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{{Infobox baseball player |
{{Infobox baseball player |
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|選手名 = 笘篠 賢治 |
| 選手名 = 笘篠 賢治 |
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| 身長 = 185 |
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| 利き腕 = 右 |
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* [[中央大学硬式野球部|中央大学]] |
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* [[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]] (1989 - 1997) |
* [[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]] (1989 - 1997) |
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* [[広島東洋カープ]] (1998 - 1999) |
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|経歴補足題 = コーチ歴 |
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* 広島東洋カープ (2000 - 2002) |
* 広島東洋カープ (2000 - 2002) |
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{{MedalSilver|[[ソウルオリンピック|1988]]|野球}} |
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'''笘篠 賢治'''︵とましの けんじ、[[1966年]][[10月11日]] - ︶は、[[大阪府]][[茨木市 |
'''笘篠 賢治'''︵とましの けんじ、[[1966年]][[10月11日]] - ︶は、[[大阪府]][[茨木市]]出身の元[[プロ野球選手]]︵[[内野手]]、[[外野手]]︶、[[野球解説者]]。
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[[1988年ソウルオリンピックの野球競技|ソウルオリンピック]]野球の銀メダリスト。兄は元プロ野球選手の[[笘篠誠治]]。 |
[[1988年ソウルオリンピックの野球競技|ソウルオリンピック]]野球の銀メダリスト。兄は元プロ野球選手の[[笘篠誠治]]。 |
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== 経歴 == |
== 経歴 == |
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=== プロ入り前 === |
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[[上宮 |
[[上宮高等学校|上宮高]]では、2年次の{{by|1983年}}に控え[[外野手]]ながら[[第55回選抜高等学校野球大会|春の選抜]]に出場。1回戦で[[仲田幸司]]、[[仲田秀司]]のバッテリーを擁する[[興南中学校・高等学校|興南高]]を降すが、2回戦で[[明徳義塾中学校・高等学校|明徳高]]に敗退<ref>﹁選抜高等学校野球大会60年史﹂毎日新聞社編 1989年</ref>。この試合では途中出場を果たす。2学年先輩に実兄の誠治、1学年先輩に[[光山英和]]、同期に岡田耕司︵[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]︶、1学年後輩に[[西山秀二]]がいた︵西山とは広島移籍後に再びチームメイトとなる︶。
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{{by|1984年}}は同期のエース[[江本晃一]]を擁し春季近畿大会に進むが、1回戦で[[嶋田章弘]]を擁する[[和歌山県立箕島高等学校|箕島高]]に延長12回サヨナラ負け。同年夏は[[全国高等学校野球選手権大阪大会|府大会]]で敗退し甲子園には出場できなかった。 |
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高校卒業後は[[中央大学硬式野球部|中央大学]]に進学。外野手として活躍し、内野も守れたことから重宝された<ref>橋上秀樹﹃野村克也に挑んだ13人のサムライたち﹄株式会社双葉社、2011年、13ページ、ISBN 978-4-575-15371-2</ref>。当時[[東都大学野球連盟|東都大学]] |
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高校卒業後は[[中央大学硬式野球部|中央大学]]に進学。外野手として活躍し、内野も守れたことから重宝された<ref>橋上秀樹﹃野村克也に挑んだ13人のサムライたち﹄株式会社双葉社、2011年、13ページ、ISBN 978-4-575-15371-2</ref>。入学当時の中大は[[東都大学野球連盟|東都大学野球]]リーグで二部に低迷していたが、チームを建て直し{{by|1987年}}春季リーグから一部に昇格させる。一部リーグ優勝はならなかったが、4年時は主将を務め{{by|1988年}}[[日米大学野球選手権大会]]、第30回[[IBAFワールドカップ|アマチュア野球世界選手権]]日本代表となる。また[[ソウルオリンピック野球日本代表]]に選出され銀メダル獲得に貢献した。一部リーグ通算44試合出場、176打数49安打、打率.278、10本塁打、17打点。1学年下に[[川端一彰]]がいた。
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=== ヤクルト時代 === |
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[[1988年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1988年のドラフト会議]]で[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]が3位指名で交渉権を獲得し契約金5000万円、年俸600万円で入団合意した<ref>朝日新聞、1988年12月2日付朝刊 (23面)</ref>。 |
[[1988年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1988年のドラフト会議]]で[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]が3位指名で交渉権を獲得し契約金5000万円、年俸600万円で入団合意した<ref>朝日新聞、1988年12月2日付朝刊 (23面)</ref>。 |
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{{by|1989年}}から自慢の足を武器に |
{{by|1989年}}は開幕直後から、本職だった外野手ではなく[[二塁手]]として活躍。自慢の足を武器に、前半戦は3割近い打率を記録、[[フレッシュオールスターゲーム|ジュニアオールスターゲーム]]にも出場した。[[規定打席]]︵リーグ26位、打率.263︶にも到達し、32盗塁を記録して[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]に選出された<ref>{{Cite web ja |title=年度別成績 1989年 セントラル・リーグ |url=https://npb.jp/bis/yearly/centralleague_1989.html |website=日本野球機構 |date= |access-date=2023-10-04 |publisher=一般社団法人日本野球機構}}</ref>。[[最多盗塁 (日本プロ野球)|盗塁王]]のタイトルは広島の[[正田耕三]]が34個で獲得し、2個及ばなかった。しかし翌年就任した[[野村克也]]監督は二塁手に捕手から転向させた[[飯田哲也 (野球)|飯田哲也]]を起用し、以降も[[ジョニー・レイ]]、[[レックス・ハドラー]]などが定着したことで出場機会が減少、結果的にこの1年目が唯一の[[規定打席]]到達でキャリアハイとなった<ref>{{Cite web ja |title=笘篠誠治&笘篠賢治 兄は黄金時代の貴重なバックアップ、弟は低迷チームの新人王/プロ野球1980年代の名選手 {{!}} 野球コラム |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190509-11 |website=週刊ベースボールONLINE |date=2019-05-09 |access-date=2023-10-04}}</ref><ref>{{Cite web ja |title=栗山英樹(日本ハムファイターズ監督) 小手先の技術より、最後の勝負は﹁愛﹂だよ︵週刊現代︶ @gendai_biz |url=http://gendai.media/articles/-/33291 |website=現代ビジネス |date=2012-08-22 |access-date=2023-10-04}}</ref>。
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その後は兄と同様に内外野をこなす[[ユーティリティープレイヤー]]として重宝され、準レギュラーとして活躍。 |
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{{by|1991年}}には前年に引退した[[栗山英樹]]が付けていた背番号'''4'''(兄・誠治と同じ)に変更。 |
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{{by|1992年}}の[[埼玉西武ライオンズ|西武]]との[[1992年の日本シリーズ|日本シリーズ]]は兄弟対決となったが第4戦まで二塁手として起用され、第1戦では2安打を放つ。
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{{by|1994年}}には序盤に故障し離脱。 |
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{{by|1995年}}は出場機会がなかった。 |
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{{by| |
{{by|1996年}}に復帰する。 |
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⚫ | [[1997年の日本シリーズ]]前にヤクルトから戦力外通告を受ける<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=2ARLwYQAJkg 【トレード裏話】西山秀二が経験したトレード]</ref><ref>[https://www.youtube.com/watch?v=mZ_5VLuY2aA 第五話 今だから笑って話せるヤクルトで干された理由] YouTube 2021年10月14日</ref>。 |
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[[1992年]]の日本シリーズの開幕スタメンになったりとはしたものの出場機会は減っていった、二年目以降は本職の[[外野手]]や三塁手や遊撃手として出場することもあった。 |
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=== 広島時代 === |
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⚫ | [[1997年の日本シリーズ]]前にヤクルトから戦力外通告を受ける<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=2ARLwYQAJkg 【トレード裏話】西山秀二が経験したトレード]</ref><ref>[https://www.youtube.com/watch?v=mZ_5VLuY2aA 第五話 今だから笑って話せるヤクルトで干された理由 |
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=== 現役引退後 === |
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引退後も広島球団に残り、一軍守備走塁コーチを{{by|2002年}}まで務めた。特に[[金本知憲]]の2000年の[[トリプルスリー]]達成は盗塁が鬼門といわれていたが笘篠が金本に積極的に盗塁を進めたことが励みになり、支えたともいわれている<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/tigers/kanemoto-column/2013/01/22/0005685739.shtml |title=緒方選手から得た盗塁極意「ケツを汚せ」 |website=デイリースポーツ online |date=2013-01-22 |accessdate=2022-09-19}}</ref>。 |
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その後は[[文化放送]]、および[[フジテレビONE]]の﹃[[プロ野球ニュース]]﹄・[[テレビ新広島]] |
その後は[[文化放送]]、および[[フジテレビONE]]の﹃[[プロ野球ニュース]]﹄・[[ミヤギテレビ]]・[[テレビ新広島]]{{Efn|name="ryota"|2017年には[[東亜学園高等学校|東亜学園高校]]・中央大学で野球部に在籍した長男・笘篠諒太が入社し、メディア本部編成局編成部に在職している<ref>[https://job.mynavi.jp/20/pc/corpinfo/displayPremium/index?corpId=89430&optNo=841123 マイナビ2020・入社してから成長が止まらない!それぞれの役割で活躍中の三人] - マイナビ。2019年6月30日更新</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20170110161806/http://www.ne.jp/asahi/chuo-u/baseball/ob/job.html 新卒業生進路]‥中央大学硬式野球部ホームページ</ref>。}}で解説者を務めている。
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== プレースタイル・人物 == |
== プレースタイル・人物 == |
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両打ちとしては珍しく、投手の利き腕で打席を分けるのではなく、場面に応じて左右を使い分けていた。 |
両打ちとしては珍しく、投手の利き腕で打席を分けるのではなく、場面に応じて左右を使い分けていた。 |
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プロ野球界でも屈指の俊足で、入団初年度オフの12球団対抗のスポーツイベントでは100mを11秒03で走った<ref>フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】まさかの監督無視!? ヤクルト黄金期の衝撃事件簿【ザ・伝説の野球人大全集】</ref>。 |
プロ野球界でも屈指の俊足で、入団初年度オフの12球団対抗のスポーツイベントでは100mを11秒03で走った<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=HIFSJObxDDw フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】まさかの監督無視!? ヤクルト黄金期の衝撃事件簿【ザ・伝説の野球人大全集】] YouTube 2021年10月21日</ref>。 |
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妻は元タレントの[[松本典子]]で、3人の息子がいる<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110827-826109.html |title=3児の母…松本典子が19年ぶりに歌手復帰 |date=2011-08-27 |publisher=日刊スポーツ |accessdate=2023-06-05}}</ref>。息子の一人は高校野球をしており、妻の松本曰く、芸能人一家だが芸能界に興味はなく、野球に打ち込み、甲子園を目指していた<ref>{{Cite news ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2012/07/14/0005211813.shtml |title=笘篠母・松本典子さん応援席でエール |newspaper=デイリースポーツ online |date=2012-07-14 |accessdate=2023-07-20}}</ref>。 |
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妻は元タレントの[[松本典子]](結婚後の本名:笘篠美和子)で、3人の息子がいる。 |
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姪は[[宝塚歌劇団 |
姪は元[[宝塚歌劇団]][[花組 (宝塚歌劇)|花組]]娘役の[[笘篠ひとみ]]で、甥には元[[ジャニーズJr.]]の[[笘篠和馬]]がいる{{Efn|2人とも兄である誠治の子供。}}<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/gossip/takara_topics/2015/10/02/0008452188.shtml |title=楽天・笘篠Cの娘、姫歌ひな乃退団 |website=デイリースポーツ online |date=2015-10-02 |accessdate=2023-06-05}}</ref>。
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== 詳細情報 == |
== 詳細情報 == |
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|rowspan="7" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]] |
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|120||483||429||57||113||17||3||5||151||27||32||15||7||1||41||0||5||77||5||.263||.334||.352||.686 |
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|56||95||83||16||25||0||1||1||30||6||7||3||6||0||5||0||1||20||2||.301||.348||.361||.710 |
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|79||215||186||15||47||8||2||4||71||14||4||1||17||2||8||0||2||41||2||.253||.288||.382||.670 |
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|18||59||52||5||11||5||1||0||18||5||1||0||5||0||1||0||1||5||0||.212||.241||.346||.587 |
|18||59||52||5||11||5||1||0||18||5||1||0||5||0||1||0||1||5||0||.212||.241||.346||.587 |
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=== 背番号 === |
=== 背番号 === |
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* '''25''' |
* '''25'''(1989年 - 1990年) |
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* '''4''' |
* '''4'''(1991年 - 1997年) |
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* '''00''' |
* '''00'''(1998年 - 1999年) |
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* '''78''' |
* '''78'''(2000年 - 2002年) |
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== 出演番組 == |
== 出演番組 == |
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* [[RCCカープナイター|RCCカープナイター・カープデーゲーム中継]]([[中国放送|RCCラジオ]]、土・日曜ナイターの文化放送からの裏送りのみ出演。2005年のみNRN向けの水~金曜自社製作分にも出演した) |
* [[RCCカープナイター|RCCカープナイター・カープデーゲーム中継]]([[中国放送|RCCラジオ]]、土・日曜ナイターの文化放送からの裏送りのみ出演。2005年のみNRN向けの水~金曜自社製作分にも出演した) |
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* [[S☆1 BASEBALL]]([[中国放送|RCCテレビ]]。2005年に出演したRCCテレビの野球中継の現行統一タイトル。一部カードは『J SPORTS STADIUM』でも同時放送) |
* [[S☆1 BASEBALL]]([[中国放送|RCCテレビ]]。2005年に出演したRCCテレビの野球中継の現行統一タイトル。一部カードは『J SPORTS STADIUM』でも同時放送) |
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* [[野球道 (フジテレビ系列)]]︵[[テレビ新広島]] |
* [[野球道 (フジテレビ系列)]]︵[[テレビ新広島]] {{Efn|name="ryota"}}。同局の解説者だった[[達川光男]]が中日ドラゴンズのコーチに就任した2014年に本数契約で出演。[[山内泰幸]]が専属解説者として加入した2015年以降も出演を継続したが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で変則日程となり、感染状況により東京から広島への移動が制限されることがあった2020年以降は出演がない。一部カードは﹃J SPORTS STADIUM﹄でも同時放送︶
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* [[DRAMATIC BASEBALL]]([[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]]。楽天対広島戦が[[広島テレビ放送|広島テレビ]]に同時ネットされる時はテレビ新広島 |
* [[DRAMATIC BASEBALL]]︵[[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]]。楽天対広島戦が[[広島テレビ放送|広島テレビ]]に同時ネットされる時はテレビ新広島 {{Efn|name="ryota"}}との兼ね合いから出演していない︶{{Efn|この場合は広島テレビから[[山本浩二]]・[[池谷公二郎]]・[[野村謙二郎]]︵2021・2022年は[[石原慶幸]]も︶・ゲスト解説扱いの[[黒田博樹]]のいずれか︵2018年以降の池谷を除きキー局・[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]兼任︶が派遣される。また宮城県側で他局での放送となる時も、ミヤギテレビの制作協力と球団公式映像の利用による乗り込み自社制作を行うことがある。}}
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* 笘篠賢治の[[ミュージックブルペン]](全国AMラジオ数局ネット、2023年7月度担当) |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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{{NPB|35233868}} |
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{{BASEBALLstats|brjpn=tomash000ken}} |
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* [https://sp.baseball.findfriends.jp/player/19660031/ 選手情報] - 週刊ベースボールONLINE |
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{{Navboxes|title={{Flagicon|JPN}} 野球日本代表 |
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{{1988年日米大学野球選手権大会日本代表}} |
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[[Category:野球解説者]] |
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[[Category:日本の野球指導者]] |
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[[Category:大阪府出身の |
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[[Category:1966年生]] |
[[Category:1966年生]] |
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[[Category:存命人物]] |
[[Category:存命人物]] |
2024年4月22日 (月) 12:30時点における最新版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府茨木市 |
生年月日 | 1966年10月11日(57歳) |
身長 体重 |
185 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 内野手、外野手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト3位 |
初出場 | 1989年4月12日 |
最終出場 | 1999年10月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
コーチ歴 | |
| |
この表について
|
オリンピック | ||
---|---|---|
男子 野球 | ||
銀 | 1988 | 野球 |
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
上宮高では、2年次の1983年に控え外野手ながら春の選抜に出場。1回戦で仲田幸司、仲田秀司のバッテリーを擁する興南高を降すが、2回戦で明徳高に敗退[1]。この試合では途中出場を果たす。2学年先輩に実兄の誠治、1学年先輩に光山英和、同期に岡田耕司︵近鉄︶、1学年後輩に西山秀二がいた︵西山とは広島移籍後に再びチームメイトとなる︶。 1984年は同期のエース江本晃一を擁し春季近畿大会に進むが、1回戦で嶋田章弘を擁する箕島高に延長12回サヨナラ負け。同年夏は府大会で敗退し甲子園には出場できなかった。 高校卒業後は中央大学に進学。外野手として活躍し、内野も守れたことから重宝された[2]。入学当時の中大は東都大学野球リーグで二部に低迷していたが、チームを建て直し1987年春季リーグから一部に昇格させる。一部リーグ優勝はならなかったが、4年時は主将を務め1988年日米大学野球選手権大会、第30回アマチュア野球世界選手権日本代表となる。またソウルオリンピック野球日本代表に選出され銀メダル獲得に貢献した。一部リーグ通算44試合出場、176打数49安打、打率.278、10本塁打、17打点。1学年下に川端一彰がいた。ヤクルト時代[編集]
1988年のドラフト会議でヤクルトスワローズが3位指名で交渉権を獲得し契約金5000万円、年俸600万円で入団合意した[3]。 1989年は開幕直後から、本職だった外野手ではなく二塁手として活躍。自慢の足を武器に、前半戦は3割近い打率を記録、ジュニアオールスターゲームにも出場した。規定打席︵リーグ26位、打率.263︶にも到達し、32盗塁を記録して新人王に選出された[4]。盗塁王のタイトルは広島の正田耕三が34個で獲得し、2個及ばなかった。しかし翌年就任した野村克也監督は二塁手に捕手から転向させた飯田哲也を起用し、以降もジョニー・レイ、レックス・ハドラーなどが定着したことで出場機会が減少、結果的にこの1年目が唯一の規定打席到達でキャリアハイとなった[5][6]。 その後は兄と同様に内外野をこなすユーティリティープレイヤーとして重宝され、準レギュラーとして活躍。 1991年には前年に引退した栗山英樹が付けていた背番号4︵兄・誠治と同じ︶に変更。 1992年の西武との日本シリーズは兄弟対決となったが第4戦まで二塁手として起用され、第1戦では2安打を放つ。 1994年には序盤に故障し離脱。 1995年は出場機会がなかった。 1996年に復帰する。 1997年の日本シリーズ前にヤクルトから戦力外通告を受ける[7][8]。広島時代[編集]
1998年に広島東洋カープにテスト入団。開幕から二番打者、二塁手として起用され、復活をアピールした。同年はかつて盗塁王を争った正田耕三と併用され45試合に先発出場。 1999年は開幕に出遅れ、二塁手の定位置を新外国人のエディ・ディアスに譲る。4月後半に一軍に復帰するが、今度は自身の不振や怪我、若手の東出輝裕と木村拓也の台頭もあり、同年限りで現役を引退した。現役引退後[編集]
引退後も広島球団に残り、一軍守備走塁コーチを2002年まで務めた。特に金本知憲の2000年のトリプルスリー達成は盗塁が鬼門といわれていたが笘篠が金本に積極的に盗塁を進めたことが励みになり、支えたともいわれている[9]。 その後は文化放送、およびフジテレビONEの﹃プロ野球ニュース﹄・ミヤギテレビ・テレビ新広島[注釈 1]で解説者を務めている。プレースタイル・人物[編集]
両打ちとしては珍しく、投手の利き腕で打席を分けるのではなく、場面に応じて左右を使い分けていた。 プロ野球界でも屈指の俊足で、入団初年度オフの12球団対抗のスポーツイベントでは100mを11秒03で走った[12]。 妻は元タレントの松本典子で、3人の息子がいる[13]。息子の一人は高校野球をしており、妻の松本曰く、芸能人一家だが芸能界に興味はなく、野球に打ち込み、甲子園を目指していた[14]。 姪は元宝塚歌劇団花組娘役の笘篠ひとみで、甥には元ジャニーズJr.の笘篠和馬がいる[注釈 2][15]。詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1989 | ヤクルト | 120 | 483 | 429 | 57 | 113 | 17 | 3 | 5 | 151 | 27 | 32 | 15 | 7 | 1 | 41 | 0 | 5 | 77 | 5 | .263 | .334 | .352 | .686 |
1990 | 71 | 216 | 202 | 20 | 46 | 6 | 3 | 2 | 64 | 8 | 6 | 5 | 5 | 1 | 8 | 1 | 0 | 36 | 4 | .228 | .256 | .317 | .573 | |
1991 | 112 | 337 | 301 | 40 | 75 | 10 | 6 | 4 | 109 | 21 | 16 | 5 | 19 | 0 | 13 | 0 | 4 | 46 | 2 | .249 | .289 | .362 | .651 | |
1992 | 73 | 164 | 144 | 15 | 37 | 3 | 1 | 1 | 45 | 7 | 8 | 5 | 9 | 0 | 10 | 1 | 1 | 24 | 3 | .257 | .310 | .313 | .622 | |
1993 | 82 | 248 | 217 | 29 | 59 | 6 | 0 | 1 | 68 | 13 | 5 | 4 | 12 | 2 | 15 | 1 | 2 | 29 | 3 | .272 | .322 | .313 | .635 | |
1994 | 17 | 32 | 31 | 2 | 5 | 0 | 0 | 1 | 8 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | .161 | .188 | .258 | .446 | |
1996 | 56 | 95 | 83 | 16 | 25 | 0 | 1 | 1 | 30 | 6 | 7 | 3 | 6 | 0 | 5 | 0 | 1 | 20 | 2 | .301 | .348 | .361 | .710 | |
1998 | 広島 | 79 | 215 | 186 | 15 | 47 | 8 | 2 | 4 | 71 | 14 | 4 | 1 | 17 | 2 | 8 | 0 | 2 | 41 | 2 | .253 | .288 | .382 | .670 |
1999 | 18 | 59 | 52 | 5 | 11 | 5 | 1 | 0 | 18 | 5 | 1 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 1 | 5 | 0 | .212 | .241 | .346 | .587 | |
通算:9年 | 628 | 1849 | 1645 | 199 | 418 | 55 | 17 | 19 | 564 | 105 | 79 | 38 | 80 | 6 | 101 | 3 | 17 | 285 | 21 | .254 | .303 | .343 | .646 |
表彰[編集]
●新人王︵1989年︶記録[編集]
●初出場‥1989年4月12日、対中日ドラゴンズ2回戦︵明治神宮野球場︶、10回裏に若松勉の代走として出場 ●初安打‥1989年4月14日、対横浜大洋ホエールズ1回戦︵横浜スタジアム︶、9回表に宮本賢治の代打として出場、大門和彦から右前安打 ●初先発出場‥1989年4月18日、対広島東洋カープ1回戦︵明治神宮野球場︶、2番・二塁手として出場 ●初盗塁‥1989年4月20日、対広島東洋カープ3回戦︵明治神宮野球場︶、5回裏に二盗︵投手‥川島堅、捕手‥達川光男︶ ●初打点‥1989年5月13日、対広島東洋カープ7回戦︵佐世保野球場︶、9回裏に津田恒実から左前2点適時打 ●初本塁打‥1989年5月23日、対読売ジャイアンツ5回戦︵東京ドーム︶、1回表にビル・ガリクソンから左越ソロ背番号[編集]
●25︵1989年 - 1990年︶ ●4︵1991年 - 1997年︶ ●00︵1998年 - 1999年︶ ●78︵2000年 - 2002年︶出演番組[編集]
●文化放送ライオンズナイター ●文化放送ホームランナイター ●SET UP!!スペシャル 笘篠賢治情熱ボールパーク︵当日ナイターカードが無い日のみ、不定期放送︶ ●J SPORTS STADIUM︵主に広島主催試合のJ SPORTS・テレビ新広島制作時に登場することが多いほか、中日主催試合のJ SPORTS制作時にも登場することがある︶ ●プロ野球ニュース ●RCCカープナイター・カープデーゲーム中継︵RCCラジオ、土・日曜ナイターの文化放送からの裏送りのみ出演。2005年のみNRN向けの水~金曜自社製作分にも出演した︶ ●S☆1 BASEBALL︵RCCテレビ。2005年に出演したRCCテレビの野球中継の現行統一タイトル。一部カードは﹃J SPORTS STADIUM﹄でも同時放送︶ ●野球道 (フジテレビ系列)︵テレビ新広島 [注釈 1]。同局の解説者だった達川光男が中日ドラゴンズのコーチに就任した2014年に本数契約で出演。山内泰幸が専属解説者として加入した2015年以降も出演を継続したが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で変則日程となり、感染状況により東京から広島への移動が制限されることがあった2020年以降は出演がない。一部カードは﹃J SPORTS STADIUM﹄でも同時放送︶ ●DRAMATIC BASEBALL︵ミヤギテレビ。楽天対広島戦が広島テレビに同時ネットされる時はテレビ新広島 [注釈 1]との兼ね合いから出演していない︶[注釈 3] ●笘篠賢治のミュージックブルペン︵全国AMラジオ数局ネット、2023年7月度担当︶脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 笘篠賢治 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE
野球日本代表 |
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