加賀操
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加賀 操︵かが みさお、1897年︵明治30年︶[注 1]7月25日[1] - 1986年︵昭和61年︶2月3日[1][2]︶は、大正末から昭和期の農業技術者、政治家。参議院議員。北海道内初の本格的ハッカ工場に係わり﹁ハッカの神様﹂と称された[1]。
経歴[編集]
岡山県出身[1][2]。1924年︵大正13年︶北海道帝国大学農学部を卒業し[1][2]、同年、北海道庁技手に任官し、その後、同技師となる[2]。 その後、北海道信用購買販売組合聯合会︵北聯、現・ホクレン農業協同組合連合会︶北見薄荷工場長に就任[1]。北聯理事、北海道農業会理事、全農政協会理事、北海道薬農工業会社社長、上川生果物出荷組合長、日本除虫菊協会理事長などを務めた[2]。 1947年︵昭和22年︶4月の第1回参議院議員通常選挙で北海道地方区に無所属で出馬して当選し[3]、緑風会に所属し参議院議員に1期在任した[1][2]。この間、北海道開発審議会委員などを務めた[2]。 1969年︵昭和44年︶秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[4]。 1986年︵昭和61年︶2月3日死去。死没日をもって従六位から正五位に叙される[5]。伝記[編集]
- 前川満夫編著『薄荷にかけた生涯加賀操略伝』北見市史編さん事務室、2005年。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』277頁では明治32年。