったのはどうやら文庫版の解説のようです。--ShikiH 2010年8月4日 (水) 13:14 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。わざわざ、ありがとうございます。ご自身でできるようになればよいと思います。一般に記事の名前を変更しようとするときは、必要な手続きがいろいろありますが、今回のように単なる誤字で、名前の変更にだれからも異論が無い場合の移動は簡単です。ページの上の方にある﹁移動﹂という所をクリックします。移動先の名前を聞かれるので、慎重にうちこみます。理由を書いておわり。私は今回忘れてしまいましたが、リダイレクトを削除依頼にだす。これだけです。次の時はご自身でなさってください。ただし、どこかで練習しないように。あくまでも次の時、あるいはよそで同様の例をみつけたときになさってください。--ShikiH 2010年10月11日 (月) 07:35 (UTC)[返信]
﹁貸切乗車﹂部分の一部︵ほとんど全部︶の削除編集おつかれさまでした︵あなたの個人的な私嗜はいってます?︶。
まあ私の記事も、ちょっとマニュアル的な記載が冗長すぎましたかね。﹁百科事典﹂の記事としては詳細すぎたかもしれません。
ただ、けっこう強気だと思いましたがあなたの判断がそういうことであれば、ついでに当記事の﹁一般乗車﹂の節づくりや、﹁過去車両﹂の節づくりも、今回あなたに大幅削除編集された従前の﹁貸切乗車﹂節をはるかに越える冗長さですので、是非あなた︵ShiKiH様︶の事典編纂能力においてたぐいまれなる素晴らしいご叡断で、記事大幅削除仕分けリストラされるべきですね。是非やってください。
ただ、この記事の執筆者には、私のような﹁非鉄以外﹂の優しい者と違って、鉄道系記事に特有な鉄ッチャン系の人がかなり多いので、くれぐれも編集合戦に陥らないご配慮を誓約の上お願いします︵過去に私も、ガチ鉄ッチャン系のみなさまに闘いを臨んでグダグダにヤラれた場面があります。それを鑑みて、老婆心ながら火を噴くことのないよう申し上げております・・・︶。
今後、当記事の﹁一般乗車﹂節に際しても、今回ほとんど削除された﹁貸切乗車﹂記事並の削除編集が見られない場合には、編集能力無しとして今回のあなたの編集をリヴァーとさせていただきます。--shouden 2010年11月10日 (水) 03:19 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。Shoudenさんにお答えします。2つのご指摘がありました。1つは記事の他の所も編集してもらいたいとのことです。記事中のどこを編集するかは私が任意に決めてよいことなので、ご依頼があったからと言って依頼どおりにするとは限りません。2つめは記事のリバートについてです。リバートは編集合戦にならない限りだれでもできることですから、リバートするかどうか決めるのはshouden さんです。私には為す術がありません。--ShikiH 2010年11月10日 (水) 07:39 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。すでにお気づきかもしれませんが都電荒川線の記事で 2010年12月10日 (金) 09:33 に61.198.198.251 さんが、かなりの削除をなさいましたので、お知らせします。--ShikiH 2010年12月11日 (土) 09:20 (UTC)[返信]
この編集ですが、利用者名に疑問があるならまずその利用者に直接対話してください。それをそっちのけで立候補ページに名前がどうのとコメントを優先することは参加姿勢そのものが大きく間違っているとしか思えません。--114.51.161.196 2010年12月16日 (木) 23:57 (UTC)[返信]
- ShikiHでございます。投票、コメントの前に一次質問でウィッチさんにお聞きし、回答をいただいています。これが直接対話だと考えますが分量が不十分とのご指摘でしょうか。二次質問でもっとお聞きすることもできましたが、そうはしませんでした。何卒、おゆるしください。(なお、ノートに新たな節を立てるときは、上の方の+のマークをクリックしてください。さもないと、要約欄に都電の記事への投稿と表示されてしまいますので、ご協力ください。)--ShikiH 2010年12月17日 (金) 10:50 (UTC)[返信]
ノートでは突然の割り込み失礼しました。既に氏は議論も記事の修正も放棄した様ですが、後の判断はお任せしてよろしいでしょうか。 --218.224.6.92 2010年12月20日 (月) 15:39 (UTC)[返信]
- ShikiHでございます。当該記事は著作権法違反でもなく、プライバシーの侵害でもないのでしばらく様子を見ましたが、やはりウィキペディアの記事としてはふさわしくないのでリダイレクトに戻します。--ShikiH 2010年12月21日 (火) 12:06 (UTC)[返信]
こんばんは、ShikiHさん。鉄道車両の誤字修正ありがとうございました。どうしてか﹁偏倚﹂は﹁へんき﹂と読むと誤解してしまっていて、同じ読みの﹁偏諱﹂に誤変換されてしまっていたようです。﹁変位﹂でよいのでは?ということですが、﹁偏倚﹂は鉄道車両がカーブで外側または内側にはみだす量を指す言葉として鉄道用語辞典にも出てくる言葉ですので、正式な用語を使いたいと考えております。よろしくお願いいたします。--Tam0031 2011年11月30日 (水) 15:22 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。正式用語である旨、了解したので、今のままにします。なお、要約欄は狭いので言葉足らずになってしまいました。偏倚は﹁へんい﹂が普通の読み方ですが、﹁へんき﹂とも読むことはあります。辞書には載っているので、誤解ではないと思います。しかし﹁へんい﹂ならばもっと簡単な字がよいかと思っただけです。お返事ありがとうございます。--ShikiH 2011年11月30日 (水) 16:18 (UTC)[返信]
お世話になっております。さて、先ほど小田急3000形電車 (初代)でのこの編集を拝見しました。確かに、単なる略称と考えればそうなのですが、﹁この記事の中では以下このように表記する﹂というのは、その記事の中で使用する表記のローカルルール宣言であると考えられ、そういった場合は一番上の方に置いた方がいいのではないか、と思います。また、鉄道省・運輸通信省・運輸省・日本国有鉄道が運営していた国有鉄道事業について﹁国鉄﹂とする例など、いちいち書き分けると煩雑になるので便宜上の表記にしたものも含まれており︵現実問題として、鉄道省だった当時にはみんなが﹁国鉄﹂と呼んでいたかどうか分かりませんし…︶、この箇所についてはいったん戻させていただきます。ただ、脚注の段組についてはブラウザに依存するケースもあるようなので、2段組みには戻さずに、他の記事も含めて他の方がどのようにしているか、様子を見ようと思います。Cassiopeia-Sweet (会話) 2012年3月2日 (金) 11:37 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。たしかにこの記事を読みに訪れた人が、最後まで通読してくれるという前提があるならローカルルールの宣言は最初がいいと思います。しかし、たいていの人は上から読んでいって、つまらなくなったらそれから先は読みません。どうもこのローカルルール宣言でひっかかって、その先のもっと面白いところを読んでもらえないような気がします。鉄道省なんて聞いたこともないという人は、このあたりで逃げ出さないでしょうか。ご一考下さい。ただし、Cassiopeia sweetさんが主な執筆者なので、私はこれ以上はこの件に手を入れません。--ShikiH (会話) 2012年3月2日 (金) 12:24 (UTC)[返信]
こんにちは。江戸城の記事におけるパイプリンクについて、ShikiHさんの編集要約欄には﹁小田原征伐でかまわないと思いますが、リダイレクト回避の名目でそのように修正するのは疑問。﹂とありますが、かまわないのであれば、パリプリンクに修正し直す必要はないと思います。また﹁疑問﹂といいますが、何が疑問であるのか全く不明で、有意な要約になっていないと思います。﹃Help:パイプ付きリンク﹄には﹁リンク先の名称とは違う表示にできますが、使う時にはリンクラベル︵リンクとして表示される文字列︶に曖昧な表現を用いないでください﹂とあり、﹁小田原攻め﹂の用語は曖昧さ回避のページがあるように限定されていないのですから、パイプリンクにしなければならない正当な理由がありません。--ジャムリン︵会話︶ 2012年4月22日 (日) 04:15 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。小田原攻めにはいろいろなものがあるのは承知していますが、江戸城の記事では﹁1590年︵天正18年︶、豊臣秀吉の小田原攻めの際﹂となっていて、曖昧さ回避のページにあるような他のものとは紛れないと思います。リンクを修正するのはよいとして、ついでに用語まで改編改変するという考え方には大いに疑問があります。記事名の通りに用語を使わなければならないということは、特に定めがないと思います。小田原攻めが禁止用語になった訳じゃありませんよね?--ShikiH︵会話︶ 2012年4月22日 (日) 06:23 (UTC)誤記訂正--ShikiH︵会話︶ 2012年4月22日 (日) 07:17 (UTC)[返信]
その用語でなければならない理由がないことは認知されているのですね?禁止用語だから修正したわけではなく、より限定された事象を示す記事名使用用語へのリンク修正で何の問題ないわけで、修正のし直ししなければならない理由がありません。--ジャムリン︵会話︶ 2012年4月22日︵日) 07:01 (UTC)
記事名使用用語だからとおっしゃってますが、他の記事では記事名に合わせなくちゃならないんですか? そのようなことはないでしょう。--ShikiH︵会話︶ 2012年5月15日 (火) 14:08 (UTC)[返信]
合わせてはいけない理由がないから、修正したのです。元用語であらねばならない理由がないですから。--ジャムリン︵会話︶ 2012年5月15日 (火) 14:19 (UTC)[返信]
﹁記事名使用用語ではイケナイ﹂理由がない限り、合わせなくちゃならないでしょう。色々理由は考えられると思いますが、データ量の無駄ですし、新たにリダイレクトへのリンクを作る人が出て来る遠因にもなります。何より﹁何を意図してそのような迂遠なことをしなければならないのか﹂ご教示頂きたいと思います。--プリズム11︵会話︶ 2012年6月3日 (日) 07:52 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。プリズム11さんにお答えします。歴史用語になにがふさわしいかについては様々な意見があります。私は征伐の用語を嫌うというのが江戸城の編集の意図です。新たなリダイレクトは作成されないでしょう。というのはすでに﹁小田原攻め﹂のあいまいさ回避のページがあるからです。パイプ付きリンクはデータ量の無駄という意見は初めて聞きました。パイプ付きリンクは大変便利なものなので、ウィキペディアのなかで多用されています。これを禁じた場合、その影響はとても大きいので、パイプ付きリンクのノートページに議論を提起なさって、合意を得てくださいませんか? なお、プリズム11さんはご自身の署名がパイプ付きリンクを使用して、別名を名乗っいらっしゃいます。そのような方が上記のような意見をおっしゃるとは、いささか不審に思います。--ShikiH︵会話︶ 2012年6月3日 (日) 11:59 (UTC)[返信]
好き嫌いで決めないで下さい。小田原征伐が記事名として問題があるなら、改名手続きを提起して下さい。またパイプ付きのリンクを禁じているなどという曲解は止めて下さい。--プリズム11︵会話︶ 2012年6月3日 (日) 13:18 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。申し訳ありません。誤解してしまったようです。ここは﹁江戸城でのパイプリンクについて﹂というタイトルなのでてっきりそのことだと思ってしまいました。パイプ付きリンクにご賛同の旨、ありがたく存じます。取り急ぎ、お詫びのみ。--ShikiH︵会話︶ 2012年6月3日 (日) 14:23 (UTC)[返信]
先程の段階を前提にしてWikipedia:コメント依頼/ShikiHを提出しました。誤解があると困るので確認しますが、プリズム11はあなたが江戸城で行なったパイプ付きリンク[[小田原征伐|小田原攻め]]には賛同しておりません。--プリズム11︵会話︶ 2012年6月3日 (日) 14:42 (UTC)[返信]
- 承知しました。--ShikiH(会話) 2012年9月14日 (金) 13:43 (UTC)[返信]
- ご回答、ありがとうございます。あちらでお返事いたしました。--ShikiH(会話) 2012年9月22日 (土) 20:56 (UTC)[返信]
初めてお邪魔いたします。ご尊名はあちこちで拝見しておりました。さて、﹁timpani﹂についてお尋ねでしたが、日本語では﹁ティンパニ﹂という表記がすでに定着していますので、それでよろしいかと思います。英語にはイタリア語から来たのですが︵楽器はこのパターンが多いです︶、イタリア語では単数形が﹁timpano﹂、複数形が﹁timpani﹂となっています。単数形vs複数形という区別がある英語でも、外来語を輸入する際には、このようにして輸入元の複数名詞を単数名詞として取り入れてしまうことがよくあります。なお、イタリア語の祖先であるラテン語︵約2000年前︶では
﹁tympanum﹂︵単数形︶という綴りでした︵Oxford Dictionaries︶より。それで、﹁timpani﹂の﹁m﹂ですが、﹁tympanum﹂は﹁tympan﹂+﹁-um﹂︵接尾辞︶までしか分解できません。ラテン語以前には﹁timpan﹂がもっと細かい形態素から成り立っていた可能性もあるかもしれませんが、そこまでは不明ですので、﹁m﹂が元々、﹁n﹂だったのか﹁m﹂だったのかもわかりません。他の印欧語族の言語︵サンスクリット語、古代ギリシア語など︶で同語源と思われる単語︵外来語を除く︶があれば、比較言語学の理論で約5000年前まで遡って、元の言葉を再構築することも可能ですが、私はそこまで調べておりません。イタリア語版WPにはもっと詳しい情報があるかもしれませんが、私のイタリア語はレストランのメニューを解読できる程度のレベルなので、残念ながらお力にはなれません。以上、ご参考まで。今後とも、ご活躍下さい。--Nandaro︵会話︶ 2012年9月27日 (木) 22:31 (UTC) 一部、補正。 --Nandaro︵会話︶ 2012年9月28日 (金) 01:18 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。わざわざのお返事ありがとうございます。timpani は古くは﹁チムパニ﹂と表記されていましたが、しだいに﹁ティンパニ﹂になってきました。そういう経緯があるので、皆さんのご意見をお聞きしたいと思い質問したのですが、本題からはそれると思って取り消したのです。ご回答ありがとうございます。--ShikiH︵会話︶ 2012年9月28日 (金) 09:20 (UTC)[返信]
なるほど、そういうことでしたか。私の勘違いがあったようですみません。昔は原語の発音とは関係なく、﹁ti﹂は﹁チ﹂、﹁m﹂は﹁ム﹂と一律に表記してたようです。﹁ティ﹂という音は日本語には外来語を除いてありませんから︵口蓋化#日本語を参照︶。英語でも、フランス語から外来語を取り入れる際に﹁ch﹂を字面通りに﹁ch﹂と発音していたのが、後に﹁sh﹂発音に直したと見られる例があります。もっとも、フランス語でも昔は﹁ch﹂を﹁ch﹂と発音してましたから、その時代に英語に輸入された言葉は﹁ch﹂発音のまま英語に残っているということもあります︵﹁chandler﹂vs﹁chandelier﹂、﹁champion﹂vs﹁champagne﹂など︶。ところで、前回書き忘れてしまったのですが、例のノートページで、本題からそれると思って取り消して下さった件、あらためてありがとうございました。--Nandaro︵会話︶ 2012年9月28日 (金) 15:44 (UTC)[返信]
こんにちは、ぱたごんです。八百屋お七のノートページで頂いたご質問、すみません、ウォッチリストに入れ忘れて昨日気が付きました。簡単に調べてみたのですが、ご意見賜りましたら幸いです--ぱたごん(会話) 2012年10月25日 (木) 10:57 (UTC)[返信]
Jizwfと申します。﹁御節料理﹂の記事について歴史などの点で内容がさらに充実されると良いのではないかと考えていましたところ、先程、出典を示して説明を加えて頂きましてありがとうございます。注において出典を示して説明を加えておられますが、注の文中の漢字計2字について誤変換と思料しまして修正しておりますのでご確認ください︵私の勘違いであれば差し戻します︶。﹁御節料理﹂の記事についてですが現状では﹁食積﹂との関係と時代による変化がわかりにくい状態ですので何らかの改善が必要とも考えています。最後になりましたが修正が事後報告となった点についてお詫びいたします。--Jizwf︵会話︶ 2012年10月31日 (水) 16:44 (UTC)[返信]
- ShikiHでございます。お台場がどこを指すかはノートで議論になり、東京港13号埋立地のうちのさらに一部ということで合意を見ています。また本文冒頭でも「港区台場、品川区東八潮、江東区青海のうち青海南ふ頭公園以北から成る」と定義しています。小学校の記事で、この13号埋立地と関連させる必要がありますか? あんまり関係が無いようなら、むしろリンクを貼らない方が親切かと思って削除しました。お台場の記事は現在の地域名のみならず、砲台建設の歴史にも触れておりますから、小学校の記事はそれとの関連はもちろんありますが、そそっかしい人がこの学校がお台場にあると錯覚しない配慮も必要じゃありませんか? --ShikiH(会話) 2012年12月19日 (水) 16:59 (UTC)[返信]
- お世話様です。ノートでお台場の定義、了解しました。現在のお台場と台場小学校は歴史的に関連はありますが地域的に定義外ということですね。ただ、小学校の名称として残ってる台場の意味を考えると、小学校の関連項目は残しても意味があると思います。とりあえず、お台場の関連項目は戻しますね。お手数をおかけしました。--Yotate(会話) 2012年12月19日 (水) 17:16 (UTC)[返信]
この度は大変お世話に成りました。ノート等でこれ以上刺激する様な事は控えますので今後は自分のノートでご指導を宜しくお願いします。--Kazu7878︵会話︶ 2013年1月11日 (金) 12:00 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。カツ丼についての投稿はKazu7878さんのノートページ以外にはしないでくれ、というご要望と理解します。カツ丼について年末から現在まで、記事を編集する方が何人かいらっしゃって、kazu7878さんはそのおひとり。今のところその中のどなたかの意見がもっともで、どなたかはいささか問題だ、などとは判断しておりません。私の立場からは、それぞれの方々に対して公平・最善と思われる対処をするだけなので、時にkazu7878さんご要望を優先することはできないこもともありましょう。何卒、ご理解下さい。--ShikiH︵会話︶ 2013年1月11日 (金) 16:18 (UTC)[返信]
例のページへの回答は上記の通り相手方ノートへの回答を優先します。属性も有り中立の立場から元々両者に注意を促す方針で行きました。詳しくは保護依頼の報告と該当の方のノートを参照願います。宜しければ報告の件を中立の立場でご協力を賜りたく思います。
該当の方への攻撃に自分が仲裁に入り巻き込まれた構図です。攻撃的な方への対処は経験不足もあり迷惑を掛けたと反省してます。中立の立場から協調を促しましたが説得を一旦断念しました。ページの復旧と隠しタグの反応等の履歴からノートも少なからず影響を及ぼしていると見られ例のページに限り当面は自分のノートまで連絡下さい。
質問へは問題の方にも回答しています。最近はノート:平和堂での無茶な質問にも回答してます。どちらも年少者と思しき感じですが属性と大人としての義務を果たす事は言うまでもありません。
ある事情から近年はプログラムも人任せにする等色々ある訳ですがどうかご心配なさらないで下さい。お気遣い感謝します。ヒューマンエラー出典で迷惑された方も居り属性からのここの参加で迷惑を掛けます。--Kazu7878︵会話︶ 2013年1月13日 (日) 14:58 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。すいません。謎のような文章で少しもわかりません。せめて﹁例のページ﹂や﹁該当の方﹂などに固有名詞をお願いします。--ShikiH︵会話︶ 2013年1月14日 (月) 03:31 (UTC)[返信]
失礼致します。ノートのページについての質問者とカツ丼の履歴を参照願います。まだ可能性の段階であり該当の方への配慮と問題の方が匿名である事情から中立の観点で間接的で客観的な回答と致します。表題を例のページについてよりカツ丼についてへ変更訂正した--Kazu7878︵会話︶ 2013年1月14日 (月) 05:00 (UTC)[返信]
ご連絡ありがとうございます。料理関係の記事は3月にIPアドレスのかたがた︵たぶんそう大勢ではなさそうです︶が、上記以外にもたくさん編集しました。学生の春休みと関係があるのでしょうか、ないのでしょうか。賛同できる編集もあれば、そうでない物のあります。検討の上、適切な物があればコメント依頼に出します。しばらくお待ち下さい。--ShikiH︵会話︶ 2013年4月24日 (水) 07:43 (UTC)[返信]
先般お知らせしておきながら大変申し訳ありません。現段階では個別の記事の問題として扱うよりも、より食関連の記事一般の問題として扱うことが必要かと考えましてPortal‐ノート:食#Wikipedia:検証可能性等の観点からのほうで提議を行いました︵上記3件についてはコメント依頼を保留という形にしましたが、もちろんコメントいただいて構いません︶。こちらからお知らせしておきながら大変恐縮ですが宜しくお願い致します。--Jizwf︵会話︶ 2013年4月24日 (水) 09:29 (UTC)[返信]
了解いたしました。--ShikiH︵会話︶ 2013年4月24日 (水) 13:18 (UTC)[返信]
表題の件なのですが、Portal‐ノート:食#Wikipedia:検証可能性等の観点からにおいて﹁プロジェクト:食文化﹂の具体化も考えられるのではないかと思っておりまして、食関連の各記事においてこれまで生じた個々の問題について一般的な指針という形にまとめられないものかという方向で新たに模索しております。2013年4月26日 (金) 15:31 (UTC)に更新されましたShikiHさんのページの﹁﹁市役所記述﹂あるいは国語辞典の役割﹂という節を拝見させていただきました。本節冒頭で述べたノート:たぬき (麺類)でのShikiHさんとの議論にも関連しますので、若干私見を述べさせていただければと思います。ShikiHさんの主張が、特定の出典の主張にのみ傾斜しすぎない、また、各記事の冒頭での定義等などの標準を考慮する際に国語辞典の例も参考にしながら見い出すという主張なのであれば私の見解もほぼ同じです。ShikiHさんの見解と私の見解がどの程度の距離なのかは現段階ではよくわかりません。ただ、国語辞典の役割と百科事典の役割には性質上の差異が認められると思います。国語辞典は百科事典を要約したものではありませんし、百科事典も国語辞典の情報を積み重ねて形成されたものではないと思うからです。ShikiHさんのおっしゃるように語義の標準を考える際に国語辞典の例も参考にしながら見い出すことは国語辞典の機能からみて極めて妥当かと思います。ただ、その一方で検証可能性という点を充実・向上させるためには国語辞典のみでは困難であり、ShikiHさんも国語辞典のみを典拠とすべきという意図でおっしゃっているのではないと思います。Wikipediaの各記事は非常に広範にわたっていますし、食文化関連でさえ国語辞典のみでは対応が困難なことも事実かと思います︵粉豆腐汁のような事例もあります︶。これに関連して︵食関連の記事でも最近問題になりましたが︶記事名に対してその指し示す内容が的確かどうかが問題となる場合においては、既に記事内に置かれている解説の文章との整合性の観点から判断する必要があり、その場合には国語辞典では対応しきれない場合があると思います。例えば、プルトップからイージーオープンエンドへの改名の際、ステイオンタブ方式の扱いが非常に曖昧であったことから私は日本包装学会﹃包装の辞典﹄朝倉書店での学術的な定義を参照した上で改名すべきと提案しました︵このような場合に国語辞典をもとに記事名が個々の解説文との関係で整合性がとれているかを判断することは難しいと思います︶。また、特定の出典の主張にのみ傾斜しすぎないという点についてですが、この点については個々の出典の性質に応じて信頼できる情報源によって可能な限り裏付けを取りながら多角的に記述する方向で解決すべきではないかと考えており、信頼できる情報源という判断を考慮せずに特定の書籍を出典として用いることを抑制したり、既に置かれている出典についての主観的な評価を直接文中で記すべきでないというのが私の考え方です︵検証可能性の観点からみて、信頼できる情報源での記述に基づいて明らかに他説に対する反論として提示されている場合は別として、他の編集者において出典の評価が問題となるようであれば文中で対応するのではなくノートで議論すべきと考えます︶。杞憂かとは思いますが、ShikiHさんが﹁﹁市役所記述﹂あるいは国語辞典の役割﹂の中で﹁不用意に出典とすると﹂とおっしゃっている点は、決して特定の出典を用いるべきではないという意味合いではなくて、出典として示す以上は出典での記述の意図に慎重に考慮すべきという、そういう意味合いなのではないかと思うのですがどうでしょうか。いずれにしてもShikiHさんの主張が、特定の出典の主張にのみ傾斜しすぎない、また、各記事の冒頭での定義等などの標準を考慮する際に国語辞典の例も参考にしながら見い出すという観点であれば私の見解もほぼ同じです。--Jizwf︵会話︶ 2013年4月27日 (土) 21:24 (UTC)[返信]
疑問をお持ちなようですので、おじゃまいたします。>漢文と対比するとき、俗語とは中国近代の口語、すなわち白話を指すのではありませんか?ー>俗語とは雅語に対する言葉でございます︵白話=俗語ですが、この場合は文語と対語になってしまいます︶。平安貴族文化の象徴たる和歌を雅語とするならば、卑官の作る日本製の漢語の硬いお役所言葉は俗語︵not 雅語︶となるのかも知れません。あるいは江戸時代後期の国学的発想かも知れません。ただ、漢文の読み下しを雅語とは言わない事と俗語が白話を指ささないのだけは確かでございましょう。もし私の意見が誤っているようでした、またあちらのノートにでも私のノートにでもお記しくださいませ。--HASIDATE︵会話︶ 2013年10月5日 (土) 04:32 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。﹁漢文訓読﹂の記事についてのお尋ねですね。あちらのノート、またはHASIDATEさんのノートにお返事をというお申し出ですが、続き具合がわからなくなるといけないのでここにお返事します。日本国語大辞典によれば俗語の語義の一つに﹁中国近世の口語をいう﹂とあります。﹁俗語﹂の意義は多様なので常にこの意味だというわけではありませんが、漢文・中国語を論じているときには、少なくとも私にはこの語義が強く意識されます。ご高説の﹁卑官の作る日本製の漢語の硬いお役所言葉﹂は同辞書に見当たりませんから若干の疑問がございますが、当面は﹁漢文訓読﹂の記事はそのままにして、ご指摘の件、さらに勉強したく存じますのでおゆるしください。--ShikiH︵会話︶ 2013年10月5日 (土) 05:59 (UTC) [返信]
ひきつづきShikiHでございます。日国では﹁白話﹂の項に﹁中国で、口語体のこと。俗語。←→文言︵ぶんげん︶﹂とあるのをみつけました。--ShikiH︵会話︶ 2013年10月5日 (土) 16:19 (UTC)[返信]
﹁卑官の作る日本製の漢語の硬いお役所言葉﹂とは勝手な説明でございまして、これは変体漢文のことで御座います。通常は役所の公式文書であり通常文学的価値はございません。鎌倉時代の﹁将門記﹂も和文を漢語で書いたという体裁でございます、文学的には重要な位置を占める作品でございますし、これを俗語というかというとかなり問題が御座いますが、雅語でないことは明らかでございます。ただ、漢文︵白文︶を日本語より高い地位に置く価値観では俗語というのかも知れません。なお漢文は中国語ではございません。先哲の言葉や漢詩など中国古典で日本の学問の基礎となる史学・文学の文章︵もんじょう︶と詩文でございます。とりあえず中国語はお忘れくださいましな。--HASIDATE︵会話︶ 2013年10月6日 (日) 12:04 (UTC)[返信]
- 利用者:ShikiHを読んで下さったことと思います。ご賛同、ありがとうございます。--ShikiH(会話) 2013年10月11日 (金) 06:18 (UTC)[返信]
はじめまして、加藤勝憲と申します。
私の意見を述べております。お読みいただけましたら幸いです。
--加藤勝憲︵会話︶ 2016年10月20日 (木) 21:55 (JST)
お世話になっております。
あなた様が10年前に長岡駅のノートで議論提起された自動改札機の話題ですが、段落が設定されておらず、あとから新しい話題が入ったことによりスタイルのバランスが確保できないため段落を付けさせて頂きました。
お知らせまでに、失礼致します。
-- Rebirth10(会話) 2018年12月7日 (金) 08:46 (UTC)[返信]