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第二期八戸市中心市街地活性化基本計画の追記 |
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* 2004年、地権者間で再開発の報告性が定まらず、再開発計画を断念した。 |
* 2004年、地権者間で再開発の報告性が定まらず、再開発計画を断念した。 |
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=== 八日町地区複合ビル整備事業<ref name=":25">{{Cite web |url=https://www.city.hachinohe.aomori.jp/material/files/group/8/20180622-102616.pdf |title=認定中心市街地活性化基本計画の最終フォローアップに関する報告 平成30年5月 八戸市(青森県) |access-date=2024-06-14 |publisher=八戸市 |page=6}}</ref> === |
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八日町再開発 |
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(株式会社八日町プロジェクト)旧長崎屋ビルは長年廃墟ビル、平成 24 年~29 年度、老朽化したビルを建て替え、商業・オフィス・居住機能を有する複合ビルを整備することを目的とした。 |
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社会資本整備総合交付金(優良建築物等整備事業) |
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=== 六日町地区複合ビル整備事業(株式会社江陽閣)<ref name=":25" /> === |
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特定民間中心市街地経済活力向上事業の経済産業大臣認定平成26年~28年度、老朽化した2つのビルを解体し、商業・オフィスを有する複合ビルを整備した。1階に飲食店及び八戸ブックセンターが、IT・テレマーケティング産業のオフィス機能が入居した。︻要出典︼
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三日町再開発 |
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== 中心市街地活性化基本計画 == |
== 中心市街地活性化基本計画 == |
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不明 |
不明 |
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==== 施策事業<ref name=":24">{{Cite web |url=https://www.city.hachinohe.aomori.jp/material/files/group/8/20160810-173817.pdf |title=第2期 八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成25年3月 |access-date=2024-06-14 |publisher=八戸市 |page=5-6}}</ref> ==== |
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* 国道 340 号の整備(電線共同溝) |
* 国道 340 号の整備(電線共同溝) |
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* 簡易託児所の設置 |
* 簡易託児所の設置 |
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===== 未着手 ===== |
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* 骨格形成道路と面的な整備 |
* 骨格形成道路と面的な整備 |
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* まちなかに来やすくする |
* まちなかに来やすくする |
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* 暮らしやすい住まい環境を整える |
* 暮らしやすい住まい環境を整える |
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==== 中心市街地活性化の基本目標・結果 ==== |
==== 中心市街地活性化の基本目標・結果 ==== |
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* 来街者を増やす |
* 来街者を増やす |
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** 結果:最終フォローアップ報告書に言及なし (H24 年度) |
** 結果:最終フォローアップ報告書に言及なし (H24 年度) |
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==== 施策事業<ref>{{Cite web |url=https://www.city.hachinohe.aomori.jp/material/files/group/8/20160810-173817.pdf |title=第2期八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成25年3月 |access-date=2024-06-14 |publisher=八戸市 |pages=8-9}}</ref> ==== |
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* 国道 340 号線特定交通安全施設等整備事業 |
* 国道 340 号線特定交通安全施設等整備事業 |
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* 三八城公園整備事業 |
* 三八城公園整備事業 |
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* まちなかホテル建設事業 |
* まちなかホテル建設事業 |
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===== 実施中 ===== |
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* 県道妙売市線交通安全施設整備事業 |
* 県道妙売市線交通安全施設整備事業 |
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* 六日町地区くらしのみちゾーン形成事業 |
* 六日町地区くらしのみちゾーン形成事業 |
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* コンベンション誘致事業 |
* コンベンション誘致事業 |
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===== 未着手 ===== |
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* こみちづくり事業 |
* こみちづくり事業 |
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* 駐車場整備事業 |
* 駐車場整備事業 |
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==== 計画期間 ==== |
==== 計画期間 ==== |
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* 平成25年4月~平成30年3月<ref>{{Cite web |title=第2期八戸市中心市街地活性化基本計画{{!}}八戸市 |url=https://www.city.hachinohe.aomori.jp/soshikikarasagasu/machizukuribunkasuishinshitsu/chuushinshigaichikasseika/01/1592.html |website=www.city.hachinohe.aomori.jp |access-date=2024-06-14 |language=ja}}</ref> |
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第2期八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成25年3 月 |
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https://www.city.hachinohe.aomori.jp/material/files/group/8/20160810-173817.pdf |
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==== 計画区域 ==== |
==== 計画区域 ==== |
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* 108ha<ref>{{Cite web |url=https://www.city.hachinohe.aomori.jp/material/files/group/8/20160810-173817.pdf |title=第2期八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成25年3月 |access-date=2024-06-14 |publisher=八戸市 |pages=66}}</ref> |
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==== 中心市街地活性化の基本方針 <ref>{{Cite web |url=https://www.city.hachinohe.aomori.jp/material/files/group/8/20160810-173817.pdf |title=第2期八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成25年3月 |access-date=2024-06-14 |publisher=八戸市 |pages=72}} </ref> ==== |
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==== 中心市街地活性化の基本方針 ==== |
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* 商業やオフィス、福祉・医療、金融、行政など多様な都市機能が集積する活力あるまちづくり |
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* 魅力的な文化や観光資源が溢れる賑わいのあるまちづくり |
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==== 中心市街地活性化の基本目標・結果 ==== |
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* 暮らしやすい住まい環境が整うまちづくり |
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* 公共交通が充実し、歩行者に優しいまちづくり |
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==== 中心市街地活性化の基本目標・結果<ref>{{Cite web |url=https://www.city.hachinohe.aomori.jp/material/files/group/8/20180622-102616.pdf |title=認定中心市街地活性化基本計画の最終フォローアップに関する報告 平成30年5月 八戸市(青森県) |access-date=2024-06-14 |publisher=八戸市 |page=5}}</ref> ==== |
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*来街者を増やす |
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** 現状:58,041 人(H24度) |
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** 目標:65,000 人(H29度) |
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** 結果:57,939 人(目標差▲7,061人) |
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* 定住を促進する |
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** 現状:4,540 人 1.89%(H19度) |
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** 目標:4,550 人 1.95%(H24度)<ref> {{Cite web |url=https://www.city.hachinohe.aomori.jp/material/files/group/8/20160810-173817.pdf |title=第2期八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成25年3月 |access-date=2024-06-14 |publisher=八戸市 |pages=79}}</ref> |
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** 結果:4,269 人 1.84%(目標差▲260人) |
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* 空き床を解消する |
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** 現状:19.2%(H24度) |
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** 目標値:13.0%(H29度) |
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** 結果:10.3% (目標差 2.7%) |
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==== 施策 - 事業名 ==== |
==== 施策 - 事業名 ==== |
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2024年6月14日 (金) 05:51時点における版
八戸市中心市街地 | |
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メインストリート(表通り), はっち, 八戸市美術館,八戸市公会堂,八戸市役所,八戸まちなか広場マチニワ , 八戸市長根スケートリンク | |
座標:北緯40度30分44秒 東経141度29分18秒 / 北緯40.51222度 東経141.48833度座標: 北緯40度30分44秒 東経141度29分18秒 / 北緯40.51222度 東経141.48833度 | |
Country |
![]() |
Region |
青森県 |
市 | 八戸市 |
区域 | 第四期中心市街地活性化基本計画に基づく区域 |
開発時期 | 1630年(寛永7年)-1664年(寛文4年)[1] |
開発者 | 南部利直 |
政府 | |
• 内閣総理大臣 | 岸田文雄 |
• 八戸市長 | 熊谷雄一 |
面積 | |
• 合計 | 1.37 km2 |
人口 (2023年)[3] | |
• 合計 | 4,455人 |
• 密度 | 3,300人/km2 |
• 社会増減数 (2018-2022) | 26人 |
労働 | |
• 就業人口(R3) | 9,778人[4] |
• 事業所数(H28) | 1,866 [5] |
中心市街地 活性化基本計画 |
第1期 H20.7-25.3 |
ウェブサイト | 八戸市 中心市街地活性化基本計画 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/43/HachinohePortalMuseum_hacchi.jpg/350px-HachinohePortalMuseum_hacchi.jpg)
概要
八戸市中心市街地は、人口4,494人、面積138ヘクタール、1平方キロあたりの人口密度は3,300人︵2023年9月︶[6]。就業者人数は約9,778人[7]。 市内のほぼ中央エリアのやや高台にあり、八戸駅から東に5キロメートル、本八戸駅から南に500メートルに位置する。 市の伝統的行事の八戸三社大祭やえんぶりなどの神事、八戸七夕まつりなどの祭事が開催される場所であり、毎月メインストリートを歩行者天国にする﹁はちのへホコテン﹂が催されている[8][9]。中心街の歩み
八戸市中心市街地は八戸藩における城下町発祥の地である[13]。明治以降、近代的な市街地の形成における過程で古い建物の遺構が取り壊された一方で、太平洋戦争での被害が及ばなかった[13]。このため、城下町時代の痕跡が、町名や町割り、神事や祭事に残されている[13][14]。江戸時代
都市建設
1630年︵寛永7年︶、西側の根城周辺に存在した根城町から三日町・十三日町・廿三日町へ、東側の新井田城周辺に存在した新井田町から八日町・十八日町・廿八日町へと八戸城︵柏崎城の説もある︶周辺に移り、新しい城下町の町人町が設けられた。 1664年︵寛文4年︶、八戸藩の初代藩主南部直房により八戸城が正式に築城され、本格的な城下町となった。明治時代
三戸郡役場
八戸市中心街は、明治初頭に八戸町鳥屋部町に青森県庁三戸郡役所が置かれ、八戸町番町に八戸税務署が完成する。八戸城跡地や溜池は、明治初期に八戸小学校が作られた。当時の八戸町は、主な産業である酒造や醤油業、小売業がつくられた。明治10年代は八戸町内で最も多い民業がせんべい屋で140戸あった。次いで荒物店91戸、大工84戸、呉服店67戸だった。 明治12年、八戸町八日町に、第百五十国立銀行︵現在の青森銀行︶の本店が、明治15年、八戸町三日町に、階上銀行が創立した。八戸町の成立
明治22年、八戸町が誕生し町役場が番町︵現在の八戸市美術館︶に置かれ、1893年︵明治26年︶ 7月4日、八戸町大字八幡町︵内丸八戸市庁︶に﹁青森県尋常中学校八戸分校︵現在の県立八戸高校︶﹂が創立した。その頃に﹁八戸町之真景﹂が出版され、当時の八戸町の街並みが描かれた。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/90/The_True_Scenery_of_Hachinohe_Town%2C_Meiji_23_%281890%29.jpg/350px-The_True_Scenery_of_Hachinohe_Town%2C_Meiji_23_%281890%29.jpg)
八戸線支線の建設
1894年︵明治27年︶、中心市街地の北端に日本鉄道の八ノ戸駅︵現在の本八戸駅︶が延伸開業し、東京と八戸が鉄路で結ばれた。同年、さらに東に延伸し湊駅が開業した。鉄道により八戸漁港から魚介類や木炭を輸送できるようになった。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b8/1912_Railway_Line_Guide_Hachinohe_Station_Area.jpg/350px-1912_Railway_Line_Guide_Hachinohe_Station_Area.jpg)
近代化
明治30年代になると、泉山銀行、八戸商業銀行、泉山醤油合名会社、八戸肥料会社、八戸印刷などの企業が設立され、旅館でガス燈が使われるようになる。明治末期、八日町に八戸水力電気が設立され八戸町、小中野村、鮫村に電気が灯る。1908年︵明治41年︶ 青森県立第二中学校︵県立八戸高校︶が郊外の糠塚に新築移転した。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6d/Mikkamachi_Street%2C_Hachinohe_City%2C_from_the_late_Meiji_period_to_the_early_Taisho_period.jpg/350px-Mikkamachi_Street%2C_Hachinohe_City%2C_from_the_late_Meiji_period_to_the_early_Taisho_period.jpg)
大正時代
鉄道貨物の隆盛
中心市街地北端の八戸駅︵現在の本八戸駅︶からは、木炭の出荷が盛んであり貨物取扱高は全国一位。東京市の木炭消費量の1割に相当した。[15]洋風建築の登場
1916年︵大正5年︶、八戸町廿八日町に劇場の﹁錦座﹂が建設された。収容人数1000名以上、総工費は当時の金額で約2万円ほどであったとされる 。ルネッサンス式の建物で開場時には地元紙に﹁東北一の規模をほこる大劇場﹂と報じられ、歌舞伎役者の公演などが行われていた。 その後、八戸大火で全焼したが再建され、映画館として活用された。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2d/Hachinohe_Theater%2C_Nishikiza_%28Taisho_period%29.jpg/350px-Hachinohe_Theater%2C_Nishikiza_%28Taisho_period%29.jpg)
八戸大火
1924年︵大正13年︶八戸大火で中心街の区域は甚大な被害を受け、建築物はほとんど残らない状況にまでなった昭和時代
八戸市の誕生
昭和4年、八戸町、小中野町、湊町、鮫町が合併し八戸市が生まれる。翌年の昭和5年に8万7,000人を記録した。 中心市街地の北西に、都市公園として長根運動公園がつくられた。 昭和5年、中心市街地の南側の外れに吹上火力発電所が完成する。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e0/Mikkamachi_Street%2C_Hachinohe_City%2C_before_World_War_II.jpg/350px-Mikkamachi_Street%2C_Hachinohe_City%2C_before_World_War_II.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3f/Hachinohe_City_Hall%2C_around_1941_%28Showa_16%29.jpg/320px-Hachinohe_City_Hall%2C_around_1941_%28Showa_16%29.jpg)
戦争終結と進駐軍の進出
第二次世界大戦終戦後の昭和22年、人口は12万7000人に急増。[注釈 1] 第二次世界大戦終戦後、進駐軍が八戸に進出。中心街にはキャバレーが誕生した。鷹匠小路の南に中央日米開館や銀映映画館が開館した。 長横町の北村益邸が開放され、歓楽街ができる。発展前夜の八戸中心市街地
1950年代末は、八戸市の市街地建設の前夜であり、中心市街地は都市機能の多くが集積している。市役所、警察署、日赤病院、三八城病院︵市民病院の前身︶、裁判所、教育委員会、八戸営バス車庫、児童会館、八戸小学校、県立八戸商業高校、商業施設の丸美屋、東宝映画館がある。中心街の外縁部は、北側と北東に工場が立地し、東西は空き地や田畑が多く広がっている。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4a/1959_Hachinohe_City_Detailed_Map_-_West_Side.jpg/1300px-1959_Hachinohe_City_Detailed_Map_-_West_Side.jpg)
商業施設の進出
戦後間もない1951年︵昭和26年︶ 、八戸市周辺の地元住民の間から百貨店開設の要望が高まり、地元資本の丸美屋デパートが十三日町に開店[17]した。1960年︵昭和35年︶三万デパートが2,300平方メートル[17]開店した。その後、ユニバースに社名を変更し、郊外に店舗を拡大し代表的な食品スーパーに成長した。1964年︵昭和39年︶ 青森資本のカネ長武田百貨店八戸店が廿三日町に開店した。しかし、競争の激化により、丸美屋、三万、カネ長武田は中心市街地から撤退した。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a7/Marumiya_Department_Store%2C_Hachinohe_Branch%2C_1965.jpg/220px-Marumiya_Department_Store%2C_Hachinohe_Branch%2C_1965.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d0/Miman_Department_Store%2C_Hachinohe%2C_1965.jpg/220px-Miman_Department_Store%2C_Hachinohe%2C_1965.jpg)
大規模商業施設反対勢力
1956年︵昭和31年︶百貨店法が施行された。[18]1951年、八戸専門店会と商業活動調整協議会が発足。1958年︵昭和33年︶丸美屋増床計画による増改築反対期成同盟が発足し[17]、以降、その時代の規模商業施設と八戸商工会議所・中小商業関係者の建設計画への攻防は平成のイオンモール建設計画︵後述︶まで続く。商業施設立地の推移
ここでは、八戸市中心市街地の変容について年表形式で記載する[19]。 ●1951年︵昭和26年︶ - 丸美屋が十三日町に開店[17]、八戸専門店会と商業活動調整協議会が発足。 ●1958年︵昭和33年︶ - 丸美屋増床計画による増改築反対期成同盟が発足[17]。 ●1960年︵昭和35年︶ - 三萬商店の百貨店申請︵2,300平方メートル[17]︶。 ●1964年︵昭和39年︶ - カネ長武田百貨店八戸店が廿三日町に開店。1964年八戸市が新産業都市指定
●1965年︵昭和40年︶ - 老舗が激減︵中央スーパーが閉店、三萬商店がユニバースに移行︶。 ●1968年︵昭和43年︶ - 丸光八戸店︵ビブレ八戸店、さくら野百貨店八戸店、9,759平方メートル︶が三日町に開店、緑屋八戸店︵WALK八戸店、Rec.八戸店、3,200平方メートル︶が三日町に開店[17]。 ●1969年︵昭和44年︶ - 丸美屋が閉店、三春屋が買収[17]。 ●1970年︵昭和45年︶ - 長崎屋八戸店︵9,337平方メートル︶が八日町に開店[17]。 ●1971年︵昭和46年︶ - カネ長武田百貨店八戸店が閉店︵東北ニチイ八戸店、7,407平方メートルとして六日町に移転[17]︶。 ●1978年︵昭和53年︶ - 三春屋と丸光八戸店が大幅増床。 ●1980年︵昭和55年︶ - 青森県第1号再開発事業によるイトーヨーカドー八戸店︵14,215平方メートル︶が十三日町に開店[17]。 ●1985年︵昭和60年︶ - ヴィアノヴァ︵12,645平方メートル︶が十三日町に開店。 ●1990年︵平成2年︶ - 長崎屋八戸店が閉店︵ラピアとして江陽地区に移転︶、田名部組が取得。1994年三陸はるか沖地震
●1996年︵平成8年︶ - 東北ニチイ八戸店が閉店、パチンココンサートホール八戸店が跡地に開店。 ●1997年︵平成9年︶ - 八戸市立市民病院が田向地区に移転。跡地に県立芸術ホール建設構想が発表されるが頓挫。長者まつりんぐ広場が立地。2001年新産業都市法廃止
2002年3月東北新幹線八戸駅開業
●2002年︵平成14年︶ - 八戸屋台村 みろく横丁が開店。 ●2003年︵平成15年︶ - イトーヨーカドー八戸店が閉店︵ピアドゥとして沼館地区に移転︶、チーノはちのへが八戸スカイビルに開店。 ●2004年︵平成16年︶ - マルマツがチーノはちのへに移転。 ●2007年︵平成19年︶ - Rec.八戸店が閉店、テナントがチーノはちのへに移転。2008年中心市街地活性化基本計画が国に認定
●2009年︵平成21年︶ - 八戸スカイビルが破綻。 ●2011年︵平成23年︶ - 債権者集会が八戸スカイビル再生計画を可決。 ●2012年︵平成24年︶ - 江陽閣が八戸ビルを取得[20]、三元ビルがフラワーエイトビルに改称。 ●2018年︵平成30年︶ - マルマツが破綻。 ●2020年︵令和2年︶ - DEVELD八日町が立地︵テナント階は1階タリーズコーヒーのみ︶[21]。 ●2022年︵令和4年︶ - 三春屋が閉店。 ●2023年︵令和5年︶- 八戸スカイビル解体に伴いチーノはちのへ、フォーラム八戸︵市内唯一の映画館︶が閉店[22]娯楽施設と歓楽街の発展
昭和三十︵一九五五︶年代の八戸は映画館 の全盛期だった。[23]1957年の資料によると市内の映画館は、中央劇場、第二中央劇場、文化劇場、松竹館、オデオン座、八戸日活劇場、八戸日活小劇場、八戸東宝劇場、八戸東映、テアトル八戸、テアトル地下、鮫映画劇場、湊映画劇場、水目沢映画劇場、ロマンス、国際劇場があった。[24] 東奥日報によると﹁八戸市中心街の横丁は、戦後間もなくできた﹁たぬき小路﹂に始まり、現在、八つの横丁の細い路地に約120店が軒を連ねる。周辺を含めると、繁華街の飲食店は約600に及ぶという。﹂と報じられている[25]●●北村益、長横町や鷹匠小路︵牢丁︶の歓楽街が誕生した。 1960年代、若者文化発信地の﹁ジュネーブ開館﹂が六日町に開店し、RABラジオ生放送が行われていた。[26] 1958年︵昭和33年︶長根地区の八戸公園に高さ70mの八戸タワー[注釈 2]と八戸市児童遊園地[注釈 3]が建設された。青森県史の窓によると﹁東北地方有数の工業地帯を有していながら、市内には働く人たちが休日過ごす場所がなく、子どもたちの遊び場がなかった﹂[27]と記されており、多くの子どもで賑わった。長根屋外スケートリンクは池になっておりボートを漕いで憩える場所だった。しかし、1968年の十勝沖地震により八戸タワーが被災し取り壊され、昭和60年の八戸市公園︵こどもの国︶の開園により、児童遊園地が閉園した。 現在、跡地に八戸市体育館と八戸市武道館が設けられ、長根運動公園の整備が図られた。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/ba/Hachinohe_Tower%2C_1964.jpg/220px-Hachinohe_Tower%2C_1964.jpg)
公共施設の建設
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a0/Former_Hachinohe_City_Library%2C_1962.jpg/500px-Former_Hachinohe_City_Library%2C_1962.jpg)
施設立地
●1960年︵昭和35年︶ - 八戸市庁舎︵本館︶が完成[28] ●1962年︵昭和37年︶ - 旧八戸市立図書館が堤町に完成 ●1964年︵昭和39年︶ - 八戸市体育館が完成 ●1975年︵昭和50年︶ - 八戸市公会堂が市庁舎の隣接地に新規建設 ●1980年︵昭和55年︶- 八戸市庁舎︵増設の新館︶が完成[28] ●1984年︵昭和59年︶ - 八戸市立図書館が蔵書数の増加に伴い地区内に移転新築。 ●1986年︵昭和61年︶- 八戸市美術館が番町の八戸税務署建物を改修し開館[29] ●1998年︵平成10年︶- 八戸市庁舎︵地震被害の本館跡地に免震構造を備えた別館︶が完成[28] ●2011年︵平成23年︶ - ポータルミュージアムはっちが完成 ●2016年︵平成28年︶ - 市営八戸ブックセンターがGarden Terraceに開店[30]。 ●2017年︵平成29年︶ - まちの駅はちのへがテッコ舎とGarden Terraceに移行。 ●2018年︵平成30年︶ - 八戸まちなか広場 マチニワ公共広場を整備[31]、更上閣賑わい広場完成[32] ●2019年︵令和元年︶ - 八戸市長根スケートリンクが屋内スケート場として新築完成。 ●2021年︵令和3年︶- 八戸市美術館が新築建替で再開館郊外移転
●1908年︵明治41年︶3月 - 青森県立第二中学校︵県立八戸高校︶が郊外の糠塚に新築移転 ●1955年︵昭和30年︶12月 - 県立八戸商業高校が堀端町から郊外の類家字諏訪後に新築移転 ●1968年︵昭和43年︶?月 - 八戸赤十字病院が郊外の田面木地区に新築移転 ●1974年︵昭和49年︶4月 - 八戸小学校が校舎全焼のため近隣の長根地区に新築移転 ●1986年︵昭和61年︶八戸税務署が郊外の江陽地区に移転 ●1997年︵平成9年︶9月 - 八戸市立市民病院が郊外の田向地区に新築移転 ●2001年︵平成13年︶3月 - 八戸警察署が近隣の城下地区に新築移転 ●2011年︵平成23年︶八戸消防署が郊外の田向地区に新築移転 ●2011年︵平成23年︶8月 - 柏崎小学校が近隣の青葉地区に新築移転オフィス立地
●2008年︵平成20年︶ - 江陽閣が松和ビルを取得。 ●2014年︵平成26年︶ - 八戸市が江陽閣の土地における一部を取得、市民活動との連携で合意。 ●2016年︵平成28年︶ -江陽閣がGarden Terraceを整備、ヤフーがGarden Terraceに移転[33]、交通渋滞
旧国道45号では表通りと長横町通りを上り方向、裏通りと寺横町通りを下り方向として1968年︵昭和43年︶に一方通行化が実施され、渋滞著しかった八戸市中心市街地内の交通円滑化が図られた[注釈 4]。再開発計画
鷹匠地区再開発事業
1974年︵昭和49年︶八戸市は﹁鷹匠地区再開発事業﹂を計画し、ロー丁と三日町のブロック合わせて中心市街地の商業エリアの核をつくるとしたが頓挫した。十三日町十六日町再開発事業
1980年︵昭和55年︶4月19日、八戸第一市街地再開発組合が八戸スカイビルを建設し、イトーヨーカ堂八戸店が核テナントだった。 2022年︵令和4年︶10月、フージャースコーポレーションが八戸スカイビルの再開発計画を発表。ホテル、マンション、商業施設が入居する予定。事業期間は2022度〜2025年度の4年青間とし、総事業費94億円のうち3分の2を国と八戸市が負担した。地区再生計画
八戸市は、1987年︵昭和62年︶度に実施された﹁八戸市中心市街地都市活力再生拠点整備計画調査﹂に基づき、中心市街地の中で特に整備が必要な約51ヘクタールを﹁都市活力再生拠点﹂として定めた。﹁地区再生計画﹂を策定め、平成元年に大臣に認証された。基本方針
﹁①都心の通過交通排除のための道路整備、②都心での良好な歩行空間の整備、③共同化・協調化による街並み整備、④多様な都市機能の有機的連鎖﹂だった。[34] 中心市街地整備方針図には、トランジット・モール化︵340号線︵表通り︶や本八戸駅前通りなど︶、複合バスターミナル︵十六日町、八戸スカイビル対角上︶、多目的イベント広場︵二十三日町バス停前︶、クロス・メディアセンター︵NHK付近︶、緑地公園︵三日町交差点・ダイワロネットホテル一帯︶、緑地公園︵本八戸駅北口︶が記されている。[35]三日町番町再開発事業
1994年︵平成6年︶の番町と三日町に亘る大規模な計画では商業施設・ホテル・駐車場を取り込んだ2.4ヘクタールとなる再開発ビルの計画だった[36]。しかし、バブル崩壊による不況のため、核テナント誘致が困難な状況となった[37]。1999年︵平成11年︶に三日町番町地区市街地再開発事業計画の素案が公表され、一時期ではあるものの、総面積8.2ヘクタールとなる再開発ビルの計画が再び浮上した[38]。沿革
●1994年、前述の地区再生計画に基づき、三日町番町再開発促進協議会が設立された。 ●1995年は三日町番町再開発事業等調査の実施 ●1996年10月に三日町番町再開発準備組合を設立。組合側から市に対して公団施工可能調査が要望され、当該、三日町番町地区市街地再開発事業等調査が実施された。 ●計画内容は、大型駐車場設置、事業区域設定、都市計画道路を現行計画の15mから20mに拡幅すること ●2000年、準備組合は、公団施工の際の費用負担等の問題から、事業主体である施工者を公団から組合に変更した。 ●市史によると﹁地権者熟度不十分、新幹線開通による財政負担が重い中、再開発事業の市負担30億円の拠出拒否したため﹂とされている。 ●2001年、再開発区域内のダックビブレが民事再生法を受け、再開発計画が凍結さた。 ●2004年、地権者間で再開発の報告性が定まらず、再開発計画を断念した。八日町地区複合ビル整備事業[39]
︵株式会社八日町プロジェクト︶旧長崎屋ビルは長年廃墟ビル、平成24年~29年度、老朽化したビルを建て替え、商業・オフィス・居住機能を有する複合ビルを整備することを目的とした。 社会資本整備総合交付金︵優良建築物等整備事業︶六日町地区複合ビル整備事業︵株式会社江陽閣︶[39]
特定民間中心市街地経済活力向上事業の経済産業大臣認定平成26年~28年度、老朽化した2つのビルを解体し、商業・オフィスを有する複合ビルを整備した。1階に飲食店及び八戸ブックセンターが、IT・テレマーケティング産業のオフィス機能が入居した。︻要出典︼中心市街地活性化基本計画
八戸市は2000年︵平成12年︶3月から、旧中心市街地活性化法に基づく計画を実施し、2008年︵平成20年︶7月からは、改正中心市街地活性化法に基づく4期20年の計画実施している。旧中心市街地活性化法に基づく計画
計画期間
●平成12年3月[40]計画区域
●140ha[40]中心市街地活性化の基本方針[40]
●魅力ある商業軸の形成と﹁市日﹂の復活 ●八戸観光・情報の発信と﹁山車﹂のあるまちづくり ●市民ニーズに対応した都心機能の充実 ●まちの活力を維持する定住の促進中心市街地活性化の基本目標・結果
不明施策事業[40]
完了
- 国道 340 号の整備(電線共同溝)
- 国道 340 号の整備(歩道整備)
- 花小路横丁の整備
- 三八城公園の整備
- 観光情報センター(中心市街地の店舗等の紹介、お土産センター)の整備
- 八戸の祭をPRする施設の整備
- チャレンジショップの設置
- 市民交流施設の設置
- 八戸観光サテライトの設置
- 娯楽機能の導入
- 港町「八戸」をイメージさせる街並みの整備
- 市日の展開(市日の設定)
- 海鮮等の飲食の充実
- 宅配サービスの実施
- いっぷくサービスの実施
- まちかど講習会の実施
- イベントの充実
- 街情報マップの作成 実施
- バス待合場所(バス停)の整備
- 交番の設置
- リサイクルセンターの設置
- 簡易託児所の設置
未着手
- 骨格形成道路と面的な整備
- 沼館三日町線の整備
- 三日町番町地区再開発
- 八戸芸術パークの整備
- 長根公園の整備
- ポケットパークの整備
- 駐車場の整備
- 高度利用による都市型住宅の誘導
- テナントミックス事業
- 国際化に対応したサインの設置
- ポイントシステムの導入
- 福祉施設の充実
第一期八戸市中心市街地活性化基本計画
計画期間
- 平成20年7月~平成25年3月(4年9ヶ月)[41]
計画区域
- 108ha[42]
中心市街地活性化の基本方針[43]
- はちのへの文化交流のメッカをつくる
- まちなかの見どころ・もてなしを充実する
- 魅力ある店々が連なる回遊空間を創出する
- まちなかに来やすくする
- 暮らしやすい住まい環境を整える
中心市街地活性化の基本目標・結果
- 来街者を増やす
- 定住を促進する
- 商店街の活力を回復する
施策事業[52]
完了
- 国道 340 号線特定交通安全施設等整備事業
- 三八城公園整備事業
- (仮称)八戸市中心市街地地域観光交流施設整備事業
- 中央児童会館改築事業
- 借上市営住宅整備事業
- 分譲マンション新築事業
- 大規模小売店舗立地法の特例区域の設定の要請
- (仮称)中心市街地テナントミックス調査研究事業
- バスロケーションシステム導入事業
- まちなかホテル建設事業
実施中
- 県道妙売市線交通安全施設整備事業
- 六日町地区くらしのみちゾーン形成事業
- 本八戸駅通り地区整備事業
- スケートボード広場整備事業
- 市立図書館環境整備事業
- 中心市街地まちなか住宅取得支援事業
- ほっとサロン事業
- まちなか保育園運営事業
- まちなかヘルスアップ事業
- 中心市街地活性化協議会タウンマネージャー設置事業
- 商店街ビジョン策定等支援事業
- 会所場づくり事業
- 中心市街地オフィスビルパートナー制度事業
- 中心商店街空き店舗・空き床解消事業
- 共通駐車券の IC カード化事業
- 駐車場整備事業
- 空き店舗再生事業
- まちなか講座事業
- はちのへホコテン事業
- 長者まつりんぐ広場運営事業
- 商店街ポータルサイト運営事業
- アントレプレナー情報ステーション事業
- まちなか生業応援事業
- まごころ宅配サービス事業
- 市日はちのへ楽市楽座事業
- 中心市街地活性化協議会運営支援事業
- 八戸三社大祭開催支援事業
- 八戸えんぶり開催支援事業
- バス路線共同運行化事業
- バス交通利用環境改善事業
- はちのへ観光誘客推進事業
- ボランティアガイド育成事業
- 観光戦略アドバイザー事業
- コンベンション誘致事業
未着手
- こみちづくり事業
- 駐車場整備事業
- さくら野百貨店改築事業
- まちなかめぐりマップ作成事業
第二期八戸市中心市街地活性化基本計画
計画期間
- 平成25年4月~平成30年3月[53]
計画区域
- 108ha[54]
中心市街地活性化の基本方針 [55]
- 商業やオフィス、福祉・医療、金融、行政など多様な都市機能が集積する活力あるまちづくり
- 魅力的な文化や観光資源が溢れる賑わいのあるまちづくり
- 暮らしやすい住まい環境が整うまちづくり
- 公共交通が充実し、歩行者に優しいまちづくり
中心市街地活性化の基本目標・結果[56]
- 来街者を増やす
- 現状:58,041 人(H24度)
- 目標:65,000 人(H29度)
- 結果:57,939 人(目標差▲7,061人)
- 定住を促進する
- 現状:4,540 人 1.89%(H19度)
- 目標:4,550 人 1.95%(H24度)[57]
- 結果:4,269 人 1.84%(目標差▲260人)
- 空き床を解消する
- 現状:19.2%(H24度)
- 目標値:13.0%(H29度)
- 結果:10.3% (目標差 2.7%)
施策 - 事業名
第三期八戸市中心市街地活性化基本計画
計画期間
計画区域
中心市街地活性化の基本方針
中心市街地活性化の基本目標・結果
施策 - 事業名
第4期八戸市中心市街地活性化基本計画
計画期間
計画区域
中心市街地活性化の基本方針
中心市街地活性化の基本目標・結果
施策 - 事業名
東奥日報は、﹁中心商店街の通行量調査は、1989年の48万4231人がピークだった。70から90年の12年間は40万人台、91―97年の7年間は30万人台を維持していたが、02年以降は20万人を下回り、前年比で増減を繰り返しながらも総じて右肩下がりとなっている。﹂[58]と報じた。 1999年︵平成11年︶10月、まちの駅八戸、空き店舗モデル事業、休憩所、備え付けのPC利用[59] 2004年10月、スーパー防犯灯を三日町、十三日町などに五基を設置。[60] 2004年12月、本八戸駅ショッピングモール﹁シーガルタウン﹂がリニューアル[61] 2004年、商議所通行量調査、﹁二〇〇二年から三年連続で二十万人を割り、中心街空洞化に歯止めがかからない状況﹂[62]2月、イトーヨーカ堂が撤退、3000人以上減少した地点もある[62] 2004年度、八戸市は﹁都心地区再生プロジェクト﹂を発足。市民ワークショップなどを開催。[63] TMO︵2004年8月︶八戸市が設立。借り上げ市営住宅の建設など緊急に取り組むべき十施策を取りま とめた。[63] 2006年2月、﹁はちのへ地域再生シニア協議会﹂は、八戸市の活性化を目指す﹁八戸市を元気にしよう会﹂の初会合を中心街で開いた。理事長は﹁地域づくりに知恵を出し合って、八戸市の元気を取り戻したい。﹂[64]と話した。 2006年6月、東奥日報は﹁八戸市中心街の十三日町にある代表的な商業ビル﹁ヴィアノヴァ﹂と﹁チーノ﹂を運営する地元企業の債権の一部が今年三月、青森銀行から外資系金融グループの関連企業にいずれも譲渡されていた﹂と報じた。[65] 2006年7月、チーノがテナントリニューアル、ビル運営会社の八戸スカイビル社長は﹁どんどん中身を変え、若い人を中心街に呼び込みたい﹂と述べた。[66] 2006年7月、青森県は﹁アドバンス商店街支援診断事業﹂を実施し、八戸市中心商店街の企業の経営状況などを中小企業診断士が分析し、経営改善計画を図る。[67] →2007年3月、県は﹁アドバンス商店街支援診断事業﹂の八戸中心商店街11店の参加店による改善計画実施の報告会が開いた。三日町や十三日町、長横町、内丸などの店舗が県の事業を受けた。[68] 2006年12月、商議所通行量調査﹁総通行量は二日間で16万3548人で、前年比では1万7679人︵9.8%︶の減少。2002年から5年連続で20万人を割り込み、中心街空洞化に歯止めがかからない状況となっている。﹂[58] 2007年12月、商議所通行量調査、東奥日報は﹁総通行量は2日間で15万1794人、前年比で1万1754人︵7.2%︶減少した。資料のある一九七九年以降では最少で、十年前のほぼ半分。日曜日の通行量が平日より少ない“逆転現象”も八年ぶりに起き、休日の来街者の減少に歯止めがかからない状況が浮き彫りとなった。﹂と報じた。[69]同年9月に三日町のファッションビル・レックが閉店した影響などを示唆。[69] 2008年9月、中心街の地価下落が継続。﹁近隣のファッションビルが2007年9月に閉店した八戸市六日町は同10.7%減、同市十三日町も同10.5%の減﹂[70] 2010年4月、鷹匠小路商業振興会は、あんどんを設置。国の地域商店街活性化補助金約146万円や市の補助金約24万円を活用して設置した。[71]
﹁ ﹁十三日町の裏は十六日町というように、表通りと裏通りの町名の数字を合計すると最後の数字が﹁9﹂になる。東洋思想では﹁9﹂は縁起が良いとされ、まちが繁栄するようにとの願いが込められているという。﹂[72]
年表
明治12年、八戸町八日町に、第百五十国立銀行︵現在の青森銀行︶の本店が創立 明治14年、明治天皇が奧羽北海道御巡幸の際に、八戸小学校︵現在の八戸市庁︶に宿泊された。[73] 明治15年、八戸町三日町に、階上銀行が創立 明治10年代は八戸町内で最も多い民業がせんべい屋で140戸あった。次いで荒物店91戸、大工84戸、呉服店67戸だった。 ︻写真 第百五十国立銀行︼ ︻写真 階上銀行︼ 明治22年、八戸町が誕生し、町役場が番町︵現在の八戸市美術館︶に置かれる。 1894年︵明治27年︶、中心市街地の北端に日本鉄道の八ノ戸駅が開業。 1893年︵明治26年︶ 7月4日、八戸町大字八幡町︵内丸八戸市庁︶に﹁青森県尋常中学校八戸分校︵現在の県立八戸高校︶﹂が創立。 ︻写真 八戸町役場︼ ︻写真 青森県尋常中学校八戸分校︼ 明治30年代、八戸中心市街地では、八戸町三日町の旅館にガス燈が灯された。[74] ●泉山銀行 - 明治30年11月創立。本店は八戸町十三日町。 ●八戸商業銀行 - 明治30年8月創立。本店は八戸町三日町。 ●泉山醤油合名会社 - 明治34年創業 ●八戸肥料会社 - 明治33年創業 ●八戸印刷 - 明治33年創業。八戸町長横町。 ●八戸水力電気 - 明治42年創業。八戸町八日町。 1908年︵明治41年︶3月 - 青森県立第二中学校︵県立八戸高校︶が郊外の糠塚に新築移転 明治末期、八日町に八戸水力電気が設立され八戸町、小中野村、鮫村に電気が灯る。大正時代
1924年︵大正13年︶八戸大火で中心街の区域は甚大な被害を受け、建築物はほとんど残らない状況にまでなった。昭和
昭和4年、八戸町、小中野町、鮫町が合併し八戸市が生まれる。昭和5年、中心市街地の南側の外れに吹上火力発電所が完成する。
長横町や鷹匠小路︵牢丁︶の歓楽街が誕生した。また、
商業施設立地
新全国総合開発計画 1962年︵昭和37年︶国会で新産業都市建設促進法が施行され、﹁地域格差の是正、大都市への人口や産業の集中化防止、都市機能の地方への分散などを目的とした﹂[16]中で、1964年︵昭和39年︶八戸市は新産業都市に指定され[16]、大規模な港湾整備と臨海部への工場建設が進み、同時に後背地への住宅団地建設が加速した。このような背景により、八戸市中心街には旺盛な消費需要増加を見越した全国資本商業施設が相次いで進出した。公共施設立地の推移
2010年代から長根運動公園における公共施設の移転が行われており、八戸市中心市街地の見通しは依然不透明である。また、江陽閣による再開発において八戸市主導で実用書を扱う店舗の整備が検討されていたものの、実用書は文明の利器であり文化にそぐわないという観点から批判が上がっており[75]、最終的に市民活動との連携を見据えた構想により八戸ブックセンターの設置に至った[76]。郊外商業施設の台頭と中心市街地再生への模索
1970年代から八戸市中心市街地再開発構想が持ち上がっていた。 現在では、2008年︵平成20年︶8月における八戸市中心市街地活性化基本計画の内閣府認定に対応して行政・市民・各関係者の間で協議・対策が採られ、マンション・ホテル・冠婚葬祭場・老人ホーム建設のほか、2011年︵平成23年︶にははっちの建設といった動きが出ている[77][78]。 2024年3月、八戸市中心街︵三日町︶の地価が前年の-0.8%から0.0%の横ばいになった。[79]隣接する十三日町・十六日町地区再整備支援事業のマンション、ホテル開発が進行中。中心街商業施設︵現存︶
●1968年6月、さくら野百貨店八戸店 15,227㎡ 業態百貨店 ●1985年9月、ファッションパルヴィアノヴァ 4088㎡︵有︶ヴィアノヴァ 核なし 業態寄合百貨店閉店 1980年4月八戸スカイビル︵チーノはちのへ︶14,005㎡ 八戸スカイビル︵株︶核 マルマツ 業態寄合百貨店
市郊外イオンモール出店計画への激しい抵抗、売場面積4万数千平米から7850平米に計画変更に成功
2001年夏、郊外の田向地区に売場面積約4万数千平米のイオンの大型商業施設建設計画が浮上。[80]市全体を巻き込む論争になり、市長選挙では出店計画反対の現役中村市長が落選。建設に柔軟な対応するとした新人小林氏が初当選した。しかし、八戸商工会議所、地元商業関係者、地元経済界、新市長が設置した有識者商業アドバイザリー会議が出店反対を表明し、小林市長はイオンの大型商業施設を認めないとした。しかし、さまざまな理由から一部妥協し売場面積1万㎡以下は建設可能へと変更した。2012年6月、イオン八戸田向ショッピングセンター︵売場面積7,850㎡︶が開店し、3日間で来店者が約10万人に達し、現行の従業員256人では対応しきれず、追加で30人雇用した。グランドオープン当日は朝7時開店と同時に700人が買い物に訪れた。[81]一方、イオンモールが市内に建設を阻止できたにもかかわらず、中心街の商業施設の撤退︵レック、三春屋、チーノの閉店︶が相次ぎ、2024年、市郊外のイトーヨーカドー八戸沼館店の閉店が決まった。イオンモール下田は増床を重ねマンション立地
2012年1月、市営住宅﹁八戸番町ヒルズ﹂が完成[82] 2020年7月、旧長崎屋跡地に﹁DEVELD︵ディベルド︶八日町﹂が完成[83] 2024年5月、旧イトーヨーカドー跡地に、十三日町の再開発計画﹁ハチノヘスクエア﹂のマンション1棟目着工開始。国、市が13億9000万円支出[84]青森県
2003年11月、廿三日町の340号線電線地中化工事で、県は土地所有者らに対し﹁約二メートルの拡幅部分の用地買収費以外は、土地所有者らに補償せず、拡幅のために後退する店舗改修費などは店舗持ち出し﹂が報じられる。県は﹁十三日町、三日町、八日町も同じ方式で行ってきた﹂と回答した。[85]八戸市の対応
1974年︵昭和49年︶八戸市は中心市街地の商業エリアの核をつくるべく、﹁鷹匠地区再開発事業﹂を計画し、ロー丁を中心に隣接する三日町ブロックと合わせて、としようとしたが失敗した。 2003年2月、﹁中心商店街空き店舗情報﹂を八戸市のホームページに開設。[86] 2004年5月、中心街活性化に向けて2つの会議体︵八戸市地域再生推進会議、八戸市地域再生ワーキング会議︶を設置。[87] 2004年8月、市郊外の田向地区︵土地区画整理事業地区内︶へのイオンモール出店計画について、﹁大規模商業施設の進出は事業目的と異なる。同地区への進出は好ましくない﹂とし、用途地域変更は行わないと述べた。[88] 2005年5月、八戸市と田向土地区画整理組合、医療・福祉関係団体が﹁田向地区保健・医療・福祉拠点協議会﹂を設立。[89]イオンモール出店計画に対応 2005年9月、﹁トランジットモール社会実験﹂を中心街の三日町と十三日町の国道340号線で実施。車道の中央部1車線だけをバス・タクシー・配送車のみ通行可にし、両側の車線をオープンカフェや遊歩道にした。別の日は完全車両通行止めにし歩行者天国や、3車線中2車線にし、1車線オープンカフェにする﹁セミトランジット﹂を行う。[90]事業費は上限八百万円。国土交通省に採択され国が全額負担する。[91] 2005年12月、﹁まちなか再生 市民フェスタ﹂八戸グランドホテルで開催[92] 2007年1月、小林市長は、田向地区の大型商業施設の立地計画を容認しないと発表。[93][10][94]市長は﹁中心街が寂れていくのは耐えられないという価値判断。これで正しかったと言えるよう全力をあげて取り組む﹂と述べた。[10]また、小林市長は﹁三日町地区に、市の地域観光交流施設と、さくら野百貨店など隣接3店舗が一体となった新ビルを建設。このビルを核にした周辺整備を、09年度完成を目指して進める﹂[94]と再開発構想を述べた。一方、田向地区には土地区画整理組合に配慮し消防署などの公共施設を立地するよう検討した。[93]2007年11月、準工業地域を特別用途地区に指定に向けた動き[95][96]市郊外への大型SC建築規制へ。 2007年11月、中心市街地活性化基本計画の申請延期。東奥日報の取材に、﹁市側は﹁さくら野と旧長崎屋の事業者側から、国の支援を受けたいのでぜひ計画に入れてもらいたいという要望があった﹂﹂[97]と報じた。市は同計画の中で、﹁さくら野百貨店八戸店の改築、八日町の旧長崎屋ビルの再開発、三日町のファッションビル﹁Rec.︵レック︶﹂と隣接の空きビルの再開発﹂の商業ビル更新等の再開発を含めて申請する予定。[97] 十三日町のこみちづくり事業など複数の構想 2008年7月、八戸市中心市街地活性化基本計画が国に認定 108haを活性化区域に指定︵第1期計画期間 平成20年7月~25年︶[98] 2010年8月、市郊外の田向地区都市計画変更案を発表︵店舗面積1万平米以下商業施設立地可能へ︶[80] 2013年3月、八戸市中心市街地活性化基本計画が国に認定︵第2期計画期間25年4月~30年3月︶[99] 2018年3月、にぎわい拠点施設﹁マチニワ﹂を三日町に開設 2018年11月、八戸市中心市街地活性化基本計画が国に認定︵第3期計画 平成30年12月~平成36年3月︶[99] 2023年3月、民間開発誘導方針案を公表。中心市街地再開発事業者に対しミクストユースの手法を促す[100][99] 2023年8月、中心街の表通りを3車線から2車線にする実証実験﹁みちニワ﹂を実施[101] 2023年7月、まちなかWi-Fi運用を開始︵三日町、十三日町、六日町、十六日町の14ヶ所︶[102] 2024年3月、八戸市中心市街地活性化基本計画が国に認定︵第4期計画 令和6年4月~令和11年3月︶[99]
八戸商工会議所の対応
1985年8月、八戸商工会議所と八戸市が中心市街地活性化に取り組む懇話会発足。建設省の中心市街地活性化計画と通産省のコミュニティマート構想の二つの地域指定を目指す。対象地域は、二十三日町、十三日町、六日町、朔日町、櫓横丁、番町、八日町、十六日町、中央通り、内丸、十八日町の十二町。[103] 1991年1月、はちのへ共通商品券発行が2億円90万円を超える︵1990年度実績︶全国トップクラスの実績と事務局。[104] 1994年1月、神戸製鋼CS︵後のピアドゥ︶建設計画に反対の決議。﹁地元スーパーの出店は厳しく制限しながら、県外の大手資本に手を貸すのは容認できない﹂﹁SCができると中心商店街が衰退する﹂と反対意見が出た。[105]商議所会頭は﹁大型SCを建設すれば商業集積整備基本構想や地方拠点都市構想に基づき整備する中心商店街の活性化を妨げる﹂[105]商議所会頭は県知事に対し﹁同開発は八戸市の街づくりと食い違うので、神鋼にSCを造らないよう指導してほしい﹂と要望していたと報道[105] 1994年12月、中心商店街の日曜日の歩行者数が5年連続減少︵商議所調査︶郊外SC客流出と推測。10月16日︵日︶172,341人︵前年比▲7.1%︶。1985年比で40%減少。[106] 2001年に浮上した郊外の田向地区にイオンモール建設構想に対し﹁中心街が衰退する中、地元小売業に大きな影響を与える大型商業施設の出店は、都市政策上も妥当とはいえない﹂と慎重な対応を市にに要望した。[107] 2002年11月、中心街に屋台村を設置。八戸市などと出資。[108] 2004年8月、市郊外イオンモール出店計画について﹁大規模商業施設の田向進出は中心街商店街などに影響が大きいなどと反対している﹂と述べた[88] 2005年10月、田向地区へのイオンモール出店に関して商議所副会頭は﹁私たちがつくったTMO︵まちづくり機関︶構想は、 イオン出店を前提にしていない。大型商業施設ができれば、構想に大きな影響が出る﹂﹁大型商業施設との共栄共存は無理﹂などと述べた。[109]また、中心市街地の商業衰退について﹁郊外型の大型小売店の開店で、中心市街地の専門店が次々と閉鎖、店舗数が減少した上、観光客など市外の買い物客が増えないため、小売業全体の回復は見込めない現状︵中略︶買い物客が1時間以上とどまる商店街づくりを基本に新しいまちづくりを模索している﹂と回答した。[110]また、商議所業務部長は、郊外SCが次々と開店する中で﹁︵中心街の︶小規模な商店は、どこが明日倒産するか、という状態が続いている﹂と答えた。[86] 2006年7月、商議所副会頭はイオンの大型商業施設計画について﹁市内の商業施設は明らかにオーバーストアだ。大型郊外店は市民生活に浸透しているとはいえ、本当にこれ以上必要なのか﹂[111]と述べた。 2007年1月、田向地区イオンモール出店計画について﹁現状を越える郊外の大型施設は市にとってマイナスだとして、反対してきた。﹂[94]と述べた。 2007年2月、東奥日報は青森と八戸のSC計画について﹁大型SC相次ぎ却下/地元商業者 評価と疑問﹂の見出しで関係者を取材し﹁八戸商工会議所副会頭は﹁中心街再生のラストチャンス﹂、八戸中心商業街区活性化協議会の会長は﹁地元商業者の責任は一層重くなった﹂と意気込みを報じた。[112] 2007年6月、人前結婚式などのイベントを十三日町から三日町までの約400メートル通行止めにし、中心市街地活性化イベントを開催[113][114]、2008年、第二回目の街中挙式を実施。[115] 2007年8月、中心市街地活性化基本計画素案発表。今後5年の計画期間に通行量は14万7000人︵2万5000人増︶。小売業販売額400億円︵19億円増︶を目標にした。[116] 2013年10月、商工会議所の調査報告書で﹁中心街の通行量が増えたことについて﹁はちっちの開館効果はもとよりイベントなども要因として挙げられる﹂[117]と分析した 2023年9月、中小機構まちづくり支援事業活用の申請を八戸市中心市街地活性化協議会︵会長・八戸商工会議所会頭︶が発表[118]市政
2005年10月、八戸市長選挙告示、現職中村市長は2009年までに観光客50万人増、中心街に山車会館建設や中心街通行量3万人増を掲げ、新人小林候補は、市民所得5%増、観光客50万人増対策、中心街へ体験型複合観光センターの建設を訴えた[119] 2005年、田向地区のイオンモール建設反対派の現役中村市長が市長選で落選。新人小林氏がイオンモール建設に柔軟な態度をみせ、﹁停滞か、前進か﹂のキャッチフレーズを訴え当選。[120] 2007年1月、小林市長が正式に田向地区へのイオンモール出店計画を容認しないとしたことに、市議や関係者は﹁中心街活性化は適切﹂と市長判断を評価した[120]商業アドバイザリー会議
2007年1月、小林市長に対し過度な開発の抑制や中心市街地活性化などのコンパクトなまちづくりを求めた。地元商業関係者
1997年4月、八戸中心商業地区活性化研究会の会長は、十三日町からヨーカドーが撤退することに関して﹁イトーヨーカ堂には中心街に残るようお願いしている。生活者にとって魅力あるまちをつくるには、大型店の参加が不可欠だから﹂と述べた。[121] 2003年︵平成15年︶、十三日町、三日町、ヤグラ横町、を歩行者天国にしてイベントをも催す﹁にぎわいストリートフェスティバル﹂が八戸中心商業街区活性化協議会主催で開催される。[122]2009年︵平成21年︶から﹁はちのへホコテン﹂に名前を変え、5、6、8、9、10月の最終日曜位に開催。はちのへホコテン実行委員会が主催。[123] 議会主催 2010年8月、郊外の田向地区に店舗面積1万平米以下の商業立地案を八戸市が提出した際、﹁市全体のまちづくりを考えていない﹂[80]﹁市内の商業施設は既に飽和状態にあり、これ以上の立地は不要﹂[80]﹁近くにスーパーや生協などが4店あり、商業施設がなくても不便ではない﹂[80]﹁組合救済のため、市は都市計画マスタープランを無視するのか。まちづくりへの責任を果たしていない﹂と声を荒げる場面もと[80]報じられた。 2013年10月、六日町商店街振興組合の理事長は﹁イベントで人は集まるが商店街に流れるのはその一部。﹂[117]六日町商店街振興組合の会長は﹁商店街への回遊性を確保するには魅力ある店づくりへの自助努力と行政の強力な牽引︵けんいん︶力は欠かせない﹂と話した[117] 2023年6月、八戸商店街連盟と八戸中心商店街連絡協議会が統合し、八戸商店街連絡協議会が発足[124] 2023年10月、廿三日町商店街振興組合理事長は、真夜中の中心街にイノシシが3頭目撃されたことについて﹁野生動物をおびき寄せないまちをつくらなければ﹂とコメントした。[125]まちづくり会社
2007年10月、第三セクターまちづくり八戸設立総会︵資本金6500万円うち1000万円を市が出資︶、橋本社長﹁将来にわたってにぎわいのある中心市街地になるように道筋をつけていきたい﹂[126]再開発組合
2004年5月、三日町番町地区再開発準備組合が解散。開発区域2ヘクタール、事業費約120億円、地上8階建て複合ビル建設計画は、地権者25名のうちの一部が計画が過大だとして反対し再開発が実現しなかった。背景に、核テナント予定のダックビブレ破綻し後継のさくら野が経営再建中だった。[127][128]既存店舗閉店開店
2003年2月、八戸市十三日町のイトーヨーカドー八戸店が閉店。[129]d 2003年6月、市民映画館﹃八戸フォーラム﹄開設。[130]オフィス立地
2005年10月、三日町に人材派遣スタッフサービスグループのオフィスが開設、来年度中200人規模雇用[131] 2020年8月、東京の市場調査会社﹁オノフ﹂が十三日町に事業所﹁八戸Labo﹂を開設し、将来的に従業員数100人を目指すと報道[132]市民の反応
2006年4月、田向地区にイオンの大型商業施設計画を推進する地権者らは賛同者4000名分の署名を小林市長に提出[133] 2007年1月、市長が田向地区イオンを容認しないと正式発表したことに、﹁マニフェスト︵政策公約︶違反ではないのか﹂ ﹁やってくれると思っていたのに…﹂[120]と述べた。 2013年10月、八戸市郊外の大型店に夫婦で訪れた30歳の男性は︵郊外の大型商業施設は︶﹁必要なものはなんでもそろうので便利。移動は苦にならない﹂[117]友人と訪れた16歳女性は﹁中心街に行くけどこっち︵郊外大型店︶の方がいろんな店があって楽しい﹂と語った。[117] 2023年9月、中心市街地再生を考える市民フォーラムに約100人が参加[134]メディアの反応
2005年2月、読売新聞は、青森県が進める340号線の廿三日町の歩道拡張工事について、土地所有者への補償が土地部分のみで建物改修や移転補償がなく、八戸市は県事業であることを理由にこの問題に及び腰でだと言及したうえで﹁市は一方で、大型郊外店舗が田向地区と河原木地区に進出する計画に、中心街を守ることを理由に難色を示している。︵中略︶どんなまちづくりをしようとしているのか、まちづくりを考えているのか、疑問に持たざるをえない﹂[135]と市の姿勢を非難した。 2007年1月、東奥日報は、市長がイオン出店を正式に認めない件を﹁八戸市庁が田向地区判断/評価と﹁公約違反﹂の声/賛否をめぐり議論を二分﹂[120]の見出しで報じた。 2013年10月、朝日新聞は2002年の八戸屋台村開設や、2013年に三日町に複合イベント施設﹁はっち﹂の開館する中で、歩行者天国の回数を年2回から、月1回に変更しイベントを開催するなどしているが、﹁この動きが中心街への買い物客回帰というにはほど遠い﹂と報じた。[117]その他県内企業の反応
ユニバース三浦社長は、衰退する八戸市中心街への出店余地や今後の出店計画について問われ﹁駐車場での車の出入りのしやすさ止めやすさなど、アクセスが大きな要素になる。︵大きなスペースを確保しにくいなど︶今の中心街の状況では、なかなか出店のハードルは高いが、要望があれば応えたい気持ちもある﹂と回答した。[136]その他空き店舗対策取り組み
2002年10月、交流センター﹁コッチャコ﹂が十三日町に4ヶ月の期間限定で開設。産直野菜果販売、NPOチャレンジショップを出店。主催は、八戸市、八戸大学、八戸工業大学、八戸商工会議所、八戸市観光協会、NPOサポートセンター。引用エラー: 無効な<ref>
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学識経験者の声
2003年10月﹁郊外型店との対峙︵たいじ︶という構図ではなく、歴史や文化といった特性も取り込んだ中心商店街を形成し、地域全体の商業機能を高めることが商都八戸の再生につながる﹂と指摘した。[117] 2007年、クラーセン=パーリンクの唱える都市発展段階説[137]に基づく八戸市の分析結果は、﹁衰退期﹂﹁逆都市化︵郊外化︶﹂﹁絶対的分散﹂都市との分析結果。中心市街地人口が減少し、郊外の郊外の人口が増加、市全体の人口が減少。[138]専門誌
1996年﹁規制緩和骨抜き﹂批判の声、大型店申請時の面積削減相次ぐ︵日経・夕刊︶大規模小売店舗審議会が店舗面積の大幅削減を勧告するケース相次ぐ。中には6割削減され出店断念するケースも。背景に地元商店街の危機感。[139]中心街再開発計画
郊外商業施設の台頭︵5000平米以上︶
●1980年11月 - 八食センター 7,033㎡ ︵株︶八戸綜合食品センター 核なし 業態寄合百貨店 ●1989年10月 - ラピア︵ドン・キホーテ八戸店︶ 22,510㎡ 八戸S.C.開発 核 長崎屋12,000㎡ 業態ショッピングセンター ●1995年4月 - イオンモール下田︵イオン下田︶40,500㎡ 下田タウン︵株︶ 核イオンリテール14,064㎡、メガスポーツ3,075㎡、金入1,331㎡ 業態ショッピングセンター ●その後、売場面積約51,844平方メートルに拡大。[140]2004年現在、売場面積約59,000㎡、店舗数120店に拡大した。[141] ●1996年12月 - DCMサンワ八戸店 9,385㎡ ︵株︶八食サービスエイト 核DCM 業態ホームセンター ●1998年1月 - 東京インテリア家具下田店 7,101㎡︵株︶千葉室内 核東京インテリア家具7,101㎡、業態専門店 ●1998年3月 - ピアドゥ︵イトーヨーカドー八戸沼館店︶25,410㎡ 八戸臨海開発 核 イトーヨーカド堂10,540㎡ 業態ショッピングセンター ●1999年5月 - ニトリ八戸店 6,807㎡ ニトリホールディングス 業態専門店 ●1999年10月 - 八戸ニュータウンショッピングセンター︵ユニバース八戸ニュータウン店︶5,119㎡ ︵株︶ユニバース 核ユニバース2,734㎡、サンドラッグ1,035㎡、大創産業636㎡ ●2009年1月 - シンフォニープラザ沼館店︵ケーズデンキ八戸本店︶ 三菱HCキャピタル︵株︶売場面積 14,214㎡ 業態専門店 ●2010年9月 - DCMホーマック長苗代店 6,170㎡ 大和ハウスリアルティマネジメント 業態ホームセンター 核DCM ●2012年6月 - イオン八戸田向ショッピングセンター︵イオン八戸田向店︶ 7,850㎡ イオンリテール︵株︶核イオンリテール7,850㎡ ●2014年7月 - 八戸ニュータウンショッピングセンターBゾーン︵DCMホーマック白山台店︶ 8,717㎡ 設置︵株︶ユニバース 核DCM ヴィダウェイ中心街の通り
表通り
江戸時代には表町︵おもてまち︶と呼ばれていた。八戸城下における町人町だった奥南の北部地区であり、表通りの両側に沿う形の東西に伸びる柏崎四丁目︵塩町︶・柏崎一丁目︵廿八日町︶・十八日町・八日町・三日町・十三日町・廿三日町・荒町・新荒町の総称として表町と言われていた。八戸市内で唯一、三車線が用意されている一方通行道路であり、国道340号における旧国道45号区間は電線地中化がほぼ完了しつつある。裏通り
江戸時代には裏町︵うらまち︶と呼ばれていた。八戸城下における町人町だった奥南の南部地区であり、裏通りの両側に沿う形の東西に伸びる柏崎二丁目︵下大工町と廿一日町︶・十一日町・朔日町・六日町︵肴町︶・十六日町︵馬喰町︶・廿六日町︵七ッ屋︶・大工町︵上大工町︶の総称として裏町と言われていた。ネットワーク
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/af/Hachinohe-centertarminal-map.png/400px-Hachinohe-centertarminal-map.png)
八戸中心街ターミナルでの番号 | 乗り場の名前 | 概要 |
---|---|---|
1番 | 三日町 | かつて「三日町(丸光前)」→「三日町(ビブレ前)」→「三日町(さくら野前)」という名称だった。ここは高速バスの降り場にもなっている。主に「市庁前」経由として「三日町」交差点を左折する。 |
2番 | 八日町 | かつて市営バスにおいて「三日町(ダイヤビル前)」→「三日町(BeFM前)」、南部バスにおいて「八日町(BeFM前)」、十鉄バスにおいて「八戸八日町」→「八戸三日町」→「八戸八日町」という名称だった。主に「廿八日町」経由として「三日町」交差点を直進する。 |
3番 | 中央通り | かつて市営バスにおいて「三日町(長崎屋前)」→「三日町(笹川前)」→「三日町(中央通り)」、南部バスにおいて「八日町(中央通り)」という名称だった。主に「長横町」経由として「三日町」交差点を右折する。 |
4番 | 朔日町 | かつて「朔日町(一松堂前)」という名称だった。主に「長横町」経由として「六日町」交差点を左折する。 |
5番 | 六日町 | かつて「朔日町(ニチイ前)」→「六日町」だった。ここは高速バスの乗り場にもなっている。主に「十六日町」経由として「六日町」交差点を直進する。 |
ギャラリー
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まちの駅はちのへ(十三日町)
八戸市中心市街地の拠点だった。
-
八戸屋台村 みろく横丁(六日町)
三日町側は「おんで市」であり、六日町側は「やぁんせ市」である。
脚注
注釈
出典
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(41)^ “八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成20年7月”. 八戸市. p. 1. 2024年6月14日閲覧。
(42)^ “八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成20年7月”. 八戸市. p. 4. 2024年6月14日閲覧。
(43)^ “八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成20年7月”. 八戸市. p. 38-40,52. 2024年6月14日閲覧。
(44)^ “八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成20年7月”. 八戸市. p. 55. 2024年6月14日閲覧。
(45)^ “認定中心市街地活性化基本計画の最終フォローアップに関する報告 平成25年6月 八戸市︵青森県︶”. 八戸市. p. 7. 2024年6月14日閲覧。
(46)^ “認定中心市街地活性化基本計画の最終フォローアップに関する報告 平成25年6月 八戸市︵青森県︶”. 八戸市. p. 7. 2024年6月14日閲覧。
(47)^ “八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成20年7月”. 八戸市. p. 64. 2024年6月14日閲覧。
(48)^ “八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成20年7月”. 八戸市. p. 64. 2024年6月14日閲覧。
(49)^ “認定中心市街地活性化基本計画の最終フォローアップに関する報告 平成25年6月 八戸市︵青森県︶”. 八戸市. p. 7. 2024年6月14日閲覧。
(50)^ “八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成20年7月”. 八戸市. p. 73. 2024年6月14日閲覧。
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(52)^ “第2期八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成25年3月”. 八戸市. pp. 8-9. 2024年6月14日閲覧。
(53)^ “第2期八戸市中心市街地活性化基本計画|八戸市”. www.city.hachinohe.aomori.jp. 2024年6月14日閲覧。
(54)^ “第2期八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成25年3月”. 八戸市. pp. 66. 2024年6月14日閲覧。
(55)^ “第2期八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成25年3月”. 八戸市. pp. 72. 2024年6月14日閲覧。
(56)^ “認定中心市街地活性化基本計画の最終フォローアップに関する報告 平成30年5月 八戸市︵青森県︶”. 八戸市. p. 5. 2024年6月14日閲覧。
(57)^ “第2期八戸市中心市街地活性化基本計画 青森県八戸市 平成25年3月”. 八戸市. pp. 79. 2024年6月14日閲覧。
(58)^ ab﹁八戸・中心商店街の通行量/5年連続20万人割れ/商議所が10月33地点
調査/増加は4地点のみ﹂﹃東奥日報社﹄2006年12月21日、朝刊、16面。
(59)^ ﹁あおもり日曜エコノミー/連載/あおもり経済この人に聞く 249/県技術、けいざい歳時記/元祖まちの駅﹂﹃東奥日報社﹄2005年1月16日、朝刊、4面。
(60)^ ﹁八戸・中心商店街﹁スーパー防犯灯﹂設置から1年/一層の周知へ通報訓練﹂﹃東奥日報社﹄2005年10月10日、17面。
(61)^ ﹁連載/県内駅物語 21/JR八戸線︵3︶ 長苗代 本八戸︵ほんはちの
へ︶ 小中野/市中心街への玄関口﹂﹃東奥日報社﹄2005年11月9日、夕刊、8面。
(62)^ ab﹁八戸・中心商店街/空洞化止まらず/歩行者前年比15%減/八戸商議所10﹂﹃東奥日報社﹄2004年12月20日、朝刊、5面。
(63)^ ab﹁良い点は?悪い点は?まちなか巡ってチェック/八戸空洞化解消策探る/八戸﹂﹃東奥日報﹄2004年12月19日、朝刊、17面。
(64)^ ﹁八戸/市の活性化へ提言募る/﹁元気にしよう会﹂発足/少子高齢化が進む中﹂﹃東奥日報社﹄2006年2月24日、朝刊、17面。
(65)^ ﹁八戸の﹁ヴィアノヴァ﹂﹁チーノ﹂/運営会社債権 外資系へ/所有権変わら
ず 再開発構想浮上も﹂﹃東奥日報社﹄2006年6月19日、朝刊、4面。
(66)^ ﹁テナントさらに充実﹁チーノ﹂あす新装開店/八戸﹂﹃東奥日報社﹄2006年7月14日、朝刊、5面。
(67)^ ﹁個店の魅力アップを/八戸で県が支援事業/専門家らアドバイス/県内の商店﹂﹃東奥日報社﹄2006年7月20日、朝刊、4面。
(68)^ ﹁繁盛店目指せ!/改善の事例報告/県支援事業で八戸中心商店街﹂﹃東奥日報社﹄2007年3月9日、朝刊、4面。
(69)^ ab﹁八戸・中心街/通行量前年比7.2%減/商議所が10月調査 休日の空洞化
顕著﹂﹃東奥日報社﹄2007年12月12日、朝刊、3面。
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県内﹂﹃東奥日報社﹄2008年9月19日、朝刊、9面。
(71)^ ﹁八戸/情緒ある光 軒先に/鷹匠小路/和紙風あんどん点灯/八戸市中心街に﹂﹃東奥日報社﹄2010年4月4日、朝刊、13面。
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(77)^ ■ニュース深堀り!■コンパクトシティー、地元企業に商機は?︵1︶
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(138)^ “国土交通政策研究第76号商業施設の立地が都市構造に及ぼす影響に関する研究~社会構造の変化過程における人口分布の変化の予測手法の確立に向けて~”. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11949743.+p. ―参 1-2― (2007年7月). 2024年6月9日閲覧。
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(140)^ ﹁町に多大な効果/下田SC開業10年/人口・税収大幅増/イメージアップも﹂﹃東奥日報社﹄2005年5月5日、朝刊、4面。
(141)^ “イオンモール 青森県の﹁イオンモール下田﹂、4月26日から順次リニューアルオープン”. 流通・小売業界で働く人の情報サイト_ダイヤモンド・チェーンストアオンライン. 2024年6月8日閲覧。
(142)^ 歴史︵城下町八戸︶
(143)^ 4月から八戸市営バス、南部バス、十鉄5停留所の名称統一 ﹁八戸中心街ターミナル﹂に 南部バスは2路線新設 - デーリー東北、2010年2月16日
(144)^ バス事業者による先進事例データベース