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[[2011年]]3月10日からおよそ1年間、隣接する新宿東宝会館とともに新宿コマ劇場が解体工事された。 |
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[[2011年]]3月10日からおよそ1年間、隣接する新宿東宝会館とともに新宿コマ劇場が解体工事された。 |
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2011年7月11日、東宝が新宿コマ劇場及び新宿東宝会館の跡地に[[インテリジェントビル|複合インテリジェントビル]]「[[新宿東宝ビル]]」を建設することを発表した。地上31階地下1階建て、高さ130[[メートル]]、延べ床面積55,390平方メートル、1階と2階に飲食店、3階から6階に[[TOHOシネマズ]]が運営する[[IMAX#アイマックスシアター|IMAXシアター]]を導入<ref>{{cite news|title=IMAX、TOHOシネマズとの新たなパートナーシップにより新宿コマ劇場跡地に、都心で初のIMAX(R) シアターをオープン|newspaper=[[産経新聞|SankeiBiz]]|date=2014-11-14|url=http://www.sankeibiz.jp/business/news/141114/prl1411141638083-n1.htm|accessdate=2014-11-17|publisher=[[産業経済新聞社]]}}</ref>して12スクリーン約2500席の都内最大級シネマコンプレックス「TOHOシネマズ新宿」、9階から31階に[[藤田観光]]が運営する約1030室のホテル「[[ワシントンホテル (藤田観光)|ホテルグレイスリー新宿]]」などが入居し、[[2015年]]4月17日に開業した。コマ劇場の中核だった演劇場は収益性が低いとして入居が見送られた<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110712k0000m040119000c.html|title=東宝:新宿コマ劇場跡地にシネコン 15年春に複合ビル|newspaper=毎日新聞|date=2011-07-11|accessdate=2015-01-01}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011071202000021.html|title=コマ劇場跡地にシネコン、ホテル|newspaper=東京新聞(朝刊社会面)|date=2011-07-12|accessdate=2015-01-01}}</ref>。 |
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2011年7月11日、東宝が新宿コマ劇場及び新宿東宝会館の跡地に[[インテリジェントビル|複合インテリジェントビル]]「[[新宿東宝ビル]]」を建設することを発表した。地上31階地下1階建て、高さ130[[メートル]]、延べ床面積55,390平方メートル、1階と2階に飲食店、3階から6階に[[TOHOシネマズ]]が運営する[[IMAX#アイマックスシアター|IMAXシアター]]を導入<ref>{{cite news|title=IMAX、TOHOシネマズとの新たなパートナーシップにより新宿コマ劇場跡地に、都心で初のIMAX(R) シアターをオープン|newspaper=[[産経新聞|SankeiBiz]]|date=2014-11-14|url=http://www.sankeibiz.jp/business/news/141114/prl1411141638083-n1.htm|accessdate=2014-11-17|publisher=[[産業経済新聞社]]}}</ref>して12スクリーン約2500席の都内最大級シネマコンプレックス「TOHOシネマズ新宿」、9階から31階に[[藤田観光]]が運営する約1030室のホテル「[[ワシントンホテル (藤田観光)|ホテルグレイスリー新宿]]」などが入居し、[[2015年]]4月17日に開業した。コマ劇場の中核だった演劇場は収益性が低いとして入居が見送られた<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110712k0000m040119000c.html|title=東宝:新宿コマ劇場跡地にシネコン 15年春に複合ビル|newspaper=毎日新聞|date=2011-07-11|accessdate=2015-01-01}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011071202000021.html|title=コマ劇場跡地にシネコン、ホテル|newspaper=東京新聞(朝刊社会面)|date=2011-07-12|accessdate=2015-01-01}}</ref>。 |
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2019年11月3日 (日) 12:37時点における版
歴史・概要
1960年(昭和35年)2月、歌舞伎町の写真。左が新宿劇場(第二次)、右が新宿コマ劇場。
創設
当劇場があった場所は元々、1950年に開催された﹃東京産業文化博覧会﹄のアトラクションの一つであった﹁児童館﹂﹁野外劇場﹂の一部だった[1]。博覧会閉会後は東宝が跡地を購入するも、当時の東宝は自社の劇場建設に消極的だったという[1]。その後、関連子会社として1956年2月にコマ・スタジアムが設立。大阪の梅田にあった梅田コマ・スタジアムの姉妹劇場として建設され、同年12月28日に開場した。開場当初は﹁新宿コマ・スタジアム﹂と呼称していた。
阪急・東宝グループの創始者である小林一三が抱いた﹁新しい国民演劇︵新歌舞伎︶の殿堂を作る﹂という理念に基づいて創設し歌舞伎町の地名のもととなった。客席数2,088席は首都圏で最大級であった。
特徴
構造の特徴
上・チケット売り場、下・正面出入口
ギリシャ時代の劇場様式からヒントを得た回り舞台が特徴で、同心円状に配された三重の廻り舞台と6つの小迫が回転と上下運動する舞台が多様な効果を魅せていた。劇場名の「コマ」は、円形舞台が独楽の回る様に似ていることから採られた。
業績悪化と閉館
新宿コマ劇場は1970年代に全盛期を築き、ピーク時には年間100万人を超える動員力を誇った。だが1990年代には演歌の人気低迷が深刻化し、運営会社の株式会社コマ・スタジアムは、同社の中心的な事業である演劇事業の収益が低迷するようになっていた。同社は2003年11月に経営再建計画を発表し、基幹劇場を新宿コマ劇場1館に集約すること、従業員を3分の1程度にまで減らすことなどにより利益を出せる体制に移行することを試みた。だがその後も従来型の演歌公演のほうは観客動員数が減少し、さらに新たに企画した公演のほうも期待したような成績が出せず、2期連続で損失を計上することになった。また新宿コマ劇場は築後半世紀が過ぎており老朽化が進んでいた。
2005年5月に新宿コマ劇場の運営主体であるコマ・スタジアムとアミューズ、阪急電鉄は業務提携を行い、アミューズがコマ・スタジアムの第三者割当増資を引き受けることで阪急電鉄、東宝に次ぐ第3位の株主となった[3]。
閉館を告げる案内板
2008年5月28日に、コマ・スタジアムは東宝と新宿区歌舞伎町再開発事業について合意し、﹁築51年が経ち、建物自体の老朽化が進行し、また入場客数の減少に歯止めがかからず業績が低迷している﹂として同年大晦日の﹃年忘れにっぽんの歌﹄の生放送を以て新宿コマ劇場を閉館することを発表した。
2008年5月の段階では、閉館後は東宝の支援を受けて同時に閉館予定の隣接する新宿東宝会館︵映画館の﹁新宿プラザ劇場﹂が入居している︶を合わせた約5385平方メートルの敷地の総合的な再開発が展開される予定、と報道された[4]。立地は東宝が所有しコマ・スタジアムは建物と借地権を有していることから、2008年12月に東宝が株式会社コマ・スタジアムを完全子会社化して跡地の再開発に備えた。
2008年12月22日19:30 - 20:45[注 2]にNHK総合テレビが﹁さよなら新宿コマ劇場~涙と笑いの50年﹂を放送した。主催公演は12月の﹁愛と青春の宝塚﹂が最後であった。閉館当日の2008年12月31日は﹁第41回年忘れにっぽんの歌﹂が生放送され、北島三郎、五木ひろし、八代亜紀などの常連が舞台で歌唱してエンディングで﹁新宿コマ劇場52年間夢をありがとう﹂のテロップが表示された。第59回NHK紅白歌合戦は﹁年忘れにっぽんの歌﹂終了後の撤去作業中の様子を生中継した。
その後は、新宿三丁目駅付近の新宿バルト9や新宿ピカデリーなどのシネマコンプレックスに客足を奪われた[5]。
跡地再開発
跡地に建設された新宿東宝ビル(2014年2月)
備考
株式会社コマ・スタジアムについて
その他
●開場から数年は一度も満席になる座長公演がなく、低迷が続いていた。初めて満員御礼の座長公演となったのは、1962年公演、江利チエミ主演の﹁スター誕生﹂であった。
●この劇場は﹁歌舞伎町﹂を代表する建物だが、歌舞伎役者を呼んでのコメディは演じられたが﹁歌舞伎﹂は催されなかった。
●演歌のステージや美空ひばり登場以降は、前半が舞台、後半が歌の2部構成のセットのイベントが定番化され、死去以降は美空を扱った舞台も行われた。
●見やすくするために柱を取り除いたことから耐震性に問題を生じていた。
●1994年8月に照明器具の撤去作業者が転落して死亡事故が発生した。
●2008年夏に会場初で最後のプロレス興行を予定していたが、開催団体のXWFが流血・武器・反則が当たり前の過激スタイルだったことと、代表者金村キンタローがXWF旗揚げ前に起こした強制猥褻事件に対する批判により、数カ月後に中止が発表された。
最寄り駅
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
新宿コマ劇場に関連するメディアがあります。
脚注
注釈
出典