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ブルマート(Bull mart)は雪印乳業が運営していた日本のコンビニエンスストアチェーン。雪印が傘下の牛乳販売店の強化策として展開したが、後にam/pm傘下となった。
かつて、日本における牛乳販売は牛乳メーカーが牛乳販売店に卸し、販売店が朝方、顧客に戸別配達する販売形態が一般的で、1965年頃の牛乳販売店のシェアは90%を超えていた[2]。しかし、1967年頃から多頭飼育の影響で牛乳が過剰となり、販路拡大が課題となると、1970年に全農直販が牛乳容器を紙パック化し、量販店と直接取引をするようになった。以降、販売店のシェアは徐々に低下し、1973年には戸別配達が48%にまで低下した[3]。牛乳販売店の中には転廃業を強いられるところもあり、メーカー側には販売店の活性化を図る方策が求められていた。
雪印は1971年頃からこの問題に取り組み、1972年には専門のプロジェクトチームを組んで検討した。このチームが出した案が販売店のコンビニエンスストア転換で、1974年に蒲田に第一号店を、さらに6店舗を出店して試行を重ねた[4]。1975年6月には東京総括支店に専門部署を置いて展開を本格化した。店名は雄牛︵ブル︶のようなエネルギーを持つように、ということで、﹁ブルマート﹂と名付けられた[5]。1975年に出店した牛乳販売店転換店舗で転換により牛乳販売量が大幅に伸長するなど[6]、首都圏での展開が順調であったことから、1979年にはブルマートを担当する子会社﹁株式会社ブルマート﹂を立ち上げ、全国展開も視野に入れた[7]。
事業趣旨が販売店救済にあったことから、チェーン加入の条件は雪印製品を扱う牛乳販売店からの転業か、異業種からの参入の場合は近隣の雪印販売店から牛乳の納入を受けることが条件となっていた。八百屋だった店は転換後も野菜を売り続けることができるなど本部の統制が緩かったことから、パン販売店[8]や酒販店[9][10]、豆腐店[11]など、異業種からの参入が目立った。これには牛乳販売店は一般に店舗面積が狭く、そのままコンビニエンスストアに転業するのは無理があったことが要因となっている。ロイヤルティーも商品供給額の3%と他チェーンに比べて安く設定されていたが、これは本部機能を維持できる程度として設定された額であり、本部の指導力や商品供給機能の不足を招いた。
1991年にようやくロイヤルティー見直しと本部機能の強化に手をつけたものの、この頃になるとコンビニ業界は3強が6割を占めており、加盟店が200店程度と小規模なブルマートは劣勢は明らかであった。1992年2月、ブルマートはam/pmとの提携を決め[12][13]、1994年にはam/pmがブルマート株を雪印から買い取り、雪印はコンビニ運営から撤退した[14]。
(一)^ ﹃平成8年版 東商信用録︵関東版︶﹄上巻、東京商工リサーチ東京支社、1996年、1488ページ。
(二)^ ﹃日経産業新聞﹄1982年︵昭和57年︶7月6日付11面。
(三)^ ﹁牛乳専販店の活性化からスタートしたブルマートの今後 理念は高尚だが、ロイヤルティ改善がないと、今後の成長も望めない﹂﹃激流﹄第7巻第12号、国際商業出版、1982年12月、32-33ページ。
(四)^ ﹁ブルマート 別会社設立でヤル気にやったブルマート﹂﹃総合食品﹄第3巻第3号、総合食品研究所、1979年8月、102-106ページ。
(五)^ ﹁ガンバル食品企業第一線⑤ 雪印乳業CVSブルマート本部 牛乳店蘇生に奔走 夏休みのない〝猛牛〟八人﹂﹃日経産業新聞﹄昭和50年8月25日付8面。
(六)^ 吉田升三﹁﹁ブルマート﹂にみるコンビニエンス・ストアの新しい方向﹂﹃流通情報﹄第93号、流通経済研究所、1977年2月、19-23ページ。
(七)^ ﹁牛乳販売店のコンビニ化 雪乳、全国展開へ 指導会社設立﹂﹃日経産業新聞﹄昭和54年︵1979年︶2月17日付け8面。
(八)^ ﹁ブルマート鷺沼店 パン販売店多角化の一例 雪印乳業CVSグループに仲間入り﹂﹃食品商業﹄第4巻第3号、商業界、1975年3月、120-121ページ。
(九)^ ﹁ブルマート武蔵屋 雪印乳業の指導が光るブルマート23号店 間口の広さをフルに生かして豪華な感じ与える﹂﹃食品商業﹄第5巻第13号、商業界、1976年12月、156-157ページ。
(十)^ ﹁ブルマートひらの 横浜市 メーカー主宰フランチャイズ店 雪印バックに堅実なペースですすむ ミニ酒販店主が加入を決意して﹂﹃食品商業﹄第7巻第10号、商業界、1978年9月、182-183ページ。
(11)^ ﹁メーカーフランチャイズ店 東京都 ブルマート中野新橋店 とうふ製造販売業からブルマートへ ノンフーズに力入れて売り上げ増より粗利確保はかる﹂﹃食品商業﹄第7巻第2号、商業界、1978年2月、114-115ページ。
(12)^ ﹁エーエム・ピーエム 雪印系コンビニと提携 商品発送・仕入れ一本化﹂﹃日経流通新聞﹄1993年︵平成5年︶2月9日付7面。
(13)^ ﹁“弱者”同士の提携では依然体力不足 生き残りの道険しい中小コンビニ﹂﹃日経ビジネス﹄1993年2月22日、32-33ページ。
(14)^ ﹃流通サービス新聞﹄1994年3月23日付5面。