八沢木駅
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八沢木駅 | |
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やさわぎ YASAWAGI | |
◄羽後大森 (2.3 km) (3.1 km) 二井山► | |
所在地 |
秋田県平鹿郡大森町上溝 (現・横手市大森町上溝) 北緯39度20分25.8秒 東経140度23分54.7秒 / 北緯39.340500度 東経140.398528度座標: 北緯39度20分25.8秒 東経140度23分54.7秒 / 北緯39.340500度 東経140.398528度 |
所属事業者 | 羽後交通 |
所属路線 | 横荘線 |
キロ程 | 23.0 km(横手起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1928年(昭和3年)11月1日 |
廃止年月日 | 1966年(昭和41年)6月15日 |
備考 | 横荘線部分廃線に伴い廃駅 |
八沢木駅︵やさわぎえき︶は、秋田県平鹿郡大森町上溝︵開業時は旧・平鹿郡八沢木村上溝、現・横手市大森町上溝︶にあった羽後交通横荘線︵旧・横荘鉄道︶の駅︵廃駅︶である。横荘線の部分廃線に伴い1966年︵昭和41年︶6月15日に廃駅となった。
歴史[編集]
●1928年︵昭和3年︶11月1日‥横荘鉄道羽後大森駅 - 二井山駅間延伸開通に伴い開業[1][2][3][4]。一般駅[4]。 ●1944年︵昭和19年︶6月1日‥鉄道会社名を羽後鉄道に改称。路線名を横荘線に制定。それに伴い羽後鉄道横荘線の駅となる[1][2][5]。 ●1946年︵昭和21年︶夏‥国鉄から借入のC12形蒸気機関車C12 229号機牽引の老方駅発試運転列車が浮蓋駅発車後に過速暴走、当駅手前で停車する[6]。 ●1947年︵昭和22年︶7月23日‥豪雨による路盤および橋脚損壊により横荘線全区間運休、当駅も営業休止となる[3][7]。 ●1948年︵昭和23年︶11月8日‥運休区間︵舘合駅 - 老方駅間︶が復旧、当駅も営業再開となる[3][7]。 ●1952年︵昭和27年︶2月15日‥鉄道会社名を羽後交通に改称。それに伴い羽後交通横荘線の駅となる[1][2][3][5]。 ●1965年︵昭和40年︶ ●7月9日‥水害による雄物川橋梁橋脚洗掘により舘合駅 - 二井山駅間運休、当駅も営業休止となる[8][3]。 ●10月21日‥舘合駅 - 二井山駅間が正式に営業休止となり、当駅も休止駅となる[3]。 ●1966年︵昭和41年︶6月15日‥舘合駅 - 二井山駅間部分廃線に伴い廃止となる[1][2][3][5]。駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[6]。ホームは線路の北西側︵老方方面に向かって右手側︶に存在した[6]。そのほか側線として、本線横手方西に分岐し駅舎東側に至る行き止りの側線を1線と、本線老方方から東に分岐しモーム南側に至る行き止りの側線を1線有していた[6]。 職員配置駅となっていた[4]。駅舎は構内の北西側に位置し、ホーム北側部分に接していた[6]。駅周辺[編集]
旧・八沢木村の中心部から遠い、村域の南側をかすめたような場所に位置した[6]。 ●秋田県道29号横手大森大内線 - 現在の状況。 ●秋田県道164号二井山大森線 - 現在の状況。駅跡[編集]
2007年︵平成19年︶5月時点では羽後交通バスの折返場となっていた[3][5]。隣の駅[編集]
- 羽後交通
- 横荘線
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
(一)^ abcd書籍﹃日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線2東北﹄︵監修‥今尾恵介、新潮社、2008年6月発行︶43ページより。
(二)^ abcd書籍﹃新 鉄道廃線跡を歩く1北海道・北東北編﹄︵JTBパブリッシング、2010年4月発行︶222ページより。
(三)^ abcdefgh書籍﹃新 消えた轍3東北﹄︵著‥寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2010年8月発行︶25-28,30-31ページより。
(四)^ abc書籍﹃私鉄の廃線跡を歩くI北海道・東北編﹄︵著‥寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行︶165ページより。
(五)^ abcd書籍﹃私鉄の廃線跡を歩くI北海道・東北編﹄︵著‥寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行︶82-85ページより。
(六)^ abcdefg書籍﹃RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線﹄︵著‥若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行︶6,11,25ページより。
(七)^ ab書籍﹃RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線﹄︵著‥若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行︶16-17ページより。
(八)^ 書籍﹃RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線﹄︵著‥若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行︶19-20ページより。