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武井夕庵

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凡例

武井夕庵/武井助直
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
改名 助直→夕庵
別名 爾云、妙云
官位 肥後守二位法印
主君 土岐氏斎藤道三義龍龍興織田信長
氏族 武井氏
十左衛門
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脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 朱印状に添えられた書状で、朱印状発給までの経過説明や細目を解説する。信長の下では担当が決まっていて、原則担当武将と吏僚が2人で組んでいた。[3]

出典[編集]

  1. ^ フロイス日本史』の読みのとおり。
  2. ^ 『濃飛両国通史』下巻 岐阜県教育会 編刊 1924年 近代デジタルライブラリー 359-360コマ 2015年3月22日閲覧
  3. ^ a b c 谷口 1998, pp. 3–21, 176–179
  4. ^ 桐野作人「"文化人"としての光秀」『ここまでわかった!明智光秀の謎』KADOKAWA〈新人物文庫〉、2014年。 (研究引用元は竹本千鶴「織田政権における茶湯の湯」)
  5. ^ 谷口 1998, p. 208.
  6. ^ 谷口克広『信長の天下所司代 筆頭吏僚 村井貞勝』〈中公新書〉2009年、223頁。 

参考文献[編集]

  • 谷口克広『信長の親衛隊 戦国覇者の多彩な人材』〈中公新書〉1998年。 
  • 太田牛一『信長公記』奥野高広;岩沢愿彦 校注〈角川文庫〉、1969年。