フランク・ロイド
フランク・ロイド Frank Lloyd | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1939年 | |||||||||
生年月日 | 1886年2月2日 | ||||||||
没年月日 | 1960年8月10日(74歳没) | ||||||||
出生地 | スコットランド グラスゴー | ||||||||
死没地 | アメリカ合衆国 サンタモニカ | ||||||||
|
フランク・ロイド︵Frank Lloyd, 1886年2月2日 - 1960年8月10日︶は、英国スコットランド生まれの米国の映画監督。第2回︵1928年 - 1929年︶および第6回︵1932年 - 1933年︶の米国アカデミー監督賞受賞者である。
略歴[編集]
スコットランド、グラスゴー出身。1913年米国に移住、俳優としてデビューしたあと、脚本と映画監督に転じる。10代の終わり頃には有名な文学の映画化︵﹃二都物語﹄︵1917年︶や﹃レ・ミゼラブル﹄︵1917年︶など︶や西部劇を監督するようになる。 ロイドの有名な映画は、ロン・チェイニーがフェイギンを演じた﹃オリバー・トゥイスト﹄︵1922年︶やアカデミー監督賞を獲得した﹃情炎の美姫﹄︵1929年︶などがある。第2回アカデミー賞では﹃情炎の美姫﹄﹃ウィリー・リヴァー﹄﹃愛の曳き船﹄の3本が同時に監督賞にノミネートされ、18世紀のイギリス海軍提督ホレーショ・ネルソンとの恋愛で有名な﹁オーキッド・レディ﹂こと、駐ナポリ大使夫人エマ・ハミルトンとの物語﹃情炎の美姫﹄がその名誉を得たのである。 1955年公開の﹃アラモの砦﹄まで、ロイドが演出した映画は約80本を数える。1930年代を代表する監督の一人であり、スケールの大きいロイドの作風は何度もアカデミー賞を受賞している。﹃カヴァルケード﹄が第6回アカデミー賞の作品賞、監督賞、室内装置賞を、﹃戦艦バウンティ号の叛乱﹄は作品賞をそれぞれ獲得している。 ロイドは米国映画芸術科学アカデミー︵AMPAS︶の36名の創立者の一人である。また﹃情炎の美姫﹄はアカデミー作品賞にノミネートされていないのにアカデミー監督賞を獲得した、現在まで唯一の作品である。また1934年から1935年にかけてAMPASの代表を務めていた。主なフィルモグラフィ[編集]
- 二都物語 A Tale of Two Cities (1917年) 監督・脚本
- レ・ミゼラブル Les Misérables (1917年) 監督・脚本
- オリバー・トゥイスト Oliver Twist (1922年) 監督・脚本
- 情炎の美姫 The Divine Lady (1929年) 監督・製作(クレジット無し)
- カヴァルケード Cavalcade (1933年) 監督・製作
- 戦艦バウンティ号の叛乱 Mutiny on the Bounty (1935年) 監督・製作
- セイルムの娘 Maid of Salem (1937年) 監督・脚本
- 逃走迷路 Saboteur (1942年) 製作
- 透明スパイ Invisible Agent (1942年) 製作
- アラモの砦 The Last Command (1955年) 監督