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「郡司成忠」の版間の差分

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===第二次拓殖後の郡司===

===第二次拓殖後の郡司===

[[1905年]](明治38年)、[[ポーツマス (ニューハンプシャー州)|ポーツマス]]で講和会議が開かれていることを知った郡司は、たまたまミルコフに来ていたフランス人の毛皮商に、[[小村寿太郎]]への手紙を託す。この手紙はアメリカ人船長の手を経て小村の元へ渡り、[[ポーツマス条約]]第11条にある漁業権設定に活かされたといわれる<ref>『北の墓標』、332-334頁</ref>。

[[1905年]](明治38年)、[[ポーツマス (ニューハンプシャー州)|ポーツマス]]で講和会議が開かれていることを知った郡司は、たまたまミルコフに来ていたフランス人の毛皮商に、[[小村壽太郎|小村寿太郎]]外相への手紙を託す。この手紙はアメリカ人船長の手を経て小村の元へ渡り、[[ポーツマス条約]]第11条にある漁業権設定に活かされたといわれる<ref>『北の墓標』、332-334頁</ref>。



同年9月5日のポーツマス条約締結に伴い、郡司は解放され日本に帰国した。翌[[1906年]](明治39年)ごろから再び報效義会を率いて活動を始め、1908年(明治41年)には、「露領沿海州水産組合」(3年後に露領水産組合と改称)の組合長にも就任するなどしている。しかし、このころの報效義会はかつてとは異なり、その活動はただの漁業団と変わることはなくなっていた。その上、ラッコ禁漁の決定(ラッコの毛皮は高値で取引されたため、会の重要な資金源となっていた)や、社運を賭けていたサケ缶詰の売り上げ不振など、その事業はけしてうまくいったものではなかった。

同年9月5日のポーツマス条約締結に伴い、郡司は解放され日本に帰国した。翌[[1906年]](明治39年)ごろから再び報效義会を率いて活動を始め、1908年(明治41年)には、「露領沿海州水産組合」(3年後に露領水産組合と改称)の組合長にも就任するなどしている。しかし、このころの報效義会はかつてとは異なり、その活動はただの漁業団と変わることはなくなっていた。その上、ラッコ禁漁の決定(ラッコの毛皮は高値で取引されたため、会の重要な資金源となっていた)や、社運を賭けていたサケ缶詰の売り上げ不振など、その事業はけしてうまくいったものではなかった。


2013年3月16日 (土) 15:22時点における版

郡司 成忠
郡司成忠の肖像写真
生誕 1860年12月28日
死没 (1924-08-15) 1924年8月15日(63歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1882年9月 - 1893年1月
1894年11月 - 1895年3月
最終階級 海軍大尉
除隊後 探検家
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19154[17]

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1919[18]

脚注

  1. ^ 『日本陸海軍総合事典』188-189頁
  2. ^ 綱淵謙錠『濤』下巻、新潮社、1986年、54-55頁
  3. ^ 添田唖蝉坊『唖蝉坊流生記』、刀水書房、1982年、50-58頁
  4. ^ 長沢和俊『日本人の冒険と探検』、白水社、1973年、186頁
  5. ^ 『濤』下巻、317-338頁
  6. ^ 綱淵謙錠『極 白瀬中尉南極探検記』、新潮社、1990年、188頁
  7. ^ 『極 白瀬中尉南極探検記』、189頁
  8. ^ 『極 白瀬中尉南極探検記』、221頁
  9. ^ 『極 白瀬中尉南極探検記』、226-227頁
  10. ^ 『鈴木貫太郎自伝』 ISBN 978-4-8205-4265-0、58-59頁
  11. ^ 『極 白瀬中尉南極探検記』、282頁
  12. ^ 夏堀正元『北の墓標』、埼玉福祉会、1995年、300-301頁
  13. ^ 『極 白瀬中尉南極探検記』、285-292頁
  14. ^ 『北の墓標』、319頁
  15. ^ 豊田穣『北洋の開拓者:郡司成忠大尉の挑戦』、講談社、1994年、291頁
  16. ^ 『北の墓標』、332-334頁
  17. ^ 『北の墓標』、385-389頁
  18. ^ 寺沢毅 『北千島の自然誌』 丸善〈丸善ブックス〉、1995年 76 頁




1986

 1990

1994

1995

1996289-292

81971178-196

1973213-239