コンテンツにスキップ

岩井温泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩井温泉
温泉情報
所在地

鳥取県岩美郡岩美町

岩井温泉の位置(鳥取県内)
岩井温泉

岩井温泉

鳥取県地図
座標 北緯35度33分18.6秒 東経134度21分46.3秒 / 北緯35.555167度 東経134.362861度 / 35.555167; 134.362861座標: 北緯35度33分18.6秒 東経134度21分46.3秒 / 北緯35.555167度 東経134.362861度 / 35.555167; 134.362861
交通 鉄道・バス : 山陰本線岩美駅より日交バスで約10分
車 : 鳥取市中心部から国道9号を東へ約30分
泉質 硫酸塩泉(含芒硝石膏泉[1]
泉温(摂氏 50℃[1]
宿泊施設数 3
年間浴客数 12,249人[2]
統計年 2017(平成29)
外部リンク 岩井温泉|鳥取いなば温泉郷
テンプレートを表示
岩井温泉の位置
岩井温泉の位置

岩井温泉の位置

岩井温泉の位置



1300[1][ 1]197348330

[]


 - [1] [3][4]

 - [1]


[]


9

宿31

[]


沿[5][4]



859[1][6]

 [ 2][7][6][8][ 3][7][8]

退[5]





[5][7][8]

2860[ 4][5]



[5][3]

宿168[5][3]



沿便13303km[5][4][3]

[]




[7][8]894使[8]

16863[3][8]

[]


[5][3][4]8112[9][9][3]3[10]

[]


[11][11][6]



日の暮れる頃に、岩井に着いた。思つたほどの山の中ではなかつたが、しづかな田舍の街道に沿うたところに、私達の泊つた明石屋の温泉宿があつた。そこは因幡国のくにのうちだと思ふだけでも、何となく旅の気分を改めさせた。湯も熱かつたが、しかし入り心地はわるくなかつた。その晩は夏らしい月もあつて、宿の裏二階の畳の上まで射し入つた。庭にある暗い柿の葉も、ところどころ月に光つて涼しい。東京の方の留守宅のこともしきりに胸に浮ぶ。鷄二も旅らしく、宿の絵葉書などを取りよせた。 「どれ、楠ちやんのところへ葉書でも出すかナ。」
「東京へもお前に頼む。」
旅の頼りも鷄二が私に代つて書いた。私はまた宿の主人に所望して、土地での湯かむり歌といふものを聴かせてもらつた。いつの頃からのならはしか、土地の人達は柄杓ですくふ湯を頭に浴びながら歌ふ。うたの拍子は湯をうつ柄杓の音から起る。きぬたでも聴くやうで、野趣があつた。この湯かむり歌もたしかに馳走の一つであつた。山間とはいひながら、かうした宿でも蚊帳を吊つたので、その晩は遲くなつてから鷄二と二人蚊帳のなかに枕を並べて寢た。

島崎藤村『山陰土産』 四 山陰道の夏 

鉄道[編集]


192211194318便[7][12]

宿[7][5][12]

192211便沿19349退194318[7][12]


[]


201729調15000[2]2000[13]20001026-20%[13]

512調[ 5][14]

[]




333232H10 

 11



930

[]


 - [3]

 - #

 - #

 - 186929

 - 

[]

参考文献[編集]

  • 『全國温泉案内』,溫泉研究會,1924
  • 『温泉案内』,鐡道省,1940
  • 『図説日本文化地理大系4 中国1』,浅香幸雄・編,小学館,1962
  • 『日本の文化地理 第13巻 兵庫・岡山・鳥取』講談社,1970
  • 『全国温泉大事典』野口冬人・著,旅行読売出版社,1997,p560-563
  • 『鳥取県の地名(日本歴史地名大系)』,平凡社,1992
  • 『日本地名大辞典 31 鳥取県(角川日本地名大辞典)』,角川書店,1982,ISBN 978-4040013107
  • 『鳥取県大百科事典』,新日本海新聞社鳥取県大百科事典編纂委員会・編,新日本海新聞社,1984,p74-75,「岩井温泉」,「岩井温泉発見伝説」,「岩井軽便鉄道」,「岩井大火」
  • 鳥取県文化観光局観光政策課 平成22年観光客入込動態調査結果
  • 『鳥取県の歴史散歩』,鳥取県歴史散歩研究会・編,山川出版社,1994,2003

注釈[編集]

  1. ^ お湯をかぶる入浴法は、他にも那須湯本温泉などがある。
  2. ^ 東源寺境内の「長者の薬師水」案内看板によれば、冬久は藤原冬嗣の次男。大正13年刊行の『全國温泉案内』によれば冬嗣の裔である藤原冬忠の次男。[5]
  3. ^ 異説では比叡山最澄の作[8]
  4. ^ 正確には「貞観2年」はユリウス暦でいう「860年1月27日」から「861年1月15日」までであり、「貞観2年」は860年か861年に相当する。
  5. ^ 2010年の鳥取県全体の入湯客数は入湯税額からの計算値で約115万人、同手法の1998年の計算値が約155万人であるのに対し、旧来の計算方式では1997年は約600万人となり、著しく値が異なっている。

出典[編集]



(一)^ abcdefp560-563

(二)^ ab 303201867

(三)^ abcdefghp75-99

(四)^ abcdp208

(五)^ abcdefghijp448-453

(六)^ abc 13 p242

(七)^ abcdefgp74-75

(八)^ abcdefg 2014923

(九)^ abp79-80

(十)^  2014923

(11)^ ab41p310-311

(12)^ abc31p116

(13)^ ab 調2212201499

(14)^  調2213-14201499

関連項目[編集]

外部リンク[編集]