沼館駅
沼館駅 | |
---|---|
ぬまだて NUMADATE | |
◄羽後里見 (2.4 km) (1.7 km) 船沼► | |
所在地 |
秋田県平鹿郡雄物川町沼館 (現・横手市雄物川町沼館) 北緯39度17分37.6秒 東経140度25分53.0秒 / 北緯39.293778度 東経140.431389度座標: 北緯39度17分37.6秒 東経140度25分53.0秒 / 北緯39.293778度 東経140.431389度 |
所属事業者 | 羽後交通 |
所属路線 | 横荘線 |
キロ程 | 15.3 km(横手起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
開業年月日 | 1918年(大正7年)8月18日 |
廃止年月日 | 1971年(昭和46年)7月20日 |
備考 | 横荘線廃線に伴い廃駅 |
沼館駅︵ぬまだてえき︶は、秋田県平鹿郡雄物川町沼館︵開業時は旧・平鹿郡沼館町沼館、現・横手市雄物川町沼館︶にあった羽後交通横荘線︵旧・横荘鉄道︶の駅︵廃駅︶である。横荘線の廃線に伴い1971年︵昭和46年︶7月20日に廃駅となった。
尚、駅名表記は﹁沼館﹂と﹁沼舘﹂が混在しているが、本項は羽後交通横荘線の研究書﹃RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線﹄︵著‥若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行︶にて採用されている﹁沼館﹂にて記載する。
歴史[編集]
●1918年︵大正7年︶8月18日‥横荘鉄道横手駅 - 当駅間開通に伴い開業[1][2][3][4]。一般駅[4]。 ●1919年︵大正8年︶7月15日‥当駅 - 舘合駅間延伸開通に伴い中間駅となる[1][2][3][5]。 ●1944年︵昭和19年︶6月1日‥鉄道会社名を羽後鉄道に改称。路線名を横荘線に制定。それに伴い羽後鉄道横荘線の駅となる[1][2][5]。 ●1947年︵昭和22年︶ ●7月23日‥豪雨による路盤および橋脚損壊により横荘線全区間運休、当駅も営業休止となる[3][6]。 ●7月29日‥横手駅 - 舘合駅間が復旧、当駅も営業再開となる[3][6]。 ●1952年︵昭和27年︶2月15日‥鉄道会社名を羽後交通に改称。それに伴い羽後交通横荘線の駅となる[1][2][3][5]。 ●1969年︵昭和44年︶1月16日‥当駅 - 舘合駅間部分廃線に伴い終着駅となる[1][2][3][5]。 ●1971年︵昭和46年︶7月20日‥横荘線の廃線に伴い廃止となる[1][2][3][5]。駅構造[編集]
廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、当駅 - 舘合駅間部分廃線前までは列車交換可能な交換駅であった[7]。駅舎側︵西側︶が下り線︵老方方面︶、外側︵東側︶が上り線︵横手方面︶となっていた[7]。そのほか側線として、下り線から西に分岐し駅舎との間を通過する機回し線を1線と、機回し線横手方から西に分岐し駅舎南側に至る行き止りの側線を1線有していた[7]。浅舞駅とほぼ同じ配線となっていた[7]。 職員配置駅となっていた[4]。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム北側の階段とを結ぶ構内踏切で連絡した[7][8]。ホームは待合所を有した[7]。待合所の隣、出入口側のホーム上に腕木式信号機が設置されていた[7]。 列車交換の通標は浅舞駅 - 当駅間は﹁□﹂、当駅 - 羽後大森駅間は﹁△﹂であった[7]。 駅名は、駅舎出入口上部に掲示されていた駅銘板には﹁沼館駅﹂と表記されていたが[8]、羽後交通の資料には﹁沼館﹂﹁沼舘﹂の双方が使用されていた[7]。駅周辺[編集]
旧・雄物川町︵さらに以前は沼館町︶の中心駅であった[7]。 ●秋田県道13号湯沢雄物川大曲線 - 一部区間には当線の線路跡が転用されていた。 ●雄物川町役場 - 現・横手市役所雄物川地域局[7]。 ●雄物川図書館 ●雄物川郵便局 ●秋田県立雄物川高等学校 ●雄物川町立雄物川北小学校 - 現在は横手市立雄物川小学校へ統合されて廃校となっている[9]。 ●雄物川郷土資料館 - 1999年︵平成11年︶時点では、敷地裏手にダルマ型転轍機と矢羽型ポイント標識が展示保存され、館内には当駅の写真が展示されていた[10]。 ●沼柵跡 - 推定地は現・蔵光院の建築地点︵別説あり︶[11]。後三年の役の舞台で、清原家衡の拠点の1つであった[11]。 ●雄物川駅跡[編集]
1999年︵平成11年︶時点では、開通記念に植えられた桜の大木が残っていた[10]。また火の見櫓が建築されていた[10]。2002年︵平成14年︶3月には、駅跡の道路の一角に、雄物川町︵当時︶により﹁横荘線 沼舘駅跡﹂と記載され、沿革も記された白い記念碑が建立された[3][5]。2007年︵平成19年︶5月時点[3][5]、2010年︵平成22年︶10月時点でも記念碑は同様であった[12]。 また、1996年︵平成8年︶時点では、浅舞駅跡附近から当駅跡附近までの線路跡は農免道路[8]及び県道13号線となっていた。2007年︵平成19年︶5月時点[3][5]、2010年︵平成22年︶時点でも同様であった[12]。往時を偲ぶことは出来ない状況であった[3]。隣の駅[編集]
脚注[編集]
(一)^ abcdef書籍﹃日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線2東北﹄︵監修‥今尾恵介、新潮社、2008年6月発行︶43ページより。
(二)^ abcdef書籍﹃新 鉄道廃線跡を歩く1北海道・北東北編﹄︵JTBパブリッシング、2010年4月発行︶222ページより。
(三)^ abcdefghijk書籍﹃新 消えた轍3東北﹄︵著‥寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2010年8月発行︶25-28,30-31ページより。
(四)^ abc書籍﹃私鉄の廃線跡を歩くI北海道・東北編﹄︵著‥寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行︶165ページより。
(五)^ abcdefgh書籍﹃私鉄の廃線跡を歩くI北海道・東北編﹄︵著‥寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行︶82-85ページより。
(六)^ ab書籍﹃RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線﹄︵著‥若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行︶16-17ページより。
(七)^ abcdefghijk書籍﹃RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線﹄︵著‥若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行︶6,10-11,19,25,30-31ページより。
(八)^ abc書籍﹃鉄道廃線跡を歩くII﹄︵JTBパブリッシング、1996年9月発行︶35ページより。
(九)^ “市報よこて No.223”. 横手市 (2015年1月15日). 2023年11月26日閲覧。
(十)^ abc書籍﹃とうほく廃線紀行﹄︵無明舎出版、1999年12月発行︶60ページより。
(11)^ ab“沼柵跡︵推定地︶︵雄物川︶”. 観光・文化 > 名所・旧跡. 横手市. 2023年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月16日閲覧。
(12)^ ab書籍﹃新 鉄道廃線跡を歩く1北海道・北東北編﹄︵JTBパブリッシング、2010年4月発行︶203ページより。