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本島等

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本の旗 日本政治家

本島 等

もとしま ひとし

1987年、荒木武広島市長(中央)と率いる代表団と共に東ドイツを訪問し、エアハルト・クラック東ベルリン市長(左)に歓迎を受ける本島等(右)。

生年月日 1922年2月20日
出生地 長崎県南松浦郡北魚目村(現・新上五島町
没年月日 (2014-10-31) 2014年10月31日(92歳没)
出身校 京都大学工学部
所属政党 自由民主党

第25-28代 長崎市長

当選回数 4回
在任期間 1979年5月2日 - 1995年5月1日
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原爆投下に対する発言[編集]


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出典・脚注[編集]



(一)^ ab2022408

(二)^ [1]

(三)^ .  . 2018714

(四)^ abcdefg2012 

(五)^   - 

(六)^ 200012

(七)^ 2

(八)^ 92 20141031

(九)^ 

(十)^  (2015). . .  . 2018823

(11)^ 3 (2004.08)

(12)^     

関連書籍[編集]

  • 『長崎市長への七三〇〇通の手紙』 径書房 第一版:ISBN 4770500718 増補版:ISBN 4770500777
  • 長崎市長のことば 本島等 岩波ブックレット 1989(天皇戦争責任発言に関して本島氏に聞く)
  • 昭和を生きて 沢地久枝 岩波ブックレット 1991(戦争責任について)
  • タブーへの挑戦:本島発言に市民は 言論の自由を求める長崎市民の会編 1989(本島氏の発言を支持する市民の声)
  • 天皇制と小さな民主主義:本島長崎市長銃撃に抗する市民たち 言論の自由を求める長崎市民の会編 明石書店 1990(本島氏銃撃事件へ発言する市民の声)
  • 「なぜ平和宣言で「謝罪」を言ったか」 本島等 論座 (通号 31) [1997.11]
  • 「広島よ、おごるなかれ―原爆ドームの世界遺産化に思う」、平和教育研究(24)(1997.4)→日本原爆論大系第7巻:歴史認識としての原爆 日本図書センター 1999に収録
  • 『赦し 長崎市長 本島等伝』横田信行 にんげん出版ISBN 9784931344211
  • 原爆・戦争・ヒューマニズム 「本島等の思想」 平野伸人 編・監修 長崎新聞社 2012

関連項目[編集]