岡田喜久治
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岡田 喜久治︵おかだ きくじ、1889年︿明治22年﹀7月21日[1] - 1959年︿昭和34年﹀2月2日[2]︶は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員︵3期、立憲民政党︶、参議院議員︵1期、民主党︶。農林政務次官。
経歴[編集]
栃木県芳賀郡清原村︵現在の宇都宮市︶出身。1914年︵大正3年︶、東京帝国大学法科大学政治科を卒業[3]。同年の高等文官試験に合格し、宮城県志田郡長、北海道庁理事官、石川県理事官を経て、警視庁理事官に任命され、工場課長、保安課長、外事課長、特別高等課長を歴任した[3]。その後、宮崎県書記官・警察部長、三重県書記官・警察部長に就任。1927年︵昭和2年︶、京都市助役となった[3]。1929年︵昭和4年︶、岐阜県書記官・警察部長となり、翌年には宮崎県書記官・内務部長となった[3]。 退官後の1932年︵昭和7年︶、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第20回まで3期連続当選を果たした。その間、米内内閣で農林政務次官を務めた[4]。 その他、日本タングステン株式会社取締役、日本竹織株式会社取締役、満洲皮革株式会社監査役などを務めた[4]。 戦後は、1947年︵昭和22年︶4月の第1回参議院議員通常選挙に民主党から栃木地方区で出馬し、落選。しかし同年8月の補欠選挙で当選を果たした。1950年︵昭和25年︶の第2回参議院議員通常選挙で自由党から全国区に転じたが落選。1953年︵昭和28年︶の第3回参議院議員通常選挙で栃木県から再び立候補したが落選した。 1959年︵昭和34年︶2月2日死去、69歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈︵勲三等からの昇叙︶[5]。親族[編集]
- 松永直吉 - 妻の兄。外交官