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かんぴょう

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
干瓢から転送)
干瓢
干瓢 乾[1]
100 gあたりの栄養価
エネルギー 1,089 kJ (260 kcal)

炭水化物

68.1 g

食物繊維 30.1 g

脂肪

0.2 g

タンパク質

6.3 g

ビタミン
リボフラビン (B2)

(3%)

0.04 mg
ナイアシン (B3)

(18%)

2.7 mg
パントテン酸 (B5)

(35%)

1.75 mg
ビタミンB6

(3%)

0.04 mg
葉酸 (B9)

(25%)

99 µg
ビタミンE

(3%)

0.4 mg
ミネラル
ナトリウム

(0%)

3 mg
カリウム

(38%)

1800 mg
カルシウム

(25%)

250 mg
マグネシウム

(31%)

110 mg
リン

(20%)

140 mg
鉄分

(22%)

2.9 mg
亜鉛

(19%)

1.8 mg

(31%)

0.62 mg
セレン

(3%)

2 µg
他の成分
水分 19.8 g
水溶性食物繊維 6.8 g
不溶性食物繊維 23.3 g
ビオチン(B7 8.0 µg
硝酸イオン 0.5 g

ビタミンEはα─トコフェロールのみを示した[2]。 
%はアメリカ合衆国における
成人栄養摂取目標 (RDIの割合。

[3][4][5]

寿使

2021103985218799[6]

[]


4578[6]

[]


30cm[7]

[6][8]

[7]

[]


21竿2[7]3[7]

1kg5.0g使[9]

6 - 7150[10]

[]

宿

16使[4]

[4][11][11]宿姿 2081712[11]

8使2[3][12]

1970[13]

[]


寿寿寿

[14]使[14]

[15]

[]


3使姿

[]


寿
  1. 摂津国木津が干瓢生産の発祥の地といわれ、また干瓢生産が盛んであったから。
  2. 山城国京都府南部)から木津川を下り摂津の木津へ運ばれ、そこで干瓢巻が誕生したから。大正時代から昭和にかけて大阪の市場では山城の木津干瓢はブランドとなっていた。故に、関西では干瓢のことを木津とも呼んでいた。
  3. 正徳二年に近江国水口藩から下野国壬生藩に国替えになった鳥居忠英が、干瓢の栽培を奨励したことが、今日の栃木県の干瓢生産の興隆につながっている。その水口藩内の産地が木津であったから。