樋ノ口駅
樋ノ口駅 | |
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ひのくち HINOKUCHI | |
◄横手 (6.3 km) (1.5 km) 東浅舞► | |
所在地 |
秋田県平鹿郡平鹿町醍醐 (現・横手市平鹿町醍醐) 北緯39度16分9.2秒 東経140度31分24.5秒 / 北緯39.269222度 東経140.523472度座標: 北緯39度16分9.2秒 東経140度31分24.5秒 / 北緯39.269222度 東経140.523472度 |
所属事業者 | 羽後交通 |
所属路線 | 横荘線 |
キロ程 | 6.3 km(横手起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1918年(大正7年)8月18日 |
廃止年月日 | 1971年(昭和46年)7月20日 |
備考 | 横荘線廃線に伴い廃駅 |
樋ノ口駅︵ひのくちえき︶は、秋田県平鹿郡平鹿町醍醐︵開業時は旧・平鹿郡醍醐村下樋口、現・横手市平鹿町醍醐︶にあった羽後交通横荘線︵旧・横荘鉄道︶の駅︵廃駅︶である。横荘線の廃線に伴い1971年︵昭和46年︶7月20日に廃駅となった。
なお、駅名表記は﹁樋ノ口﹂と﹁樋の口﹂が混在しているが、本項は羽後交通横荘線の研究書﹃RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線﹄︵著‥若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行︶にて採用されている﹁樋ノ口﹂にて記載する。
歴史[編集]
●1918年︵大正7年︶8月18日‥横荘鉄道横手駅 - 沼舘駅間開通に伴い開業[1][2][3][4]。 ●1944年︵昭和19年︶6月1日‥鉄道会社名を羽後鉄道に改称。路線名を横荘線に制定。それに伴い羽後鉄道横荘線の駅となる[1][2][5]。 ●1947年︵昭和22年︶ ●7月23日‥豪雨による路盤及び橋脚損壊により横荘線全区間運休、当駅も営業休止となる[3][6]。 ●7月29日‥横手駅 - 舘合駅間が復旧、当駅も営業再開となる[3][6]。 ●1952年︵昭和27年︶2月15日‥鉄道会社名を羽後交通に改称。それに伴い羽後交通横荘線の駅となる[1][2][3][5]。 ●1971年︵昭和46年︶7月20日‥横荘線の廃線に伴い廃止となる[1][2][3][5]。駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[7]。ホームは線路の南側︵老方方面に向かって左手側︶に存在した[7]。転轍機を持たない棒線駅となっていた[7]。 無人駅となっており[4][7]、駅舎は無いがホーム東側出入口附近に待合所を有した[7]。待合所は比較的新しい作りであった[7]。ホームは横手方に階段を有し[7]駅施設外に連絡していた。 駅名は、羽後交通の資料には﹁樋ノ口﹂﹁樋の口﹂の双方が使用されていた[7]。駅周辺[編集]
周囲は水田であった[7]。 ●善福寺駅跡[編集]
1999年︵平成11年︶時点では、すでに区画整理がされており、駅跡は残っていなかった[8]。 また、当駅跡附近の線路跡は1999年︵平成11年︶時点では道路に転用されていた[8]。隣の駅[編集]
- 羽後交通
- 横荘線
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 別説として1921年(大正10年)4月1日廃止説あり(書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 2 東北』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年6月発行)43ページより。)。
出典[編集]
(一)^ abcd書籍﹃日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線2東北﹄︵監修‥今尾恵介、新潮社、2008年6月発行︶43ページより。
(二)^ abcde書籍﹃新 鉄道廃線跡を歩く1北海道・北東北編﹄︵JTBパブリッシング、2010年4月発行︶222ページより。
(三)^ abcde書籍﹃新 消えた轍3東北﹄︵著‥寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2010年8月発行︶25-28,30-31ページより。
(四)^ ab書籍﹃私鉄の廃線跡を歩くI北海道・東北編﹄︵著‥寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行︶165ページより。
(五)^ abc書籍﹃私鉄の廃線跡を歩くI北海道・東北編﹄︵著‥寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行︶82-85ページより。
(六)^ ab書籍﹃RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線﹄︵著‥若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行︶16-17ページより。
(七)^ abcdefghi書籍﹃RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線﹄︵著‥若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行︶6-7,10ページより。
(八)^ ab書籍﹃とうほく廃線紀行﹄︵無明舎出版、1999年12月発行︶60ページより。