村上朝日堂はいかにして鍛えられたか
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村上朝日堂はいかにして鍛えられたか | ||
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著者 | 村上春樹 | |
イラスト | 安西水丸 | |
発行日 | 1997年5月15日 | |
発行元 | 朝日新聞社 | |
ジャンル | エッセイ | |
国 |
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言語 | 日本語 | |
形態 | 並製本 | |
ページ数 | 336 | |
コード | ISBN 978-4022571328 | |
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﹃村上朝日堂はいかにして鍛えられたか﹄︵むらかみあさひどうはいかにしてきたえられたか︶は、村上春樹文、安西水丸絵のエッセイ集。
概要[編集]
1997年5月15日、朝日新聞社より刊行された[1]。本書は、﹃週刊朝日﹄︵1995年11月10日号 - 1996年12月27日号︶に連載されたコラム﹁週刊村上朝日堂﹂をまとめたものである。絵は安西水丸。1999年8月1日、新潮社より新潮文庫として文庫化された[2]。巻末に村上と安西の対談がある。内容[編集]
●﹁日本マンション・ラブホテルの名前大賞が決まりました﹂の章は、村上と安西と当時月刊誌﹃Paso﹄の編集長だった五十嵐文生︵文中は﹁丁稚のイガラシ﹂︶の鼎談形式で書かれてある。 ●﹁全裸家事主婦クラブ通信2﹂の章では、全裸で家事をする読者からの手紙を5通ほど紹介している。 ●村上と安西の二人はロザンナ・アークエットのファンだという[3]。村上はアークエットが出演した映画﹃イントルーダー 怒りの翼﹄を3回も見た。 ●﹁オブラディ、オブラダ﹂の一節を﹁人生はブラジャーの上を流れる﹂と訳したものを昔どこかで見かけたという。 ●外国に住んでいたころ、久しぶりに一時帰国したときにある出版社から﹁今度当社で昭和文学の全集を出すのだが、そこにあなたの﹃1973年のピンボール﹄を入れたい﹂と電話があった。電話があったときにはすでに﹁谷崎潤一郎から村上春樹まで﹂という見出しのパンフレットが刷られていたという。その顛末が語られている。 ●あとがきで村上は﹁この本は、去年の夏にとうとう死んでしまった我が長者猫ミューズの魂に、個人的に捧げられます﹂と述べている[4]。脚注[編集]
(一)^ 朝日新聞出版 最新刊行物‥書籍‥村上朝日堂はいかにして鍛えられたか
(二)^ 村上春樹 安西水丸﹃村上朝日堂はいかにして鍛えられたか﹄|新潮社
(三)^ ﹁村上朝日堂ホームページ﹂で読者からのメールに対し村上はこう答えている。﹁ロザンナ・アークエット、いいですねえ。﹃アフター・アワーズ﹄見てくださいね。最高です。﹃パルプ・フィクション﹄の彼女もちょい役ですが、かなりあぶないですよ﹂︵﹃スメルジャコフ対織田信長家臣団﹄朝日新聞社、2001年4月、読者&村上春樹フォーラム417︶
(四)^ 本書、新潮文庫、340頁。