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乾信武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
板垣退助の祖父・乾信武の墓
(東京・品川神社裏にある高源院(飛び地)墓地)

 

凡例

乾 信武
時代 江戸時代後期
生誕 安永7年(1778年
死没 文化7年7月3日1810年8月2日
改名 鹿次郎、左近兵衛、庄右衛門
戒名 乾山全貞居士
墓所 土佐国土佐郡薊野村板垣山
官位 従六位
主君 山内豊雍山内豊興
土佐藩
氏族 源姓乾氏
父母 父:乾正聰、母:林勝周の女
兄弟 信武、野本信照、女子
谷村自熈の女
正成、女子
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7(1778)[2]鹿[2]

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7225(1810329)7773(181082)[2]33[3]

墓所[編集]

乾信武の墓(高知・板垣山)
板垣退助の祖母・乾信武妻の墓(高知・板垣山)
  • 江戸にて卒去したため江戸で荼毘に臥され、品川東海寺の塋域[4]に埋葬された墓があるが、土佐薊野の乾家歴代墓所にも東海寺にある墓石と同形の墓石が建てられている。

家族[編集]

補註[編集]

  1. ^ 『土佐史談』
  2. ^ a b c d e f g h 『御侍中先祖書系圖牒』旧山内侯爵家
  3. ^ 東京品川の墓石の記載による
  4. ^ 現在は品川神社の裏手にあたる。板垣退助の墓も同所にある。

参考文献[編集]