栄村駅
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栄村駅 | |
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えいむら EIMURA | |
◄横手 (4.0 km) (2.3 km) 樋ノ口► | |
所在地 |
秋田県平鹿郡栄村 (現・横手市柳田) 北緯39度16分9.2秒 東経140度31分24.5秒 / 北緯39.269222度 東経140.523472度座標: 北緯39度16分9.2秒 東経140度31分24.5秒 / 北緯39.269222度 東経140.523472度 |
所属事業者 | 横荘鉄道 |
所属路線 | 横荘鉄道 |
キロ程 | 4.0 km(横手起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1918年(大正7年)8月18日 |
廃止年月日 | 1921年(大正10年)5月1日 |
備考 | 横荘線廃線前に廃駅 |
栄村駅︵えいむらえき︶は、秋田県平鹿郡栄村︵現・横手市柳田︶にあった横荘鉄道︵後の羽後交通横荘線︶の駅︵廃駅︶である。短期間の営業のみで1921年︵大正10年︶5月1日に廃駅となった。
歴史[編集]
廃止の経緯は不詳である[1]。 ●1918年︵大正7年︶8月18日‥横荘鉄道横手駅 - 沼舘駅間開通に伴い開業[2][3]。 ●1921年︵大正10年︶5月1日‥廃止となる[3][4][注 1]。駅構造[編集]
詳細は不詳であるが、書類上の記載では駅︵停車場︶ではなく停留場であった[1]。駅周辺[編集]
後世の1971年︵昭和46年︶時点では、周囲は水田であった[1]。 ●秋田自動車道・湯沢横手道路 横手IC - 当線廃止後の開通。 ●東日本旅客鉄道︵JR東日本︶奥羽本線 柳田駅 - 当駅廃止後の開業[1]。当駅から東に約1km弱[1]。旧・栄村の中心地に位置する。駅跡[編集]
秋田自動車道と湯沢横手道路の交差地点附近と考えられ[1]、その周辺の線路は切通しになっていたが[5][6][7]、横手インターチェンジ建設時に山ごと削られ、1996年︵平成8年︶時点ではすでに当時の面影は全く無くなっていた[5]。1999年︵平成11年︶時点[6]、2010年︵平成22年︶時点でも同様であった[7]。 また、横手インターチェンジ部分以外の当駅跡附近の線路跡は、1999年︵平成11年︶時点ではインターチェンジ前後には跡が良く残っていた[6]。横手駅 - 当駅跡間は1996年︵平成8年︶時点では水田の中に線路跡が残存し[5]、2010年︵平成22年︶時点でも同様で[7]、小川を渡る小さな橋も残存していた[7]。当駅跡 - 樋ノ口駅跡間は2007年︵平成19年︶5月時点では湯沢横手道路から浅舞方面への道が分岐する地点附近に道床および溝を渡るコンクリートの橋台も残存し[8][9]、2010年︵平成22年︶時点でも同様であった[7]。隣の駅[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 別説として1921年(大正10年)4月1日廃止説あり(書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 2 東北』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年6月発行)43ページより。)。
出典[編集]
(一)^ abcdef書籍﹃RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線﹄︵著‥若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行︶7,24ページより。
(二)^ 書籍﹃日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線2東北﹄︵監修‥今尾恵介、新潮社、2008年6月発行︶43ページより。
(三)^ ab書籍﹃新 鉄道廃線跡を歩く1北海道・北東北編﹄︵JTBパブリッシング、2010年4月発行︶222ページより。
(四)^ ﹁地方鉄道停留場廃止﹂﹃官報﹄1921年5月19日︵国立国会図書館デジタル化資料︶
(五)^ abc書籍﹃鉄道廃線跡を歩くII﹄︵JTBパブリッシング、1996年9月発行︶34ページより。
(六)^ abc書籍﹃とうほく廃線紀行﹄︵無明舎出版、1999年12月発行︶60ページより。
(七)^ abcde書籍﹃新 鉄道廃線跡を歩く1北海道・北東北編﹄︵JTBパブリッシング、2010年4月発行︶201,203ページより。
(八)^ 書籍﹃新 消えた轍3東北﹄︵著‥寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2010年8月発行︶25-28,30-31ページより。
(九)^ 書籍﹃私鉄の廃線跡を歩くI北海道・東北編﹄︵著‥寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行︶82-85ページより。