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== 経歴 ==

== 経歴 ==

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;勲章等

;勲章等

* [[1902年]](明治35年)[[5月10日]] - [[従軍記章#発行された従軍記章|明治三十三年従軍記章]]<ref>『官報』第5835号・付録、「叙任及辞令」1902年12月13日。</ref>

* [[1902年]](明治35年)[[5月10日]] - [[従軍記章#明治三十三年従軍記章|明治三十三年従軍記章]]<ref>『官報』第5835号・付録、「叙任及辞令」1902年12月13日。</ref>

* [[1915年]](大正4年)[[11月7日]] - [[瑞宝章|勲三等瑞宝章]]・[[従軍記章#大正三四年(大正三年乃至九年戦役)従軍記章|大正三四年従軍記章]]<ref>『官報』第1189号・付録「叙任及辞令」1916年7月18日。</ref>



== 作品 ==

== 作品 ==

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:『秋山眞之』同様桜井真清が代表者となっているが、執筆は水野が主導して[[松下芳男]]と2人で行われた(刊行直前に松下に宛てた水野の礼状が残っている)。

:『秋山眞之』同様桜井真清が代表者となっているが、執筆は水野が主導して[[松下芳男]]と2人で行われた(刊行直前に松下に宛てた水野の礼状が残っている)。

:『秋山眞之』『秋山好古』ともに、秋山兄弟を研究する際の必須資料となっており、[[司馬遼太郎]]の代表作『[[坂の上の雲]]』も、両書から多大な影響を受けている。

:『秋山眞之』『秋山好古』ともに、秋山兄弟を研究する際の必須資料となっており、[[司馬遼太郎]]の代表作『[[坂の上の雲]]』も、両書から多大な影響を受けている。

;『[[水野広徳]]著作集』[[雄山閣出版]](全8巻)

;『水野広徳著作集』[[雄山閣出版]](全8巻)

:[[粟屋憲太郎]]、[[前坂俊之]]、大内信也監修、平成7年([[1995年]])。当初は全10巻の予定であったが全8巻に規模縮小され(「水野広徳の書誌学」石渡幸二)、[[言論統制]]が激しくなってから書いた水野の最後の単行本である[[戦国武将]]の評伝『日本名将論』が収録されておらず、全集ではなく著作集として刊行になった。水野の文名を一躍天下に知らしめた日露戦記『此一戦』・『戦影』(後に発禁)、日米未来戦記『次の一戦』・『興亡の此一戦』(発禁)、『自伝』『日記』などのほか、新聞、『[[中央公論]]』、『[[改造]]』などに発表した反戦平和、軍縮、日米非戦論などの論考の大部分を網羅した唯一の著作集。

:[[粟屋憲太郎]]、[[前坂俊之]]、大内信也監修、平成7年([[1995年]])。当初は全10巻の予定であったが全8巻に規模縮小され(「水野広徳の書誌学」石渡幸二)、[[言論統制]]が激しくなってから書いた水野の最後の単行本である[[戦国武将]]の評伝『日本名将論』が収録されておらず、全集ではなく著作集として刊行になった。水野の文名を一躍天下に知らしめた日露戦記『此一戦』・『戦影』(後に発禁)、日米未来戦記『次の一戦』・『興亡の此一戦』(発禁)、『自伝』『日記』などのほか、新聞、『[[中央公論]]』、『[[改造]]』などに発表した反戦平和、軍縮、日米非戦論などの論考の大部分を網羅した唯一の著作集。



== 評価 ==

== 評価 ==

[[画像:Matsuyama Joen 20240508 (2).jpg|thumb|水野広徳之墓所(松山市柳井町3丁目の松山浄苑蓮福寺内)]]


[[]]<Ref>1950</Ref>[[]][[]][[]]<Ref>5191967</Ref>1980

[[]]<Ref>1950</Ref>[[]][[]][[]]<Ref>5191967</Ref>


[[1980年代]]に入ると「郷土の偉人」として再発掘され、地方史の分野で再評価が進んだ。[[1990年代]]から[[2000年代]]には、[[粟屋憲太郎]]、[[前坂俊之]]を中心に編纂された『水野広徳著作集』刊行に前後して、[[宮本盛太郎]]、[[関静雄]]、[[福島良一]]らによって、水野の「平和主義者」への転身過程を中心とした実証的な研究が進展した。

[[1990年代]]から[[2000年代]]に入ると、[[粟屋憲太郎]]、[[前坂俊之]]を中心に編纂された『水野広徳著作集』刊行に前後して、[[宮本盛太郎]]、[[関静雄]]、[[福島良一]]らによって、水野の「平和主義者」への転身過程を中心とした実証的な研究が進展した。宮本は、水野の「平和主義者」転身は、それほど劇的なものではないとして、転身前と後の連続性を指摘し、水野の平和論を日本国憲法の源流の一つとして評価する<Ref>宮本盛太郎「水野広徳における思想の転回」(宮本盛太郎ほか編『近代日本政治思想史発掘』〈風行社、1993年〉)</Ref>。関は、ワシントン会議前後の言説分析から、国際秩序維持の制度的保障を求めつつ、戦争の危険と軍備負担をこれ以上増大させない、むしろなるべく軽減する方策を模索する「相対的軍備拡張的制限論者」と定義した<Ref>関静雄「水野広徳の対米八割論」(同『大正外交』〈ミネルヴァ書房、2001年〉)</Ref>。福島は、水野が「国防力」=「国力」の涵養こそが最優先課題と認識し、国民生活の向上実現という実利的判断を通じて、軍縮への国民的支持を調達しようとしたこと。そのために軍備を「軍人の専檀」から「国民の手」に解放することを目的とした民本主義に基づく、国民の意思を政治に反映させるための普選即行論と政党内閣制支持の構造を明らかにした<Ref>福島良一「水野広徳の軍備観の変容―『戦争』回避と『敗戦』回避の狭間で―」(『[[埼玉学園大学]]紀要 人間学部篇』第4号、2004年)、同「水野広徳と軍備撤廃論」(『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』第5号、2005年)、同「水野広徳の『国防』認識―軍備縮小との関わりを中心に―」(『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』第7号、2007年)</Ref>。



宮本は、水野の「平和主義者」転身は、それほど劇的なものではないとして、転身前と後の連続性を指摘し、水野の平和論を日本国憲法の源流の一つとして評価する<Ref>宮本盛太郎「水野広徳における思想の転回」(宮本盛太郎ほか編『近代日本政治思想史発掘』〈風行社、1993年〉)</Ref>。関は、ワシントン会議前後の言説分析から、国際秩序維持の制度的保障を求めつつ、戦争の危険と軍備負担をこれ以上増大させない、むしろなるべく軽減する方策を模索する「相対的軍備拡張的制限論者」と定義した<Ref>関静雄「水野広徳の対米八割論」(同『大正外交』〈ミネルヴァ書房、2001年〉)</Ref>。福島は、水野が「国防力」=「国力」の涵養こそが最優先課題と認識し、国民生活の向上実現という実利的判断を通じて、軍縮への国民的支持を調達しようとしたこと。そのために軍備を「軍人の専檀」から「国民の手」に解放することを目的とした民本主義に基づく、国民の意思を政治に反映させるための普選即行論と政党内閣制支持の構造を明らかにした<Ref>福島良一「水野広徳の軍備観の変容―『戦争』回避と『敗戦』回避の狭間で―」(『[[埼玉学園大学]]紀要 人間学部篇』第4号、2004年)、同「水野広徳と軍備撤廃論」(『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』第5号、2005年)、同「水野広徳の『国防』認識―軍備縮小との関わりを中心に―」(『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』第7号、2007年)</Ref>。

近年では、それまでの研究が、水野を「平和主義者」と[[アプリオリ]]に規定した上で、「平和主義」転身過程前後に分析を集中していたことに対し、水野の平和主義の限界を捉えようとする研究が現れはじめている<ref>[[田中智大]]「「反骨」の平和主義者」水野広徳像の再検討 ―軍縮論の隘路と崩壊にみる水野広徳の諦念―」(『人文学論叢』第15号、2013年)、[[鳥羽厚郎]]「戦間期日本における「合理的主義的平和論」の射程と限界 ―水野広徳の論説を中心に―」(『史学雑誌』第125編第10号、2016年)</ref>。


近年では、それまでの研究が、水野を「平和主義者」と[[アプリオリ]]に規定した上で、「平和主義」転身過程前後に分析を集中していたことに対し、水野の平和主義の限界を捉えようとする研究が現れはじめている<ref>[[田中智大]]「「反骨」の平和主義者」水野広徳像の再検討 ―軍縮論の隘路と崩壊にみる水野広徳の諦念―」(『人文学論叢』第15号、2013年)、鳥羽厚郎「戦間期日本における「合理的主義的平和論」の射程と限界 ―水野広徳の論説を中心に―」(『史学雑誌』第125編第10号、2016年)</ref>。



== 脚注 ==

== 脚注 ==

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== 参考文献 ==

== 参考文献 ==

* 松下芳男『水野廣徳』四州社、1950年。

* 松下芳男『水野廣徳』四州社、1950年。

* [[木村久邇典]] 帝国の反戦水野広徳と桜井忠温 朝日新聞社、1993年。

** [[松下芳男]]『大佐の反戦 水野広徳』[[前坂俊之]]編、雄山閣、1993年。

::初版『水野廣徳』のかなづかいを現代表記に改め、当て字や難読字をカナに開いたり、本文中に言及されている水野の評論について、その該当作から主要部分を抜粋して挿入したり、他者の著作から関連する記述を紹介したりしたもの。一方で、全文掲載されていた水野の評論を要旨だけ述べるにとどめたり、結論部分だけに省略したりしている。

* 宮本盛太郎ほか編『近代日本政治思想史発掘』風行社、1993年。

* [[木村久邇典]] 『帝国軍人の反戦:水野広徳と[[櫻井忠温|桜井忠温]]』 朝日新聞社、1993年。

* 松下芳男著、前坂俊之編『海軍大佐の反戦 水野広徳』雄山閣、1993年。(松下芳男の『水野廣徳』のかなづかいを現代に改め、当て字や難読字をカナに開いたり、本文中に言及されている水野の評論について、その該当作から主要部分を抜粋して挿入したり、他者の著作から関連する記述を紹介したりしたもの。一方で、全文掲載されていた水野の評論を要旨だけ述べるにとどめたり、結論部分だけに省略したりしている。

* 家永三郎編『日本平和論大系7 水野広徳・松下芳男・美濃部達吉日本図書センター、1993年。

* [[宮本盛太]]ほか編『近代日本政治思想史発掘風行社、1993年。

* [[家永三郎]]編『日本平和論大系7 水野広徳・松下芳男・[[美濃部達吉]]』日本図書センター、1993年。

* 河田宏『第一次世界大戦と水野広徳』三一書房、1996年。

* 河田宏『第一次世界大戦と水野広徳』三一書房、1996年。

* 大内信也『帝国主義日本にNOと言った軍人 水野広徳』雄山閣、1997年。

* 大内信也『帝国主義日本にNOと言った軍人 水野広徳』雄山閣、1997年。

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[[Category:大日本帝国海軍軍人]]

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[[Category:日露戦争の人物]]

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[[Category:第一次世界大戦期の日本の軍人]]

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2024年5月8日 (水) 07:15時点における最新版

水野みずの 廣徳ひろのり
生誕 1875年5月24日
日本の旗 日本愛媛県松山市
死没 (1945-10-18) 1945年10月18日(70歳没)
日本の旗 日本愛媛県今治市
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1900年 - 1917年
最終階級 海軍大佐
除隊後 軍事評論家、著作家
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   18758524 - 1945201018

経歴[編集]




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