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「重源」の版間の差分

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重源は自ら「入唐三度聖人」と称したように中国([[南宋]])を3度訪れた{{efn2|異論もある。}}入宋僧だった<ref name="Itou"> 伊藤幸司、山口県立大学国際文化学部(編)「徳地からひろがる「材木の道」」『大学的 やまぐちガイド:「歴史と文化」の新視点』 昭和堂 2011 ISBN 9784812210697 pp.19-25.</ref>。重源の入宋は[[日宋貿易]]とともに日本僧の渡海が活発になった時期に当たり、[[仁安 (日本)|仁安]]3年([[1168年]])に[[栄西]]とともに帰国した記録がある<ref name="Itou"/>。宋での重源の目的地は華北の[[五台山 (中国)|五台山]]だったが、当地は[[金 (王朝)|金]]の支配下にあったため断念し、宋人の勧進の誘いに従って[[天台山国清寺]]と[[育王山]][[阿育王寺]]に参詣した。[[仏舎利|舎利]]信仰の聖地として当時日本にも知られていた阿育王寺には、伽藍修造などの理財管理に長けた妙智従廊という禅僧がおり、重源もその勧進を請け負った。帰国後の重源は舎利殿建立事業の勧進を通して、[[平氏]]や[[後白河天皇|後白河法皇]]と提携関係を持つようになる<ref name="Itou"/>。

重源は自ら「入唐三度聖人」と称したように中国([[南宋]])を3度訪れた{{efn2|異論もある。}}入宋僧だった<ref name="Itou"> 伊藤幸司、山口県立大学国際文化学部(編)「徳地からひろがる「材木の道」」『大学的 やまぐちガイド:「歴史と文化」の新視点』 昭和堂 2011 ISBN 9784812210697 pp.19-25.</ref>。重源の入宋は[[日宋貿易]]とともに日本僧の渡海が活発になった時期に当たり、[[仁安 (日本)|仁安]]3年([[1168年]])に[[栄西]]とともに帰国した記録がある<ref name="Itou"/>。宋での重源の目的地は華北の[[五台山 (中国)|五台山]]だったが、当地は[[金 (王朝)|金]]の支配下にあったため断念し、宋人の勧進の誘いに従って[[天台山国清寺]]と[[育王山]][[阿育王寺]]に参詣した。[[仏舎利|舎利]]信仰の聖地として当時日本にも知られていた阿育王寺には、伽藍修造などの理財管理に長けた妙智従廊という禅僧がおり、重源もその勧進を請け負った。帰国後の重源は舎利殿建立事業の勧進を通して、[[平氏]]や[[後白河天皇|後白河法皇]]と提携関係を持つようになる<ref name="Itou"/>。



重源は舎利殿建立事業に取り組む過程で博多周辺の木材事情に通じるようになった<ref name="Itou"/>。[[承安]]元年([[1171年]])頃に建立が始まった博多の[[誓願寺 (福岡市)|誓願寺]]の本尊を制作する際に、重源は[[周防国]]徳地から用材を調達している。

重源は舎利殿建立事業に取り組む過程で博多周辺の木材事情に通じるようになった<ref name="Itou"/>。[[承安 (日本)|承安]]元年([[1171年]])頃に建立が始まった博多の[[誓願寺 (福岡市)|誓願寺]]の本尊を制作する際に、重源は[[周防国]]徳地から用材を調達している。



東大寺は[[治承]]4年([[1180年]])、[[平重衡]]の[[南都焼討]]によって[[伽藍]]の大部分を焼失。大仏殿は数日にわたって燃え続け、大仏([[東大寺盧舎那仏像|盧舎那仏像]])もほとんどが焼け落ちた。

東大寺は[[治承]]4年([[1180年]])、[[平重衡]]の[[南都焼討]]によって[[伽藍]]の大部分を焼失。大仏殿は数日にわたって燃え続け、大仏([[東大寺盧舎那仏像|盧舎那仏像]])もほとんどが焼け落ちた。


2018年7月5日 (木) 06:51時点における版

俊乗房重源上人坐像のレプリカ大阪府立狭山池博物館所蔵。原品は新大仏寺所蔵で重要文化財

21121 - 651206712[ 1]



21133[1][1][1]

3[ 2][2]貿31168西[2]殿[2]

殿[2]1171調

41180殿 1181使61

東大寺大勧進職

周防国佐波川で、切り出した材木の運搬を指揮する重源上人の像(山口県山口市徳地

[ 3]

[ 4][4][ 5]1339m531.6m[ 6]殿[5]

殿調西39[ 7]277[6]

828118592361195殿31203[ 8]



西

21234


[1]31203

殿


殿101567

殿殿




81197

61195141939


殿

使

脚注

注釈



(一)^ - 

(二)^ 

(三)^ 寿21183[3]

(四)^ [2]

(五)^ 118

(六)^ 

(七)^ 2-6212-1161

(八)^ 1002118128929

出典



(一)^ abcd  - ()

(二)^ abcde   2011 ISBN 9784812210697 pp.19-25.

(三)^ 1998ISBN 978-4-642-02764-934

(四)^  - 

(五)^ 沿2012:2006

(六)^ 2007 ISBN 978-4-642-02460-0 1995


 - 殿 - 

 

西



 

 西

 


  1971/1980
190369

   5 1983
 12

 2015

1995ISBN 978-4-062-58056-4 

  1997

6  2004ISBN 978-4-642-07850-4 

 2007 
  5GBS


1994ISBN 978-4-103-97901-2 

   2010 ISBN 978-4-163-29680-7