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安土城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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安土城
滋賀県
安土城大手道
安土城大手道
城郭構造 山城
天守構造 望楼型地上6階地下1階(1579年・非現存)
築城主 織田信長
築城年 1576年(天正4年)
主な改修者 羽柴秀吉
主な城主 織田氏、明智氏
廃城年 1585年(天正13年)
遺構 天守台、曲輪、石垣、堀
指定文化財 国特別史跡
再建造物 一部の石垣・大手道石階段
位置 北緯35度9分21.29秒 東経136度8分21.87秒 / 北緯35.1559139度 東経136.1394083度 / 35.1559139; 136.1394083座標: 北緯35度9分21.29秒 東経136度8分21.87秒 / 北緯35.1559139度 東経136.1394083度 / 35.1559139; 136.1394083
地図
安土城の位置(滋賀県内)
安土城

安土城

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安土城(あづちじょう)は、琵琶湖東岸の、近江国蒲生郡安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)[1]にあった日本の城山城)。城址は国の特別史跡で、琵琶湖国定公園第1種特別地域になっている。

概要[編集]

安土城図
安土城がある安土山の空中写真(1982年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
ステレオ写真はこちら
織田信長

[ 1]1632西西

便姿

158210

使[ 2]

 

198920調殿殿調2008202009[2]20調20%17調50100[2]殿

特徴[編集]

中央に礎石がない[編集]


1調

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使

[]


西[3]西使

[]


10112150調

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殿殿[]


殿

651.97m殿722.2m772

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1613殿西

15891591殿殿

殿殿[ 3]殿





[ 4]

殿殿西西

[]


6m180m


沿[]

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157641

157975

15821051529退

158513

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19187 

192615 19198

19272 

19283 調

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195025 21952(27)

196035 197550197853

198863 1調

1989200921調20

19924 56

199911 殿

200517 16

2006184610051

200921 調20

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(一)615[4][5]

(二)[4][4][6]

(三)退[7]

(四)

(五)

4[8][5]寿2[9]3[10]

65

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調[]


調2019892009

1989 

19902 136

19913 

19924 

19935 西調

19946 調

19957 調

19968 調

19979 

199810 

199911 殿

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1/20


姿姿561[11]

使姿

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71


殿廿



西西西
廿西廿
廿西




[12]

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-18585

78767姿

-19305

67356姿

-195934

673456姿

-197651

57145姿

西-19935

67156殿姿

-19946

561345姿

-200517

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[]


  

 -  

 -  

 - 

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 - 

 - 退

 - 

 - [ 5]

 - [13]

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 20042009

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西JR西 20



20061891
700

200

10002009214

100 

 9:0017:0016:30

 122814

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 9:0017:0016:30

 122814


 9:0017:0016:30

 

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黒金門跡
黒金門跡
  • 森成利邸跡 織田信澄邸跡
  • 織田信雄家墓塔 (長谷川秀一邸跡)
    織田信雄家墓塔
    長谷川秀一邸跡)
  • 武井夕庵邸跡
  • 織田信忠邸跡
  • 摠見寺仮本堂 (徳川家康邸跡)
    摠見寺仮本堂
    徳川家康邸跡)
  • 摠見寺三重塔
  • 摠見寺仁王門
  • 織田信長公本廟
    織田信長公本廟
  • 二の丸跡
    二の丸跡
  • 本丸跡
    本丸跡
  • 天守台跡
    天守台跡
  • 安土山
    安土山
  • 安土城で開催された相撲大会(元亀・天正年間)
    安土城で開催された相撲大会(元亀・天正年間)
  • 脚注[編集]

    注釈[編集]

    1. ^ 昭和期に干拓が行われたため、現在は湖岸からやや離れている。
    2. ^ ただし、安土城に残る当時の石垣の積み方は場所により様々であり、特定の「穴太積み」なる技法の存在を想定するのは難しい。
    3. ^ ちなみに現在の清涼殿は、江戸時代裏松光世が古代の清涼殿を復元した図面に基づいて安政年間に建てられたものである。
    4. ^ 桐の紋章がついた瓦も発掘されている。桐の紋章は足利将軍家が使用していたもので、こちらについては信長は1568年に上洛した際、足利義昭から使用許可を得ている。
    5. ^ 第三次長島侵攻には北畠家の水軍を派遣している。

    出典[編集]



    (一)^ 25

    (二)^ ab08調8200828

    (三)^ 1990

    (四)^ abc (2018322). 8   . .  . 2021222

    (五)^ ab111992p.195

    (六)^ 調.  . 2024521

    (七)^  2016

    (八)^ 1220054ISBN 978-4122045224 

    (九)^ 寿1958p.252-253

    (十)^     2021ISBN 978-4-86403-369-5 P13-14.

    (11)^  5 1996

    (12)^ 西  1996 ISBN 978-4055001601

    (13)^ 

    []


    寿<>19589

    1119924ISBN 4-08-195011-3

    12<>20054ISBN 4122045223

    調

    9879881976

     1994

    5701995

    寿2003

    9989991977

    []

    外部リンク[編集]