「阪急1010系電車」の版間の差分
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1010系・1100系の竣工時編成設置 |
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=== 主要機器 === |
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[[主電動機]]は[[東芝]]SE-515-B︵端子電圧375V時定格出力75kW︶を搭載、駆動方式は[[WN駆動方式|WNドライブ]]が採用された<ref name="山口2012_p109">山口益生﹃阪急電車﹄109頁。</ref>。[[主制御器]]は東芝製MPE系超多段[[主制御器#電動カム軸接触器式|電動カム軸式]]抵抗制御器のPE-10Bを各車に搭載した。[[抵抗器]]は排熱を余熱暖房に利用できるよう、ダクトに納められていた<ref name="山口2012_p108" /><ref group="注">この機構は同系の制御器を採用する東急5000系︵初代︶でも採用されていた。</ref>。
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[[主電動機]]は[[東芝]]SE-515-B︵端子電圧375V時定格出力75kW︶を搭載、駆動方式は[[WN駆動方式|WNドライブ]]が採用された<ref name="山口2012_p109">山口益生﹃阪急電車﹄109頁。</ref>。[[主制御器]]は東芝製MPE系超多段[[主制御器#電動カム軸接触器式|電動カム軸式]]抵抗制御器のPE-10Bを各車に搭載した。[[抵抗器]]は排熱を余熱暖房に利用できるよう、ダクトに納められていた<ref name="山口2012_p108" /><ref group="注">この機構は同系の制御器を採用する東急5000系︵初代︶でも採用されていた。</ref>。
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主要[[電装]]品は元来[[直流電化|直流]]600Vと1500Vの双方に対応可能な[[電気回路|回路]]構成とされており、後年の[[架線]][[電圧]]1500V昇圧時には奇数車と偶数車で2基の主制御器を同期動作させ、1両ごとに高圧・低圧を分担して直列接続することで高電圧対応とする、いわゆる親子方式あるいは[[オシドリ|おしどり]]方式で[[運用]]するよう設計されている。
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主要[[電装]]品は元来[[直流電化|直流]]600Vと1500Vの双方に対応可能な[[電気回路|回路]]構成とされており、後年の[[架線]][[電圧]]1500V昇圧時には奇数車と偶数車で2基の主制御器を同期動作させ、1両ごとに高圧・低圧を分担して直列接続することで高電圧対応とする、いわゆる親子方式あるいは[[オシドリ|おしどり]]方式で[[運用]]するよう設計されている。
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当初は[[発電ブレーキ|発電制動]]併用の日本エヤーブレーキ(現・[[ナブテスコ]])製C動作弁によるAMC-D[[自動空気ブレーキ]]を採用した。 |
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==== 台車 ==== |
==== 台車 ==== |
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アルストムリンク式台車は[[フランス]]のアルストム社で[[電気機関車]]用として開発された軸箱支持方式を参考に設計されたものである。これは、垂直方向の支持に軸箱上に置かれたコイルばねを使用する点では軸ばね式と同様であるが、水平方向の軸箱支持に、左右各1本の水平リンクを上下段違いに配置することでペデスタルを廃したもので、リンクの使用により軸箱の案内に摺動面が存在しないため、摺動面の摩耗による軸箱の前後動発生を抑制できるというメリットが存在する。それゆえ、高速運転時の[[蛇行動]]対策や保守性の観点では、ペデスタルを使用する軸ばね式に対して有利<ref group="注">ただし、リンクの回転部に[[ゴム]][[ブッシュ]]が挿入してあり、後年これの劣化による保守が問題となって阪急では継続採用が中止され、板ばねを使用する[[東武8000系電車#前期形(ミンデンドイツ台車)|ミンデンドイツ台車]]へ移行した。</ref>であった。以後、阪急では[[1961年]]製[[阪急2000系電車|2000]]・[[阪急2300系電車|2300系]]向けFS-333・33まで7年に渡ってこの方式の台車を継続採用している。 |
アルストムリンク式台車は[[フランス]]のアルストム社で[[電気機関車]]用として開発された軸箱支持方式を参考に設計されたものである。これは、垂直方向の支持に軸箱上に置かれたコイルばねを使用する点では軸ばね式と同様であるが、水平方向の軸箱支持に、左右各1本の水平リンクを上下段違いに配置することでペデスタルを廃したもので、リンクの使用により軸箱の案内に摺動面が存在しないため、摺動面の摩耗による軸箱の前後動発生を抑制できるというメリットが存在する。それゆえ、高速運転時の[[蛇行動]]対策や保守性の観点では、ペデスタルを使用する軸ばね式に対して有利<ref group="注">ただし、リンクの回転部に[[ゴム]][[ブッシュ]]が挿入してあり、後年これの劣化による保守が問題となって阪急では継続採用が中止され、板ばねを使用する[[東武8000系電車#前期形(ミンデンドイツ台車)|ミンデンドイツ台車]]へ移行した。</ref>であった。以後、阪急では[[1961年]]製[[阪急2000系電車|2000]]・[[阪急2300系電車|2300系]]向けFS-333・33まで7年に渡ってこの方式の台車を継続採用している。 |
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==== ブレーキ ==== |
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当初は[[発電ブレーキ|発電制動]]併用の日本エヤーブレーキ(現・[[ナブテスコ]])製C動作弁によるAMC-D[[自動空気ブレーキ]]を採用した。 |
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=== 運用 === |
=== 運用 === |
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=== 主要機器 === |
=== 主要機器 === |
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==== 走行機器 ==== |
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1000形での実績を反映し、定格出力の引き上げを図った東芝SE-515-C(端子電圧300V時定格出力90kW<ref group="注">昇圧後は375V・110kWとなる。</ref>)が採用された。駆動システムはWNドライブが引き続き採用されている。 |
1000形での実績を反映し、定格出力の引き上げを図った東芝SE-515-C(端子電圧300V時定格出力90kW<ref group="注">昇圧後は375V・110kWとなる。</ref>)が採用された。駆動システムはWNドライブが引き続き採用されている。 |
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歯数比は高速運転が実施される神戸線用で全電動車方式を基本として計画された1010系が4.16、[[MT比]]1:1での使用を基本とし牽引力を確保した1100系が5.76と違えてあった<ref name="山口2012_p111" />。ただし、これは後年神戸線の5両編成化時に1010系もMT比3:2に再編され、歯数比を5.76へ引き下げたため、最終的には両系列の走行性能は統一されている。
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歯数比は高速運転が実施される神戸線用で全電動車方式を基本として計画された1010系が4.16、[[MT比]]1:1での使用を基本とし牽引力を確保した1100系が5.76と違えてあった<ref name="山口2012_p111" />。ただし、これは後年神戸線の5両編成化時に1010系もMT比3:2に再編され、歯数比を5.76へ引き下げたため、最終的には両系列の走行性能は統一されている。
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制御器は、当面は[[直流電化#電圧など|架線電圧]]1500Vへの昇圧を見送る、という経営陣の方針転換を受け、1010・1100系では主要機器は600V単電圧仕様に変更された。このため、主制御器はPE-10Bの実績を基に改良・簡素化して同期機能を省略したPE-13Aを採用した。
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==== 制御器 ==== |
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当面は[[直流電化#電圧など|架線電圧]]1500Vへの昇圧を見送る、という経営陣の方針転換を受け、1010・1100系では主要機器は600V単電圧仕様に変更された。このため、主制御器はPE-10Bの実績を基に改良・簡素化して同期機能を省略したPE-13Aを採用した。
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補機の配置は1010系では1000形に準じて奇数車と偶数車で集約分散配置とされ、1100系では電動車に[[電動発電機]]を、制御車に[[圧縮機|コンプレッサ]]を搭載してこちらも集約分散配置とされていた<ref group="注">ただし、後年増備の1140形電動車では増結車としての性格上、単車で運用可能とすべく電動発電機もコンプレッサも搭載されていた。それゆえ、1140形とペアを組むべく増備された1190形制御車には、補機類が一切装備されていない。</ref>。
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ブレーキは1000形に準じ、AMC-D発電制動併用自動空気ブレーキを採用した。 |
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==== 台車 ==== |
==== 台車 ==== |
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これとは別に、付随車である1050形には前述の1056と例外的にFS-311を装着して竣工した1052を除き、両抱き式ブレーキシューを備えるFS-33アルストムリンク式金属ばね台車<ref group="注">これのみ車輪径が軽量化を目的として860mmから762mmに縮小されている。</ref>が採用され、1010・1100・1150の各形式についても3扉車は新設計の片押し式ブレーキシューを備えるFS-324・FS-324Aアルストムリンク式金属ばね台車<ref group="注">初年度となる1958年製造の1108 - 1111のみFS-324を装着。</ref>が採用された<ref name="山口2012_p113">山口益生『阪急電車』113頁。</ref>。もっとも、以後は様々な事情から複雑な台車振り替えが実施されており、各車の最終的な装着台車は当初とは必ずしも一致しない。 |
これとは別に、付随車である1050形には前述の1056と例外的にFS-311を装着して竣工した1052を除き、両抱き式ブレーキシューを備えるFS-33アルストムリンク式金属ばね台車<ref group="注">これのみ車輪径が軽量化を目的として860mmから762mmに縮小されている。</ref>が採用され、1010・1100・1150の各形式についても3扉車は新設計の片押し式ブレーキシューを備えるFS-324・FS-324Aアルストムリンク式金属ばね台車<ref group="注">初年度となる1958年製造の1108 - 1111のみFS-324を装着。</ref>が採用された<ref name="山口2012_p113">山口益生『阪急電車』113頁。</ref>。もっとも、以後は様々な事情から複雑な台車振り替えが実施されており、各車の最終的な装着台車は当初とは必ずしも一致しない。 |
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==== ブレーキ ==== |
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1000形に準じ、AMC-D発電制動併用自動空気ブレーキを採用した。 |
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=== 運用 === |
=== 運用 === |
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1010系のうち、初期に製造された4両︵1010-1011+1012-1013︶は、1000形と同様に奇数車と偶数車でペアを組む全電動車編成であった。 |
1010系のうち、初期に製造された4両(1010-1011+1012-1013)は、1000形と同様に奇数車と偶数車でペアを組む全電動車編成であった。1100系については、2M2Tの4両編成での運用が基本であった。 |
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{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;" |
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| colspan="4" | {{列車方向|大阪|神戸・宝塚}} |
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! 竣工 |
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|- style="background-color:#933; color:#fff; font-weight:bold;" |
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| style="width:5em;" | Mc 1010 |
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| style="width:5em;" | Mc 1010 |
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| style="width:5em;" | Mc 1010 |
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| style="width:5em;" | Mc 1010 |
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| 1010 || 1011 || 1012 || 1013 || 1956年11月<ref name="山口2012_p111" /> |
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| Mc 1100 |
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| Tc 1150 |
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| Mc 1100 |
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| Tc 1150 |
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| 1100 || 1150 || 1101 || 1151 || 1956年10月<ref name="山口2012_p111" /> |
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だが、運用開始後の実績から、3M1T編成でも神戸線での運用には充分なこと<ref group="注">全電動車編成では神戸線の使用実態に照らして出力が過大で、また歯車比が高速運用を目的に低く設定されたため、当初の計画よりも速度が出過ぎたと言われる。</ref>と、コスト面の問題などから、1014以降の車両については、制御車(Tc)の1017形を1両組み込んだ3M1T編成として製造された<ref name="山口2012_p112">山口益生﹃阪急電車﹄112頁。</ref>。
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1010Fについても、その後製造されたMc-Tc編成の1026-1027と1028-1029と組み替られ1010-1011+1026-1027,1012-1013+1028-1029となり、1010系の全編成が3M1Tで統一された<ref name="山口2012_p112" />。 |
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{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;" |
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| colspan="4" | {{列車方向|大阪|神戸・宝塚}} |
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! 竣工 |
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|- style="background-color:#933; color:#fff; font-weight:bold;" |
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| style="width:5em;" | Mc 1010 |
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| style="width:5em;" | Mc 1010 |
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| style="width:5em;" | Mc 1010 |
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| style="width:5em;" | Tc 1010 |
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| 1014 || 1015 || 1016 || 1017 || 1957年11月<ref name="山口2012_p112" /> |
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| 1018 || 1019 || 1020 || 1021 || 1957年11月<ref name="山口2012_p112" /> |
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| 1022 || 1023 || 1024 || 1025 || 1957年11月<ref name="山口2012_p112" /> |
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| Mc 1010 |
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| Tc 1010 |
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| Mc 1010 |
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| Tc 1150 |
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| 1026 || 1027 || 1028 || 1029 || 1958年9月<ref name="山口2012_p112" /> |
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| Mc 1100 |
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| Tc 1150 |
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| Mc 1100 |
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| Tc 1150 |
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| 1102 || 1152 || 1103 || 1153 || 1956年12月<ref name="山口2012_p112" /> |
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|- |
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| 1104 || 1154 || 1105 || 1155 || 1956年8月<ref name="山口2012_p112" /> |
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| 1106 || 1156 || 1107 || 1157 || 1957年11月<ref name="山口2012_p112" /> |
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1030・1108以降の増備車は、乗客数の増加から3扉車となった<ref name="山口2012_p113">山口益生﹃阪急電車﹄113頁。</ref>。引き戸の乗降扉は全て連結面側に開き、戸袋窓も曇りガラスから熱線吸収ガラスに、妻面窓もHゴムからはめ殺しに変更された<ref name="山口2012_p113" />。
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1010系は付随車を組み込んだ3M2Tの5両編成化が検討されたが、主電動機容量の関係から歯車比が1100系と同じ5.76に変更することになり、1010形と1100形の性能は同一になった<ref name="山口2012_p113" />。1030以降は歯車比を変更して新製されたが、車番は続番である<ref name="山口2012_p113" />。 |
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{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;" |
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| colspan="4" | {{列車方向|大阪|神戸・宝塚}} |
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! 竣工 |
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|- style="background-color:#933; color:#fff; font-weight:bold;" |
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| style="width:5em;" | Mc 1010 |
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| style="width:5em;" | Mc 1010 |
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| style="width:5em;" | Mc 1010 |
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| style="width:5em;" | Tc 1010 |
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! |
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| 1030 || 1031 || 1032 || 1033 || 1959年10月<ref name="山口2012_p113" /> |
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| 1034 || 1035 || 1036 || 1037 || 1959年10月<ref name="山口2012_p113" /> |
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| Mc 1100 |
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| Tc 1150 |
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| Mc 1100 |
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| Tc 1150 |
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| 1108 || 1158 || 1109 || 1159 || 1958年10月<ref name="山口2012_p113" /> |
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| 1110 || 1160 || 1111 || 1161 || 1958年12月<ref name="山口2012_p113" /> |
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| 1112 || 1162 || 1113 || 1163 || 1959年6月<ref name="山口2012_p113" /> |
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|- |
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| 1114 || 1164 || 1115 || 1165 || 1959年8月<ref name="山口2012_p113" /> |
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|- |
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| 1116 || 1166 || 1117 || 1167 || 1959年9月<ref name="山口2012_p113" /> |
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|} |
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年々増加する宝塚線の乗客数に対応すべく、[[1959年]]から[[1960年]]にかけて1140形が製造され<ref name="山口2012_p114">山口益生『阪急電車』114頁。</ref>、4両編成の大阪寄りに連結され3M2Tの5両編成で使用される様になった。 |
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{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;" |
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| colspan="1" | {{列車方向|大阪|}} |
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! 竣工 |
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|- style="background-color:#933; color:#fff; font-weight:bold;" |
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| style="width:5em;" | Mc 1140 |
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! |
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| 1140 || rowspan="3" | 1959年12月<ref name="山口2012_p114" /> |
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| : |
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| 1143 |
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| 1144 || rowspan="3" | 1960年8月<ref name="山口2012_p114" /> |
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|- |
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| : |
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| 1148 |
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神戸線は中間付随車の増結がなされ、T車の1050形を組み込んだ5両編成を組成した。 |
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{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;" |
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| colspan="1" | {{列車方向|大阪|}} |
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! 竣工 |
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|- style="background-color:#933; color:#fff; font-weight:bold;" |
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| style="width:5em;" | T 1050 |
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! |
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| 1050 || rowspan="3" | 1959年12月<ref name="山口2012_p114" /> |
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| 1051 |
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| 1052 |
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| 1053 || rowspan="4" | 1960年12月<ref name="山口2012_p114" /> |
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| 1054 |
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| 1056 |
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引き続き、[[1961年]]には1190形が6両製造され、1140形の1140 - 1145と2両編成が組まれ6両編成で運転された<ref name="山口2012_p113" />。一方、1146 - 1148は引き続き増結用車として使用されたが、1147と1148は[[1963年]]以降に神戸線に転属し、1010系の増結車としても使用される様になった。 |
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1030以降の増備車は、乗客数の増加から3扉車となり<ref name="山口2012_p113">山口益生『阪急電車』113頁。</ref>、さらに付随車(T)である1050形を組み込んだ3M2Tの5両編成で製造された。一方4両編成についても、1050形を新造して3M2Tの5両編成7本に組み替えられた。また前述のとおり、3M2T編成化で歯車比が1100系と同じ5.76に変更された結果、この時点で1010形と1100形の性能は同一になった<ref name="山口2012_p113" />。 |
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{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;" |
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1100系については、2M2Tの4両編成での運用が基本であったが、年々増加する宝塚線の乗客数に対応すべく、[[1959年]]から[[1960年]]にかけて1140形が製造され<ref name="山口2012_p114">山口益生﹃阪急電車﹄114頁。</ref>、4両編成の大阪寄りに連結され3M2Tの5両編成で使用される様になった。引き続き、[[1961年]]には1190形が6両製造され、1140形の1140 - 1145と2両編成が組まれ6両編成で運転された<ref name="山口2012_p113" />。一方、1146 - 1148は引き続き増結用車として使用されたが、1147と1148は[[1963年]]以降に神戸線に転属し、1010系の増結車としても使用される様になった。
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| colspan="1" | {{列車方向||宝塚}} |
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! 竣工 |
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| style="width:5em;" | Tc 1190 |
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! |
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| 1190 || rowspan="3" | 1961年10月<ref name="山口2012_p114" /> |
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| : |
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| 1195 |
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|} |
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[[1964年]]以降は、本格的に両形式の混用が始まったが、その頃より神戸線・宝塚線の昇圧計画が具体化した。制御機器が600V専用であったため、これら2系列は共に補機を含む電装品一式が更新されることとなり、京都線1300系と同様に[[動力車#ユニット方式|MM'ユニット]]化され、制御器は新造の東芝PE-22Aに交換された。一方主電動機は、装備されていたSE-515-Cが、複電圧対応で設計されていた1000形のSE-515-Bの同系機種であり、対地[[絶縁 (電気)|絶縁]]試験の結果、発電制動を廃止し[[オーバーロード|過負荷]]を避ければ昇圧対応可能であると確認されたため、そのまま流用された。また、ブレーキ装置もAMC-DからHSCへと改造されることとなった<ref name="山口2012_p114" />。
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[[1964年]]以降は、本格的に両形式の混用が始まったが、その頃より神戸線・宝塚線の昇圧計画が具体化した。制御機器が600V専用であったため、これら2系列は共に補機を含む電装品一式が更新されることとなり、京都線1300系と同様に[[動力車#ユニット方式|MM'ユニット]]化され、制御器は新造の東芝PE-22Aに交換された。一方主電動機は、装備されていたSE-515-Cが、複電圧対応で設計されていた1000形のSE-515-Bの同系機種であり、対地[[絶縁 (電気)|絶縁]]試験の結果、発電制動を廃止し[[オーバーロード|過負荷]]を避ければ昇圧対応可能であると確認されたため、そのまま流用された。また、ブレーキ装置もAMC-DからHSCへと改造されることとなった<ref name="山口2012_p114" />。
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2019年3月11日 (月) 15:34時点における版
1000形
車体
ナニワ工機が独自開発した準張殻構造車体を採用し、軽量化を図った[1]。 外観は810系に準じるが、側板がゆるく﹁く﹂の字状に折れ曲がり、全体に丸みを帯びた形状となっている。窓まわりが1段張り出しているが、構造は810系の配置・寸法を踏襲しており[注 1]、戸袋窓以外の側窓は阪急伝統の1段下降窓である。妻面と妻扉のガラスはHゴム支持となった[1]。客用扉は片開き式、座席はロングシートであった。屋根上通風器については在来車と同じ箱形の押込式通風器を2列並べて搭載する形態を採っており、屋根高さは以後の各形式よりも低く、前照灯が飛び出して見える形状であった。 連結面も920系以来の広幅貫通路を踏襲した。しかしこれが裏目に出てしまい利用客には新車であることが気づかれず、後年の増備車では﹃この車両は今年の新造車両です﹄というポスターをわざわざ車内に貼り出す羽目になったという[3]。この反省から、後継となった2000系では内外装ともに一新し、高性能車における阪急スタイルを確立させることとなる。主要機器
走行機器
主電動機は東芝SE-515-B︵端子電圧375V時定格出力75kW︶を搭載、駆動方式はWNドライブが採用された[2]。主制御器は東芝製MPE系超多段電動カム軸式抵抗制御器のPE-10Bを各車に搭載した。抵抗器は排熱を余熱暖房に利用できるよう、ダクトに納められていた[1][注 2]。 当時東芝はアメリカのゼネラル・エレクトリック︵GE︶社と提携関係にあり、これは同社の最新型であったMCM制御器を参考に開発されたもの[注 3]と見られている。 1000形は全電動車方式であり、主制御器も各車に搭載されているが、軽量化のためにパンタグラフと電動発電機は偶数車に、空気圧縮機は奇数車にそれぞれ集約搭載してあった。これら補機の機器構成と、昇圧後は先述の1500V動作時のシステム構成に関する制約[注 4]のため、本形式は1両単位での運行は不可能であり、常時奇数車と偶数車をペアとする2両単位で運用された。 主要電装品は元来直流600Vと1500Vの双方に対応可能な回路構成とされており、後年の架線電圧1500V昇圧時には奇数車と偶数車で2基の主制御器を同期動作させ、1両ごとに高圧・低圧を分担して直列接続することで高電圧対応とする、いわゆる親子方式あるいはおしどり方式で運用するよう設計されている。 当初は発電制動併用の日本エヤーブレーキ︵現・ナブテスコ︶製C動作弁によるAMC-D自動空気ブレーキを採用した。台車
台車は、一般的な軸ばね式軸箱支持機構[注 5]を備える住友金属工業FS-303[1][注 6]一体鋳鋼台車を装着した。1002は日本初のアルストムリンク式台車が採用され、試作の住友金属工業FS-305一体鋳鋼台車が装着された。 アルストムリンク式台車はフランスのアルストム社で電気機関車用として開発された軸箱支持方式を参考に設計されたものである。これは、垂直方向の支持に軸箱上に置かれたコイルばねを使用する点では軸ばね式と同様であるが、水平方向の軸箱支持に、左右各1本の水平リンクを上下段違いに配置することでペデスタルを廃したもので、リンクの使用により軸箱の案内に摺動面が存在しないため、摺動面の摩耗による軸箱の前後動発生を抑制できるというメリットが存在する。それゆえ、高速運転時の蛇行動対策や保守性の観点では、ペデスタルを使用する軸ばね式に対して有利[注 7]であった。以後、阪急では1961年製2000・2300系向けFS-333・33まで7年に渡ってこの方式の台車を継続採用している。運用
新造当初より4両編成で神戸線で運用されたが、神戸線昇圧後は﹁おしどり方式﹂への改造と、発電ブレーキのないHSC電磁直通ブレーキへの変更が行われ、今津線で使用された。1000形の制御器は試作要素が強く、制御シーケンスの相違から昇圧後も他の車両と混結できず、また、ATSや列車無線の装備時には、当時中間に入っていた1001と1002には装備されず、実質的に中間車となった。 1969年に宝塚線の昇圧工事が完了し、複電圧対応車の必要が無くなったことと、特殊な機器を搭載するが故の保守上の問題や、運用を限定される事による使い辛さもあって、宝塚線の8両編成化用増結車として本形式を充当することとなり、1971年に電装解除、運転台撤去、台車交換[注 8]および3扉化を実施されて付随車化の上で1010系に組み込み、1010-1000-1001-1011と1012-1003-1002-1013の編成で運用されることになった[2]。台車は京都線1650形より捻出のFS-311へ全車交換、旧台車は810系の864 - 867に転用されている[1]。 その後も長らくこの編成で宝塚線で使用されていたが、1981年に1012Fが伊丹線に転属したのを皮切りに支線での使用が主体になり、甲陽線での使用を最後に、1984年3月に廃車された[2]。冷房化は実施されなかった[2]。 なお、廃車後しばらくの間、1001が正雀工場で倉庫代用として使用されていたが、のち解体されている。1000は前頭部が保存され[2]、平井車庫で保管されている。1010系・1100系
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b1/Hankyu_1010.jpg/220px-Hankyu_1010.jpg)
車種構成
新造形式は、1010系が制御電動車の1010形、制御車の1017形[注 9]、付随車の1050形の3形式、1100系は制御電動車の1100形、制御車の1150形、増結用制御電動車の1140形、増結用制御車の1190形の4形式からなる[注 10]。 1100系は線形の制約もあって神戸線向けほどには高速性能が要求されず、当初より経済性を重視して制御電動車(Mc)-制御車(Tc)による1M1T編成として設計された。その後、宝塚線の利用客増加に伴う増結用として、1140形(Mc)と1190形(Tc)が増備されたが、これらの車両は1両単位での増結用であったため、連結面側も狭幅貫通路および自動連結器付きであった。車体
基本設計は1000形に準じ、準張殻構造の軽量車体を備えるが、換気装置として新たに三菱電機製ファンデリアが採用されたのが最大の変更点である。このファンデリアは天井中央部に設置されており、車内天井と車体屋根板との間に風洞を設け、さらに車体側面の雨樋上部に換気用ルーバーがほぼ全長に渡って設置されるなど、複雑な構造の二重屋根となった。 初期車は1000形や810系などと同様、2扉ロングシート車として製造されたが、1100系では1958年製造の1108以降、1010系では1959年製造の1030以降がラッシュ時の混雑緩和と乗降時間の短縮を狙って当初より3扉で落成した[注 11]。また、2扉車については1966年から順次、3扉化が行われている。主要機器
走行機器
1000形での実績を反映し、定格出力の引き上げを図った東芝SE-515-C︵端子電圧300V時定格出力90kW[注 12]︶が採用された。駆動システムはWNドライブが引き続き採用されている。 歯数比は高速運転が実施される神戸線用で全電動車方式を基本として計画された1010系が4.16、MT比1:1での使用を基本とし牽引力を確保した1100系が5.76と違えてあった[4]。ただし、これは後年神戸線の5両編成化時に1010系もMT比3:2に再編され、歯数比を5.76へ引き下げたため、最終的には両系列の走行性能は統一されている。 制御器は、当面は架線電圧1500Vへの昇圧を見送る、という経営陣の方針転換を受け、1010・1100系では主要機器は600V単電圧仕様に変更された。このため、主制御器はPE-10Bの実績を基に改良・簡素化して同期機能を省略したPE-13Aを採用した。 補機の配置は1010系では1000形に準じて奇数車と偶数車で集約分散配置とされ、1100系では電動車に電動発電機を、制御車にコンプレッサを搭載してこちらも集約分散配置とされていた[注 13]。 ブレーキは1000形に準じ、AMC-D発電制動併用自動空気ブレーキを採用した。台車
台車はアルストムリンク式が正式採用され、当初は1010系が両抱き式ブレーキシューを備えるFS-311を、宝塚線用の1100系が片押し式ブレーキシューを備えるFS-312をそれぞれ装着した[4]。 また、1957年製造の1010系2次車で空気ばね台車の試験が行われ、1018-1019にはFS-311の枕ばねをベローズ式空気ばねで置き換えた形状のFS-320が、1020-1021には日本における量産空気ばね台車の始祖となった京阪1810系用KS-51を基本とする汽車製造KS-52シンドラー式台車が、それぞれ装着された。 シンドラー式台車は円筒案内式台車、という別称が物語るように、軸箱の前後に配されたコイルばねの内部に軸箱の上下動を案内するシリンダーを内蔵してペデスタルを廃止したもので、元来スイス国鉄用軽量客車のために各社で開発された技術を導入したものであった[注 14]。 さらに、1018-1019編成に挿入された1050形1056については比較試験の意味もあって汽車製造が新開発したエコノミカルトラックと呼ばれる、揺れ枕を持たず軸箱支持を緩衝ゴムのみに依存する簡素な構造の軸箱梁式空気ばね台車であるKS-62が採用されている。 これとは別に、付随車である1050形には前述の1056と例外的にFS-311を装着して竣工した1052を除き、両抱き式ブレーキシューを備えるFS-33アルストムリンク式金属ばね台車[注 15]が採用され、1010・1100・1150の各形式についても3扉車は新設計の片押し式ブレーキシューを備えるFS-324・FS-324Aアルストムリンク式金属ばね台車[注 16]が採用された[5]。もっとも、以後は様々な事情から複雑な台車振り替えが実施されており、各車の最終的な装着台車は当初とは必ずしも一致しない。運用
1010系のうち、初期に製造された4両︵1010-1011+1012-1013︶は、1000形と同様に奇数車と偶数車でペアを組む全電動車編成であった。1100系については、2M2Tの4両編成での運用が基本であった。← 大阪 神戸・宝塚 → |
竣工 | |||
---|---|---|---|---|
Mc 1010 | Mc 1010 | Mc 1010 | Mc 1010 | |
1010 | 1011 | 1012 | 1013 | 1956年11月[4] |
Mc 1100 | Tc 1150 | Mc 1100 | Tc 1150 | |
1100 | 1150 | 1101 | 1151 | 1956年10月[4] |
← 大阪 神戸・宝塚 → |
竣工 | |||
---|---|---|---|---|
Mc 1010 | Mc 1010 | Mc 1010 | Tc 1010 | |
1014 | 1015 | 1016 | 1017 | 1957年11月[6] |
1018 | 1019 | 1020 | 1021 | 1957年11月[6] |
1022 | 1023 | 1024 | 1025 | 1957年11月[6] |
Mc 1010 | Tc 1010 | Mc 1010 | Tc 1150 | |
1026 | 1027 | 1028 | 1029 | 1958年9月[6] |
Mc 1100 | Tc 1150 | Mc 1100 | Tc 1150 | |
1102 | 1152 | 1103 | 1153 | 1956年12月[6] |
1104 | 1154 | 1105 | 1155 | 1956年8月[6] |
1106 | 1156 | 1107 | 1157 | 1957年11月[6] |
← 大阪 神戸・宝塚 → |
竣工 | |||
---|---|---|---|---|
Mc 1010 | Mc 1010 | Mc 1010 | Tc 1010 | |
1030 | 1031 | 1032 | 1033 | 1959年10月[5] |
1034 | 1035 | 1036 | 1037 | 1959年10月[5] |
Mc 1100 | Tc 1150 | Mc 1100 | Tc 1150 | |
1108 | 1158 | 1109 | 1159 | 1958年10月[5] |
1110 | 1160 | 1111 | 1161 | 1958年12月[5] |
1112 | 1162 | 1113 | 1163 | 1959年6月[5] |
1114 | 1164 | 1115 | 1165 | 1959年8月[5] |
1116 | 1166 | 1117 | 1167 | 1959年9月[5] |
年々増加する宝塚線の乗客数に対応すべく、1959年から1960年にかけて1140形が製造され[7]、4両編成の大阪寄りに連結され3M2Tの5両編成で使用される様になった。
← 大阪 |
竣工 |
---|---|
Mc 1140 | |
1140 | 1959年12月[7] |
: | |
1143 | |
1144 | 1960年8月[7] |
: | |
1148 |
神戸線は中間付随車の増結がなされ、T車の1050形を組み込んだ5両編成を組成した。
← 大阪 |
竣工 |
---|---|
T 1050 | |
1050 | 1959年12月[7] |
1051 | |
1052 | |
1053 | 1960年12月[7] |
1054 | |
1055 | |
1056 |
宝塚 → |
竣工 |
---|---|
Tc 1190 | |
1190 | 1961年10月[7] |
: | |
1195 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d5/Hankyu_1140.jpg/220px-Hankyu_1140.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a8/Hankyu_1010_body.jpg/220px-Hankyu_1010_body.jpg)
1300系
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bf/Hankyu_1300.jpg/220px-Hankyu_1300.jpg)
車種構成
制御電動車(Mc)の1300形1301 - 1308と付随車(T)の1350形1351 - 1358の2形式で構成される。なお、車番は神宝線用の各系列が0起番に対し、こちらは1起番となっているが、これは京都線の前身である新京阪鉄道以来の慣習を踏襲しているためである[注 19]。 1300形は2両単位で機器を集約分散搭載する1C8M制御方式を阪急で初めて採用しており、奇数車が制御器とパンタグラフを搭載するMc、偶数車が電動発電機と空気圧縮機を搭載するM'cとなっている。 また、1350形は増結時に順次挿入されたため、当初は編成単位での車番が不統一になっており、このため1357以外については後年に改番の上で整理されている。車体
車体設計は同時期製造の1010・1100系と同型の準張殻構造19m級軽量車体を備える2・3扉車である。 全16両のうち、第1編成である1301-1351-1302の3両は、国鉄、京阪との競争が激しかった京都線固有の輸送事情から、既存の710系に準じた2扉の扉間固定クロスシート車として製造された[10]。これに対し、1303・1352以降は混雑もあって全車ともロングシート車となった。 また、編成として最後に新造された1959年竣工の1307-1354-1308は、当初より3扉車として製造されたが、これらより後に既存編成向けに追加製造された1355・1356・1358の3両については組み込み先各編成の仕様に合わせて2扉車として製造されている[注 20]。 特急にはクロスシート車とロングシート車が、710系やP-6と同様に、どちらも区別なく使用されていた。主要機器
電装品は新京阪以来の京都線の伝統に従い、東洋電機製造の製品が採用されている。 主電動機はTDK-811-A︵100kW︶、駆動システムは東洋電機が独自開発した中空軸平行カルダンが採用された。歯数比は1305以降、2M2Tでの牽引力を確保するため、4.59から6.31(82:13)と高く変更されている[10]。制御器はMM'ユニット方式による1C8M制御が阪急で最初に採用され、電動カム軸式多段制御器の東洋電機製造ES-563A・B︵ES-536Bの採用は1305以降︶が奇数車に搭載された。 台車は1305-1353-1306が住友金属FS-325、1307-1354-1308が汽車製造KS-62A(Mc)・62(T)軸箱梁式空気ばね台車︵エコノミカルトラック︶[注 21]をそれぞれ試験的に採用した以外は全車住友FS-311であった。 ブレーキは当初より発電制動付のHSC-D電磁直通ブレーキが採用された[10]。これも阪急初の採用例であった。運用
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0b/Hankyu_1300_cool.jpg/220px-Hankyu_1300_cool.jpg)
1200系
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/34/Hankyu_1255.jpg/220px-Hankyu_1255.jpg)
車種構成
920系以降の在来吊り掛け駆動車と同様の制御電動車(Mc)である1200形1200 - 1207と制御車(Tc)である1250形1250 - 1257の2形式16両が当初製造され、これらを組み合わせた2両編成が基本とされた。 その後、中間電動車(M)が追加で製造され、形式は610系の中間電動車630形の経緯を踏まえて1230形とした[13]。1957年に1230、1231の2両、1958年に1232、1233の2両が製造されている[13]。車体
1010・1100形に準じた準張殻構造の19m級軽量車体を備える。なお、本系列は全車2扉ロングシート車として竣工している。主要機器
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a0/Hankyu_1232.jpg/220px-Hankyu_1232.jpg)
運用
全車とも竣工時より宝塚線で使用された[注 24]が、昇圧前後の一時期のみ、神戸線で使用されていたことがあるほか、性能的に近く運転曲線を同一として取り扱える810系と混結されていたこともある。 昇圧時には、主要機器流用元の各車が1500V昇圧を念頭に置いて設計されていたことが幸いし、電装品は大改装されずに済んだが、昇圧後のスピードアップとさらなる長大編成化の進行をにらみ、ブレーキがAR自動空気ブレーキから応答性に優れるHSC電磁直通ブレーキへ変更され[13]、これにあわせてATS設置や長編成化に伴う不要な運転台の撤去と編成の組み換えが実施されている。また、中間電動車4両のうち1232と1233は中間付随車(T)化され、1230と1231は付随車化された1232・1233の発生品を流用して主電動機を4基搭載に増強された。 また、上述の通り同系の車体を持つ京都線1300系の編成替えで余剰となった、中間車の1350形2両︵1351・1355︶が宝塚線系に転籍して本系列に組み込まれ、最盛期には8連1本と7連2本に組成され高性能車に伍しての本線運用が実施された。 6000系の増備にともない、1977年頃から今津線等の支線での運用が主となったが、車体が3線統一規格の大型車体であり、走行性能も元来阪急が戦前から大出力車を建造し続けてきたことが幸いして高性能車にそれ程見劣りせず、しかもブレーキのHSC化で上述の通り最大8連も組成可能であったことから本形式は重宝され、一部は1980年頃まで宝塚線で使用された。 製造後20年を経過して更新修繕が必要な時期になったが、旧性能車の残存時期を考慮して、810系や1010・1100系に対して行われた更新修繕は見送られ、老朽化した一部の床下機器の交換工事のみにとどまった。その結果、車齢の古い810系よりも先に淘汰されることとなり、1982年の甲陽線での3連運用を最後に定期運用を離脱して順次廃車され、休車となっていた1206Fの4両を最後に、1983年に全車廃車された[9][注 25]。1600系
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/73/Hankyu1600Series.jpg/240px-Hankyu1600Series.jpg)