コンテンツにスキップ

「漫才」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m →‎漫才のスタイル: 見出しの階層違反
タグ: 手動差し戻し
 
(18人の利用者による、間の21版が非表示)
1行目: 1行目:

{{otheruses|現代の話芸|伝統芸能|萬歳}}

{{otheruses|現代の話芸|伝統芸能|萬歳}}

[[File:Ten-ya Wan-ya 550308 Scan10003.JPG|thumb|[[獅子てんや瀬戸わんや]]]]

[[File:Regal Senta Mankichi 1948 (02) PDVD 014.JPG|thumb|250px|[[リーガル千太万吉]]]]

'''漫才'''(まんざい)とは、こっけいな掛け合いや、言い合いで客を笑わせる[[演芸|寄席演芸]]の一種。

'''漫才'''(まんざい)とは、こっけいな掛け合いや、言い合いで客を笑わせる[[演芸|寄席演芸]]の一種。



[[平安時代]]に成立した[[日本の伝統芸能|伝統芸能]]「[[萬歳]]」が、[[江戸時代]]から[[昭和]]時代にかけて、[[大阪]]・[[京都]]を中心とする[[上方]]([[畿内]])の[[寄席]]において、独自に発展したもの。現在は寄席だけでなくテレビやラジオなど多くの媒体で人気を博し<ref name=":0">{{Cite web|title=漫才とは|url=https://kotobank.jp/word/%E6%BC%AB%E6%89%8D-137921|website=コトバンク|accessdate=2020-12-21|language=ja|first=|last=|publisher=}}</ref>、[[バラエティ番組]]のいわゆる「ネタ番組」において、[[コント]]と並んでポピュラーな演芸の一種である。

[[平安時代]]に成立した[[日本の伝統芸能|伝統芸能]]「[[萬歳]]」が、[[江戸時代]]から[[昭和]]時代にかけて、[[大阪]]・[[京都]]を中心とする[[上方]]([[畿内]])の[[寄席]]において、独自に発展したもの。現在は寄席だけでなくテレビやラジオなど多くの媒体で人気を博し<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=漫才とは|url=https://kotobank.jp/word/%E6%BC%AB%E6%89%8D-137921|website=コトバンク|accessdate=2020-12-21|language=ja|first=|last=|publisher=}}</ref>、[[バラエティ番組]]のいわゆる「ネタ番組」において、[[コント]]と並んでポピュラーな演芸の一種である。



上方の漫才を特に'''上方漫才'''(かみがたまんざい)という。

上方の漫才を特に'''上方漫才'''(かみがたまんざい)という。



漫才を行う者は一般的に「漫才師」と呼ばれるが、[[所得税法施行令]]では「漫才家」の表記が使われている<ref>[http://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column064.htm 法令集の散策] - [[参議院法制局]]</ref>。

漫才を行う者は一般的に「漫才師」と呼ばれるが、所得税法施行令第320条第5項<ref group="注">これは、所得税法第204条第1項第5号に規定する報酬について源泉徴収を必要とする芸能人を定める規定である。「映画若しくは演劇の俳優、映画監督若しくは舞台監督(プロジューサーを含む。)、演出家、放送演技者、音楽指揮者、楽士、舞踊家、講談師、落語家、浪曲師、漫談家、漫才家、腹話術師、歌手、奇術師、曲芸師又は物まね師」というようになっている。</ref>では「漫才家」の表記が使われている<ref>[https://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column064.htm 法令集の散策] - [[参議院法制局]]</ref>。



== 基本形式と構成 ==

== 基本形式と構成 ==


[[|]][[]]<ref>p.11</ref>

[[|]]34[[]]<ref name="aiba10">[[]][[]]1995p.10</ref>

[[二人組|二人一組]]で演じられることが多いが、3人組や4人組の例もある。人数の上限について、漫才作家の[[相羽秋夫]]は「五、六人ぐらいが妥当ではないでしょうか<ref name="aiba10">[[相羽秋夫]]『上方漫才入門』([[弘文出版]]、1995年)p.10「漫才とはどんな芸でしょう」</ref>」としている。



シンプルな会話体を基本とすることから、演者の個性に合わせ、音曲、踊り、[[物真似]]など、ネタ中に「何をやっても許される<ref name="aiba10"/>」自由な演芸形式となっている。日常生活、流行文化、政治経済など幅広い題材を扱うことが可能で、時流に合わせてネタを細かく、また大きく変化させることができる。

シンプルな会話体を基本とすることから、演者の個性に合わせ、音曲、踊り、[[物真似]]など、ネタ中に「何をやっても許される<ref name="aiba10"/>」自由な演芸形式となっている。日常生活、流行文化、政治経済など幅広い題材を扱うことが可能で、時流に合わせてネタを細かく、また大きく変化させることができる。


漫才は明確な定義を定めることができない。よって、「こうでなければ漫才として成立しない」という制約は無い。漫才史研究者の神保喜利彦は、「漫才はなんでもあり」だったからこそ、ここまでの地位に上り詰めることができたと述べている<ref>{{Cite web|和書|title=M-1を観て「これは漫才じゃない」という人たちが知らない漫才100年の歴史 「本格派の漫才」とは一体なにか|url=https://president.jp/articles/-/41969?page=5|publisher=週刊文春 電子版|date=2020-12-30|accessdate=2022-05-11}}</ref>。



=== ボケとツッコミ ===

=== ボケとツッコミ ===

55行目: 55行目:

* しゃべくり漫才

* しゃべくり漫才

** 掛け合い漫才

** 掛け合い漫才

**: 掛け合いでしゃべるもの<ref>『上方漫才入門』p.46「掛け合い漫才」</ref>。

**: 掛け合いでしゃべるもの<ref>『上方漫才入門』p.46「掛け合い漫才」</ref>。[[並木一路]]・[[内海突破]]、[[夢路いとし・喜味こいし]]が該当

** ぼやき漫才

** ぼやき漫才

**: 1人がしゃべり続け、相方は相槌を打つだけのもの。本質的には[[漫談]]である。[[都家文雄]]によって創始され、弟子の[[人生幸朗・生恵幸子]]や[[東文章・こま代]]に受け継がれた。このほか、[[西川のりお・上方よしお]]などが該当する<ref>『上方漫才入門』p.47「ぼやき漫才」</ref>。

**: 1人がしゃべり続け、相方は相槌を打つだけのもの。本質的には[[漫談]]である。[[都家文雄]]によって創始され、弟子の[[人生幸朗・生恵幸子]]や[[東文章・こま代]]に受け継がれた。このほか、[[西川のりお・上方よしお]]などが該当する<ref>『上方漫才入門』p.47「ぼやき漫才」</ref>。

64行目: 64行目:

しゃべくり漫才とは、日常の雑談や時事を題材に掛け合いのみで笑わせる漫才を指す。創始者は、[[横山エンタツ]]・[[花菱アチャコ]]。1980年代の漫才ブーム以降、上述の音曲漫才や歌謡漫才は急速に廃れ、しゃべくり漫才が漫才の王道・正統派とされるようになった。しゃべくり漫才の定義について、[[ナイツ (お笑いコンビ)|ナイツ]]の[[塙宣之]]は「キッチリ定義することは難しいが、あえて言うならば、しゃべくり漫才とは日常会話だと思います」と語っている<ref>塙宣之『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』 p,22</ref>。

しゃべくり漫才とは、日常の雑談や時事を題材に掛け合いのみで笑わせる漫才を指す。創始者は、[[横山エンタツ]]・[[花菱アチャコ]]。1980年代の漫才ブーム以降、上述の音曲漫才や歌謡漫才は急速に廃れ、しゃべくり漫才が漫才の王道・正統派とされるようになった。しゃべくり漫才の定義について、[[ナイツ (お笑いコンビ)|ナイツ]]の[[塙宣之]]は「キッチリ定義することは難しいが、あえて言うならば、しゃべくり漫才とは日常会話だと思います」と語っている<ref>塙宣之『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』 p,22</ref>。



コント漫才とは、「お前コンビニの店員やって、俺は客やるから」とコントに入っていくパターンの漫才を指す。衣装や小道具、効果音を使わずに、立位置もそのままで設定した役になりきるという点でコントとは異なる。設定を振ってコントに切り替えることを、[[符牒]]でコントインと呼ぶ。センターマイクから離れることも多いため、しゃべくり漫才と比べて邪道とされることもある<ref group="注">漫才コンテスト番組「M-1グランプリ2020」で優勝した[[マヂカルラブリー]]のネタに対して、SNSなどで「あれは漫才なのか」と論争となり、松本人志など他のお笑い芸人もこれに言及した(詳細は[[M-1グランプリ2020]]を参照)。</ref>。片方のみが役になりきる場合や、同じシチュエーションを反復して、独特のテンポを出す場合も多くみられる


[[]]使[[]]<ref group="">M-12020[[]]SNS[[M-12020#]]</ref>

近年では「俺コンビニ店員するから、お前はそこで見てて」というように、ボケが独自の世界観に没入し、ツッコミはその邪魔にならないように外から指摘するコント漫才も増えている。



== 歴史 ==

== 歴史 ==

=== 萬歳から万才へ ===

[[File:Manzai by unknown artist - wittig collection.jpg|thumb|200px|正月の祝賀会で萬歳を披露する2人組を描いた[[19世紀]]の[[日本画]](作者不明)。]]

[[File:Manzai by unknown artist - wittig collection.jpg|thumb|正月の祝賀会で萬歳を披露する2人組を描いた[[19世紀]]の[[日本画]](作者不明)。]]

{{see also|萬歳#歴史}}

{{see also|萬歳#歴史}}

[[平安時代]]以来祭礼における派遣([[予祝芸能]])や家々を回る[[門付]]の芸能であった萬歳は、18世紀前半の上方で小屋掛けの芸として演じられるようになり<ref name="maeda111">『上方まんざい八百年史』pp.111-117「常打ち万歳、興行さる」</ref>、18世紀末([[天明]]期)には[[生國魂神社]]や[[八坂神社]]に常設の小屋が開設されるに至った。この小屋芸としての萬歳は宮中における奉納などのための形式(御殿萬歳・宮中萬歳)とは異なり、2人組による滑稽な会話による笑芸で、[[俄|大阪俄]]の前座における[[軽口]](かるくち。掛け合い、掛け合い噺とも)と重なりがあった<ref>[[小島貞二]]『漫才世相史 改訂新版』 [[毎日新聞社]]、1978年 pp.50-53「ここらで編笠まわそうか」</ref>。

[[平安時代]]以来祭礼における派遣([[予祝芸能]])や家々を回る[[門付]]の芸能であった萬歳は、18世紀前半の上方で小屋掛けの芸として演じられるようになり<ref name="maeda111">『上方まんざい八百年史』pp.111-117「常打ち万歳、興行さる」</ref>、18世紀末([[天明]]期)には[[生國魂神社]]や[[八坂神社]]に常設の小屋が開設されるに至った。この小屋芸としての萬歳は宮中における奉納などのための形式(御殿萬歳・宮中萬歳)とは異なり、2人組による滑稽な会話による笑芸で、[[俄|大阪俄]]の前座における[[軽口]](かるくち。掛け合い、掛け合い噺とも)と重なりがあった<ref>[[小島貞二]]『漫才世相史 改訂新版』 [[毎日新聞社]]、1978年 pp.50-53「ここらで編笠まわそうか」</ref>。

80行目: 83行目:


=== 「しゃべくり漫才」の誕生 ===

=== 「しゃべくり漫才」の誕生 ===

[[File:Entatsu Achako Scan10036.JPG|thumb|250px|左が[[花菱アチャコ]]、右が[[横山エンタツ]]<br />本来の立ち位置とは逆である。]]

1930年([[昭和]]5年)、吉本興行部([[吉本興業]]の前身)所属のコンビ「[[横山エンタツ]]・[[花菱アチャコ]]」が、従来和装であった萬歳師・万才師と異なり、[[背広]]を身に着け、長らく萬歳・万才の音曲の「つなぎ」扱いであったしゃべくりだけで高座をつとめる、画期的な「しゃべくり漫才」スタイルを創始し、絶大な人気を博した<ref name="aiba24">『上方漫才入門』pp.24-25「漫才の時代」</ref>。しゃべくり漫才はこれまでの萬歳・万才よりも多く笑いを企図したことが特徴で、エンタツ・アチャコ以降、彼らに追随する多くのコンビが結成されたほか、[[ラジオ放送]]のコンテンツとして全国的な認知を得て、多くのスター漫才師が生まれた。発表の場の増加と広がりに合わせ、[[秋田實]]など、専業の漫才作家が活動を開始するようになった。やがて漫才は主に「しゃべくり漫才」を指す語となり、これまでの漫才は少数派となり、「音曲漫才」という[[レトロニム]]と化した。

1930年([[昭和]]5年)、吉本興行部([[吉本興業]]の前身)所属のコンビ「[[横山エンタツ]]・[[花菱アチャコ]]」が、従来和装であった萬歳師・万才師と異なり、[[背広]]を身に着け、長らく萬歳・万才の音曲の「つなぎ」扱いであったしゃべくりだけで高座をつとめる、画期的な「しゃべくり漫才」スタイルを創始し、絶大な人気を博した<ref name="aiba24">『上方漫才入門』pp.24-25「漫才の時代」</ref>。しゃべくり漫才はこれまでの萬歳・万才よりも多く笑いを企図したことが特徴で、エンタツ・アチャコ以降、彼らに追随する多くのコンビが結成されたほか、[[ラジオ放送]]のコンテンツとして全国的な認知を得て、多くのスター漫才師が生まれた。発表の場の増加と広がりに合わせ、[[秋田實]]など、専業の漫才作家が活動を開始するようになった。やがて漫才は主に「しゃべくり漫才」を指す語となり、これまでの漫才は少数派となり、「音曲漫才」という[[レトロニム]]と化した。



同時期の東京では、[[柳家金語楼]]がエンタツ・アチャコに触発されて、弟子の柳家梧楼と柳家緑朗に高座で掛け合いを演じさせた。両者はのちに[[リーガル千太・万吉]]を名乗り、1935年(昭和10年)には他の約80組のコンビとともに「[[漫才協会#歴史|帝都漫才組合]]」を設立した。


[[]][[]]19351080[[#|]][[]][[]][[]]


[[第二次世界大戦]]終結後、漫才師の何人かが戦死・病死・消息不明に見舞われたり、劇場やプロダクションの運営が停止する(例として、吉本は映画館運営会社へ一時転身した)など、演芸のための人的・物的リソースが不足する中、[[千歳家歳男・松鶴家団之助|松鶴家団之助]]による自主マネージメント会社「団之助芸能社」の立ち上げや、秋田實による若手の研究会「MZ研進会」発足など、漫才の復興に向けた動きがなされた。やがて演芸プロダクションや劇場運営会社が次々と再興し、多くの芸人がいずれかに所属するようになる。

[[第二次世界大戦]]終結後、漫才師の何人かが戦死・病死・消息不明に見舞われたり、劇場やプロダクションの運営が停止したりする(例として、吉本は映画館運営会社へ一時転身した)など、演芸のための人的・物的リソースが不足する中、[[千歳家歳男・松鶴家団之助|松鶴家団之助]]による自主マネージメント会社「団之助芸能社」の立ち上げや、秋田實による若手の研究会「MZ研進会」発足など、漫才の復興に向けた動きがなされた。やがて演芸プロダクションや劇場運営会社が次々と再興し、多くの芸人がいずれかに所属するようになる。



=== 漫才ブーム ===

=== 漫才ブーム ===

90行目: 94行目:


=== M-1グランプリ ===

=== M-1グランプリ ===


2001[[]]13[[]][[]][[M-1]]1000M-11015M-144<ref>[https://number.bunshun.jp/articles/-/842220 1M-1]</ref>[[ ()|]][[]]M-1[[100|100m]][[10000|10000m]]<ref> M-1p.55</ref>M-1100m<ref> M-1p.113</ref>

2001[[]]13[[]][[]][[M-1]][[]]10002021[[ ()|]]1000<ref>{{Cite web||title=1  |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2022/10/08/0015707477.shtml |website=online |date=2022-10-08 |access-date=2023-03-01 |language=ja |last=}}</ref>1015M-144<ref>[https://number.bunshun.jp/articles/-/842220 1M-1]</ref>[[ ()|]][[]]M-1[[100|100m]][[10000|10000m]]<ref> M-1p.55</ref>M-1100m<ref> M-1p.113</ref>


2020年([[令和]]2年)、[[西川きよし]](元[[横山やすし・西川きよし]])が漫才師初の[[文化功労者]]に選出された<ref>[https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/2020/attach/1422025_00001.htm 令和2年度 文化功労者] [[文部科学省]]</ref>。

2020年([[令和]]2年)、[[西川きよし]](元[[横山やすし・西川きよし]])が漫才師初の[[文化功労者]]に選出された<ref>[https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/2020/attach/1422025_00001.htm 令和2年度 文化功労者] [[文部科学省]]</ref>。


2024年2月14日 (水) 14:12時点における最新版

リーガル千太・万吉



[1]



3205[ 1]使[2]

[]


34[3]

[3]

[4]

[]


2[5]

[]

[6][]

[5]調

21

[]


[7]

3

[]


410[8]10



[9]


[10]


[11]


[12]


[13]



[14]


[15]


[16]



[17]


1西[18]

[]




1980[19]

使[ 2]


歴史[編集]

萬歳から万才へ[編集]

正月の祝賀会で萬歳を披露する2人組を描いた19世紀日本画(作者不明)。

18[20]18殿2[21]

[20]3[22][22]殿2[23]

212

調[24][25]

19176[26]

[]



19305[27]

19351080

MZ

[]


[28]196641198055西!西THE MANZAI

M-1[]


200113M-1100020211000[29]1015M-144[30]M-1100m10000m[31]M-1100m[32]

20202西西[33]

[]


193381調193273使[34]



[35][36]
[27][35]

[34]
[37][34]

193494253[35]

[36]

類似の芸[編集]




2

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ これは、所得税法第204条第1項第5号に規定する報酬について源泉徴収を必要とする芸能人を定める規定である。「映画若しくは演劇の俳優、映画監督若しくは舞台監督(プロジューサーを含む。)、演出家、放送演技者、音楽指揮者、楽士、舞踊家、講談師、落語家、浪曲師、漫談家、漫才家、腹話術師、歌手、奇術師、曲芸師又は物まね師」というようになっている。
  2. ^ 漫才コンテスト番組「M-1グランプリ2020」で優勝したマヂカルラブリーのネタに対して、SNSなどで「あれは漫才なのか」と論争となり、松本人志など他のお笑い芸人もこれに言及した(詳細はM-1グランプリ2020#マヂカルラブリーのネタに対する議論を参照)。

出典[編集]



(一)^ . . 20201221

(二)^  - 

(三)^ ab1995p.10

(四)^ M-1100 .    (20201230). 2022511

(五)^ abp.12

(六)^ 1975p.162

(七)^ p.13

(八)^ pp.198-203

(九)^ p.38

(十)^ p.39

(11)^ p.40

(12)^ p.41

(13)^ p.42

(14)^ p.43

(15)^ p.44

(16)^ p.45

(17)^ p.46

(18)^ p.47

(19)^  M-1 p,22

(20)^ abpp.111-117

(21)^   1978 pp.50-53

(22)^ abpp.20-21殿

(23)^  

(24)^ pp.22-23

(25)^ p.167

(26)^  pp.130-133

(27)^ abpp.24-25

(28)^ : 

(29)^ 1 . online (2022108). 202331

(30)^ 1M-1

(31)^  M-1p.55

(32)^  M-1p.113

(33)^ 2  

(34)^ abc19946pp.30-33

(35)^ abc pp.112-114

(36)^ ab201022pp.90 - 91

(37)^ 2007p.235

関連項目[編集]