コンテンツにスキップ

幽州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中国地名の変遷
建置 古代
使用状況 938年に改編
幽州
春秋幽州
戦国幽州
幽州
前漢幽州
幽州
後漢幽州
三国幽州
西晋幽州
東晋十六国幽州
南北朝幽州
幽州
涿郡
幽州
范陽郡
幽州
五代幽州




[]


106513涿西11


[]


2382

4002

4682

[]


366056073涿9[1]
隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
幽州 燕州 涿郡
燕郡 范陽郡 漁陽郡 長寧郡 永豊郡 昌平郡 薊県 良郷県 安次県
涿県 潞県 雍奴県
懐戎県 昌平県 固安県
薊県
良郷県
安次県
涿県 潞県
雍奴県
懐戎県 昌平県
固安県

華北平野の北端に位置し北方への陸路交通の要衝とされていた幽州であるが、608年(大業4年)に永済渠が建設され北方の沁水と黄河が連絡され水上輸送面でも重要視されることとなった。また611年(大業7年)には煬帝自ら江都より黄河・永済渠を経由して涿郡まで行幸している。

また611年(大業7年)より3度にわたり実施された高句麗遠征では兵站基地として利用されている。

唐代[編集]


618涿7427589[2]

使使756使使

[]


9383[3]1012[4]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 隋書』地理志中
  2. ^ 旧唐書』地理志二
  3. ^ 遼史』太宗紀下
  4. ^ 『遼史』聖宗紀六