大浦天主堂停留場
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大浦天主堂停留場 | |
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道路側から見た停留場全景 | |
おおうらてんしゅどう Oura Cathedral | |
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所在地 |
長崎県長崎市大浦町3番25号先 北緯32度44分10.53秒 東経129度52分15.09秒 / 北緯32.7362583度 東経129.8708583度 |
駅番号 | 50 |
所属事業者 | 長崎電気軌道 |
所属路線 | 大浦支線(■5号系統) |
キロ程 | 0.8 km(新地中華街起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
800人/日 -2015年- |
開業年月日 | 1916年(大正5年)12月27日 |
大浦天主堂停留場︵おおうらてんしゅどうていりゅうじょう、大浦天主堂電停︶は、長崎県長崎市大浦町にある長崎電気軌道の路面電車停留場。駅番号は50。5号系統が停車する。
名前の通り大浦天主堂のほか、グラバー園の最寄り停留場でもある[1]。
大浦海岸通側より見た停留場。線路の左側、電車が止まっているのがバ ス停と共用の石橋方面行き、右側が新地中華街方面行きのホームである。
大浦川と道路の間に敷かれた単線の軌道
大浦天主堂停留場は併用軌道区間にある停留場だが[12]、軌道敷は路面より若干高い位置にあり、半ば道路から独立した専用軌道のような状態である[4]。軌道は単線で大浦川と並走する道路との間に敷かれ、ホームは軌道を挟んで両側に1面ずつ設けられている[12][13][14]。河川側にあるのが新地中華街方面行きのホーム、道路側にあるのが石橋方面行きのホーム[14]。互いの乗り場の位置は斜向かいにずれていて、新地中華街寄りから見ると河川側・新地中華街方面行きの乗り場が手前にある[14]。停留場がある区間の軌道には芝生が植えられ緑化されている[14]。
かつては河川側のホームのみで︵片面ホーム︶、これが新地中華街寄りから見て右側であるため、前中扉[15]の360形や500形は当停留場を使用できなかった[1][4]。利便性のため道路側にホームを新設したのは2000年︵平成12年︶[7]。このときホームの反対側にはバス停留所を併設し、日本で初めて路面電車とバスを一つのホームで乗り換えられるようにした[7]。ただホーム幅は狭く乗客があふれる恐れがあるため、一部防護柵を取り付けている[13]。河川側のホームは1999年︵平成11年︶に改良され、上屋の取り換えやホームのかさ上げ、スロープの設置がなされた[7][16]。
このほか、停留場には案内放送装置や電車接近表示装置を備える。
歴史[編集]
当停留場は1916年︵大正5年︶に松ヶ枝橋停留場︵まつがえばしていりゅうじょう︶として開業した[2][3]。その後1930年︵昭和5年︶に弁天橋停留場︵べんてんばしていりゅうじょう︶に改称[2]。50年近く同名を名乗り続けたが、付近にあるバス停の名称に合わせて1980年︵昭和50年︶に大浦天主堂下停留場︵おおうらてんしゅどうしたていりゅうじょう︶へ改称した[1][4]。2018年︵平成30年︶には停留場の最寄り施設を明確にするため、﹁下﹂を外した大浦天主堂停留場に改称している[5]。年表[編集]
●1916年︵大正5年︶12月27日‥松ヶ枝橋停留場として開業[2]。 ●1930年︵昭和5年︶4月‥弁天橋停留場に改称[2]。 ●1980年︵昭和55年︶5月1日‥大浦天主堂下停留場に改称[2]。 ●1999年︵平成11年︶3月30日‥河川側のホーム︵築町方面ホーム︶を改築[6][7]。 ●2000年︵平成12年︶3月28日‥道路側のホーム︵石橋方面ホーム︶を設置[6][7]。長崎バスのバス停との併設供用開始[8]。 ●2001年︵平成13年︶6月26日‥行先案内放送装置を設置[6]。 ●2008年︵平成20年︶5月29日‥電車接近表示装置を設置[9]。 ●2009年︵平成21年︶11月26日‥構内の芝生軌道化工事が完了[10]。 ●2018年︵平成30年︶8月1日‥大浦天主堂停留場に改称[5][11]。構造[編集]
利用状況[編集]
長崎電軌の調査によると1日の乗降客数は以下の通り。 ●1998年 - 2,259人[1] ●2015年 - 800人[17]周辺[編集]
一帯には大浦天主堂やグラバー園のほか観光施設が点在し、当停留場を利用する観光客も多い[4]。- 長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館
- 松翁軒
- 四海樓本店
- 長崎あじさい病院
- 祈りの丘絵本美術館
- 旧羅典神学校
- 軍艦島デジタルミュージアム
- 東山手十二番館
- 大浦警察署
- 長崎バス「大浦天主堂下」バス停
- 昭和会病院
隣の停留場[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c d 田栗 & 宮川 2000, p. 67.
- ^ a b c d e 今尾 2009, p. 57.
- ^ 100年史, p. 126.
- ^ a b c d 田栗 2005, p. 95.
- ^ a b “電停名称変更のお知らせ”. 長崎電気軌道 (2018年3月30日). 2018年4月4日閲覧。
- ^ a b c 田栗 2005, p. 156.
- ^ a b c d e 100年史, p. 123.
- ^ 100年史, p. 198.
- ^ 100年史, p. 201.
- ^ 100年史, p. 202.
- ^ 浅野孝仁 (2018年7月31日). “長崎電気軌道:13カ所停留場、新名称に 35年ぶり、あすから”. 毎日新聞(地方版・長崎) (毎日新聞西部本社): p. 23
- ^ a b 100年史, p. 130.
- ^ a b 川島 2007, p. 123.
- ^ a b c d 川島 2013, p. 49.
- ^ 前中扉の車両は運転席の左側にしか降車扉がない。
- ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 69.
- ^ 100年史, p. 125.