パキスタン・ターリバーン運動
パキスタン・ターリバーン運動 تحریک طالبان پاکستان | |
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ワジリスタン紛争に参加 | |
パキスタン・ターリバーン運動が使用する旗 | |
活動期間 | 2007年12月–現在 |
活動目的 |
パキスタン政府からの分離独立[1] パシュトゥーン民族主義[2] イスラム主義[3] タクフィール主義 原理主義 ワッハーブ派 分離主義 |
構成団体 | パシュトゥーン人 |
指導者 |
バイトゥッラー・マフスード † ハキームッラー・マフスード † マウラナ・ファズルッラー † ヌール・ワリ・メスード |
活動地域 | |
上位組織 | ターリバーン(ターリバーン側は拒否) |
関連勢力 |
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敵対勢力 |
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ウェブサイト | Umar Media |
パキスタン・ターリバーン運動︵パキスタン・ターリバーンうんどう、ウルドゥー語: تحریک طالبان پاکستان, 英語: Tehrik-i-Taliban Pakistan, TTP︶は、パキスタンの連邦直轄部族地域︵FATA︶の南ワズィーリスターンを拠点にカイバル・パクトゥンクワ州などアフガニスタン国境地帯で活動するイスラム主義武装組織。ウルドゥー語の意味は﹁パキスタン学生運動﹂であるが、傘下に多くの武装集団︵兵力推計35,000人︶を抱える。日本のマスコミではターリバーンの呼称が﹁タリバン﹂、もしくは﹁タリバーン﹂で表現されることから﹁パキスタン・タリバン︵タリバーン︶運動﹂と呼称されることもある。
概要[編集]
パキスタン国内のターリバーンを支持する集団を統合する目的で、2007年12月にバイトゥッラー・マフスードを最高指導者としてパキスタン国内の13のターリバーン系組織が合体して発足した。 シャリーアに基づくイスラム国家発足が目標でありパキスタン政府の打倒を掲げている。﹁パキスタン・ターリバーン運動﹂︵TTP︶は軍統合情報局︵ISI︶から直接支援されたアフガニスタンのターリバーンとは直接の関係はないが、2008年と2009年にムハンマド・オマルから﹁パキスタン国内での反政府活動よりアフガニスタンでの反米活動を支援して欲しい﹂との要請を受け、TTP指導部はムハンマド・オマルやウサーマ・ビン・ラーディンとの提携を進めた。これまでのところ、TTPの活動は主にパキスタン国内であるがクアリ・フセイン︵Qari Hussain︶はアメリカの都市を標的としていくと宣言した。2009年にチャップマン基地自爆テロ事件などを起こしたのはTTPである。同年以降、パキスタン政府はワジリスタン紛争でTTPへの攻勢を強めている。歴史[編集]
TTPはアフガニスタン紛争が起こるとトライバルエリア︵FATA︶に逃げ込んだ非パキスタン人︵主にアラブ人や中央アジア出身者︶に対して2002年にパキスタン軍が行った掃討作戦がルーツである。パキスタン軍のワズィーリスターン進攻はアル・カーイダやアフガニスタンのターリバーン掃討が目的であったが、ワズィーリスターンの部族勢力および武装勢力は共同で2004年に反政府の自治を進めた。 2006年10月のアメリカ軍によるバージャウルのマドラサ攻撃がパキスタン・ターリバーン運動︵略称‥TTP︶発足の契機になったとされる[4]。 2007年にはTTPの存在が公表されると翌年、パキスタン政府はTTPを禁止し銀行口座を凍結した。 2008年末から2009年にかけてムハンマド・オマルがTTPに使者を送りアフガニスタン国内に駐留するアメリカ軍への攻撃支援を要請すると、TTPの指導者であるバイトゥッラー・マフスード、ハーフィズ・グル・バハドゥル、マウルヴィ・ナジルの三者はそれに応え路線対立を停止し2009年2月に﹁統合ムジャーヒディーン評議会﹂︵SIM︶を結成した。同年8月、アメリカ軍の空爆でバイトゥッラー・マフスードが爆死すると権力闘争が勃発、弟のハキームッラー・マフスードが後継者となった。新体制になって反政府の自爆テロが活発化した。特にシーア派、アフマディーヤ、スーフィーなどの民間人も自爆テロの標的となった。 2010年にアメリカはTTPを国際テロ組織に指定、2011年にはイギリスもテロリスト集団としてその活動を禁じた。 2012年10月、TTPから脅迫を受けながらも教育を受けられる権利を訴えていた15歳の女性、マララ・ユサフザイへの銃撃事件を企て、国内外から大きな非難を浴びた。非難はイスラム主義者からもなされ、アフガニスタンの軍閥指導者グルブッディーン・ヘクマティヤールは、女子教育の必要性を指摘し、TTPの行動を﹁非道﹂と批判した[5]が、TTPは﹁女が教育を受ける事は死に値する罪﹂と反発。 2012年12月27日には、パキスタン北西部ペシャーワルの検問所で、地元住民からなる民兵がパキスタン・ターリバーン運動の武装集団に襲撃され、23人が拉致される事件が発生。30日には、この23人のうち21人の遺体が見つかるなど、衝突が続いている[6]。 2013年6月23日、ナンガパルバット登山のためのベースキャンプ地を武装集団が襲撃、外国人登山客10人が死亡。TTPが犯行声明を出す[7]。 2013年10月11日、アメリカ合衆国国務省は、アメリカ軍がパキスタンで行った軍事作戦で、TTP上級司令官であるラティーフ・メフスード︵Latif Mehsud︶を拘束したことを発表。同時に、2010年にニューヨークのタイムズスクエアで発生した爆破未遂事件へのTTPの関与を認めた[8]。 2013年11月1日、2代目最高指導者のハキームッラー・マフスードがアメリカ軍無人機の攻撃により死亡した[9]。同月7日、後継の指導者にマウラーナー・ファズルッラーが選ばれた[10]。 2014年1月9日、パキスタンで最も勇敢な警官として知られたチョードリー・アスラム警視を遠隔操作の爆弾で暗殺した[11]。 2014年6月8日のカラチの国際空港襲撃事件ではウズベキスタン・イスラム運動と協力[12]。 10月14日、有力幹部6人が過激派組織ISILの傘下に入ると表明した[13]。他にもイスラム国を支持するメンバーが出ており、専門家からは、TTPは分裂を重ねて弱体化するとの見方が出ている[14]。 12月16日、ペシャワールで軍の運営する学校を襲撃、148人を殺害した。内132人は生徒であった。これを受け、ナワーズ・シャリーフ首相は2008年から執行を停止していた死刑制度をテロ関係者に限り適用することを明言。事件後数週間で﹁500名以上の執行を行う﹂と過激派に対し厳しく対処する姿勢を見せた。TTP側は声明で﹁FATAにおける民間人に対するパキスタン軍の攻撃への報復﹂を襲撃の理由とした。[15]。 2018年6月15日、3代目最高指導者のマウラーナー・ファズルッラーがアメリカ軍の小型ドローンの攻撃により死亡したと発表された[16]。 2019年4月12日、パキスタン、バルチスタン州のクエッタでハザーラ人を標的とした自爆テロが発生。後日、TTPの一派が、シーア派を対象にテロ攻撃を続けているラシュカレ・ジャングビと共同で行ったものとして犯行声明を発表している[17]。 2021年4月21日、TTPはクエッタのセレナホテルの駐車場で爆弾を爆発させ、5人が死亡、12人の負傷者を出すテロ攻撃を実行した。この事件は中国大使を標的としたものとされる[18]。 2021年8月15日、ターリバーンのアフガニスタン制圧に伴い、過去副指導者を務め、TTPの中でも比較的穏健派と考えられているファキール・ムハンマドがカブールの刑務所から解放された[19]。 2021年12月、TTPが公開した映像で、最高指導者のヌール・ワリ・メスードはTTPをターリバーンの支部であると明言した。また、アフガニスタン軍やアフガニスタン警察の車両を保有している事が確認され、TTPがターリバーンの恩恵を受けている事が明らかになった[20]。 2022年4月17日、パキスタンはTTPが出撃拠点としていたホースト州とクナル州の国境沿いの集落を爆撃。両州合わせて47人以上が死亡した[21]。脚注[編集]
(一)^ “Tehreek-e-Taliban Pakistan’s Discursive Shift From Global Jihadist Rhetoric to Pashtun-Centric Narratives”. Jamestown Foundation (2021年9月24日). 2021年10月18日閲覧。
(二)^ “Tehreek-e-Taliban Pakistan’s Discursive Shift From Global Jihadist Rhetoric to Pashtun-Centric Narratives”. Jamestown Foundation (2021年9月24日). 2021年10月18日閲覧。
(三)^ “Tehreek-e-Taliban Pakistan’s Discursive Shift From Global Jihadist Rhetoric to Pashtun-Centric Narratives”. Jamestown Foundation (2021年9月24日). 2021年10月18日閲覧。
(四)^ Fair, C. Christine (2011-01). "The Militant Challenge in Pakistan"
(五)^ “Taliban wrong on girls’ education: Hekmatyar”. The Hindu 2013年1月3日閲覧。
(六)^ “パキスタン民兵21人の遺体発見 武装勢力が殺害”. 47NEWS (共同通信). (2012年12月30日)
(七)^ “ウクライナ人5人と中国人3人、ロシア人1人のほか現地ガイド1人の計10人殺害 パキスタン北部”. 産経新聞. (2013年6月23日) 2013年12月16日閲覧。
(八)^ “米軍がパキスタンでタリバン幹部を拘束、国務省発表”. AFP (フランス通信社). (2013年10月12日) 2013年10月20日閲覧。
(九)^ “タリバン運動最高指導者死亡-パキスタン 米無人機攻撃”. MSN産経ニュース. (2013年11月2日)
(十)^ “パキスタンのタリバン運動、新指導者を選出 マララさん銃撃に関与”. AFPBB News. (2013年11月8日) 2013年11月9日閲覧。
(11)^ “パキスタン:﹁最も勇敢な警察官﹂暗殺される”. 毎日新聞 (2014年1月10日). 2014年2月8日閲覧。
(12)^ “カラチ空港襲撃、ウズベキスタン・イスラム運動が関与主張”. (2014年6月14日) 2014年6月15日閲覧。
(13)^ “マララさん襲撃の武装勢力幹部が﹁イスラム国﹂参加を表明”. (2014年10月15日) 2014年10月23日閲覧。
(14)^ 金子淳 (2014年11月4日). “パキスタン:タリバン イスラム国支持めぐり進む分裂”. 毎日新聞 2014年11月20日閲覧。
(15)^ http://thepage.jp/detail/20141221-00000004-wordleaf
(16)^ “マララさん襲撃首謀のタリバン指導者死亡、米軍攻撃で”. AFPBB News. (2018年6月16日8時6分) 2018年6月16日閲覧。
(17)^ “パキスタンの市場で自爆攻撃、20人死亡 異端視される少数民族が標的か”. AFP (2019年4月12日). 2019年4月12日閲覧。
(18)^ “中国大使が標的か、パキスタンの高級ホテルで爆発…イスラム武装勢力が犯行声明 : 国際 : ニュース”. 読売新聞オンライン (2021年4月22日). 2021年8月16日閲覧。
(19)^ “Kabul, i talebani prendono possesso del palazzo presidenziale” (イタリア語). Giornale di brescia (2021年8月16日). 2021年8月16日閲覧。
(20)^ Ahmadi, M. Shabir (2021年12月9日). “What the TTP said?” (英語). Medium. 2021年12月9日閲覧。
(21)^ “パキスタン軍がアフガン空爆47人死亡”. AFP (2022年4月17日). 2022年4月18日閲覧。